第六章 三節「静止した街の中で」
目的の中心街にはバスで向かう事も出来たが、チャンピオンとしての特権を使う事にした。呼び出したリムジンに二人は乗り込む。いつ乗っても慣れないものだった。それはカイヘンでかつて歩いて旅をしていた事に由来するのか、自分でも分からなかった。
「中心街に向かってくれ」
リョウの言葉に運転手は首肯して振動をほとんど立てずにリムジンは動き出した。ルイに尋ねる。
「ヨハネは、まだこのグレンタウンを」
「出ていない。それだけは確かだよ。マサラタウンに向かったとしたらすぐにでも分かる」
「マサラタウンか……」
いつだって自分の故郷を踏み締める時には苦味が先走る。空中要塞ヘキサ攻略時、マサラタウンで終わりを見届けた。あの時感じた胸の痛みはまだなくしてはいない。
ルイはそれを悟ったのか、「グレンタウンで決着をつける」と強い口調で言い切った。リョウも同じ気持ちだ。ヨハネとの決着は早期につけなければならない。
運転手がリムジンにつけたカーナビの音声が聞こえてくる。道なり真っ直ぐとナビしているようだ。
「しかし、気になるのはあいつの気配の拡散か。クラックの能力をあいつが手離すとは思えないがな」
リョウは刑務所で少しだけ話したヨハネの印象を思い出す。キシベに似ている口調だった。こちらの思考を先回りし、言い当てられたくない事ばかりを掘り下げられるような感覚だ。
「どうやって、ヨハネはクラックの能力を奪う手立てを手に入れられたんだろう」
ルイの発した疑問は確かに不思議ではあった。ヨハネは国際警察だ。もしかしたらロケット団時代のキシベと出会う事もあったのかもしれないが、それにしたってキシベが国際警察に最後の計画を託すとは思えなかった。
「何か、ヨハネの過去にはあるのか……」
「それも、博士が見つけ出してくれればいいんだけど」
恐らくは不可能だろう。国際警察クラスの人間の個人情報を易々と手に入れられるはずがない。
「どんな過去があろうが、あいつが今やっている事が許されるってわけじゃない」
キシベの遺志を継ぎ、ノアズアークプログラムを進めるのならば。絶望の方舟を止めると自身に刻み付けた自分は決して逃してはならない。
その時、カーナビの音声が変化した。カーステレオが漏れ聞こえ始めたのだ。リョウはチャンピオンつきの運転手がカーステレオを聞き始めるとは思えなかった。
「……何だ。この運転手、随分と太い野郎だな」
別に自分がチャンピオンだと主張するわけではないが、要人護送中にカーステレオとは随分と呑気なものだ。リョウがそう感じているとルイが眉をひそめた。
「リョウ。この運転手さん」
「ああ。まさか護送中にカーステレオとはな」
「違うよ。おかしいと思わない? そもそも現地の人なのに中心街に向かうだけでカーナビなんて使う必要は」
そこでリョウはハッと気づいた。運転手側とこちらを隔てているカーテンを開ける。運転手はリムジンを運転していなかった。ハンドルに手を添えているが、固まっている。リョウの側からの窓では完全には見えなかったが、昏倒しているように映った。
「何だ……。おい! 運転手! 何をしている?」
窓を叩いて気づかせようとするがリョウの声が聞こえている様子がない。フロントガラス越しにリョウの視界に交差点が映った。車が高速で行き交っている。そこに飛び込もうとしているのが分かった。リョウは青ざめて、「おいおい」と拳を叩きつける。
「聞こえてねぇのか! このままじゃ死ぬぞ!」
リムジンが交差点へと突っ込む。リョウは咄嗟にモンスターボールに手をかけた。
「マルマイン! この車と周囲の車を巻き込んで電磁波!」
弾き出された光は球形だった。モンスターボールのツートンカラーを引き継いだデザインだが、目がついておりニヒルな笑みを浮かべている。マルマインと呼ばれたポケモンは身体から電流を発した。その直前にリョウはもう一つのモンスターボールを繰り出す。
「オオスバメ! 天井を破って俺とルイを引き上げるんだ」
紺色の巨大な翼をはためかせ、オオスバメが躍り出る。リョウはルイの手を取ってオオスバメの名を呼んだ。オオスバメがリョウの肩を引っ掴んで一気に加速し、リムジンの天井を突き破る。それと同時にマルマインの電流が交差点の車を巻き込んだ。リョウは上空でそれを見下ろした。車同士がぶつかり、大惨事になっていたがマルマインの放った電流は車を制御する基盤にダメージを与えるようにコントロールさせた。お陰で、最小限の被害で済んだはずだ。ルイは目を白黒させてリョウを仰ぎ見ている。
「リ、リョウ? これって……」
「分からねぇ。だが、間違いない。これは攻撃だ」
自分達を狙ったものだろう。それが誰のものかはこれから先にはっきりする。リョウはクラクションの鳴り響く中、交差点に降り立った。ルイが周囲を見渡す。十数台を巻き込む事故に及んでいた。だが、奇跡的に重傷者はいないようだった。
何人かは事故のパニックで車から飛び出している。怒声を上げる人々へとリョウは目を配ってリムジンへと歩み寄る。ルイが近づこうとするのを、「ここにいろ」と押し止めた。
「あの車のカーナビに細工でもしてあったのかもしれない。どちらにせよ、何かの仕掛けが作動したと見るのが妥当だ。偶発的なものじゃないだろう」
直前に聞こえてきたカーステレオの事を思い返す。カーナビを操られていたのならば最初から、という線もある。
リョウは横っ腹から車が突っ込んできて車体を弾けさせているリムジンを窺う。運転手はエアバックに顔を突っ込んでいるが失神しているだろう。リョウはまず後頭部を掴んで顔を上げさせた。運転手は白目を剥いている。
「今の衝撃でのびちまったか。あるいは最初からか」
考えを巡らせながらリョウは運転手の傍にあるカーナビに視線を移した。カーナビはこの状況でも不釣合いなカーステレオを流している。カントリーミュージックが事故現場に木霊する。
リョウはカーナビを検分した。見たところ、通常のナビゲーションシステムを搭載したものだ。ポケッチやポケギアのシステムと同系統だと判断する。自分達がいた場所で電磁波を発生させているマルマインを見やった。マルマインはリョウの命令通り「でんじは」で周囲の車を絡め取っている。
「電磁波を使ったのは、何も二次災害を防ぐためだけじゃない。事故の瞬間を確認するためだ」
電磁波によって全ての電子機器は干渉を受けている。事故の瞬間、どのような状況にあったのかが克明に刻まれているはずだった。
カーナビを見やるがこれと言って怪しい部分はない。
「オオスバメ。抉って中身を見たい」
リョウの声にオオスバメは爪を突き立てて車から電子部品を抉り出す。同調状態にあるオオスバメはリョウの思考を読んで的確にその部分を摘出した。リョウは背面を確かめる。通常ならば背面か、あるいは不正な付属部品があるはずだ。しかし、見たところ後付けされたような部品はなかった。
「盗聴も、遠隔操作の形跡もなし。……じゃあ、どうやって俺達の居場所を」
顎に手を添えて考えているとルイが名を呼んだ。振り返り、「何だ?」と応じる。
「警察が来ちゃうよ。面倒事は」
「ああ。ヨハネを追う邪魔になる」
分かっているが、この不可解な事象を解明しなければ進めないような気がしていた。リョウはしかし、迫るパトランプと警笛に舌打ちを漏らすしかない。
「ずらかるぞ。戻れ、マルマイン。オオスバメ」
マルマインを戻し、オオスバメへと命じる。リョウの肩を掴み、オオスバメは舞い上がる。ルイはリザードンを繰り出していた。その背中に乗り、ルイも上空を共にする。
次第に離れていく事故現場に警察の車両が飛び込んできた。
「やけに対応が早いな」
何かあったのか、と勘繰りたくなる。しかし、今はこの場から去るほうが賢明だ。リョウはルイに質問した。
「ヨハネは?」
「まだ、グレンタウンの中にいるみたいだけど、でも変だよ」
「変ってのは、気配の分散か?」
ルイは頭を振り、「それもあるけれど」と含む言い方をした。
「さっき。事故の直前、流れ込んできた気配はヨハネのものであってそうじゃない感じがした」
淀みのある言い分にリョウは首を傾げる。
「ヨハネのものであって、そうじゃない?」
ルイにしては要領を得ない言葉だ。まるで困惑しているようにルイは声を震わせた。
「はっきりした事は、分からない。でも、ヨハネの気配が変異にしているように感じる。今までのヨハネ、つまりクラックの能力じゃないみたいな」
リョウは思案する。クラックの能力は話によれば同調状態のトレーナーとポケモン、または通常形態のトレーナーとポケモンに有効だ。命令系統を乱し、タイムラグを作る事が出来る。
だが、電子機器まで麻痺させられたという話は聞かない。
「別の能力か? あるいはヨハネの能力が進化したと見るべきか」
だとすれば脅威であるがヨハネはまだ能力を手に入れて一日経つか経たないかだ。いくら事前にクラックの能力のほどを知っていたとはいえ、掌握出来るとは思えない。
「進化はないと思う」
ルイは今度ばかりははっきりと口にする。
「したのなら、分かる」
「だとすりゃ、本当に分からない。ヨハネはクラックの能力で俺達を迎え撃とうとしているのか?」
ルイは目を伏せて、「そこまで使いこなされているとしたら……」と最悪の想定をした。勝ち目が薄い。あるいはないと感じたのだろう。しかし、リョウはその否定の言葉を吹き消すように言い放つ。
「ノア・キシベにだって定着するまでに時間がかかった。本来のノアズアークプログラムの執行者、ナンバーアヘッドでさえ、だ。それを横から掻っ攫ったヨハネのほうがうまく使える道理はない」
もっとも、この過程すら希望的観測に過ぎないのだが。ヨハネが自分達を出し抜いて何かを仕掛けている可能性は充分にあり得た。
「じゃあ、何なのだろう……」
純粋な当惑だろう。ルイは不安げに呟く。リョウは指針を示した。
「中心街に向かおう。どちらにせよ、博士に報告すべき事もある。ポケモンセンターのパソコンを使うのが手っ取り早いだろう」
リョウは中心街に向けてオオスバメを飛ばした。ルイも追随してきたが、視界に入ってきたのは奇妙な光景だった。
「何だ……。中心街はやけに人気がないな」
いつもならば活気に溢れているであろう中心街には不自然なほど人がまばらだった。リョウはポケモンセンターの前に降り立ち、オオスバメを戻してから通行人を呼び止めた。
「なぁ、何かあったのか?」
通行人はリョウの姿を認めると生気のない声で、「さぁね」と応じた。リョウは怪訝そうに眉をひそめる。チャンピオンである自分の姿を知っていないはずがない。
「俺が誰だか分かるか?」
通行人の肩を引っ掴んで揺さぶったが、「さぁね」と声を漏らすばかりだった。リョウは手を離し、その背中を見送った。まるで気力を抜き取られたかのようだった。
「リョウ。今の人は……」
リザードンが降りてきてルイがその背中から顔を出す。
「分からない。でも、変だ。俺の顔は、一応カントーの奴らなら知っているはずだ」
隻腕を気に留めるでもなく、通行人は去っていった。リョウは一抹の不安を感じながらポケモンセンターに入った。
そこで息を呑む。
ポケモンセンターは無人だった。ラウンジのモニターが砂嵐を映している。時折、ザザッと砂を食んだような音が聞こえてくるばかりだ。
「こりゃ……」
そこから先の言葉を飲み込む。異常事態だ。それも明らかな。しかし、リョウには信じられなかった。
「ポケモンセンターってのは一応、対テロリスト対策のために一級のセキュリティが施されているはずなんだが」
テロリストのポケモンをいざと言う時に炙り出すためでもある。ポケモンセンターには街それぞれに独立したシステムが存在し、街規模のネットワークを張り巡らせる心臓として機能しているはずなのだ。
「これも、ヨハネの仕業か?」
顎に手を添えて考え込んでいると、リョウはパソコンを見つけた。安易に博士へと助言を求めるのは危険な気がした。中枢を担う場所がほとんど機能していないとなれば、外部へと助けを乞うのは不可能だろう。
ルイは飛び込んできた景色に目を瞠っていた。
「人が、いない……」
「ルイ、感知野で気配を探ろう」
誰もいないのなら気兼ねする事はない。リョウはリーフィアを繰り出した。ルイは何も出さない。その必要がなかった。リョウの感知野の網にルイは相乗して走査線を張り巡らせる。リーフィアで極大化させた感知野をルイという存在がさらに細かく網目を作るイメージだった。
リョウは目を閉じる。感知野の網の中にいくつか人の気配はある。だが、どれも眠っているかのように静かだ。僅かな灯火だけが感じられる。
「こいつは……昼間にしてはちょっと奇妙だな」
「うん。まるで街全体が眠りについているみたい」
ルイは目を開いた。赤い瞳には戸惑いと、来る敵への恐れがあった。
「何かが、このグレンタウンを巻き込んだ。それだけは確かみたいだな」
リョウはリーフィアを出したまま感知野を巡らせ、ポケモンセンターの二階へと踏み出そうとする。その時、微かな気配を背後に感知した。
振り返ると同時にリョウは感知野でリーフィアに命じる。
「リーフィア!」
即座に走ったリーフィアの草の剣戟がそれを掠めたかに思われた。だが、何かはリーフィアの剣を掻い潜ってラウンジのほうへと逃げていく。
「敵だ」
リョウは勘付いてリーフィアを相手の進行方向を塞ぐように駆け抜けさせる。リーフィアの動きに相手は立ち止まった。追いついたリョウはその影に瞠目する。
「……何だ、こいつは」
リョウの視界に映ったのは、翼竜の面影を見せる黒い存在だった。だが目を凝らして見ようとするとノイズが走り、腹部の辺りが破けているように映る。翼も未発達で、その姿は一見するとあるポケモンに見えた。それは――。
「リザードン?」
ルイがそれの姿を認めて声を出す。その存在はリザードンに瓜二つだった。正しく言うのならば黒いリザードンだ。だが、赤褐色に染まった羽根の皮膜と、濁った青の瞳はリザードンとは呼びづらい。さらに言うのならば、リザードンだとするのにはあまりにもそれは小さかった。リョウの背丈の半分、ルイと同じくらいの大きさしかない。ミニチュア化されたリザードンにしては、相手は生物的だった。