最終章 六節「運命の鎖」
イシスが〈セプタ〉を呼びつける。
〈セプタ〉は水の剣を作り出し、二本の剣で構築されたポケモンへと振るい落とした。しかし、その一閃よりも刀剣のポケモンの攻撃のほうが素早い。縫うように攻撃が放たれる。〈セプタ〉は辛うじて四本の腕でそれをさばいている状態だ。他のポケモンのように腕が二本しかなければ既にやられているだろう。
「〈セプタ〉! 四本の腕を駆使しろ! シェルブレード!」
水の剣を四つの腕に顕現させ、〈セプタ〉が相手を切り裂かんと迫る。だが、刀剣のポケモンは最小限の動きで〈セプタ〉の剣戟を退けた。刀剣のポケモンは片方の剣で〈セプタ〉の攻撃をいなし、もう片方の剣を突き出した。〈セプタ〉の体表へと突きが迫る。
「〈セプタ〉! 殻を破る!」
〈セプタ〉が険しい岩肌を思わせる体表を内側から破裂させて一撃を回避する。先ほどまで体表だった場所を刀剣のポケモンは貫いた。〈セプタ〉は身体を踊り上がらせて刀剣のポケモンの背後を取る。
「今だ! ストーンエッジ!」
〈セプタ〉は弾け飛ばした岩を再び腕に集束させる。渦を巻いて腕に構築されたのは一振りの岩の剣だった。荒々しい岩の剣を〈セプタ〉が打ち下ろす。完全に相手の不意を突いた一撃だった。
しかし、刀剣のポケモンはするりと身をかわす。まるで最初からその一撃を読んでいたかのように。返す刀で振るわれた一閃が〈セプタ〉の右肩を抉った。後ずさった〈セプタ〉が肩で息をしている。
「こいつ、〈セプタ〉よりも手馴れてやがる」
腕を四本持つ〈セプタ〉よりも攻撃の速度が速い。ノアは〈キキ〉へと指示を飛ばした。
「ドリルくちばし!」
螺旋を描いた〈キキ〉の攻撃を刀剣のポケモンは軽く刀身を傾かせていなした。しかし、その一撃が本懐ではない。
「身を翻して電磁波!」
攻撃を弾かれた反動を利用して相手を真正面に捉えた〈キキ〉は身体を開き、電流を放出した。「でんじは」で相手の動きが鈍る。ノアが、「今!」と叫んだ。
「ブレイブバード!」
「シェルブレード!」
イシスと声が相乗し、水の剣と青い大気を纏った翼の一撃が重なり合う。これで刀剣のポケモンは押し潰されたかに見えた。だが、相手はさっと片方の剣を掲げ、まずは〈セプタ〉の攻撃を受け止め、次いで〈キキ〉の渾身の一撃を受け止めた。ノアとイシスが瞠目する。
「これは……!」
「あたし達の動きが……!」
刀剣のポケモンは身体を回転させて〈キキ〉と〈セプタ〉を退ける。ノアは先ほどから奇妙な感覚を覚えていた。こちらの動きを先読みしたかのような行動。しかし、それにしては相手のトレーナーは姿を見せない。指示の声も聞こえない。
――こいつは、感知野で動かされている。
そうとしか考えられなかった。だとすればヨハネは自分達を観察出来る位置からこのポケモンに思惟を飛ばしているに違いない。
「ノア。こいつ、思ったよりもヤバイ。こっちの動きが読まれているどころか、まるで三手先でも普通に攻撃してきそうだ」
「ええ、でもだからって、攻撃の手を緩めるわけにはいかない」
このポケモンに有効な手は何だ? ノアは相手の動きからタイプ相性を推測する。もし、ヒトツキの進化系なのだとしたら鋼タイプは持っているだろう。考えられるのは鋼・ゴースト。先ほどの電磁波は有効なはずだ。しかし、全く怯んだ様子はない。
「イシス。あたしの考え、聞いてもらえる?」
「ああ、何だ?」
「こいつに電磁波を放った。普通なら動きが鈍る。それでも、こちらよりも速く動ける道理として、あたしはこいつが元々素早くないのではないかと推測する」
「馬鹿な。素早くないのだとしたらなおさら動きが遅いはずだ。〈セプタ〉や〈キキ〉の攻撃を受け止められるはずが」
「相手はあくまで受け止めているだけ。つまり反撃しているわけではない。イシス、このポケモンは間違いなく麻痺状態よ」
ノアの確信めいた言葉にイシスが、「しかし」と頭を振る。
「それにしちゃ、速い。このポケモンには隙がないように見える」
「このポケモンが、攻撃と防御のみ特化したポケモンだとしたら? つまり最初から素早さなんて度外視して、ただ相手の攻撃に反応し、相手の攻撃を受け止める事を想定したポケモンだとしたら?」
だとするのならば打たれ強さにも納得出来る。イシスは、「そんなポケモンがいるのか」とまだ疑問視している。ノアは決定的な一撃が必要だと考えていた。相手にとっても自分達にとっても、覚悟の下となる一撃が。
「イシス。相手のタイプは、恐らくゴースト・鋼」
その言葉にイシスも首肯する。
「だろうな。ヒトツキからの進化だって言うんなら」
「弱点属性を突けるのは〈キキ〉のほう。逆に〈セプタ〉は出来るだけ距離を取ったほうがいいわ。攻撃を受けるとまずい」
イシスはしかし〈セプタ〉を下がらせなかった。「イシス?」とノアが呼びかけると、「ここまで来たんだ」とイシスが返した。
「やられるのを恐れていたら、いつまでだって前に進めない」
〈セプタ〉は主人の闘争心を受け止めたように強く鳴いた。やめろと言ってやめない性格であることは熟知している。だからこそ、ノアには提案があった。
「分かった。ただし、射程外からの攻撃で。メインは〈キキ〉が張らせてもらう」
ノアが歩み出て〈キキ〉が翼をはためかせた。「でんじは」の効力が生きているのならば相手は〈キキ〉よりも遅いはずである。だが、どうしてどのような攻撃も受け止められるのか。それだけが不思議であった。
「〈キキ〉っ!」
ノアが弾かせた声に呼応して〈キキ〉が螺旋を描いて飛び込んでいく。しかし、その攻撃にイシスが、「おい!」と声を出した。
「見当外れだぞ! そんな場所に攻撃したって」
〈キキ〉の「ドリルくちばし」は刀剣のポケモンを掠めようとするでもなく、てんで別方向へと発せられた。イシスの戸惑いを他所にノアはその行方を見守る。〈キキ〉の攻撃を遮るように刀剣のポケモンが動いた。剣を掲げ、〈キキ〉の攻撃をわざわざ受け止めたのである。
「えっ――」
どうして、という声が思わずロキから出た。相手のポケモンは確実に外れる攻撃にわざと当たりに行ったのだ。その行動の不可解さをノアが説明する。
「やっぱりね。イシス、こいつはあたし達の攻撃に反応しているわけじゃない。あたし達の攻撃を受け止めなければならないんだ」
ノアの放った言葉をイシスが咀嚼しようとするが、自分の中で納得出来ていないのか、「どういう事だよ」と声を発する。
「わざわざ当たりに行くなんて。そんなポケモンが――」
そこでイシスは言葉を切った。自分の中で思い当たる節があったのだろう。ノアは、「考えてる事は同じだと思うわ」と告げる。
「このポケモンの特性。それが攻撃への超反応に繋がっている」
反応速度がずば抜けているわけではない。麻痺状態にも関わらず動けているのは、その特性のせいなのだ。イシスは、「そういう特性は、ある」と言った。
「特性、ノーガード。全ての攻撃が命中する特性だ」
イシスの言葉にノアは、「なるほどね」と得心した。
「このポケモンはあたし達の攻撃を見切っているわけでも、反撃の機会を窺っているわけでもない。ただあたし達の攻撃を鏡のように受け止めているだけ。イシス、こいつは時間稼ぎだ」
断じた声に、「ああ」とイシスも応じて頷いた。
「こいつを壁にしていつまででも日食の時を待つつもりだったのだろう。ヨハネの奴の考えそうな事だ」
このポケモンの相手をしている場合ではない。それこそ時間の無駄だ。ノアは身構えた。
「〈キキ〉の攻撃でこいつの注意を逸らす。その間に、あんた達は先へ」
「いや、ノア。この場合、わたしがその役目を引き受けるべきだろう」
イシスが前に出る。ノアにしかヨハネは倒せないと言っていた。ならばこの行動も当然だろう。
「分かった。攻撃と同時に出る。やられるなよ」
「誰が」とイシスは軽口を返す。ノアはいつでも駆け出せるように身を沈ませた。
その時である。
「――やはり、お前だけは刑務所で始末するべきだった。まさかここまで強い運命を引き連れてくるとは思わなかった」
その声にノアとイシスが同時に視線を向ける。いつの間に背後に回っていたのか。ヨハネが赤い眼に光を湛えて佇んでいた。その物腰には余裕さえ感じさせる。自分を抹殺しようとする敵が、三人もいるというのに。
「特性、ノーガードを見抜いたのはさすがと言うべきか。ニダンギルの猛攻と真っ向勝負しただけはある」
ニダンギルというのか、このポケモンは。
ノアはニダンギルとヨハネの双方に注意を向けていた。今、するべき事は何か。ニダンギルが剣を掲げて動き出そうとする。一瞬の躊躇が絶対的な隔絶となる。
「〈キキ〉!」
ノアは判断した。〈キキ〉が呼応してヨハネへと突っ込む。ニダンギルが防ごうとするがその間にはイシスの〈セプタ〉がいる。すぐには防御の姿勢を取れないはずだ。「ドリルくちばし」がヨハネへと叩き込まれたかに見えた。しかし、その攻撃は寸前で止まっていた。ノアは自分とヨハネだけが時間の中に切り取られたのを感じる。
「クラックは」
ヨハネが口を開く。イシスが硬直していた。〈セプタ〉の脇を通り抜け、ニダンギルが〈キキ〉の攻撃を弾く。
「全てのポケモンとトレーナーに対して有効だ。ただナンバーアヘッド、お前には効き難いようだが、その手持ち、ヤミカラスには効果があるようだな」
〈キキ〉の動きが鈍い。自分の思ったように動いてくれない。ニダンギルに弾き飛ばされ、〈キキ〉はまるでボロ雑巾のように地へと伏した。
「ヨハネ……!」
「ポケモンもなしに私に勝てると思うか? 残念ながらナンバーアヘッド。お前の運命はここまでだと言う事だ」
「どうして無関係の人まで殺した」
「今問うのはそれか?」とヨハネはナンセンスだとでも言うように肩を竦める。
「長い間ヒトツキのままで使っていたからね。進化がなかなか定着しない。そのための経験値になってもらっただけだよ」
「外道が!」
ノアの怒りが声となって突き抜ける。しかし、〈キキ〉は全く動く気配を見せない。
ニダンギルが二つの切っ先をノアへと向ける。ヨハネがニダンギルに囁いた。
「いいか? 我がポケモンよ。狙うのならばトレーナーだ。ニダンギル、影打ち」
ニダンギルの身体が瞬時に影に溶け、その場から消え失せる。ノアが首を巡らせるよりも速く、その切っ先が胸を貫いていた。影から現れたニダンギルの剣が背中からノアを攻撃していた。
「……な。ノア」
ようやく認識が追いついたイシスが声を投げる。ノアは胸元を押さえた。しかし、血が止め処なく溢れてくる。
ヨハネはくるりと身を翻した。
「心臓を射抜いた。ナンバーシリーズといえども即死だ。もっとも、能力のないナンバーシリーズなど、取るに足らないが」
ノアが仰け反る。イシスが駆け出していた。
「そんな馬鹿な。ノア!」