ポケットモンスターHEXA NOAH











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最終章
最終章 七節「今を切り拓くこと」

 その声が届く前に、ニダンギルが刀身を引き抜いてノアの身体を放り投げた。血の放物線を描きながら、ノアの身体が投げ出される。イシスは〈セプタ〉を呼びつけた。

「ノアを! 〈セプタ〉!」

「命令の体を成していないな」

 ニダンギルがその行く手を遮り、剣を打ち下ろす。〈セプタ〉が咄嗟に振り上げた水の剣と干渉し合い、スパークの火花が散る。

「イシス・イシュタル。君は合理的に物事を判断出来る人間だと思っていたが……。ナンバーアヘッドにほだされたか?」

「ほざけ! 外道!」

 四本の腕からそれぞれ水柱が上がり、刀剣の鋭さを帯びてニダンギルを引き裂こうとする。しかし、それさえも予期したようにニダンギルは二本の剣で全て受け止めた。

「無駄だ。ニダンギルと相対している場合、全ての攻撃は予期され、受け止められる。ニダンギルを超え、私を殺す事は不可能」

「それでも、無限の持久力ってわけじゃないだろう!」

〈セプタ〉が膝から水の剣を顕現させ、ニダンギルへと膝打ちを見舞った。その攻撃は予期出来なかったのか、ニダンギルは本体と思しき鞘で受け止めた。

「水があれば滑り上がる事も出来る! 〈セプタ〉!」

 その攻撃を足がかりにして〈セプタ〉が中空へと躍り上がった。ニダンギルを跳躍して超えようとしたその行動はしかし、直下から打ち上げられた剣の白銀に遮られる。

 直撃を意識した〈セプタ〉は生物的本能からか、咄嗟に身体から水流を放ち、身を引いた。イシスが舌打ちを漏らす。

「もうちょっとだったのに」

「違うな。イシス。その隔絶を埋められないのだ。永遠に。ニダンギルを超えて私に至る事は不可能だし、ナンバーアヘッドを救おうなどやめたほうがいい。もう勝負は決している」

〈キキ〉が飛び立った。主を求めて翼を羽ばたかせる。どこへ行こうというのか。ヨハネも最早気に留めた様子もない。

「ノアの命は救う。お前も止める。この命に代えても」

 イシスの決意にヨハネはほとほと呆れたように頭を振った。

「……どうしてだ? イシス。君と私、何が違う? この世界は間違っていると感じているのならば、私と君の差など瑣末なものだ。現に感じただろう? トキワシティで私とキシベの話を聞いた時、君の心には響くものがあったはずだ。そう、立場さえ違えば、君は私になっていた」

 ヨハネの言葉に、「そんな事!」とロキがいきり立って反発しようとするがイシスの胸中は驚くほどに穏やかだった。その言葉が染み渡ったのを感じる。自分の深層心理を言い当てられた気分だった。

「……かもな」

「イシス?」

 ロキが目を見開く。ここに至るまでノアを信じてきたロキからしてみれば裏切りに近い言葉だろう。ヨハネは、「そうだろう」と首肯する。

「君は私の鏡像でもあるのだ。だからこそ、君に私は罰せられない。やり方は違えど、君は私と同じだ。この世界の真理を知的探求(しり)たいのだろう?」

 イシスが黙っているとロキが声を出した。

「違う! ロキたちは、お姉ちゃんはそんなことのために生まれたわけでも、生きてきたわけでもない! お姉ちゃんの人生はお姉ちゃんのもののはず! 誰も否定なんてできない!」

「喧しいな。イミテの娘よ。モノマネしか能のない無害なる者。本来ならば、お前を鏡としてナンバーアヘッドは滅びるはずだった。しかし、鏡以上の目的意識を持った存在など必要ない。永遠に我が駒でいればよかったものを」

「かもしれない。わたしは、お前と大して考え方の変わらない人間だろう。ノアに肩入れしていながら結局のところ、行き着く先に興味があるだけだ。過程なんてどうでもいい。ノア・キシベが何を成すのか。それとも何も成さないのか。それだけを考えていた。……今までのイシス・イシュタルはな」

 発した言葉にヨハネが眉根を寄せる。

「どういう意味だ? 今までの?」

 イシスはキッとヨハネを睨み、「これからは違うって事さ」と告げた。

「お前の考え方は、ある意味では真理だろう。でも真実じゃない。そこには心がない。わたしは、ノア・キシベという人間の心も含めて知的探求(しり)たいんだ! 薄っぺらな同情や好奇心じゃないぜ。ノアとなら一蓮托生でもいいって思えたんだよ」

 それが自分の本音だった。ヨハネは眉間に青筋を走らせ、「下らない」と言い捨てる。

「人の心? そんなものに何の価値がある? 心など、脳の電気信号が作り出したまやかしに過ぎない。その心を欺かれて今があるというのに、お前達はまだそんな不確かなものを信じると言うのか!」

 ヨハネの叫びに、「ああ、信じ抜く」とイシスは断ずる声を出す。

「ノアは、あんたやキシベが思い描いた以上に人間なんだ。その人間の灯火を、消させはしない!」

〈セプタ〉が弾かれたように動き、ニダンギルと鍔迫り合いを繰り広げる。「愚かな!」の言葉と共にニダンギルの剣が〈セプタ〉の肩口に食い込んだ。そのまま薙ぐ勢いで肩から生えた腕を切り裂く。腕を一本失った〈セプタ〉がよろめいた。

「まだだ! まだ三本ある!」

 水の剣が腕から突き上げられニダンギルの剣戟を制する。しかし、それを凌ぐ勢いでニダンギルが剣を打ち下ろした。

「無謀! 無策! それに尽きる! どうして世界の声を聞かない? どうして、この不完全な世界で満足する? 人は、完全な世界を目指さねばならないのだ。そこにこそ、幸福がある」

「世界の声? 聞いてないのはどっちかな」

 イシスの言葉にヨハネは目を見開く。

「何だと?」

「お前は、結局のところ、今の現実に満足いっていないから、別の現実に逃避しているだけだ。人間は、今を生きるしかないんだ。今を生きて、時代を切り拓く事こそが、わたし達に与えられた役目なんだよ!」

 少なくとも今がなければ、ノアに出会う事もなかった。ロキや他の人々との邂逅もなかった。自分を変える事も出来なかった。イシスは胸中で問いかける。

 ――出来るかな。お前みたいに、運命を切り拓く事が。

 ノアを眩しく感じるだけではない。自分からその輝きを放たねば、掻き消えてしまいそうな時代で、ただ生きる。その難しさに溺れる前に。

「運命の前に溺死しろ! イシス・イシュタル!」

 ヨハネの叫びに同期してニダンギルの払った剣が〈セプタ〉の肩口を突き刺した。そのまま抉り取ろうと迫る。だがイシスも〈セプタ〉も逃げなかった。ニダンギルの刀身を掴み、「やっと」と声を発する。

「捕まえたぞ。これで一本分の借りは返す!」

〈セプタ〉が片腕を振り上げ、水の剣を今までにない勢いで放出する。光さえ帯びたその一撃はニダンギルの身体の中心を真っ二つに引き裂こうとした。打ち下ろされる一撃。水の一閃はニダンギルを叩き割ったように見えた。

 だが、鋼の身体は水を弾き、健在を示していた。

「所詮は無駄な足掻きだという事だ。ニダンギル、パワートリック」

 ニダンギルの鞘と剣の間を光が行き来する。イシスが瞠目してその様子を見つめていた。

「何を……」

「パワートリックは防御の値と攻撃の値を入れ替える技。今、攻撃姿勢だったニダンギルは防御へとその値を振った。つまり、今までの猛攻の分だけニダンギルは防御を得たという事」

 水の剣が弾かれ、ニダンギルが〈セプタ〉へと接近する。かわせ、と指示を飛ばす前に光が剣と鞘の間を再び行き来し、ニダンギルは鋼の頭突きを〈セプタ〉へと打ち込んだ。〈セプタ〉の青い岩石の表皮が飛び散る。

「アイアンヘッド。鋼の技を食らいしれ」

〈セプタ〉が仰向けに地面を転がる。片腕から水の剣を生成し制動をかけたがダメージは明らかだった。荒い息をつく〈セプタ〉へとイシスが声をかける。

「戦闘継続、出来そうか?」

〈セプタ〉は鋭い眼光を湛えて頷く。ヨハネは鼻を鳴らした。

「どこまでも無謀だな。確かにここで私を止めねば、ノアズアークプログラムは執行される。だが、それも一つの幸福なのだ。知らぬがゆえに君は私を止めるという偽りの使命感に衝き動かされている」

 イシスは〈セプタ〉の隣に歩み寄った。「からをやぶる」によって防御の値を下げている。さらに効果抜群の攻撃を受けたとなれば普通ならば退くのが吉だろう。だが、退けない理由があった。

「ノアが意地でもここまで来たんだ。わたしが諦めるわけにはいかない」

 強固な意志にもヨハネは嘲るような吐息を漏らす。

「諦める事を知らない人間の行き着く先は何だと思う?」

 それは問いかけているというよりも自分の答えを誇示したい様子だった。イシスが押し黙っていると、「答えは自滅だ」とヨハネは手を広げる。

「破滅への序曲を奏でるために、人間は諦めないという行動を取る。一見、それは素晴らしい素質のように感じられるだろう。現実でも、それは賞賛される。だが諦めない事が人間に負担を強いる事もある。不相応な願いを自分の中に掲げた事で自壊する人間もいるのだ。人は弱さを克服せねばならない。しかし、自滅する人間は論外だ」

「わたし達が自滅するとでも?」

 イシスの言葉に、「そうではないよ」とヨハネは口元に笑みを浮かべた。

「既にそうなっているのだ。戻れない、自滅への蟻地獄へと押し込まれている。君達はその事を無意識中に考えから排しているのだ。諦めない事こそが美徳だと考えている人間の視野はとてつもなく狭い。それこそ、死に瀕しなければ理解出来ないほどにな」

 ニダンギルが構えを取る。イシスは〈セプタ〉の名を呼んだ。〈セプタ〉は残った腕に水の剣を作り上げる。しかし既に勢いは随分と弱い。先ほどまでの剣戟で体力はほとんど使い切られた。

「疲れ知らずのポケモンと言うわけではあるまい。ガメノデス、その潜在能力が如何ほどのものであるにせよ、既に限界は超えている。君とガメノデスは、一般のトレーナーからしてみれば熟練の域だろう。だがそれでも届かない隔絶がある事を身に沁みて知れ」

知的探求(しり)たくないな。限界なんて」

 イシスの強がりにヨハネは腕を指揮者のように掲げた。その一撃で終わりにしようとでも言うのだろう。イシスは息を詰めた。次の攻撃でどちらかが決定的な敗北を喫する事になる。〈セプタ〉にも緊張が走った様子だったが、それを悟る前にニダンギルが動いた。二本の刀剣は挟み込むように〈セプタ〉の胴体を両断しようとしている。〈セプタ〉は「シェルブレード」でその攻撃をいなし、肩口の腕で一撃を加えるのが理想だったが、ここに来てスタミナの限界が訪れた。

〈セプタ〉が膝を落とす。当然、反応は遅れた。イシスが顔を上げた時、ニダンギルの刀剣はまさに〈セプタ〉の胴体を断ち切ろうとしていた。ヨハネが勝利の愉悦に唇を歪める。

 その瞬間、何かが硬直したのを感じた。

 それは意識だったのか、それとも鼓動だったのか判然としない。気がつくと、〈セプタ〉は突き飛ばされていた。イシスが仰向けになった〈セプタ〉を視界に捉えた時、ニダンギルの刀剣が空を切った。

「何だ?」

 疑問はヨハネから発せられた。ヨハネのクラックではないのか。今の感触は確かに命令系統へと介入された時と同じだった。

「誰だ? 私の意識を」

 ヨハネが首を巡らせる。イシスはその視線の先に羽ばたいている影を見つけた。

〈キキ〉だ。〈キキ〉が濡れた黒色の翼ではためき、挑発するようにヨハネを見据えている。だが〈キキ〉は主人を失ったはずだ。だと言うのに、どうして今、と感じたイシスの思考をヨハネの声が遮った。

「今の瞬間、ヤミカラスがガメノデスを突き飛ばした。明らかに、私のニダンギルの攻撃から守るために、だ。ただの野性に返ったポケモンが出来る芸当ではない」

 ヨハネは赤い眼を見開き、声を震わせた。

「ノア・キシベ! 生きているのか?」



オンドゥル大使 ( 2014/12/02(火) 21:59 )