第六章 六節「NOEL」
「何が」
起こったのか。ルイには推測する事しか出来ない。メガフシギバナとリョウは同調を果たし「はなふぶき」でアネ゛デパミ゛を倒した。しかし、それを発動条件にしたかのようにメガフシギバナとリョウは動かなくなった。一切の生命活動を停止したのだ。唐突に感知野の網からリョウが消える。目の前には確かに、本物のリョウがいるというのに。
「何をしたっていうの」
アネ゛デパミ゛はしかし、既に消滅していた。コードが拡散したと思われたその時、何かが起こり、リョウは帰ってこられなくなった。ルイは自分の中で憶測を立てる。
アネ゛デパミ゛破壊こそが、相手の目論見だった。
そうとしか思えない。そして、この能力の行使者はヨハネではない。前後の会話からそれは推測された。
「じゃあ誰なの? ボクにはヨハネの気配がたくさん……今でも増え続けているのが分かるっていうのに」
ルイは耳を塞いで流れ込む気配の波を遮断しようとする。その時、すぐ近くの感知野を何かが震わせた。
振り返る。ルイの視界に、立ち上がったミュウもどきの姿が映った。ミュウもどきはリーフィアに切り裂かれたはずだが、アネ゛デパミ゛と同じようにコードを組み換え傷口を縫合していた。ルイは目を慄かせる。ミュウもどきは水棲生物の特徴を備えた水かきで床を踏み締めた。じとっと湿った音が耳に届く。
ミュウもどきはアネ゛デパミ゛のように声を発する事はない。だが、無言の圧力があった。細い眼が開く。ルイは慄然とする。恐ろしいまでに赤い眼窩がそこにはあった。憎しみの色を引き移したようだ。
ルイはリザードンを出す事すら出来なかった。思わず、ルイはその場から逃げ出した。
「昂揚感だ」
自分にはそれがある。
ノエルはそう確信していた。
ノエルは元々、孤児である。先のヘキサ事件で両親が亡くなった事になっていたが、それが真っ赤な嘘である事をノエルは十五歳にして知る事となった。突然に目の前に現れたヨハネと名乗る男。彼の言葉はまるで天啓のようにノエルの中に染み渡った。
――お前達は選ばれたのだ。キシベの息子達よ。私のために尽くし、私のために命を賭せ。それこそがキシベの息子の責務だ。
ノエルは両親を知らないのだからもちろん父親など知るはずもない。それが大罪人、キシベだという事ももちろんである。青天の霹靂の事実を、しかしノエルは冷静な心持ちで受け止めていた。
むしろ自分の魂がそれに対する受け皿を持っていたのだ。すとんと、収まったその事実はノエルを戦いに赴かせるには充分だった。
「オレは今、昂揚感に包まれている。今までの人生にない充足。それがオレの心を、今にも折れそうだったオレの心の支えになっている。ヨハネをオレは守り、戦う第一の使徒だ」
ノエルはヨハネから与えられた洗礼名を思い返す。
――ナンバーエル。
ナンバーシリーズの中でも造物主に匹敵する能力を持つノエルはまさしく万能だった。ノエルの能力は今、張り巡らされているネットワークの裏面、ひた隠しにされてきた部分を暴いた。
かつて、大勢のトレーナーが行った脱法行為。電脳生命体であるポケモンのコピーとコードの書き換え。それによって産み出され廃棄された負の遺産達。それらを操る能力がノエルのものだった。
能力、フリーズ。
バグによって生まれたポケモンでもなく人間でもない存在を蔓延させ、それと接触した相手の感知野を凍結させる能力である。この能力の真価は同調が強い相手ほど逃げ出せない点だ。
感知野の網で気配を探す相手であればあるほどに、バグポケモンを破壊した時に生ずるフリーズの効果は強まる。
最初は電子機器の麻痺程度でいい。そこから電子の海を伝ってバグポケモンを現実に創造させて接触させる。それが行われた瞬間、相手の敗北は既に決したようなものだ。
「《隻腕の赫》よォ。お前の敗因はただ一つ。オレの操るバグポケモンを倒そうとした点だ。いくらチャンピオンといえどもバグの前では赤子同然」
しかし弱点は存在する。それはフリーズを統括するノエルそのものへの攻撃だ。
だが、その心配はもうなくなった。
『グレンタウンを出航いたしました高速艇は二十分後にマサラタウンに到着いたします』
アナウンスの声が響き渡る。一瞬で自分の行動を先回りする事など出来ない。
「これで弱点は克服した」
ノエルは口角を吊り上げて嗤った。