ポケットモンスターHEXA NOAH - 方舟の導き手
第五章 三節「謀略人魚」

「ノア・キシベが独房に入った」

 ヨハネはその報告を受けて真っ先に自室に篭った。話しかけながら、「どうするべきか」と思案を巡らせる。

「君はどう思う? ノア・キシベに仕掛けるのには今が好機だと感じるのだが」

 ヨハネの声に何も返答はない。下唇を指先で撫でながらヨハネは考えを巡らせる。

「ノア・キシベは関わり合いを絶った、と判断すべきか。独房に入ったからには連絡手段は限られているだろう。無論、今までのように隠密に仲間を集めている可能性はある。だが、私は、やはり仕掛けるべき時だと感じる」

 ヨハネは立ち上がり、自室の扉に手をかけた。ヨハネが向かったのは面会室だ。今日、面会する相手は確か凶悪犯だった。ロケット団関係者などの組織だった存在ではない。個人の殺人犯だ。ヨハネは動かしやすい駒だと感じる。思想のない相手はすぐにヨハネの巧言に惑わされる。モンスターボールを懐から取り出した。ヨハネは呟く。

「たった一人ならば、このポケモンで充分だろう。だが」

 もしノア・キシベが何らかの策を講じていれば。あり得ない話ではない。独房に入るまで三日間あった。その間に何か行っていた可能性はある。

「私も動くべきなのかもしれないな。そろそろ方舟は完成の頃合を見ているだろう」

 ヨハネが口元を歪めると、「警部殿」と看守の声がかかった。ヨハネはすぐに無表情になり、「何か」と尋ねる。

「本日、ヒトサンマルマルより政府高官の視察が入ります」

 そう言えば予めそのような予定が入っていたような気がした。ヨハネは携行型の端末を取り出し確認する。

「政府高官ですか。この刑務所に何の用でしょう」

「分かりませんが以前から入っていた予定なのでお忘れなく」

「ええ」とヨハネは応じる。面倒な予定が入っていたものだ。自分は政府からの役人をエスコートしなければならない。国際警察というのも時には足枷となる。

「とりあえず、私は面会予定があるのでこれで」

 看守にそう告げてヨハネは面会室に向かう。ガラスに隔てられた向こう側にいるのは女囚だった。オレンジ色の髪の毛をしており、透き通るような紺碧の瞳である。ヨハネは確認の声を出した。

「カスミさん、だったかな」

 その言葉にカスミと呼ばれた女性が顔を上げた。ヨハネはこの女性の経歴を知っている。

 元ハナダジムのジムリーダー、カスミ。水タイプの使い手だ。どうしてジムリーダーが凶悪犯としてふたご島刑務所に服役する事になったのか。ヨハネはそこから紐解いていく事にした。

「かつてあなたはロケット団排斥に協力した。正義のジムリーダーとして」

 ヨハネの言葉にカスミは心ここにあらずといった様子で頷く。ヨハネはカスミの心の隙間を熟知していた。

 カスミはロケット団に対抗するジムリーダーの面々としてロケット団最盛期に反抗の凱歌を奏でた人間の一人である。その時勢では英雄ともてはやされたが、彼女の行き過ぎた正義感は何人かのロケット団員の命を奪った。その時には罰せられなかったが、後に殺人罪が適応された。だが、元ジムリーダー、加えて民衆の味方だった事もあり裁判は長引いて十年以上判決が下されなかった。

 結局、彼女は三年の懲役刑が下されたのだが、未だに抗議団体からの圧力は強い。もしかしたら彼女ほどの財力ならば金で揉み消すのではないかと思われていたがカスミは判決を受け容れた。ヨハネは尋ねる。

「どうして、あなたは保釈金でも払って裁判を免れようとは思わなかったのか。金でいくらでも解決出来るはずだ」

 その疑問にカスミが答える。

「そんな事をしたって罪は消えるわけじゃない。私は自分で自分の罪に向き合いたいだけなの」

 カスミは真っ直ぐな眼差しでそう告げた。ヨハネは考えを改める。思想的な偏りはない代わりにとても動かしづらい駒だ。自分の正義に則っている点で言えば自分が悪だと感じた事に関しては人一倍敏感であろう。

 ヨハネは慎重に言葉を選んだ。

「この刑務所内に、悪を蔓延させようとしている人間がいる。あなたにはそれを止めていただきたい」

「そんなの、誰だってそうよ。悪の種なんてどこにでもある」

 吐き捨てたかのような口調にはどこか憔悴が滲んでいるようだった。長い裁判は彼女の神経を磨耗させたらしい。ヨハネはそこにこそ、つけ入る隙はあると考えた。

「随分と長い裁判だったようだ。あなたは、その間中何を考えていた?」

「何も。ただジムの運営がうまく行っているかどうかだけ」

 現在は彼女の妹がジムを運営しているという。ヨハネは、「本当に、それだけかな」と声を発した。カスミが視線を向ける。睨むように鋭い。

「どういう意味?」

「あなたは、やはりジムを運営したかったのではないか。そのためにさっさと罪を認めたかった。しかし、世論が罪人となるのを必死に防ごうとした。そのお陰でジムリーダーとしての腕は廃れ、今やあなたはただのトレーナーにすら劣る」

「そんな事はないわ」

 カスミが立ち上がろうとした。ヨハネは、「座りたまえ」と促す。勢いづこうとしたカスミは嘆息を漏らしながら、「そんな事はない」と繰り返した。どうやらここが沸点のようだ。ヨハネは確信し、カスミへと声をかけた。

「存じている。今でもあなたの強さは健在だ。それは二番目のジムトレーナーとするには過小評価だという事も。あなたの強さは何よりも正義の強さだ。それを成そうとする心にこそ、あなたの強さは宿っている」

 カスミはヨハネの言葉を聞きながら黙っていた。だが、内心ではまんざらでもないはずだ、と手応えを感じる。

「どうだろう。この刑務所に蔓延る悪の種を、摘んでもらえないだろうか。あなたにはその資格がある」

「国際警察がそんな事を言っていいの? あなたは罪人を自分の裁量で裁けと言っている」

「私はそこまで傲慢ではないよ」

 ヨハネは手を組み合わせてカスミへと囁いた。

「ただ、私個人では止めるには心許ないだけだ。あなたに人殺しを依頼しているわけではない。その辺は理解してもらえるかな」

「殺すのではなければ何なの」

「無力化だ。私が指定する人間の無力化を行ってもらいたい」

「それは殺すのとどう違うわけ?」

「大きく違うさ。あなたは罪に問われない。何故ならば、ただ無力化するだけだから」

 この言葉がカスミの中でどう作用するのか分からなかったが、殺す必要はないと言われれば少しばかり荷が軽くなる気がするだろう。カスミは強張らせていた表情を少しだけ緩めた。

「無力化、ってところが引っかかるわね。事を穏便に済ませようっていうタイプには見えないし」

「私は誰も殺したいなどと思っていない」

 本心だった。人間は死ぬべきだとは思わない。ただし、それは必要な人間は、だ。

「どうかしらね。国際警察官が囚人にそういう事を依頼している時点で、歪みはあると思うけど」

「私はあなたの事を囚人だとは思っていない。正義のジムリーダー、水タイプ使いのカスミ。私の目の前にいるのはそれだけだ」

 ヨハネの臆面もない言葉にカスミは自嘲する。

「よくもまぁ、いけしゃあしゃあと」

「私は本心と事実だけを言っている」

 ヨハネの言葉に嘘はない。ただ一つだけ、それを平和のために使えと婉曲的に言っている以外は、である。

「あなたの望む事は何? その誰かさんを無力化して、何を得られるの?」

「世界の平和だ」

 ヨハネははっきりと口にした。カスミが目を瞠って驚く。

「そんな大それた事が」

「起きているのだよ、このふたご島刑務所では」

 カスミはにわかには信じられないという眼を向ける。ヨハネは、「信じられないのも無理はない」と続けた。

「だが、私は事実だけを言っている。世界平和のために、無力化されなければならない少女がいる」

 カスミは沈黙していたがやがて口を開いた。

「その子の名前は?」

「ノア・キシベ」

 カスミはその名前に戦慄した。

「キシベ、って、あの?」

「聞き覚えがあるだろう」

「稀代のテロリスト。カイヘンからの侵略者……」

 悪名をカスミは口走る。ヨハネは訂正を促したかったが、今はその認識で構わない。

「その娘が、この刑務所に重思想犯として捕らえられている」

 暫時、息を呑んでいたカスミだったが、そこはロケット団に対抗したジムリーダーの一人だからか、「なるほどね」と飲み込みは早かった。

「無力化されなければならない意味は、何となく察したわ。そんなものがもし、革命の旗でも立ち上げたら、ってね」

 ヨハネの考えている事とは異なったが、「その通りだ」と頷いた。

「でも、刑務所に入った時点でそれは無力化されているのと同じじゃないの?」

「そう事は簡単ではない。ノア・キシベは仲間を集めている」

 驚愕の事実にカスミは、「まさか」と口にした。

「証拠はある。ノア・キシベに協力する何者かが存在する事は確実だ」

「ノア・キシベは何のつもりで」

「分からない。政府転覆でも狙っているのかもしれない」

 ヨハネは重々しく声を発した。カスミは示された事態の大きさに戸惑っているようだ。しかし、答えが決まっている事をほとんどヨハネは予知していた。

「……分かったわ。無力化、すればいいのよね?」

「引き受けてくれるか」

 カスミは頷く。その双眸には強い意志の光があった。

「そんな奴を放ってはおけない。絶対に止めなければならない邪悪よ」

 ヨハネは内心ほくそ笑んだ。正義感の強いカスミならば必ずノア・キシベを止める方向に走るだろうという事は明らかだった。

「ここに」

 ヨハネはモンスターボールを差し出した。刑務所が指定したモンスターボールではない。黒地に「H」の刻印がなされたモンスターボールだった。世間一般ではハイパーボールと呼ばれている上級者向けのボールだ。

「あなたのパートナーが眠っている。何年も引き離されていた相棒だが、あなたにしか使いこなせないだろう」

 カスミは手渡されたボールから伝わるぬくもりに瞠目した。

「この子って……!」

「あなたのために私が用意した。燻っていい人材ではない。ハナダジムリーダー、水タイプ使いのカスミならば、そうだろう?」

 ヨハネの言葉にカスミはハイパーボールを手にして、「約束するわ」と応じる。

「ノア・キシベの無力化。それが世界の均衡のためならば」

「頼りになる言葉だ」

 カスミはポケモンを手に出て行った。残されたヨハネは静かに口角を吊り上げた。



オンドゥル大使 ( 2014/09/13(土) 21:50 )