第百四十話「世界に布告する」
外に出るなり煤けた風が纏いつくようだった。
キュレムとミュウツーの激突。それだけではない、オノノクスが誘発した破滅への扉。それによってセキチクシティは最早復興不可能な地域になっていた。病院から出るなりヤナギは息をつく。敵であった連中を説得するのは骨が折れる。だが、やらねばならない。そうでなくてはユキナリ奪還など不可能に近い。
「疲れているのか?」
そう声をかけてきた影にヤナギは視線を振り向ける。黒い着物を纏ったチアキが瓦礫の大地を眺めている。
「少しな。オーキド・ユキナリを殺すつもりで来たというのに、その正反対の事をさせられていると疲れも溜まる」
「どうして、貴公が矢面に立つ?」
チアキからしてみれば自分とユキナリの因縁は理解しているはずだ。そのために手に入れた力、キュレム。そしてヘキサという組織。
「俺が立たねば、誰も立たないだろう?」
チアキもカミツレも前に立つような人柄ではない。こんな時にシロナがいてくれれば、と考える自分が恨めしい。あの時、別れは決定的だっただろうに。この世にはもういない人を期待しても仕方がなかった。
「それにしたところで、アデクとナツキだったか。あの二人を説得するとは思わなかった」
「意外か?」
ヤナギは歩き出す。チアキは後ろからついてきながら、「少しな」と感想を漏らした。
「貴公は、誰にも与しないのが似合っていると思っていたが」
「だから誰にも与していないだろう。俺はヘキサですら利用する。ロケット団も邪魔だから排除の道を選んでいるだけだ。もし、ロケット団が有益ならばあいつらの考えを読み取って逆に動く」
その言葉にチアキがフッと笑みを浮かべた。
「変わらないな。それでこそ、ついていく気になれるというものだが」
「チアキ。お前にはスパーリングをしてもらう。ナツキの、だ」
「ナツキ、ハッサム使いのトレーナーだな」
面識があった事に驚きだったがヤナギは余計な事は言わず、「一日でも早く強くなってもらわねば」と返した。
「メガシンカを使ってもらう。ハッサムは鋼・虫タイプ。お前のバシャーモならば相性がいい。どちらにとってもいい相手になるだろう」
「……メガシンカ。眉唾物の理論だな」
どうやら耳にした事くらいはあるようだ。ヤナギは、「眉唾でも使わなければ」と口にした。
「俺達は勝てない。あのフジやミュウツーに好き勝手させるわけにはいかないからな」
フジを倒すには今のままでは駄目だ。メガシンカとそれを使えるだけの軍勢。そして、とヤナギはキュレムの入ったボールを手に取る。キュレムも今以上に使えるようにならなければ。
「野心を燃やすのは勝手だが、それについてくる人間がどれほどいるかは分からない。アデクやナツキが裏切らないとも限らないんだぞ」
「それでもいいさ」とヤナギは鼻を鳴らす。
「お前達がついて来るというのならな」
ヤナギの言葉にチアキは一瞬だけ放心した様子だったが、やがて笑みを浮かべた。
「……まったく。貴公といると飽きないで済む」
「カミツレは?」
「ゼブライカを再び使えるように申請しているらしい。少しばかり時間を食うと言っていた。この有様だ、セキチクはほとんど外界の情報が遮断されたも同然だな」
ヤナギは顎に手を添えて考え込む。この状況でまずするべき事。それはヘキサという組織を最大限まで活かす事だ。次に情報網が封鎖されている今を逆に利用する。情報を発信出来る人間が限られているという事は真実を知る機会のある人間もまた限られているという事だからだ。
「一番あってはならないのはロケット団に先を越される事。ミュウツーの動きとフジの発言から、奴らにとって目的は大きく二つあると考えていい」
ヤナギが指を二本立てる。チアキは、「一つは」と口を開いた。
「特異点とやらの確保だな。オーキド・ユキナリとサカキの擁立からして、これは押さえるべき点だろう」
戦闘専門のチアキですらそれは頭に入っている様子だ。しかしヤナギはこの状況ではもう一つの目的のほうが恐るべきだと考えていた。
「もう一つは、伝説の鳥ポケモンの奪取。シロナから聞かされた事がある。伝説の鳥ポケモンは三体存在し、それぞれファイヤー、サンダー、フリーザーであると」
「ミュウツーによってサンダーが捕獲された。あと二体」
チアキが目を細める。その眼差しの向かう先には自分が全く歯の立たなかったミュウツーとフジがあるのだろう。
「俺の考えでは、相手は既に二体の居所を掴んでいる」
ヤナギの言葉にチアキは顔を振り向けて、「まさか」と声にした。
「だったら、圧倒的不利なのはこちらなのではないか?」
その通りである。こちらにはファイヤーとフリーザーの居所は分からない。サンダーは谷間の発電所まで移動したから捕獲出来たようなもの。ヘキサの情報網の使い方も理解していないヤナギでは人海戦術も使えない。
「ああ。だからこの可能性については捨てよう」
ヤナギの提案が突飛だったからだろう。チアキは息を呑んだ様子だ。
「捨てる、だと」
「三体の伝説についてはこちらからの動きや接触、全ての情報と戦術を捨てる」
その決断が理解出来ないのかチアキは、「しかし」と抗弁を発する。
「その三体をロケット団が必要としているという事は何らかの動きに使われるという事だぞ。もし、それが先ほどのような滅びの誘発だったとしたら」
その時には誰も止められない。チアキの懸念は分かる。だからこそ、ヤナギは捨てる事を決断したのだ。
「いいか? 今、闇雲に手を伸ばしたところでどれも阻止出来るほど俺は楽観的じゃない。恐らくロケット団の企みを阻止出来たとしてせいぜい一つや二つ。ロケット団がいくつ策謀を伸ばしているのか知らないがミュウツーの一件や様々な事もある。俺達よりかは手数が多い。その中で、いつ実行されるのか分からない作戦を止めようとしたところで無駄足だ。ならば実行される可能性が限りなく近い情報に関してはあえて目を瞑る。物事には順序というものがあるはずだ。三体の伝説を揃える事が即座に滅びに繋がるとは考え辛いし、それにミュウツーとフジの行動がそうなってくると逆に作用する」
そこでチアキも気づいたのだろう。フジはユキナリとオノノクスによる破滅の扉を阻止した。つまりロケット団、少なくともフジに関しては破滅の意図はないと考えるべきだろう。そのフジが率先して伝説を揃えている。破滅とは真逆の行動だと考える事が出来る。
「……だが、そうだとしても、フジとやらの男の行動には不気味さが際立つ」
「その通りだが、ロケット団にはあれを超える不気味な奴がいる。そいつを俺は警戒するべきだと考えている」
シルフカンパニーで自分との提携関係を結んだ相手、キシベ・サトシ。あの男が生きているという保証はない。もしかしたらシルフビル倒壊の際に巻き込まれた可能性もある。だが、その程度の間抜けな輩ではないのだと直感が告げていた。キシベは生きている。生きて、手ぐすねを引いていると考えるべきだろう。
チアキは不思議そうな顔をする。そういえばキシベとの面識はなかったか。
「私には、フジ、あれ以上の脅威はないように思えるが」
「用心に越した事はないと言うだけだ。ロケット団の戦力すらはかれていない俺達では、下手に動けば自滅する」
その確信だけはある。下手を打てばやられるのはこちらだ。チアキは、「私はスパーリングの相手だけをすればいいのか?」と尋ねる。自分の補佐はいらないのか、という意味だろう。
「今は、一人でも戦闘単位が欲しい。そのためならば時間は惜しまない。チアキ、お前はナツキとナタネの二人を使えるようにしてくれ。カミツレは準備が出来次第、戦力に加えよう」
「貴公はどうする? キュレムを使いこなせてはないのだろう?」
今のままでは、自分の身を自分で守る事が最も危ういのはヤナギだ。だがその程度を理解していない間抜けではない。
「キュレムには先がある。俺は、自分でそれを引き出す術を学ぼう。その前にヘキサとして、組織として動くべき場合に弊害となる事がいくつかある。その面をクリアしなければ」
ヤナギの言葉にチアキは、「どこまでも前向きだな」と評した。ヤナギは顔を振り向ける。
「前向きじゃなければ、やっていけないさ」
夕方のニュースを騒がせたのは一つのセンセーショナルな声明だった。その内容について後述されている資料を鑑みるにそれを犯行声明と取った警察団体が多かったようだ。翌日のタマムシ新聞社の発行する新聞の三面記事を飾ったのは「謎の組織現る!」という記事名だったが後にその記事は完全に「なかった事」にされた。他の資料を漁ってもその記事とそれに辿り着く事だけは出来ない。だが、一本のビデオテープが残っていた。そのテープを再生すると次のような事を一人の少年が口にしていた。
『勝手な事かもしれないが、放送をジャックさせてもらった。この放送を聞く、全てのカントーの民に告げる。第一回ポケモンリーグ。この大会はただの競技大会ではない。裏では多数の人々が死に、一つの街が地図から消えた。崩壊した街並みを撮影する事は出来ないので遠方の方々は理解出来ないかもしれないが聞いて欲しい。我々の組織の名前はヘキサ。そして俺の名前はカンザキ・ヤナギ。カンザキ執行官の息子である。俺はヘキサ首領としてカントーの人々に危険を伝えに来た。このままでは遠からず滅びが訪れる。世界終焉だ。このような事を言ったところで信じられないかもしれない。狂気の沙汰だと割り切るのも結構だ。だが、これがただの妄言だと切り捨てる事が出来るか? 既に事態はのっぴきならない状況へと転がり落ちており、我々の組織力をもってしても出来る事は少ない。だが、俺は一つだけ言いたい。この滅亡はカントーの興りより意図されていたものなのだ。歴史の矯正力と呼ばれるものが作用し、このカントーだけではない、全世界が四十年後には滅びるという。それを甘受していいのか? 俺は、運命は人々が、自分で切り拓くものだと信じている。力がなくても、戦えばそれを得られる。自分なりの答えを下に戦えばいい。その覚悟があるのならば、誰にでもなれる。ヘキサは市民の味方だ。先刻のシルフカンパニー倒壊事故だってそれに仕組まれていた事象だった。俺は決して屈しない。運命などこじ開けて見せる。その覚悟を、皆に問いかけたい。このまま滅びが訪れるのを待つか。行動を起こすかは、あなた方次第だ』
ここでビデオテープは途切れている。だがこれも非公式のもので、結局、この発言と声明を裏付ける証拠は後年に至ってもなかった。