ポケットモンスターHEXA NOAH - 使徒の呼び声
第六章 二節「なくしたもの、手にしたもの」

 グレンタウンは人工島の趣が強い。

 少し前までならば考えられなかった事だ、とリョウは日を照り返す海上を眺めて思索にふける。まるでカイヘンのコウエツシティのような人工島として再開発されたグレンタウンには、当初、本土へのエネルギー供給以外の目的は与えられていなかった。活火山の影響で全てが焼け野原と溶岩流の中に沈んだグレンタウン復興までの道のりはポケッチにタウンマップを呼び出してガイド機能をつければ勝手に説明してくれる。

 しかし、そんな事をせずともふたご島刑務所からグレンタウン行きの客船内で説明がなされた。多言語でグレンタウンとはどういう街かという事が延々と語られる。

『そもそもグレンタウンは十五年程前には活火山として有名でした。火山島であるグレンタウンは突然の噴火によって街全体の機能が停止。ジムリーダーのカツラは一時期ふたご島にジムを構えましたが、生態系を崩す恐れがあるという指摘を受け、十三年前にはグレンタウン市長に就任。その活発な働きでグレンタウン復興の資金を集め、グレンタウンを誇れる街≠ニして再生する計画を発足させました。グレンタウンは化石研究所を始め、あらゆる分野のエキスパートを集め、実験都市として発言力を強めていきました。その中でも最も着目されたのはエネルギー源です』

 客船内の端末に表示されたのはグレンタウン中心にあるエネルギー塔だ。黒い樹木のような巨大な威容が天を貫いている。雲に達するほどの全長を誇るそれが火山エネルギーを吸い出しているらしい。

『活火山によるエネルギーは膨大であり、そこから得られる熱エネルギー及び、循環型の資材はカントーに百年近い繁栄を約束しました。これからさらにその分野の開発と研究を進めるために、グレンタウンは人、物を投資する場所として最適とされました。かねてより問題だった他地方からの移民も受け入れる措置としてグレンタウン開発計画がカントー政府によって正式に許諾され、今やグレンタウンは来年にはグレンシティとして町村合併を行われる予定です』

 客船の窓にルイは張り付いて眺めている。リョウは、「初めてってわけじゃねぇだろ」と呟いた。ルイは振り返って、「でも、面白いよ、リョウ」と言う。

「すごいよね。ちょっと前までとまた変わってる。まるで迷路みたい」

 ルイの比喩は当たらずとも遠からずだ。海上都市として再開発されたグレンタウンには海底ケーブルが敷かれ、本土への安定したエネルギー供給を行う重要拠点である。そういった場所には必然的に金が集まる。

 当初は犯罪組織の温床になる事が懸念されたが、ジムリーダー兼市長のカツラが治安の維持を第一に掲げた。市民の安全、それこそがこれからの未来には必要だと考えられたのだ。その計画は見事に当たり、グレンタウンは輸出入の制限を受けない恩恵に与れるばかりか、カントーでは一二を争う治安維持体勢を誇っている。犯罪率は一割を切っており、本土よりも安全だとこちらに移住してくる市民も多い。当然、人が増えれば街は変わる。十五年前には田舎町だったグレンタウンが来年には市町村合併というのもさもありなん、だとリョウは感じていた。

「田舎だったのも変わるもんだな。グレンタウンっていや、七つ目のバッジのところだって俺が小さい頃には言われていたが、それだけに留まらないな。他地方にあるバトルフロンティアやバトルタワーに代わるものも出来るんだと。まぁ、あの塔だけでも充分に見応えがあるが」

 塔はグレンタワーと呼ばれ、赤く塗られる計画が立っている。グレンタウンのシンボルとして相応しい姿へと生まれ変わろうとしている。

「ジムリーダーもカツラさんが息子さんに明け渡す予定なんでしょ? えっと、名前は何だっけ?」

 ルイが小首を傾げる。リョウは何度かテレビのバラエティ番組で「開発王カツラの息子」として祀り上げられていたのを思い出したが名前までは出てこなかった。

「何だったかな」

 リョウの呟きに、「駄目だよ、リョウ」とルイは指摘する。

「チャンピオンなんだから、ジムリーダーの人達と会う予定もあるでしょう?」

 リョウは舌打ちを漏らす。チャンピオンの責務はこれだから面倒なのだ。特権を理由にチャンピオンにはなってみたものの、未だにその肩書きが馴染んだためしがない。

「俺の目的とは全然、違ったしな」

 ――カイヘンのチャンピオンになったあいつはこんな面倒を背負い込んでいたのか。

 カイヘンはリヴァイヴ団とウィルの統治で荒れたと言う。自分達が既にカントーに旅立ってからの出来事だったので干渉しようがなかったが、そんな激動の時代をどうやって纏め上げたのだろう。一説には今でもカントーと対等に接しようとする一部の派閥の勢いがあったというが、その派閥とて組織に属さねば生きてはいけないはずだ。

 リョウは自分がいなかったばかりに余計な重荷まで背負わせてしまったのではないかと考えたが、空中要塞ヘキサでキシベと接した時、彼女は確かに彼岸に辿り着いたと思われたのだ。自分達が決して近づけぬ高みへと。だから、もう自分の知る彼女はいないのだと勝手に思い込んでいた。

 だが、チャンピオンになりカイヘンの統治体制に対してブレイブヘキサとの会談が設けられた際、一度会ったがそのような事はなかった。彼女は自分の知る幼馴染のままだった。

 そう考えると壁を設けたのは自分のほうで、勝手に辿り着けないと思い込んでいたのかもしれない。リョウが考えを巡らせていると、「そろそろ着くみたい」とルイが口にする。船内アナウンスが鳴り響き、五分後にはグレンタウンに停泊する事を告げた。

「ねぇ、リョウってば。本当に大丈夫なの?」

「何がだよ」

「ボク達はヨハネを追う事に決めたのは、そりゃキシベの事もあるからだよ」

 因縁の名前にリョウはぴくりと眉を跳ねさせる。キシベ。その名前が全てを歪ませ、ここまで来る要因を作った。しかし、それと同時にルイと出会う事もまたキシベがいなければあり得なかっただろう。感謝はしないが、キシベが作り出した縁もまた大きい。それがたとえ宿縁と呼ばれるものだったとしても。

「ヨハネか」

 リョウはクラックの能力を思い出す。同調が強力であればあるほどに、あの能力の前では無意味となる。自分とルイが二人がかりで立ち向かって棒立ちになった事は忘れようがない。

「ヨハネの経歴を博士に洗ってもらっているが、そっちが早くなるか、それとも俺らがヨハネを追い詰めるほうが早いか……」

 ヨハネが国際警察であり、ノアズアークプログラムを先導している事は明らかだったが、国際警察に詰め寄ったところでヨハネを追い込むのに時間がかかるだけだ。ならば、とふたご島刑務所を出た際、リョウはヒグチ博士に情報収集を求めていた。

「博士も必死にやってくれている。今はボク達で出来る事をしないと」

 ルイの言葉にリョウはふとこの十年近くの重みを感じた。チャンピオン就任はつい先日の出来事だが、ルイとカントーを回り世界を知ったのはもう十年近く経っているのだ。ルイはヒトカゲのまま進化させないと言っていたのに、自分のために進化させた。リョウは知らぬ間にルイに自分が背負うべきものまで背負わせているのではないかと考えていた。

 負担は自分だけでいい。それをルイにまで背負わせて、感じさせてしまうのは自分の弱さに他ならない。

 そもそもカントーに渡った目的でさえ、誰にも弱さを感じさせないためだった。リョウはカイヘンで送り出してくれたユウコの事を思い返す。もう、随分と会っていない。パソコン越しには何度か顔を合わせたものの、帰ると言っては先延ばしにしてきた。

 その上チャンピオンの席に収まれば、カイヘンに公務以外で渡る事は少なくなった。どうしているのだろう、とリョウは時折思う。もし、自分がカントーに渡る心を決めなければ、ユウコは何と言っただろう。意気地なしと責め立てられたかもしれない。しかし、もう一つの未来としてリョウはユウコとの日々を考えないでもなかった。キシベの放った呪縛からはかけ離れた平穏な日々――。

 だが、その日々に自分が浸れたのかと言えば否と答えるだろう。きっとヘキサの事もキシベの事も、ルイの事も忘れて生きる事なんて出来なかったに違いない。それこそ中途半端に生を持て余すだけだったはずだ。ならば、リョウは自分を火に追いやっている事のほうがマシだと考えた。たとえ血塗られた道であっても、ルイと一緒ならば生きていける。生きるに値すると思わせてくれた女性だからだ。

「リョウ?」

 そんな考えを他所にルイは怪訝そうに自分の顔を覗き込んでくる。「何でもねぇ」とぶっきらぼうに答えて、リョウは荷物を取ろうと左手を伸ばした。その時に、失くした右腕を自覚する。

 そうだ。右腕はあの時覚悟と共に消し去った。ルイと共に生きると決めたからこそ存在する傷痕なのだ。ならば、自分はその傷痕を無視して生きられるわけがない。自分の決断を信じられるのは他ならぬ自分自身なのだ。

『間もなく、グレンタウンに停泊いたします』

 アナウンスの声にリョウは手荷物を担いだ。

 グレンタウン港側には他地方からの人間も多い。違う言語で話している人々を見ると随分とカントーも気安い場所になったな、と感じるかもしれないがその逆である事を王である自分は知っている。思想犯の弾圧。あらゆる自由が縛られ、その犠牲の上に自分達の安寧はある。カントーはブレイブヘキサにそうでなくとも睨みを利かされている。もっとも、これはウィルでの間接統治による弊害であったと言うほかない。睨んでいたのだから睨み返されても文句は言えないのである。

「中心街に向かうか」

 ルイに声をかけると、「また人がいっぱい」と周囲を見渡していた。十年前にカイヘンの港で似たような事を言っていたなと思い出す。だが、あの時とは既にルイも自分も変わっていた。変わらざるを得なかった。

「ヨハネを見つけるぞ」

 その言葉にルイが身を強張らせたのを感じた。分かっている。自分の存在がもしかしたらルイから自由を奪っているのかもしれないという事を。カントーが思想犯にしている事と何が違う。だが、今はそれ以外を考えてはいけないと感じていた。

 今は。今だけの犠牲でいいのならば。

「ヨハネの気配は、ここに降りてからずっとある」

 ルイの言葉に、「本当か?」とリョウは顔を振り向けた。だがルイは目を伏せて表情を翳らせる。

「でも、何だか違うような感じ。刑務所で、ボク達はノアの、クラックの能力を探知してきた。今も同じ。ヨハネが奪ったクラックの能力を探知して、ボク達はグレンタウンまで来た」

「そりゃ……」

 そうだろう。それ以外にヨハネの居場所を特定する術はない。現にそれでノア覚醒を食い止める動きが出来たのだから。

「ノアに感じていたものと同じクラックの能力を頼りに進むしかない。でも、今の感じは少し変だよ」

「変って、何がだ?」

「感覚的には難しいんだけど」とルイは前置きしてから自信なさげに口にした。

「まるで、ヨハネが分裂したみたいに感じられる」

「分裂?」

 その言葉の意味するところが分からずにリョウは聞き返す。リョウも感知野で探ろうと思えば出来ないわけではない。しかし、ルイのように自分と同じ存在を感じるのとはまた違うのだろう。それにポケモンも出さねば感知野の網は張れない。常に臨戦態勢でいるチャンピオンなど目にされれば余計な心配の種を生む事になる。カントーの民には出来れば負担をかけたくなかった。

 そうでなくとも《隻腕の赫》の異名は目立つ。

「うん。ボクにもうまい言い方は見つからないけれど、ヨハネの力が拡散した、とも取れるのかな。一箇所に集中しているようじゃない」

「だとしたら、強敵になったと見るべきか?」

 リョウの言葉にルイは頭を振った。

「分からない。ただ、今までのようにクラックだけを気にして戦うってのは無理な気がする」

「それ以上の戦いを要求されるってわけか」

 リョウは口にしながら虚勢の笑みを浮かべた。

「いいぜ。そのほうが、戦い甲斐がある」

 チャンピオンの力は伊達ではない事を証明してみせる。決して、偶然や酔狂で玉座についたわけではないのだ。

「とりあえず中心街に向かおう。ヨハネの気配も、その辺りからしてくるし」

 ルイの言葉に、「だな」とリョウは歩き出した。

 踏み出さねば始まらない。それだけは確かだった。



オンドゥル大使 ( 2014/10/13(月) 21:35 )