第七章 十三節「予言者」
夏は厳しい暑さに見舞われるが、冬になると北方の巨大な岩倉にいるポケモンが目覚めるらしい。
イッシュ地方はそのような気候の場所だった。
気風としてはあらゆる地方の文化を取り入れた最新の地方。
医療技術、文化、経済、全てが潤滑に回っている場所である。特に航空産業の発達がめざましく、運輸業においては比肩する者がいない。カントーも、ジョウトも、ホウエンも遅れを取っていた。唯一、別の発展を遂げたカロス地方はイッシュに対してある意味では対等な立場であった。だからなのか、イッシュ地方は文化として気後れした部分は一切ない。誇り高い文化を自らのうちに湛えているイッシュに住む人々は生まれた時から奨学支援、技術支援、経済支援を当たり前に受けて生活している。
ポケモントレーナーの受け皿が発達途上で問題化しているカントーのような状態はなく、長く続いたのはプラズマ団によるポケモン解放運動のみ。ジムリーダーや各地の人々の志も気高く、他者の追随を許さないのがイッシュだった。
だからなのか、そのような地方に生まれついたヨハネ・シュラウドは特別誰かを憎む事もなく、皆に好かれ人徳もあり、他の大多数が過ごすのと同じスクール時代を経てカントーの大学に進む事になった。タマムシ大学で博士号を取得するも研究分野よりも彼はカントーの劣悪な刑事裁判の結果を目にしていた。何度か裁判員制度で陪審員として立った事もある上に、彼はロケット団が法の目を掻い潜ってのうのうと生きているのが許せなかった。彼の心には義憤の炎があり、何よりも正義を尊重するべしだという気持ちがあった。だから、彼が国際警察試験を受けた時、故郷の家族達は感心するよりも先にやはり、と思った。母親はこう述懐していたのを覚えている。
「だって、あなた、昔から正義の味方に憧れていたじゃない」
ヨハネは別に正義の味方になりたかったわけではない。テレビの上で示されるヒーローやショウの魅力に取りつかれたわけではなく、むしろそういうものは醒めた目線で眺めていた。
これはフィクションなのだ。現実に正義の徒などいないし、だからこそ、ロケット団が法であるカントーがまかり通っている。ロケット団の横暴を何度も目にしたヨハネはより強くそう感じていき、やがて国際警察官へとなった。
国際警察は三つのセクションに分かれており、地方の垣根を超えて調査する国際犯罪に対する第一セクション、各地方に別々の行政区画と法律を下に動く第二セクション、日々激化するポケモン犯罪やサイバーテロなどを未然に防ぐ第三セクションがある。ヨハネは第一セクションの捜査官として二年の研修を経て任命された。その時、ロケット団は隆盛期であり、ヨハネはロケット団の尻尾を掴むべく動いた。その時にバディを組んだのがハンサムである。
後に国際警察の中でも極秘に動く第四セクションを設立した事で有名だ。ハンサムは手持ちのグレッグルと共に数々の難事件を解決に導いていた敏腕刑事である。ヨハネは共に働ける事が幸福であったし、自分もいつかはハンサムのようになりたいと思うのが自然であった。
カントーでは十歳成人法が施行されるためタマムシ大学に入った当初、自分よりも幼い同期がいて驚いた。ヨハネは故郷のスクールで十五歳になるまでみっちり勉強し、十八歳でタマムシ大学を卒業、二十歳でようやく社会人の仲間入りを果たした。タマムシ大学出の博士号は箔にはなったものの国際警察としては当たり前の知識ばかりであり、自身の無知さを痛感した。
ヨハネはカントーにてロケット団捜査に抜擢されたものの、成果は出せず仕舞いだった。というのも、ヤマブキシティに根城を構えているのは明らかなのだが、行政、司法、経済、全てを一手に担っている首都の中心、シルフカンパニーが関与していると知ると途端に慎重にならざるを得なかった。シルフカンパニーはポケモン産業を独占している企業である。下手に藪をつついて蛇が出れば全てのポケモン事業が立ち行かなくなる可能性もあり得た。国際警察はもちろん、その場合の損害を全て賠償する事など出来ない。あまりにもポケモン産業はシルフカンパニーに頼り過ぎていた。
「シルフを突くのは無理だ」
ハンサムがそう判断するのに時間はかからなかった。しかし、ならばどうやってロケット団を追い詰めればいいのか。ヨハネにはいよいよ分からなくなっていた。
この世の悪が春を謳歌している。悪がのさばり弱者を蝕むこの状況を許しておけるほどヨハネは出来た人間ではなかった。だからと言ってシルフカンパニーに単身で突っ込む事は自殺行為だ。最悪の場合、国際警察がヨハネを裏切る可能性もありうる。ヨハネは保身と正義との葛藤に揺れた。
カントーは初夏を迎え、ヨハネがロケット団の捜査を任命されてからちょうど二年が通過しようとしていた。ロケット団はその間に表向き駆逐された。国際警察としては沽券に関わるとして極秘資料としていたが、ある一人のトレーナーがロケット団を壊滅まで追い込んだ。
そんな折、一人の男が逮捕された。カントー留置所にて彼はイッシュへのテロを敢行しようとしていたと供述したため、当時まだ交流の薄かった国際警察がカントーの司法へと切り込む形となった。ヨハネはテロリスト紛いの男がどのような人間が見定める必要があった。
本国へと送検、あるいはカントーの司法に照らし合わせて起訴。だがカントーにはテロリストに関する法律がまだ不充分であり、また男も「テロを匂わせた」だけであり未遂という扱いとなった。
ヨハネは多忙に追われるハンサムの代わりに男の面談をする事になった。男と初対面した時、ヨハネは彼が年老いているようにも、歳若いようにも見えた。白い拘束衣で両手を固められており、一種威厳すら漂わせている。年齢を全く匂わせない男に対してヨハネはまだ新米である事で嘗められては敵わないと固い姿勢で応じた。
「キシベ、と言ったか」
ヨハネの言葉にキシベと呼ばれた男は、「ああ」と首肯する。
「イッシュへのテロを匂わせる発言をしたそうだな」
「カントーは、私を起訴出来ない。そうだろう? だから君のような人間を呼んだ。国際警察官だな」
まだ国際警察がオープンでなかった時代だ。当然、ヨハネは驚いたが顔には出さない。
「未遂とはいえ、テロを匂わせる発言をした事で本国では起訴出来る」
「ならば私をイッシュへと送検するか」
落ち着いた物腰のキシベへとヨハネは、「そうしていられるのも今だけだ」と言った。
「すぐに平静ではいられなくなる」
ヨハネはそう言い置いて取調室を出ようとした。その時、背中へと声がかけられた。
「三日後だ」
その言葉にヨハネは立ち止まった。キシベは聞いていようがいまいが関係ないという口調で、「三日後に事件が起こる。5の島だ」と告げた。
「どうしてそんな事が分かる?」
ヨハネが怪訝そうに尋ねるとキシベは、「私はね、嘘つきと犯罪には鼻が利くんだ」と視線を向けた。
「だから昔からこういうのには長けている。5の島で、きっと事件が起こる」
ヨハネはもちろん、その言葉を信じなかった。しかし頭の片隅には留めていた。ハンサムにその夜、相談した。
「5の島がきな臭いそうです」
ハンサムは怪訝顔で、「どういう事だ?」と訊いた。どういう事か知りたいのはこっちのほうだった。
「いや、忘れてください」
ヨハネは愛想笑いで打ち消した。しかし、三日後、笑う事は出来なくなった。「5の島でロケット団残党か」の文字が新聞を飾ったのはキシベの予言通り、三日後であったからだ。
ヨハネは再びキシベを訪ねた。
「来ると思っていたよ」とキシベは口角を吊り上げて嗤った。ヨハネは対して真剣な口調で訊いた。
「何故、事件を予知出来た?」
「言ったろう。私は嘘つきと犯罪には鼻が利くのだと」
「誤魔化すな。僕はお前みたいな犯罪者が言った事など信じない」
「だがな、まだ若い刑事よ。私の言葉は事実になっただろう?」
その言葉に返事を窮していると、「今度は明朝だ」と怪しく囁かれた。
「強盗、今度は金銭目的だな。ヤマブキ金庫が襲われるぞ」
ヨハネは、「何故、それを僕に教える?」と尋ねた。するとキシベは、「止めて欲しいからだよ」と答えた。
「善良な一市民の言葉だ。耳を傾けて欲しいものだな」
ヨハネは信じないという姿勢を貫きつつも、密かにヤマブキ金庫の知り合いへと声をかけておいた。
「明日、そっちの金庫が強盗に襲われるかもしれない」
その言葉を知り合いは一笑に付した。
「何言ってるんだ。カントーで一番セキュリティが硬い場所だぞ」
当然の言葉だったがヨハネは言い含めておいた。
翌日、その知り合いが死体となって発見された。強盗に潜り込んでいた人間に刺されたのだと言う。ヨハネは恐ろしい予感に駆られた。キシベの言う事は全て現実になるのではないか、と。しかし、まだ二度目。偶然でも当たる事はある。ヨハネは今度、キシベに尋ねた。
「次に犯罪が起こるのはいつか」と。
キシベは、「シオンタウン」と口にする。
「ラジオ塔で殺しだ。三年前の再現だな。今度は人間が犠牲になる。その余波で、ラジオ塔への立ち入りが厳しく規制されるだろう」
ヨハネは予め捜査員を張る事は出来なかったが、自らシオンタウンへと出向いた。すると、確かに胡乱な空気が漂っている。
その夜、シオンタウンで宿泊していると異様な音が旧ポケモンタワーから聞こえてきた。町を見下ろせる灯台のような塔から怪しげな黒衣の集団が駆けて来てヨハネはそのうち一人を捕まえた。すると、ラジオ塔で殺しをしたと供述したのだ。その犯罪者は半狂乱であり、自分でも何故行ったのか分からないと言う。
三度目の正直。ヨハネはキシベの予言を下に捜査の計画を立てる事にした。誰も知りえないはずの情報をキシベは次々と言い当てた。タマムシカジノの経営破たんにはある一人のトレーナーが関与している事。そのトレーナーは間もなくシルフカンパニーの闇を暴くために動いた事。噂話程度に過ぎない事実をさも見てきたように語るキシベにヨハネはある一つの疑念を抱いた。
「ロケット団か?」
その問いかけに、「ロケット団だとしたら、何故組織の邪魔立てをする?」と逆に質問が返ってきた。もっともだ。
ヨハネはキシベの経歴を調べようとした。しかしキシベという人物は潜れば潜るほど底が知れず、ヨハネは犯罪組織の闇へといつしか精通するようになった。