第百三十七話「超越者」
間合いが一瞬にして凍りつく。
ヤナギは即座に判断した。眼前に降りたった存在。灰色のポケモンと思しき人型が敵であると。手を振り翳し、ヤナギの命令にキュレムは応ずる。キュレムから放たれた極寒の息吹に灰色の機体が軋みを上げた。空中を浮遊するトレーナーらしき人物が感嘆の吐息を漏らす。
「即断即決、素晴らしいね。それでこそ、ここまで来た甲斐があるというものだ」
ヤナギは瞬間冷却をキュレムに発生させる。瞬間冷却はマンムーの時に比すれば精密機動性は落ちるもののキュレムの本来の能力により瞬時に敵ポケモンを捉えた。
「黙れ! あんた、何のために」
ヤナギは今しがた巻き起こった破壊と暴走の連鎖を思い返す。
赤い翼を生やしたオノノクスが月を切り裂き、扉を開こうとした。そこまではおぼろげながらも確認出来た。だがその後に起こった出来事は理解の範疇を超えている。灰色のポケモンが飛来し、赤い鎖をオノノクスの背中に突き刺した。オノノクスは動きを止め、鎖の侵食部分から石化している。
ヤナギは灰色の外骨格を持つポケモンこそがその元凶であると判断した。何のつもりなのだか知らないが、オーキド・ユキナリの行動を制した何者か。それはユキナリよりもなお性質の悪い敵だと判じられた。
「カンザキ・ヤナギ。君は、気高くボクに立ち向かってくるか」
トレーナーらしき人物は動じる事もない。すっと手を掲げ命令する。
「強化外骨格で君の念動力のリミッターをつけてある。だから全力で戦えるのは五分もない」
(充分だ)
その声にヤナギはハッとする。今の声はポケモンの声なのか。思考に直接切り込んでくるような声にヤナギが瞠目していると人型のポケモンは手を掲げた。三本の丸まった指を内側へと締め付ける。その動作だけでキュレムに問題が発生した。キュレムの首筋に青い光が纏いつき、その動きを鈍らせたのである。ヤナギが振り返っている間に、「自己紹介が遅れたね」と声が発せられた。
「ボクの名前はフジ。フジ博士と呼ばれている。ポケモンの研究者だ」
焦りも微塵に感じさせないその声音にヤナギは神経が逆撫でされるのを覚えた。
「俺を前にして、戦いの緊張もなく、悠長に自己紹介とは」
「だって君の名前をボクは知っているけれど、君は知らない。フェアじゃないだろう?」
フジと名乗った青年はヤナギを見下ろす。指で中空をなぞるとオノノクスが青い光に包まれた。持ち上がったオノノクスを外骨格のポケモンが操る。
「ミュウツー、テレポートでボクらの居城まで運ぼう」
その言葉の後、瞬時にオノノクスの姿が掻き消える。「テレポート」を使われたのだ。ヤナギは舌打ちを漏らし、「何のつもりだ!」と声を発する。それに呼応したキュレムの冷気がミュウツーと呼ばれたポケモンへと襲いかかるがミュウツーは腕を薙いだだけでそれを相殺させた。
「……キュレムの冷気を、消し飛ばした?」
「そんなに難しい話じゃないよ。凍結って言うのは空気中の水分の動きだ。だったら、凝固する前の水分を消し飛ばしてやれば、凍結予定だった場所にその攻撃は適応されない。このミュウツーには水分の動き程度ならば造作もないからね」
ヤナギは氷タイプの相手か、と当たりをつける。氷タイプだとすれば有効の手を打てる技があった。
「キュレム、もう一撃、撃てるな?」
ヤナギの確認の声にキュレムは低い呻り声で応ずる。キュレムも伝説の誇りがあるのか、先ほどから攻撃がうまく当たらない事に憤りを感じている様子だった。
「何を撃って来ても同じさ。凍結する前に水分を消し飛ばせば凍結は出来ない。君は知られてないつもりかもしれないが、意外と君の情報は入ってくるんだよ。特異点、オーキド・ユキナリ君に仇なす敵としてね」
「わけの分からない事を並べ立てて惑わすつもりか! その減らず口、利けないようにしてやる!」
ヤナギは手を振り翳す。キュレムが後部の尻尾からエネルギーを充填し、両腕を振るい上げた。
「クロスフレイム!」
ミュウツーとフジを包み込んだのは先ほどまでの瞬間冷却とは正反対の属性、炎の攻撃であった。炎の十字架がミュウツーへと叩き込まれる。ヤナギは今度こそ一矢報いたと感じ取る。だが、その炎の十字架が収縮を始めた事で手応えは霧散した。
「なるほど。キュレムのその姿、炎を操るのか」
球体に練り込まれた炎がミュウツーの手の中で限界まで引き絞られる。ヤナギが瞠目しているとミュウツーはそのまま手を振るった。反射された炎がヤナギの視界の中で明滅したのも一瞬、炎の球体がキュレムの身体に突き刺さり爆風が身体をなぶった。
ヤナギは息を詰める。今の一瞬に、何が起こったのか。間違いのない事はキュレムがダメージを負った事。そして、ミュウツーにはダメージがない事だった。
「キュレムに、クロスフレイムを反射させた?」
「存外に事態を俯瞰する頭は持っているじゃないか」
フジは降り立ち、地面に足をつける。ミュウツーも地に足をつけ、キュレムを仰いでいる。ミュウツーの背後から紫色の尻尾が伸びた。それを目にしてやはりヒトではない、と思い知る。それはトレーナーであるフジとて例外ではなかった。
「おや?」
フジが小首を傾げる。キュレムが肩口を押さえながら姿勢を立て直している。ヤナギは、「まだ終わっていない」と声にする。フジはため息を漏らし、「いいや、終わっているよ」と応じた。
「肩口に反射してやったんだ。わざわざね。急所を狙う事も出来た。それとも、内側から爆発させてやれば絶対に立ち向かう気力なんて湧かなかったかな? そうしないのは君がまだ使えると判断したからに他ならない。君を殺す事は事象には組み込まれていないからね」
「ヘキサツールか」
忌々しげに口にするとフジは眉を上げた。
「知っているんだ? まぁ、そうでなくてはボクに立ち向かうなんて事をしないだろうから当然の帰結といえばそうか。しかし、キシベはどうするつもりなんだ? 事象に組み込まれていない人間にヘキサツールを知られれば、それこそまずいだろうに。いや、そもそも何のつもりで」
「独り言はそこまでだ」
キュレムが片腕を振り上げる。右腕が赤く染まり、血脈が宿った。
「炎も氷も通用しないよ。ミュウツーを倒したいのならば今は退く事だ。それが最も賢明な判断だと後から思い知る事になる」
「俺達を嘗めないでもらいたいな。伊達に伝説に認められる戦い方をしてきたわけではない。俺はキュレムに眠る潜在的な氷結能力を見抜いた。だからこそ、今、ここにいる」
「そのキュレムっての、確かに結構強いのは分かるよ。でもさ、ミュウツーを一撃で沈められない限りは意味がないっての分からないかな。炎も氷も、それが愚直な攻撃ならば全てを受け流す事がミュウツーには可能なんだ。だから、君がどう手を打とうが、ミュウツーはその上を行く」
「だったら、炎も氷も超越した技を撃てばいい」
ヤナギの言葉にフジは怪訝そうに眉をひそめる。
「……分からず屋って言うのはこういうのを言うのかい? 炎も氷も超越した技? 言っておくがポケモンはどのような技を撃っても単一属性に絞られる。たとえば熱湯という技がある。これは水タイプでありながら火傷を誘発する技だが、放たれるときは水タイプだ。だから抵抗タイプならば半減出来る。君が超越した技を撃とうとしても、結局のところ放つ時には氷か炎のどっちかだっていう事。それを理解していないのは、度し難いって言うんだよ」
フジの言葉にヤナギは、「何とでも言え」と冷たく返す。
「キュレム、お前が持っている最高の技であれを墜とす」
キュレムが咆哮する。背面の尻尾が赤く輝き、チューブから全身にエネルギーが行き渡った。身体の内奥から赤い光が発生する。フジが、「逆鱗かな」と身構える。だが、光は「げきりん」の燐光と言うよりも、高熱のそれを宿していた。まるでマグマのように煮立った光がキュレムから放たれる。キュレムが両腕を掲げると粉々になった氷の粒が舞い散った。氷の粒に光が拡散し、周囲を炎熱が包み込む。フジは相反する属性の相乗効果に目を瞠っていた。
「……何だ? ボクですら理解し難い攻撃だと」
「とっておきだ! キュレム!」
ヤナギの呼び声にキュレムは空を赤い光で覆い尽す。一瞬にして光がミュウツーへと降り注ぎ全方向から絡め取った。赤い光条が幾重にも連鎖し、さながら網のようにミュウツーを包囲する。
「氷の陣で包囲……、こちらの動きを……」
フジがその攻撃を視認する前にヤナギは拳を握り締めた。
「コールドフレア」
氷の粒に乱反射した赤い光条がミュウツーとフジへと雨のように降ってきた。着弾するや否や爆発が広がる。包囲爆撃と言える攻撃が辺り一面を焼き尽くした。光線の放射は止まない。ミュウツーを破壊し、フジを殺すまでやむ事はないと思われていた攻撃が不意に消えた。
キュレムが身体を沈め、白い体毛が体内に仕舞われていく。どうやらキュレムをこの形態で使うには限界が生じたらしい。ヤナギも息を荒立たせた。今の攻撃「コールドフレア」はヤナギが見出した技であり実戦で使うのは初めてだ。どれほどの威力を発揮するのかまるで分からなかったが目の前の光景に我ながら戦慄する。
――一瞬にして、焦土か。
着弾した場所以外にも、制御が不完全であったせいか流れ弾が爆風を巻き起こしていた。少しでも誤ればこちらが自滅してしまいかねない威力だ。ヤナギは煤けた空気を肺に取り込む。さすがに生きてはいまい。そう感じた、その瞬間であった。
「――驚いたよ」
その声にヤナギは声を詰まらせる。着弾点を漂う薄紫色の空気が凝縮し、渦を巻いて一点に留められた。それはミュウツーの掲げた腕の直上である。ミュウツーとフジは健在だった。ただしミュウツーは少しばかり灰色の外骨格に損傷がある。その合間から覗く白い体表が不意にどろりと溶け出した。ヤナギが驚愕する前に、「まずいね」とフジが呟く。
「これほどの消耗は予定外だ。ここいらで遊びは切り上げて本題に移るとしよう」
その時、雲を裂いて空から稲妻の如く降ってくる影があった。ヤナギとフジが振り仰ぐ。サンダーに乗ったカミツレがミュウツーへと攻撃を仕掛けようとしていた。
「逃がすと思っているの?」
その声にチアキも動き出す。バシャーモを伴い、「逃がすか!」と駆け出した。フジは首を横に振る。
「やれやれ。そんなに慌てなくってもいいのに。ミュウツーが万全ならば君達なんて歯牙にもかけないところだが、今は思っていたよりも消耗が激しい。それに、そろそろタイムリミット」
フジが呑気にポケギアに視線を落としている。バシャーモが足に点火させ蹴りを放つ。サンダーが全身に青い電流の皮膜を張ってミュウツーへと攻撃を放った。
だが、双方共に共通していたのはミュウツーに届く前に霧散させられた事だ。バシャーモの蹴りは制止させられ、稲妻はミュウツーの頭上で弾けて周囲を焼いた。
「ミュウツー。例の奴を試そう」
(私としては大変、不本意ではあるが)
「そう言うなよ。サンダーは揃えておくべき一角だ。それに君だって戦い続けられるわけじゃない。戦闘中断、致し方ないね」
「貴公! 私を前にして嘗めた真似を……!」
怒りを滲ませたチアキの声に、「その他大勢は黙っていてくれないか?」とフジは指を立てた。するとバシャーモの身体がねじられ不恰好に空を掻く形で転げ落ちる。たった一撃だ。バシャーモを無効化するのにそれ以上は必要ないとでも言うようだった。バシャーモが呻き声を上げる。青い光が背骨に比重をかけていた。
「さて、次はサンダーだ」
フジがサンダーを仰ぐ。サンダーから青い稲光が放射されるがそれらはフジとミュウツーを貫く前に弾け飛んだ。ミュウツーの肩にあてられた装甲が開き、内部から何かが現れる。それは黒いモンスターボールだった。新型モンスターボールに形状は酷似しているが、生物的な意匠がある。そのモンスターボールはあろう事か自立的に機動した。ふわりと浮き上がり、三つほどがサンダーへと飛んでいく。
「何これ……」
カミツレが困惑する。ボールはサンダーを取り囲んだ。カミツレが手を薙ぐと電撃がボールを破壊しようとする。だがボールには意思が宿ったようにするりとかわすとサンダーへと体当たりをかけてきた。サンダーは一個目をかわすが二個目と三個目が同時に強襲をかける。サンダーの身体に掠めただけだった。ヤナギには少なくともそう見えた。それだけだというのに、赤い光がサンダーに放射させられるとサンダーは黒いモンスターボールの中に吸収された。
カミツレはサンダーを失い空中で姿勢を崩す。ヤナギは咄嗟にキュレムに命じた。氷柱がカミツレを受け止める。彼女は失神していた。
「何を……」
「これで伝説の一角はボクの手に」
黒いモンスターボールはミュウツーの肩装甲へと入っていく。ヤナギは、「逃がすと思っているのか」と声を投げる。
「そうだね。でもさ、今のコールドフレアで倒せなかったんだから引き際は潔いほうがいいと思うな」
フジの言葉にヤナギは歯噛みする。ここでミュウツーを止める事は出来ない。この場で最大戦力であるキュレムをもってしても不可能であった事が誰に可能だというのだろう。
「ヘキサの連中も、ボクを追おうなんて思わないほうがいい。ミュウツーは無敵だ。それにこれも警告だが、オーキド・ユキナリ君はもう帰ってこないよ。その辺もボクらに干渉しないでもらえるかな。後は、ボクらの問題だ」
ミュウツーとフジが「テレポート」で消えようとする。ヤナギは最後の足掻きに氷柱を一斉にミュウツーとフジへと突き立てた。しかしそれらは虚しく空を穿っただけで、後には何も残らなかった。
「逃がした……」
チアキの声にようやくヤナギは現実認識が追いついてくる。先ほどまでメガゲンガーが支配していた街は破砕され、凄惨を極めたものだった。焦土と瓦礫の広がる大地を眺め、ヤナギは舌打ちを漏らした。