第七章 十六節「差」
「それが、ノアズアークプログラムの真実だってのか……」
話を聞き終えたイシスは信じられないような目を向けていた。ヨハネは凡俗に理解されようとは思っていなかった。これはキシベの掲げた最後の計画なのだ。誰にも邪魔はさせない。
「私は、キシベによって気づかされたのだ。この世の深い業を」
その言葉にイシスがたじろいだ様子だった。ヨハネはもしかしたらという希望を込めて口にする。
「こちらへと来ないか?」
「何だと?」
イシスに話したのは何も最終段階に入ったからだけではない。もしかしたらイシスならば理解出来るかもしれないと感じたからだ。ヨハネの申し出を、しかしイシスは突っぱねた。それこそ、嫌悪の表情を浮かべて。
「願い下げだね。お前ら、いかれているよ。現行人類を終焉させる計画になんて乗らない。わたしが信じるのは、あいつくらいだ」
イシスの視線の先にはメガゲンガーと戦うノアの姿があった。ヨハネはフッと笑みを浮かべる。
「何を期待している? クラックの能力は我が手にある。あとはキシベの言う通り、約束の時を待つだけだ。その時、クラックの能力は完成され、完全なる世界への扉が開く」
この誘いに乗る確率はあるとヨハネは考えていた。イシスはこの現象の先を見つめたいはずだ。何が起こるのか。完全な世界とは何なのか。彼女の知的探究心は知っている。だからこそ、ノアと組んでいるのだ。全てはそのために過ぎない。思っている以上に彼女はドライであるとヨハネは分析していた。
しかし、イシスは吐き捨てる響きを伴って、「お断りだ」と言った。
「何だって?」
ヨハネは冷静に聞き返す。聞き間違いかもしれないと思ったからだ。
「お断りだと言っている。お前ら、とことんいかれているよ。わたしは道を踏み外してまで、この現象を知的探求(しり)たいと思っているわけではない。それにノアには誓ったんだ」
イシスがコインを取り出す。裏返すと同じ模様があった。デザインが同じ、トリックに使うコインだ。ヨハネは、「そんなもので」と口にする。
「ノア・キシベと分かり合ったつもりか? あれは君の考えているよりも、ずっと強かだ。リョウを利用しようとしていた。今も、R01Bと戦わせるように仕向けたのは、彼女だ」
「お前にノアの苦しみは分からない」
イシスの弁にこれ以上言葉を重ねても無駄かもしれないとヨハネは感じた。ノアを信用する因子がどこにあったのかは分からないが、イシスは刑務所で最初に出会った時のような冷たい眼差しを持っていない事に気づく。どこかで、捨てた人情を取り戻したようだ。
「感情論で動くと損をするぞ」
「どっちがかな。お前は、キシベとの繋がりとで今の行動を成し遂げているつもりだろうが、全てはキシベの掌の上だったとしたら? お前の行動も、感情も、全て予見されたものだとしたらどうだ?」
「心を乱そうと言うのかね。私にそのような甘言は通用しない」
キシベとの友情は既にその範疇を超え、宿命の域に達している。出会うべくして出会った運命だ。
イシスは鼻を鳴らした。
「どうやらキシベを特別に信用しているようだ」
「君も、ノア・キシベを信用している様子だが、あれは造り物だ。人間ですらないものに何故情を注げる?」
「そこが、お前とわたし達との差だって言っているんだ」
イシスは病室の縁から跳んだ。階下にはロキがおり、タブンネで受け止める。
「ノアの加勢をさせてもらう。お前には一生分からないだろうよ」
そう言い置いてイシスはロキと共にノアの下へと駆けていく。ヨハネは呟いた。
「……確かに、理解は出来ない。だが、私が開く世界こそ、人類が望んだ完全な世界なのだ。その扉を叩く事にいささかの躊躇いもない」
ヨハネは身を翻してメガゲンガーと戦っているノア達の下へと急いだ。彼らよりも先に成すべき事。それはR01Bの速やかなる抹殺である。
「キシベ。私は君の理想を現実にせねばならない」