ポケットモンスターHEXA NOAH - 黙示録の天使
第七章 四節「魂のないいきもの」

「ノア!」

 イシスが黒い地球儀に入ったノアを呼びつけた。しかし、ノアは返事をしない。最悪の状況を想定しながらイシスは今にも駆け出しそうになったが、「駄目だよ、イシス」とロキが制した。

「ここを動いちゃ駄目だって、お姉ちゃんが」

「だけどよ、ノアに何かがあったのは疑いようのない事実だぞ」

 イシスはモンスターボールを取り出して〈セプタ〉を繰り出した。〈セプタ〉の腕には先の戦闘での負傷が色濃く残っている。自分もまだ骨折が治ったわけではない。ノストラの能力による思い込みとはいえ、まだ完治はしていないのだ。

「〈セプタ〉で切り込む。それしか方法はない」

「ロキは、でも行けない」

 ロキがふるふると首を振った。イシスは、「それでいい」と答える。

「ノアの言いつけは守るんだ。わたしだって帰って来れるか分からない。だが……」

 イシスは周囲を見渡す。既にこの状況は騒然としたニュースとなっていた。空を割るようなヘリコプターの羽音が鳴り響く。このような状況ではヨハネは身動き出来ないだろう。

 いや、もしくは。この状況を利用してヨハネは目的の場所を目指すかもしれない。大いにあり得る。今や、全ての事象がヨハネに味方しているに等しいからだ。

「この状況、もしノアならば逆利用する。ヨハネが自ら墓穴を掘ったんだと考える。ヨハネは広域に能力を発揮し過ぎた。これじゃ今までの苦労が水の泡だ」

 ヨハネは今まで影に徹してきた。だからこそ、正体が露見せずクラックを奪う事が出来た。今の状況がヨハネのものか、それともその使徒のものであるかは判別出来ない。しかし、どちらかは、あるいは両方はここで縫い止められたも同義なのだ。

「〈セプタ〉で行く」

 イシスが踏み出しかけると、ロキはイシスの前に立った。先ほど自分がノアにしたように。

「……何のつもりだ」

「お姉ちゃんなら、こうする」

 ロキの強い口調にイシスは舌打ちを漏らす。

「退け」

「どかない」

「ノアの命がかかっているんだぞ」

「だからこそ、簡単にどけない」

 ロキの瞳を見やる。てこでも動くまいと決めた強い意思の輝きがあった。

「くそっ」とイシスは悪態をつく。

「わたし達は、皆が皆お互いを心配するがゆえに、身動き取れないなんて」

 もしかしたらヨハネの想定内なのかもしれない。だからこそ、その想定を突き崩したかった。

「三分だ」

 イシスは言い放つ。

「三分経っても何の音沙汰がなかったら、わたしは飛び込むぞ。いいな?」

 ロキの眼に確認を含めると彼女は頷いた。


















「この空間は、ただあたしを閉じ込めただけじゃない」

 ノアは確信を持ってそう口にした。今、この状況で絶対にしてはいけないのは全滅だ。イシスが近づく事だけは避けなければならない。どうにかしてイシスへと自分の声を伝えようとしたが、ピンク色の空はそれすら許さないようであった。

 足場が上昇していく。ノアは必然的に近づく空を目にする。もし、このピンク色の天蓋にぶつかったらどうなるのか。

 ノアは足場を蹴りつけて水色の指先へと至った。そこでノアは息を呑む。目の前に巨大な眼があったからだ。茶色の瞳はしかし、生物の光を宿していない。

「これは、ポケモン……?」

 亀の形をしたそのポケモンは鳴き声一つ発しない。まるで死んでいるかのようだ。だが、これが相手の能力とそれに付随するポケモンならば排除しなければならない。ノアは〈キキ〉へと命令を飛ばした。

「〈キキ〉、ドリルくちばし!」

〈キキ〉が螺旋を描いて亀のポケモンへと突き進むが、亀のポケモンには傷一つ与えられなかった。ノアは足場にしている指先を手で触れる。体温がなかった。

「死体? でも、この精巧さ、まさか人形?」

 どの言葉も正鵠を射ているようで間違っている気がした。この現象は何なのか。何が起こっているのか。

 下を眺めた瞬間、ノアはぞっとした。遥か下から何体もの巨大なポケモンが浮き上がってきているのである。それらは目の前の亀のポケモンと同じように鳴き声さえも上げない。固まって動いている様は風船のようだった。

「でも、この硬さ……」

 ノアは手で触れる。弾力はない。生物にあるであろう血潮も感じられない。何よりも浮いているポケモン達は自分の知識の中ではスケールが違った。あまりにも大きい。ノアでも知っているポケモンが視界に入った。イワークの頭部がある。その下にはコダック、チコリータと続いていく。

 この現象の果てはあるのか、とノアは考えた。徐々に近づいてくるピンク色の空。これらのポケモンの虚像達は空を目指している。ノアはイワークの頭部へと足場を蹴った。踏み締めた足場は固い。手で触れるとやはり冷たかった。

「蝋人形館にしては、出来すぎているのよね」

 独りごちてノアはコダックの嘴へと跳躍した。ポケモン同士の距離は近いためノアのような特別鍛えているわけでもない身体でも飛び移る事が出来る。コダックのどこを眺めているのだか分からない眼を見据える。やはり、この巨大なポケモン達が攻撃してくるわけではないようだ。

 しかし、静かなだけに不気味さが際立つ。そのままチコリータの頭部にある葉っぱへと飛び乗った。既に先ほどの亀のようなポケモンはピンク色の天上近くにあった。どうなるのだろうか、と振り仰いでいると亀のポケモンは空に触れた瞬間、内部から弾け飛んだ。みしり、と空間が震える。

「爆発……」

 ノアの眼にはそう映った。亀のポケモンが空に触れた途端に爆発した。続いてイワークの身体が空に触れて同じように爆発の運命を辿る。ノアはこの現象の意味が分かりかけてきた。この現象が辿る末路を。何の意味があってこの空間が創られたのか。

「この、ポケモンを象った足場は天上に至ると爆発する。でも、これら以外に足場を持つ事は不可能。つまり、この空間に迷い込んだ相手をいずれは殺せるという事」

 その他にももう一つの可能性が思い至った。体力とて無限ではない。いずれはこうして足場を飛び移る事さえも儘ならなくなってくる。この能力の保持者はそれが狙いだ。じりじりと持久戦を続け、その間にヨハネは準備を重ねる。ノアは一刻も早く能力者を倒さねばならないと考えたが、その能力者がこちらへとやってくる気配はない。仕掛けてくるのならばいくらでもやりようがあるのだが、相手はこちらへの攻撃を躊躇っている。

 マタドガスの足場の下にはヤドンが尻尾を揺らめかせている。しかし、生き物の感覚はない。ノアは試しに〈キキ〉をヤドンの眉間へと向かわせた。ヤドンの眉間に突き刺さった一撃にも、ヤドンは表情さえも崩さない。

「ここにいる巨大ポケモン達は、魂がない」

 ノアは直感する。魂のない、単なる足場としてしか使えないポケモン達を用いて能力者とヨハネは自分を追い詰めるつもりだ。だが脱出の方法がないわけではない。何故ならば、先ほどヨハネと能力者は顔を見せた。少なくとも現実の空間とこの異空間との間に境目となる空間が存在するはずだ。その場所へと攻撃を加えればあるいは、とノアは〈キキ〉を見やる。「ブレイブバード」で突破出来るか? 少なくとも「ドリルくちばし」ではこの空間を破れない。

 だが、もし「ブレイブバード」でも突破出来なかった場合、相手にこちらの手の内を明かすようなものだ。ノアは慎重に行動する必要があると感じた。ヤドンの頭部を蹴って下の足場へと移る。角ばった鳥型のポケモンを足場にしながらノアは呟いた。

「必ず、相手は動きを見せるはず……」



オンドゥル大使 ( 2014/11/02(日) 21:32 )