第五章 六節「焦燥」
「おい、カードが不足してんぞ」
看守の声にハッと顔を上げると、ポーカーに熱中していた看守が苛立たしげに舌打ちを漏らす。
「どこだ? さっき撒いたろ」
看守達は監視カメラに一瞥もくれていない。だからこそ、ロキは動きやすかった。監視カメラを先ほどから必死に眺めているのはロキ一人だ。
もちろん、普段の姿ではない。看守に化けていた。ロキの領域に迷い込んできた看守と入れ替わっているのだ。看守が、「おい、お前も探せ」と声を振り向ける。ロキは青年の声で、「自分は見張りがありますから」とやんわりと断る。看守が鼻を鳴らした。
「お前、ちょっと変わったな」
その言葉に覚えずどきりとする。
「えっ、何がでしょうか」
「前までは見張りなんて二の次だったくせに。俺達と賭けをするのがそんなに嫌いになったのか」
「まぁまぁ。こいつ負け越しだったもんだから怖気づいているんですよ」
他の看守がフォローしてくれたお陰でロキは追及を逃れた。自分が化けている看守は女遊びと賭けが大好きで、そのくせ下手の横好きであった青年看守である。当然、そのように振る舞う努力はしてきた。しかし、今はノア達を援護するために監視カメラから目を離すわけにはいかない。
ロキは、「賭けないならいいですよ」と応じた。
「賭けないポーカーなんて中身のない果実と一緒だな」
「ですね」
看守達は必死にカードを探している。ロキは視線をノアの独房へと向けた。ノアは壁にもたれかかって動こうとしない。余計な体力消費を抑えているのか。ノアの様子を眺めていると、「楽しいもんかねぇ」と看守が声を発した。
「囚人のお守なんて」
「観ているだけですからね。楽しいもクソもないんでしょう」
瞬く間に談笑に入る。ロキはこのような人々が鉄壁のアルカトラズと呼ばれているふたご島刑務所を任されているのが不思議だった。しかし、看守に化けているうちに、その理由はおぼろげながら感じる事が出来た。
彼らとて馬鹿ではない。対ポケモン用装備や相手のポケモンを封じる術に長けている。中でも別格の存在として立ち塞がるのが主任看守だ。ロキはまだ数回しか目にした事がないが、彼女は次元が違う。一目でそうだと分かった。
「そういや、主任看守最近見ないな」
自分の考えていた事と重なったのでロキは内心びくつくが看守達は、「あの人は仕事の鬼でしょう」と笑い話に変えた。
「どうせ今も仕事ですよ」
「国際警察の警部殿とつるんでいたか? ひょっとして、警部殿のこれか?」
看守が小指を立てる。すると他の看守達が、「いやー、ないない」と朗らかに笑う。
「警部殿は潔癖症ですからね。そういう色恋沙汰は無縁でしょう」
「どうかな。ああいう無骨な男に限ってすぐに走るんだよ、そういう方面に。俺の経験則だがな」
中年看守の言に、「似合わねー」と若い看守がわいわいと騒ぐ。ロキは監視カメラに視線を固定していたが、やがてそのカメラに見た事のない人影が映ったのを見つけた。
「あの、彼らは……」
ロキはもう一度目を擦る。間違いない。あの人と青年、それと少女が話している。囚人用のテラスで堂々と、だ。
看守は顔を振り向けて、「ああ、警部殿がエスコートしていらっしゃるのさ」と応じた。
「お上からの視察。まぁ、刑務所の環境に不備がないかのチェックだろう。それにしちゃ、チャンピオン直々ってのは物々しい気がするがな」
「チャンピオン……?」とロキは聞き返す。その知識はこの姿にはない。
「何だ、知らないのか。カントー地方チャンピオン、リョウ様だ。別名《隻腕の赫》。もっとも、本人はこの名前を気に入っていないらしいけどな」
「隻腕の赫……」
ロキは口中に繰り返していた。チャンピオンという事は実力者なのだろうか。そんな人間が何故、あの人と共にいる?
ロキは最悪の想定を考えた。
――まさか、あの人とグルか?
だとすれば今すぐにでも計画を実行に移さねばならない。しかし、チャンピオンと言われた青年はあの人と仏頂面で話すばかりで立ち上がろうともしない。ロキは違和感を覚えた。
「あの、視察なんですよね? 何で話してばっかりなんでしょう?」
「お前、色々と気にし過ぎ。警部殿だって積もる話くらいはあるだろう」
看守が苦々しい顔を作った。しかし、ロキはあり得ないと断じる。あの人は無駄話をするような性質ではない。それは今までの手から充分に窺い知る事が出来る。
覚えずノアがいる独房へと視線を移した。その時、映り込んだ影があった。
オレンジ色の髪をした女性だ。ジャケットを羽織っているところを見ると女囚のようだが、今まで見てきた囚人に該当する人物はいなかった。
「誰だ?」
ロキがカメラをズームさせようとすると、彼女はカメラへと視線を向けた。その眼差しとカメラが一瞬だけ交錯した時、彼女の手から光が弾き出された。それが何なのか理解する前にカメラは闇に包まれた。
「今の……」
ロキは他の近辺のカメラへと移すがどれもエラーの表示を瞬かせていた。
ブロックノイズにエラーの赤色が上塗りされ、ロキは嫌な汗が背筋を伝うのを感じた。この際、看守でもいい。この異常に気づかせようと振り返ったが、彼らはカードを手に取り賭けポーカーを始めようとしていた。
この事態を収拾出来るのは自分しかいない。ロキは咄嗟にそう判断した。席を立つ。「トイレか?」と声がかかった。
「ちょっと」とロキは看守の詰所を抜け出した。あの人が独自に動き、さらに顔の知らない第三者がノアの下へと急いでいる。ロキは今すぐに脱獄警報を使うべきか。
いや、とロキは思案する。事を荒立てれば動き難くなるのは明白だ。ロキが歩みを進めたのはもう一つの監視室だった。そちらのカメラが生きていればノアが今、どのような状況に置かれているのかがはっきりするはずだ。
「……間に合って。お姉ちゃん」
ロキは覚えず元の声で呟いていた。