第七章 十二節「試練の声」
「不可能だ。それは」
病室の陰から戦況を眺めていたヨハネが呟く。ヨハネには今の状況が予見されていたものだと分かっていた。いずれ現れるであろう災厄。キシベが遺した最後の障害。
「忘れ形見が私の道を阻もうとしているのではない。これは、試練だ。脆弱な運命の鎖を振り払えという、親友の声だと受け取った」
ヨハネはヒトツキをいつでもルイに向けて狙えるように攻撃姿勢に移す。その時、感知野を騒がせる攻撃の波があった。
一瞥を向けるとヒトツキは呼応してその刃を受け止める。水で構築された剣だった。その刃の主をヨハネは口にする。
「ガメノデス。イシス・イシュタルか」
水の剣が振り上げられる。ヨハネはヒトツキに命じた。
「パワートリック」
ヒトツキの持っている剣の柄と切っ先の間で光が行き交った。その一瞬の後にヨハネは続け様の声を放つ。
「聖なる剣」
ヒトツキの刀身がガメノデスの放った水の剣とぶつかり合う。しかし水の剣は容易くヒトツキの鋼の刀身によって打ち消された。ガメノデスを操っていたイシスが目を見開く。
「何をした……」
「パワートリックで攻撃と防御の値を入れ替えた。本来は頑強さが自慢の我がポケモンは今、さらなる攻撃の高みへと至ったと言えよう。さらに、格闘タイプの物理技、聖なる剣。これは並大抵の威力ではない」
ヒトツキが身体を翻し、もう一太刀をガメノデスへと叩き込む。ガメノデスの水色の装甲が弾け飛んだ。
「貴様ら受刑者に渡したポケモンは全て、ヒトツキには敵わないようなタイプ構成にしてある。水・岩タイプに対して格闘の技は効果抜群。所詮は駒に過ぎない己の弱さを噛み締めながら逝くといい」
ヨハネは人差し指を立てて言い放つ。ガメノデスが仰向けに倒れた。岩の表皮が剥離し、砕けた部分が分散している。ヨハネは立てた人差し指をくるりと返す。ぶつけられたヒトツキの一撃がガメノデスを打ち据えた。
「今は貴様のような些事に構っている暇はないのだ。R01Bを殺し、我が眼前に屹立する試練を乗り越えなければならない。その先にこそ、完全な世界は立ち現れる」
ヨハネが身を翻す。最早、ガメノデスとイシスには成す術などない。そう判断しての行動だったが、直後に目の前に現れたのは打ち倒したはずのガメノデスだった。舞い降りてきた影に、「何故……」と声を漏らす。ヨハネは振り返った。砕いたと思われたガメノデスの表皮はからからに乾いている。最初から捨て去る事を目的としたかのように。
「殻を破る……。予め装甲をパージさせておいた。お前は、出来る限り消耗は避けたいだろうから表皮と核を狙ってくるのは分かっていたからな。その部分を浮かせておいたんだ。斬り易いように」
イシスの言葉にハッとする前にガメノデスが腕を振り上げた。ヒトツキへと思惟を飛ばすが、それよりも速くガメノデスの構築した水の刃がヨハネの肩を貫く。煽られたようにヨハネは後ずさった。
「私に対して、攻撃を……」
「嘗めない事だな。わたし達だって戦ってきたんだ。全てはお前を倒すために。それに、ガメノデスじゃないぜ。わたしの〈セプタ〉だ」
ガメノデス――〈セプタ〉へと横薙ぎに攻撃を見舞う。しかし、〈セプタ〉はヨハネの予想以上の速度で動いた。跳躍して身をかわし、背後へと回ったのだ。
「この速度……!」
「殻を破るという技は防御が下がる代わりに素早さが上がる。今の〈セプタ〉は、どうやらお前とヒトツキよりも速いようだな」
〈セプタ〉の肩から生えた二本の腕がヨハネの首を後ろからねじ伏せようとする。逃げようともがいたが、それをその下に生えた両腕ががっしりと掴んで阻んだ。
「そして射程圏内に捉えた」
イシスの言葉が響き渡る。肩越しに視線を振り向けると、〈セプタ〉は掌の形をした顔から水の剣を顕現させていた。
「終わりだ。貴様を貫く!」
勝ちを確信したイシスの声にヨハネはせせら笑う。
「違うな。間違っているぞ、イシス・イシュタル。終わりは貴様のほうだ」
その声にイシスが反応する前に〈セプタ〉の影から何かが飛びかかった。〈セプタ〉は動きを止めて胸元を見やる。背後から突き上げてきたヒトツキの切っ先が胸を貫いていた。
イシスがうろたえ、〈セプタ〉の腕から力が抜ける。ヨハネは肩に触れながら、「影打ちで既に影の中にヒトツキを仕込んでおいた」と告げた。
「いくら素早さを上げても影に潜む一撃は必中。私を殺す事に気を取られ過ぎたな」
イシスはモンスターボールを突き上げて赤い粒子の中に〈セプタ〉を戻した。直後にヒトツキが一閃を打ち下ろす。ヨハネは肩を竦めた。
「残念。もう少し遅ければ〈セプタ〉を八つ裂きに出来たのだが」
イシスは荒い息をつきながら、「お前は……」と口にする。
「何のためにここまで他人の人生を弄ぶ? ノアだってそうだが、ルイやチャンピオンも、刑務所の中の人間達だってそうだ。まるで、虫でも観察するみたいに、お前は他人の人生に勝手な風穴を開ける」
ヨハネはイシスの言葉があまりにも自己中心的な思想に回っている事に落胆した。両手を仰ぐように広げながら、「世界を、感じた事はあるか?」と尋ねる。
「何だって? 世界……」
「神と言い換えてもいい。ああ、そうだ。そういえば面談で神を否定していたな。だからこそ、一手になると期待していたのだが、残念だよ」
イシスは思い出したのか、「あの時」と口走る。
「どうしてアルセウスの事を引き合いに出した? お前の望む完全な世界とは何だ?」
その問いかけにヨハネはメガゲンガーに一瞥を与えてから、「いいだろう」と口にした。
「もしかしたら、私の価値観が分かってもらえるかもしれない。少し喋ろうか。私とその友人、キシベとの事を」