第六章 四節「アネ゛デパミ゛」
「リザードンじゃねぇ。……てめぇ! 一体何者だ!」
ポケモンでないのならば人が化けているのだと思ったのだ。しかし、リザードンらしきそれは小首を傾げた。
(何者だ、か)
どこか諦観したような声が響く。その根源が目の前のリザードンもどきだと判じたリョウは、「喋れるのか……」と驚愕した。
(訊かれたから答えただけなのだが、どうやら予想外だったらしい)
リョウは一旦耳を塞ぐ。今の声は感知野を震わせたものではない。現実に、リザードンもどきが喋っている。口を動かしている節はないが、顔を上げて意思表示をしているのは分かった。
「リョウ。このリザードン……みたいなのは感知野で喋っているんじゃない。現実に、ボク達の鼓膜を震わせている」
「ああ。しかしだとすれば、喋れるポケモンか……」
あり得ない話ではないが、このような姿形のポケモンは見た事がない。言葉による意思疎通が可能となれば伝説クラスだが、目の前のそれがその域に達しているとは到底思えなかった。
(私は、君達の目からしてみれば、恐らくはリザードンの形を取っているのだろう)
相手の言葉にリョウ達は顔を見合わせた。
「俺達の目からしてみれば、だと?」
(私に固定化した姿はない。だが、この世界に生を受けるに当たって、順当なものを配置されたというべきか)
リザードンもどきの発する言葉には何かしら諦観めいたものがある。まるで自分の事を客観視しているようだ。
「お前は、何者だ?」
敵か、という意味も含んだつもりだったが、リザードンもどきは答えた。
(私の名はアネ゛デパミ゛)
その声は何かの不純物を含んだかのように聞き取りづらかった。本来、濁点のつくはずのない言葉に無理やり音を当て嵌めたようだ。
「何だって? アネ……」
(アネ゛デパミ゛だ。もっとも、この名前さえ、私を象る一つの事柄でしかない)
リョウは身構える。
「ポケモンなのか?」
その問いにアネ゛デパミ゛は応じた。
(私にその問いを答える術はない。だが、トレーナーならば私の存在を知覚した事があるはずだ)
「お前を、知覚だと……」
ルイへと視線を流す。ルイは額を押さえていた。
「どうした、ルイ」
「何でもない。ちょっと気分が悪いだけ……」
ルイは青ざめた顔でアネ゛デパミ゛を眺める。リョウは睨む目を向けた。
「何しやがった!」
(何も)
アネ゛デパミ゛は落ち着いた様子で応じる。
(ただその娘、我々と、とても近い場所にいるようだ)
「近いだって? 何でお前とルイが」
そこに至ってリョウは気づく。今、この存在は何と言った?
「……我々、だと」
ぴちゃり、と水音が聞こえた。リョウは振り返る。ポケモンセンターの回復受付の陰に何かが隠れていた。ぬぅっと長い尻尾を揺らす。反射的にリョウはリーフィアに指示を飛ばす。
「リーフィア!」
額の葉っぱの刃を突き上げてリーフィアがその影を切り裂いた。今まさに物陰から飛び出そうとしていたそれはリーフィアによって寸断された。リョウはアネ゛デパミ゛を気にしながらそちらへと注意を向ける。受付の陰に回らなければ、それが完全に死んだのか分からなかった。
鼓動が早鐘を打つ。一体、自分は何を殺したのか。
そこにいたのは白い生物だった。全身が湿っており、水かきがついている事から水棲生物であると思われたが、後ろ足の丸みと長い尻尾からリョウはあるポケモンを推測した。
「これは、ミュウか……?」
あり得ない。こんな所にいるはずのないポケモンだった。図鑑ナンバー151。幻のポケモン、全ての技を覚えるポケモンの祖と呼ばれている存在である。それがどうしてポケモンセンターの回復受付の物陰に潜んでいたのか。しかし、そのミュウには奇妙な部分があった。青く澄んでいるはずの瞳が赤く濁っており、それも複眼のような形状をしているのである。
リョウは一目で、このミュウがアネ゛デパミ゛と同じ、ミュウもどきである事を確信した。
――しかし、何故?
リョウは考える。ポケモンもどきがどうして周囲に現れるようになったのか。そもそもこの現象は今のグレンタウンの現状に関係があるのか。
ミュウもどきは声を出さない。ゴブッと血を吐いたかと思うと動かなくなった。胴を寸断したのだから当然とはいえ、その死に様は奇妙だった。
(ミュウか)
アネ゛デパミ゛が声を発する。リョウは振り返り、「我々と、言ったな」と念を押した。アネ゛デパミ゛は頷く。
「こういうのが、まだいるってのか。それとも、これがお前らの攻撃か」
リョウの声にルイは額を押さえ、「まただ」と呟いた。「何がだ」と心配そうな声を出す。
「また、気配が拡散した。どうなっているの? まるで、ヨハネが複数いるみたいな」
今もまた増え続けているのだとルイは主張する。しかし、ヨハネは単独犯のはずだ。突然に手先が増える事などあり得ない。
(感じている気配ならば、我々だろう)
アネ゛デパミ゛の言葉にリョウは、「どういう意味だ」と問い返す。アネ゛デパミ゛は、(簡単な事だ)と肩を竦めた。
(今、この街のネットワーク隅々まで我々が占領している。昨夜、私がネットの海から引き上げられた際、それは実行された。ノアズアークプログラム。そのプレリュードと言ったところか)
リョウはミュウもどきの死骸を見やる。このミュウもどきがどういう経緯で生まれたのか。どうしてこの場所にいたのかをアネ゛デパミ゛に詰問しようとしたが無駄だろう。今は一つでも多くの情報を手に入れる事だった。
「お前は、ポケモンなのか、人間なのか?」
その質問にアネ゛デパミ゛は少しばかり逡巡の間を浮かべてから、(瑣末なものだ)と答えた。
「何だと……」
(瑣末だと、そう言ったのだ。ポケモンと人間の境界などどこにある? 境目を設けなければこの身体はどこまでもいける。能力に上限はない。私はこの身体に生を受けた事を、幸福だと感じているのだよ)
「幸福……」
ルイが熱に浮かされたように繰り返す。リョウは語気を強めた。
「嘗めた事を。大体、どっちつかずの存在が幸福なんて」
(いけないかね?)
他の言葉を許さぬ言い回しにリョウは閉口する。この感覚は、かつて感じた事があった。
どこだ、と記憶を手繰る。すると、ある一言が思い出された。
「……瑣末なものだ、か。かつて俺にそんな事を言った奴を一人だけ知っている。いけすかねぇ化けの皮剥がしてとっとと出てきたらどうだ? ――キシベ」
その名前にルイが目を見開いた。アネ゛デパミ゛は口角を吊り上げて嗤った。無理やりに人間の嘲りをポケモンに適応したようだった。