最終章 十一節「唯一人」
ヨハネの宣告にリョウは、「だとしても!」とフシギバナへと思惟を飛ばした。
「花びらの舞は一回きりの攻撃じゃないぜ。連続攻撃だ」
フシギバナが花弁を回転させて再び極小の刃を空間に溶け込ませる。ヨハネは息をついた。
「……度し難いとはこの事か。理解してもらうには痛みが伴いそうだな」
「黙れよ! てめぇを理解しようなんて思っちゃいねぇ」
リョウの叫びが空間を震わせてフシギバナの咆哮となった。花弁の刃の切っ先がギルガルドへと突き刺さる。しかし、ギルガルドは振るった一撃でそれを相殺した。
「バトルスイッチ。ブレードフォルムにフォルムチェンジする時のエネルギーを利用して花びらの舞を打ち消した」
リョウが声を詰まらせている。もちろん、リョウとフシギバナは熟練の域に達しているはずだ。だというのに攻撃を掻き消されたという事は一つの事実を示している。
「俺とフシギバナが、押し負ける……」
「チャンピオンたるもの、引き際が肝心だと私は思うがね」
それは、二度目はないという警告でもあった。しかし、リョウとてここで下がれるほど覚悟が宙ぶらりんなわけがない。
「だったら、特殊攻撃で始末してやる!」
フシギバナが花弁の中央を標的へと向けた。光が集束し、粒子が振動する。日食の只中であっても僅かな光を吸収し、エネルギーにしようとしている。
「ソーラービーム!」
フシギバナから一条の光線が放射される。射線上の微粒子を吹き飛ばしながら眩い光の帯がギルガルドへと叩き込まれるかに見えた。
だが、渾身の一撃に映ったそれは無情にも次の瞬間、打ち砕かれた。
「シールドフォルム」
ギルガルドが防御壁を展開する。光の中にその姿が掻き消されたかに思われたが、その実態は意外なところに現れた。
「影打ち」
ギルガルドの姿がフシギバナの影から現れる。凝固した影から出現したギルガルドへの反応が一拍遅れた。そのせいで突き上げられた攻撃に対処出来なかった。フシギバナの横っ腹へとギルガルドが切っ先を突き刺す。リョウが顔をしかめた。フシギバナと同じように、横腹から血が滲んでいた。
「……野郎」
「キングシールドでソーラービームを反射し、その光の奔流を利用して影打ちへの連携を見えなくした。チャンピオンならば、この程度の反撃、予想されて然るべきだと思うが。――余計な復讐心が冷静な判断を邪魔したか?」
リョウが膝を落とす。ギルガルドがフシギバナの真上を取った。切っ先がフシギバナの頭部へと打ち下ろされようとする。
「〈キキ〉!」
覚えず、ノアは指示を出していた。〈キキ〉が反応してギルガルドの射線上に現れ、銀色の皮膜を張る。ギルガルドが攻撃を中断し、姿勢を立て直した。
「ノア・キシベ。ここで私とチャンピオンの戦闘に割って入るとはな」
ギルガルドがゆらりと漂ってヨハネの下へと戻っていく。ノアは今にも崩れ落ちそうな身体に喝を入れるように息を詰めヨハネを睨みつけた。
「止めるって、決めたんだ。そのためならば」
「もう遅い」
ヨハネは空を囲うように両手を広げた。既に日食は中盤に差し掛かっている。太陽が闇に呑まれた時、何が起こるのか想像もつかなかった。
「日食が訪れ、その時にクラックの能力は最終段階に入る。この世界の理を根底から揺るがす能力へと」
「させないと決めた。リョウ。フシギバナを戻して。ダメージが」
「いや、まだだ」
リョウは立ち上がり歯を食いしばった。
「この程度でへばっていたら、笑われちまうよ」
苦し紛れの笑みを浮かべるが汗の玉が額に浮いているのが映った。ほとんど限界だ、とノアは全員を見渡す。〈セプタ〉も尋常ではないダメージを受けている。タブンネでは相手にならない。リョウは、まだ手持ちはあるのだろうが主力の二体だろう。それを潰されればお終いだった。何より自分とてクラックで擬似的に生き永らえているに過ぎない。
「辛うじて立っている、といった様子か。全員を始末するのに、そう時間はかからない」
ヨハネの言葉に、「いや、違うわね」とノアは応じた。
「何だと?」
「あんたは焦っている。クラックで日食を早めた事からも随分と能力的に無茶をしているように思えるわ。余裕を装ってその実、こちらからの一撃を極端に恐れている」
先ほどのギルガルドの動きがその典型だ。ギルガルドはこちらの予想以上の攻撃力と防御力だろう。しかし、それが仇となる。過ぎた力は自らを滅ぼす。
「オウム返しを恐れた。それはギルガルドの攻撃の高さがそのまま反射されれば自身の危うさに繋がるから。そして、ぶち込まれればダメージがある事を示している」
ヨハネは余裕の表情を消して感嘆の吐息を漏らす。
「……なるほど。伊達ではないな。ここまで来た実力はある。しかし、それが付け焼刃である事をお前達は何よりも知る事になるだろう。私とギルガルドの前では、全ての攻撃が意味を成さない。例えばお前は私とギルガルドを倒すための一撃を叩き込もうとする。しかし、その一撃すらも運命の前に捩じ曲げられた一撃なのだ。全ては私を押し上げ、約束の時を迎えさせるための」
「その約束の時とやらを、待つわけにはいかない」
ノアは拳を握り締め構えを取った。
「いつでも来い」
挑発の言葉にヨハネはフッと吐息を漏らす。
「全ての終わりの前に、戦いを望むか。酔狂な人間だ」
「あたし達はまだ終わりを確定させたわけではない」
ノアの抗弁に、「いいや、終わりだよ」とヨハネが答えた。
「私にここまでさせた事が終わりなのだ。ノアズアークプログラム実行まで、残り三分もないぞ」
「だったらけりをつけるまで」
〈キキ〉がギルガルドへと螺旋の一撃を叩き込もうとする。ギルガルドは前面に銀色の防御壁を張り巡らせた。
「キングシールド」
「ドリルくちばし!」
〈キキ〉が放った一撃はしかし、虚しく吸い込まれていく。〈キキ〉から勢いが削がれた。攻撃そのものが無力化されたかのようだ。
「キングシールドは相手の攻撃ランクを落とす効果を持つ。直接攻撃は自らの首を絞めるようなものだぞ」
先ほどのリーフィアの劣勢のわけはそれか。リーフィアは物理攻撃面で優れているだけに「キングシールド」の効果をまともに受けたわけだ。
ノアはしかし、〈キキ〉へと次の攻撃の命令を継いだ。
「ブレイブバード!」
〈キキ〉が大気の膜を纏いつかせ、青白い旋風となってギルガルドへと突っ込む。ギルガルドは予期していたかのように攻撃を受け止めるが、ノアにとってはそれでよかった。
「無駄な事を」と判じかけたヨハネの声に不意に差し込んだ音があった。衝撃波だ。「ブレイブバード」の余剰衝撃波がギルガルドを跳び越えてヨハネへと至ったのである。それは刃の鋭さを帯びてヨハネの身体を切り裂いた。ヨハネが膝をつき、「まさか……」と呻く。
「チャンピオンの戦法を真似るとは」
〈キキ〉にしか出来ない芸当だった。「ブレイブバード」はその高威力から反動ダメージがつくとされている。しかし、トキワシティでのリョウとの戦いで自分と〈キキ〉は反動ダメージを限りなくゼロの値に抑える事が可能となっていた。代わりに余剰衝撃波を攻撃に転じる事も不可能ではない。
「才覚か。ブレイブバードは本来、功罪両面を併せ持つ技。だが、そのメリットのみを取り出すとは。腐ってもナンバーアヘッドか」
「あたしの名は、それじゃない」
ノアは強く断じた。
「あたしはノア・キシベ。たとえ呪われた名前であろうとも、今はこの世界に存在する、たった一人の人間」
呪いを解き放ち、明日へと繋ぐ。それが自分の役目だ。ノアは再び〈キキ〉へと「ブレイブバード」を命じようとした。しかし、二度も同じ手を食う相手ではない。
「キングシールドで余剰衝撃波を吸収しろ」
ギルガルドが盾を突き上げる。銀色の防御壁へと〈キキ〉は愚直とも言える体当たりをかました。
「無駄が分かっていても動くとは。度し難いとはこの事か」
「いいえ、ヨハネ。この一撃でさえも無駄ではないわ」
ヨハネが瞠目する前に〈キキ〉が螺旋を描く。トキワシティで編み出した「ドリルくちばし」と「ブレイブバード」の両面を引き出す攻撃だ。〈キキ〉にしか出来ない。〈キキ〉と自分だからこそ、この境地に至れた。
「キングシールドを、この攻撃は突き破る!」
「不可能だ! 全ての物理攻撃はキングシールドに吸収される!」
「吸収されないエネルギーもある。〈キキ〉とあたしなら、出来る!」
ノアは内奥から衝き動かす熱に任せて攻撃を敢行した。〈キキ〉の翼が拡張し、青白い閃光が瞬く。即座に連鎖した光の奔流がギルガルドを突き抜けた。まさしく刀剣の一撃を灯した威力の衝撃波が「キングシールド」の向こう側にいるヨハネの腹腔を貫いた。
「……やった?」
そう声を発したのはイシスだった。一撃は確かに、ヨハネへと必殺の威力を伴って突き刺さったかに思われたからだ。
ヨハネが目を見開いて硬直している。手応えはあった。ギルガルドも動かない。
全てが決した。
――そのはずだった。
「……なるほど。確かにこの一撃は最後の一撃だっただろう。私にとっても、お前達にとっても」
ヨハネは何事もなかったかのように言葉を発する。効果がなかったのか、とノアは不安に駆られたがヨハネは唇の端から血を滴らせている。確かに貫いたはずだ。だというのに、どうしてヨハネは生きているのか。
「お前と同じだ、ノア・キシベ」
ヨハネに指差されてノアは心臓を鷲掴みにされた心地になった。
「何、を……」
「私は既に死に瀕した一撃を受けたが、クラックによる錯覚効果により、死ぬ事はない。この身体をバラバラに砕かれるか、粉々にでもされない限りな。そして、時は満ちた!」
ヨハネが空を仰ぐ。完全な日食が発生し、闇の中に世界が沈んでいた。金環日食を得たヨハネの瞳の色が移り変わっていく。血の色である赤色から、鮮やかな黄金へと変わった。
「我が能力、クラックにより、この世界を暴く」
ヨハネが両手を広げると、日食部分を境目として空が裂けた。血のようなものを迸らせ、空そのものがまるで扉のように開いていく。ノアはそれを眺めるしか出来ない。空が開き、視界に飛び込んできたのは脈打つ闇の塊だった。