第百四十一話「圧し掛かる現実」
「何だ、今のは……」
カンザキは目を慄かせる。マサキがノート端末に映し出したのは自分の息子、ヤナギが何らかの声明をする様子だった。だが、そのような事カンザキは知らない。ヤグルマに襲撃されたかと思えば、自分はセキエイの中枢にいた。イブキとシロナ――どうしてだかカラシナと名乗っているが――とマサキ、それに仮面の秘書官と子供達がいる空間に自分は存在している。問い質す前にマサキが見つけた動画は自分の視線を釘付けにした。
「どうしてヤナギが……息子が、こんな事をしているんだ!」
取り乱したカンザキにカラシナが、「落ち着いてください」と声を振りかける。だが、彼女とて戸惑いの胸中があるのは表情を見れば分かった。この中で落ち着いているのはマサキと仮面の秘書官くらいだ。
「ヤナギ君、どうしたんだろうね」
仮面の子供の一人が画面を見つめて呟いた。彼らとヤナギは顔見知りだったのか? 意外な事実にさらに混乱する。
「シロナ、じゃなくって今はカラシナだったっけ。あんたも、この事は」
イブキが声を振り向けるとカラシナは首を横に振った。続いて仮面の秘書官へとイブキが振り返る。当然、答えはノーだった。
「我々にも分からない領域でカンザキ・ヤナギは動いている。恐らくは破滅から逃れるために」
破滅、という言葉にカンザキが狼狽していると、「せやかて、不可能なんやろ?」とマサキが訊いていた。ソネザキ・マサキという男の存在はカンザキも聞き及んでいる。ポケモンのある部門において成功を収めたらしい、というだけだが。
「破滅を逃れるなんて事は」
マサキは秘書官へと問うている。秘書官は、「そうですね」と紫色の紅を引いた唇を引き結んだ。
「ヘキサツールに刻まれた破滅は確実に訪れます。それが早められ、オーキド・ユキナリによって誘発された。しかし、何らかの要因によりそれは阻止された。今は、そう見るべきでしょうね」
オーキド・ユキナリ。聞いた事のない名前だった。カンザキはただただ自分の息子が何に関わっているのか問い質さねばならない気がしていた。
「お前らは何だ? ヤナギに何を吹き込んだ?」
怒りを滲ませた口調に、「あたしが、悪いんです」とカラシナが歩み寄ってきた。
「ヤナギ君を、ある意味では道を間違わせてしまった」
カラシナは顔を伏せている。単純に責め立てる気になれなかったのは彼女とて何かを背負っていると思わされたからだ。彼女だけではない。イブキもマサキも、秘書官も、全員が自分には窺い知れない秘密を抱えている。
「……何が、どうなったって言うんだ」
呻くしかない。そのような自分の無力さに歯噛みする。マサキは、「一つ、言えるんは」と言葉を継いだ。
「ヘキサなる組織の全権がヤナギに委譲された。あるいはヤナギが張子の虎という可能性も捨て切れんけれど、このヤナギの言い分からそれはないやろ。つまるところ、ヘキサの頭目と見なされていたハンサムの失踪、あるいは死亡がこの声明から窺えるわけやな」
マサキの冷静な声にカラシナが声を詰まらせる。
「……ハンサムが、死んだって言うの?」
「そう考えるのが妥当やん? ハンサムが生きていて、ヤナギにここまでさせる意味が分からんし。それにヘキサは裏の組織やった。全てを制御下に置こうという傲慢さが見え隠れしていたのはハンサムの謀略もあったから。それがここに来て消えた。のっぴきならないとヤナギが言うとったけれど、まさしくそうなんかもしれんな。本当に、手段なんて選んどる余裕がなくなったのかも。もしくはこれもヘキサの罠で、ハンサムが牛耳っている可能性もなくはないけれど、ワイはその可能性、限りなく薄いと思うで」
マサキの意見に、「何でよ?」とイブキが問うた。
「ハンサムは、カラシナの話を統合するに結構用意周到な奴なんでしょう? 自分はあくまで頭目、いや、そうである事も隠すために現場にも赴いた。ヘキサツールの真実を知りながら、その事を今日に至るまで誰にも隠し通していた」
「それやん、姐さん。ヘキサツール、四十年後の滅びの事。それだけは民衆に絶対知られてはならん。だって言うのに、ヤナギは口走った。これってつまり、もうハンサムはいないと考えてええって事ちゃうん?」
マサキの結論にイブキは言葉をなくしていたがカラシナが、「そうかもしれないわね」と応じていた。
「ハンサムは死んだ。だからこそ、ヤナギ君がここに来て判断を迫られた。恐らく、最も残酷な判断を。自分が矢面に立ち、民衆からの反感、あるいは反政府組織として狙われるかもしれないという危険を」
カラシナは秘書官を見やる。全権がまるで秘書官にあるとでも言うように。秘書官は、「確かに、ネメシスの方針としてはこの声明、黙っていられません」と答える。
「たとえ滅びが誘発されたとしても、我々はあくまで傍観、即ちヘキサツールの歴史通りの動きを優先します。だからこそ、この発言は封殺されねばならない」
その言葉の意味がカンザキには理解出来なかった。封殺、とはどういう事なのか。それを問い質す前に秘書官はカンザキへと振り向く。
「ご子息を、反政府組織のリーダーとして指名手配します」
カンザキが目を見開く。冗談だろう、と言いたかったがからからに渇いた喉から漏れたのは、「やめろ……」という反抗だった。
「ヤナギが、そんな事をするはずがないんだ……」
「しかし、これは現実なのですよ」
現実。本当にそうなのか。カンザキは夢であってくれと願った。自分は既にヤグルマによって殺されており、ここは死後の世界だと言われたほうが余程説得力がある。だが、自分は無様に生き永らえ、今も呼吸をしているのだ。
「……やめてくれ」
カンザキは頭を抱えて蹲る。秘書官はマサキへと声を飛ばした。
「関係各所、マスコミへの誘導。出来ますね?」
「誰に言うとるねん。ワイはいつでも。エンターキー一つで今の声明を取り消す事が出来る。逆に全地方に拡散する事も出来るけれど、どうする?」
「出来るだけ穏便に」
秘書官の声に、「分かっとるって、先生」と返し、エンターキーが押された。それだけで今のヤナギの発言がなかった事になるとは信じられなかったが、カンザキは祈るしかなかった。
「さて。反政府組織として追うのはいいけれど、誰が追うって言うの? 警察なんかを利用したんじゃ、結局この声明を肯定しているようなものじゃない」
イブキの声に、「蛇の道は蛇よ」とカラシナが答える。
「恐らくはロケット団が黙っちゃいない。ネメシスは高みの見物。そうでしょう?」
カラシナの声に秘書官は何も言わなかった。ロケット団、ネメシス。自分でも知らない単語が渦巻き、カンザキはその場に吐いた。吐き気は収まらず胃液を垂らしていると、「まぁ、しゃーないよなぁ」とマサキが呟いた。
「今の状況、パニックになるのも致し方ないて」
「誰が説明にするのよ」
イブキの声に、「姐さん、してくださいよ」とマサキは応ずる。
「ワイはエンジニアやから。急病人の看病なんて出来んよ」
「私だって責任取れないわよ」
イブキとマサキのやり取りをどこか遠くに感じながらカンザキはぼんやりと石英の突き立った景色を眺める。ここが天国か、地獄かと問われれば間違いなく地獄だった。
「カンザキ執行官。あなたを生かしたのはこのあたし」
カラシナがハンカチを取り出しカンザキに手渡す。カンザキは、「申し訳ない」とハンカチを借り受ける。口元を拭っていると、「説明はあたしが」とカラシナが引き受ける。秘書官は、「私はこれから政府関係に口止めをしなければいけません」と淡白に応じた。
「まぁワイらの負担が減るのならええよ」
「私も、別に意見はないけれど……」
イブキとマサキはカンザキを邪魔者のように思っているようだ。カラシナは、「では、説明します」と佇まいを正す。
「あたしとヤナギ君に、何があったのか。このポケモンリーグとは何なのか」