最終章 十四節「人の意思」
「何を!」
唐突にロキが引っ張り上げられたのでヨハネは声を荒らげる。まだ生きているものがいるとは思えない。だというのにこの現象は、と究明しようとしていると声が弾けた。
「〈キキ〉! ブレイブバード!」
ロキを引っ張り上げた影が安全圏までロキを運んだと思うと即座に前に出て突進してきた。青い閃光を棚引かせた攻撃にヨハネは反応する。
「まさか、まさか……!」
ヨハネは振り返った。その視線の先に片手を掲げたノアの姿があった。
「生きていたのか。ナンバーアヘッド!」
怨嗟の響きを伴った声に、「ノアよ」とノアは冷静に応じた。
「あたしの名前はノア・キシベ」
「死人は! 黙って偽りの世界と共に滅びればいいものを!」
ヨハネの怒声にも怯んだ様子はない。ノアは鋭い眼差しを湛えて、「余計なお喋りをする気はない」と告げた。
「何よりも――お喋りは嫌いよ」
ヨハネが雄叫びと共にギルガルドを直進させる。ノアは〈キキ〉で応戦するかに見えた。だが、その〈キキ〉が飛び立ったのは他でもない。ロキの下へ、だった。
――長くはないわ。
突然に頭の中に響き渡ってきた声にロキは周囲を見渡したが、その声は空間を震わせてというよりも思考に直接語りかけてくるようだった。
「お姉ちゃん……?」
ロキの下へと〈キキ〉が降り立ってくる。何をやっているのだ、とロキは身震いした。主人であるノアは今まさにヨハネに殺されそうになっているというのに。
「〈キキ〉、何をやっているの? お姉ちゃんを助けなきゃ――」
――もう、あたしの身体は持たない。
切り込んできた声にロキはハッとする。それと同時だった。ノアの身体がギルガルドによって切り裂かれ、血飛沫を撒き散らした。
ロキが悲鳴を上げる。血を浴びたヨハネが振り返った。黄金の瞳孔がきゅっと収縮したのが視界に入る。
――掴まって!
放たれた声にロキが戸惑っていると〈キキ〉が自分の前に降り立つ。その赤い眼に残る意思にロキは問いかけていた。
「どうして。どうしてお姉ちゃんを助けなかったの! 〈キキ〉!」
――身体を捨てるしかなかった。今のあたしには。
その声にロキは、まさかと息を詰まらせた。
「お姉ちゃん、なの……」
ノアが〈キキ〉の身体を借りて喋っているのか。しかしノアは死んだはずだ。どうして、とロキが戸惑っていると〈キキ〉は無理やりロキの手を足に握らせた。
〈キキ〉が飛び立つ。もちろん、飛行能力のないヨハネはその場に居残るかに見えた。だが、ヨハネは念じるように目を強く瞑ったかと思うと跳躍した。浮遊したヨハネは〈キキ〉とロキを視界に入れ、呪いの言葉を吐き出す。
「お前らが行く末は真実の世界だ! どこにも逃げ場などないぞ!」
ヨハネの言葉に気を取られそうになっていると、〈キキ〉が思惟の声を広げた。
――ロキ。あたしはクラックの能力を僅かに使い、〈キキ〉の内部に残留思念として残っている。だけど、長くはない。あんたは逃げ切らなければならない。それがあたし達の希望なの。
ノアの声にロキは、「でも!」と頭を振った。何を寄る辺にすればいいのだ。ノアも、イシスも、リョウも死んでしまった。
――あんたには託された希望があるはず。それを思い出して。あたしの声が聞けているという事は、資格はあるはずだから。
その言葉にロキは疑問符を浮かべるしか出来ない。
「ロキは! お姉ちゃんがおもっているほど強くないよ! お姉ちゃんにいつまでもいてほしい」
わがままに等しい言葉にもノアの思念は答えてくれる。
――ロキ。あんたはママに会って何かを感じ取ったはず。忘れないで。あんたの涙はあたしの涙でもある。あんたが悲しめばあたしも悲しいし、あんたが喜べば素直にあたしも嬉しい。ルイから、手渡された希望と共に、世界を……。
そこから先は言葉にならなかった。ポケモンの鳴き声に戻った〈キキ〉が唐突に鉤爪を離した。ロキは空中で投げ出された格好になる。しかし、先ほどまでロキのいた場所をギルガルドが掻っ切った。舌打ちがヨハネから漏れる。
――ここで食い止める!
〈キキ〉がヨハネの前に立ちはだかり、ロキを守るように翼を広げた。
――来い! ヨハネ。最後の勝負だ!
その言葉が放たれた瞬間、〈キキ〉の身体から青白いオーラが溢れ出し、瞬く間にそれはノアの形を取った。否、ノアだけではない。位相を変えればイシスにも見えたし、リョウにも見えた。最後にそれがルイに映り、優しく微笑んだ後に戦闘の気配を湛えたノアがヨハネへと立ち向かった。ギルガルドが剣戟を見舞い、〈キキ〉を引き裂く。それぞれの人々の思惟が分散し、ヤミカラスの濡れた黒色の羽根と共に、飛び散った。