第四章 八節「終わらせるもの」
机から光が放たれている取調室は存外に広い。ノアは常闇に意識を向けようとしたが手錠が嫌でも今の状況を認識させる。
「それで、囚人番号666、お前はイシス・イシュタルに会ったのだな?」
「何度も言うけれど、会っていないわ」
ノアの言葉に、「嘘をつけ!」と怒声が返ってくる。
「証拠は挙がっているんだ! 監視カメラに貴様が映っている!」
「だとしたら、その証拠が偽物よ」
そう言うほかない。自分は昨晩、イシスとは一度しか会っていない。監房には行っていない。何度証言してもそれが信じられる事はなかった。
「しかし、こうもはっきり映っているんだ。いい加減自供したらどうだ?」
再生映像が端末上に映し出される。そこには確かに自分がイシスの監房を訪れている映像があった。しかし、全く身に覚えがない。
「何とか言ったらどうなんだ!」
机が叩かれ映像が揺れる。ノアは二人の看守を見やった。〈キキ)でこの状況を打破する事は可能だろうか、と考える。しかし、この取調室から出たとしても、看守達はノアを追ってくるだろう。イシスを殺傷しようとした容疑者として。
だとすれば逃げようなどという考えは浮かべないほうがいい。だが、全く身に覚えのない事で拘留されているこの時間がもどかしい。
すぐにでもイシスの下へと向かって、事の真偽を確かめねばならない。一体、誰が彼女を襲ったのか。襲撃者の正体は何なのか。もしかしたら、ノアはあの人が刺客を送り込んできたのかもしれないと考えていた。その刺客が牙を剥いた。だとすれば、その人物は――。
そこまで考えた時、唐突に扉が開いた。そこに立っていたのは看守だった。まだ歳若く、取調室の中を見渡すと、「充分な広さだな」と呟いた。
「何を言っている? 貴様、持ち場に戻らんか!」
怒声を上げる役目の看守が青筋を額に浮かび上がらせながら看守を注意したが、青年看守には聞こえていないようだった。
「俺の目的はノア・キシベの無力化。ある意味ではこの状況でもそれが果たされていると言える。でも、それだけじゃ気が済まない」
何を言っているのだ、と看守二人が訝ったがノアだけは違った。
「まさか、あの人の刺客……」
またしても看守か、とノアが身構えたその時、青年看守は、「ああ」と首をこきりと鳴らす。
「この姿じゃ分からないか。ノアお姉ちゃん」
男の声で自分の名が呼ばれノアは呆気に取られた。自分の怒り声を無視されたと思い込んだのか看守が青年看守の襟首を掴み上げる。
「貴様、上司の命令が聞けんと言うのか!」
「……喧しい大人。これだから大人の社会に潜り込むのは好きじゃない」
その声が発せられた直後、青年看守が相手の手を逆手に握り直し、その場に一瞬にして組み伏せた。明らかに大人の力で、滑らかに行われた反撃に取調べをしていた看守とノアは唖然とした。
「何を……」
「この姿になっている時には、その能力と記憶に依存する。単純模倣でこいつの姿を借りているから、この程度は朝飯前だな」
取調べをしていた看守が立ち上がり、「何やっているんだ」と声を出した。青年看守は組み伏せた看守の意識を落とすと、立ち上がって拳を捻り込んだ。看守の頬に食い込み、机に背中をぶつけて倒れる。ノアが声をなくしていると、青年看守は、「邪魔がいなくなった」とこきりと肩を鳴らす。
「何……。あんたは、何だ」
ノアがようやく声を出す。青年看守は、「やっぱり分からないか」と少しだけ肩を落とした。
「ノアお姉ちゃんでも」
「まさか、ロキちゃん……」
そんなはずはない。目の前の青年看守は明らかに大人だ。背丈も格好も違う。それに力だって二人の看守を黙らせるだけの力がロキにあるはずがない。
しかし、青年看守は口元を歪ませて、「正解」と首肯した。
「ロキの物真似、とても上手いでしょう?」
「物真似、ですって……」
そのような領域ではない。これは完全な模倣。否、模倣を超えた実体化だ。現に力も声もロキのそれではない。
「ママから授かったのよ。この能力」
その言葉と共に青年看守の皮膚がべろんと捲れた。まるでバナナの皮を剥ぐように、青年看守の姿は霧散し、残ったのはオーバーオール姿のロキだった。ノアが息を呑んでいると、「びっくりした?」とロキはおどけた。
「こういうのうりょくってあるのよ。親から子へといでんする」
声は幼いロキのものに戻っている。一瞬の変身に目を奪われていた。
「まさか、あんたが……」
「その通り。あの人の刺客。イミテの娘、ロキ。ノアお姉ちゃん。あなたのせいでママは死なねばならなかった。そのつぐないをしてもらうわ」
ロキの宣言にノアは頭がついていかなかった。イミテは自分のせいで死なねばならなかったと言ったのか?
「何で……。だってあたしは、何もしていない」
「罪なのはお姉ちゃんの行動じゃない。お姉ちゃんが今、生きている事そのものよ。ほんとうに、お姉ちゃんはわるいひとなのね」
ノアは理解するよりも先に対抗しなければならないという意思が勝った。相手は刺客を名乗っている。ならば、ここで戦わねば意味がない。
ホルスターのモンスターボールを親指で引っかけて留め具から外し、足で緊急射出ボタンを踏みつけた。
「行け、〈キキ〉!」
ノアの言葉に弾かれたように光が舞い上がり、手錠の鎖を引き千切って空を羽ばたいた。濡れた黒色の翼と灯火のように揺れる赤い瞳がロキを睨む。
ロキはフッと口元に笑みを浮かべた。
「ヤミカラスの〈キキ〉。その実力、聞きおよんでいるわ。でも、ロキのポケモンに勝てるかしら」
オーバーオールのポケットからロキはモンスターボールを取り出して緊急射出ボタンを押し込んだ。
「いけ――」
ボールが二つに割れて中から光に包まれた物体が飛び出す。ノアは咄嗟に身構えたが、その姿に呆然とした。
ピンク色を基調とした矮躯で身体はだぶついており戦闘用とは言い難い。耳が生えており、くるくると黄色い触手がぜんまいのように渦巻いている。青いつぶらな瞳は攻撃の意思など微塵にも感じられなかった。甲高い声を出してそのポケモンが屹立する。
「タブンネ」
ロキがそのポケモンの名を呼んだ。タブンネと呼ばれたポケモンは柔らかな笑みを浮かべる。
「それが、あんたのポケモンだって言うの……」
今までの刺客のような攻撃的なポケモンではない。柔らかな空気を纏ったポケモンで介護用と言われれば納得がいった。しかし、戦闘に繰り出すようには見えない。
「ゆだんしているわね、ノアお姉ちゃん」
ロキの声にノアは、「油断なんて」と返す。
「あたしの前に立った時点で、敵と見なすわ。〈キキ〉! ドリルくちばし!」
〈キキ〉が螺旋を描きながら削岩機のような鋭さを伴ってタブンネへと追突しようとする。しかし、タブンネは避ける気配を見せなかった。タブンネの身体に攻撃が突き刺さり、その矮躯を跳ねさせて後退する。
――弱い?
浮かびかけたその考えにそんなはずはないと思い直す。相手はあの人の刺客なのだ。何かしら対抗手段は持っているはず。しかし、ノアにはそれ以上、攻撃の命令を下す気にはなれなかった。まるで戦闘意欲が枯れたように萎縮していく。
タブンネが涙を浮かべた。それだけで戦う気力が削がれた。
「……戦えない。何で……」
「真に脅威なる存在とは何か、考えた事ある?」
その声に目を向けるとロキの姿は消えていた。代わりに佇んでいたのはイシスである。
「どうして、イシスが……」
「この姿はお気に召さない?」
顔の前で手を振り翳すと、首から上だけが小説家のものに挿げ代わっていた。ノアは悪夢でも見ているかのようだった。
「私の顔でも?」
「イシスに、小説家……」
「それだけじゃないわ」
ロキは一瞬にして形状を変化させた。骨が変形する音も、皮膚が裂ける音も聞こえない。瞬時に変身を果たし、ロキは顔だけをノアの知り得るほとんどの人に擬態させた。
「ロキ。あんた……」
「こうやって、生き永らえてきたのよ」
ノアは納得した。どうして子供であるロキが刑務所内で生きてこられたのか。全てはこの能力のためだったのだ。他人に成りすまし、その力で略奪を繰り返す。
「他人をそうやって騙してきたの」
ノアの言葉に、「人聞きがわるいわね、ノアお姉ちゃん」と元の姿に戻ったロキが呟く。
「だまされるほうが悪いのよ。この能力は生まれながらにして持っていた。獣が牙や爪を持っているのと同じ。ロキには必要だからこれがあっただけ」
拳を握り締める。この少女は邪悪だ。それも、今まで経験した事のないような純粋さゆえの漆黒の心。
「……誰も、あんたが間違っているとは言わなかったのね」
「まちがっているって? だって、ロキはまちがっていないもの」
「そう思い込んで生きてきたってわけ。じゃあ、あたしが言ってあげる」
ノアはロキを指差した。ロキは眉根を寄せる。
「あんたは今、この瞬間から今までの人生を後悔する事になる」
その言葉にロキは哄笑を上げた。ノアの言葉を根底から否定する。
「ノアお姉ちゃん、やっぱりおもしろいね。でも、ロキはお姉ちゃんを無力化するよ。あの人の命令だから。それに、何より――あたしが許せない」
言葉尻が見知った声に変化した。それと共に身体が変身を果たす。その姿にノアは息を呑んだ。
「あたし……?」
ロキは黒くなった髪をかき上げて、「そう」と頷く。自分の鏡像が、自分以上にそれらしく振舞っている様は不気味だった。
「ノアお姉ちゃんを構成する全ては既にあたしの中にある。これは模倣なんて言う生易しいものじゃないのよ」
その通りだ。これは本物の価値観、存在意義を脅かしかねない侵略である。ノアが背筋を震わせると、「怖いのね」と自分の声と寸分変わらぬ声でロキが告げた。
「怖い……。あたしが」
「そう。何よりも自分を恐れている。どうして、自分が無力化されなければならなかったのか。どうして自分にばかり災禍が降り注ぐのか。考えているでしょう」
ノアが唾を飲み下すと、「お姉ちゃん。分かりやすいよ」と自分の似姿が笑った。
「考えている事、全部分かる。あたしも、この中で同じように考えているから」
ロキがこめかみを指差した。ノアは今の自分の心境すら読まれているようで指先を硬直させた。ロキが目を細める。
「人差し指に僅かな筋肉の強張りがあるわね。あたしに言い当てられて、図星って感じ」
ノアはその段になってロキが自分の動作を注意深く観察している事に気づく。タブンネへと歩み寄り、「この子は」と触れた。
「お姉ちゃんご自慢の〈キキ〉でも倒せない。〈キキ〉を無力化するために送られたポケモンよ」
「〈キキ〉を……」
ノアは〈キキ〉へと注意を向けた。その一瞬の隙にロキが呟く。
「タブンネ。トリックルーム」
タブンネが足を踏み鳴らすとその爪先からピンク色の立方体が引き出されていく。それがすぐさま室内を覆い、ノアは見渡した。
「トリックルーム……」
「そう。この内部では時空が反転する」
タブンネが尻尾を振り回した。その時になってノアはタブンネの尻尾に何かが括りつけられている事を発見する。黒い石を連ねて作った擬似的な尻尾に見えた。
「それは……」
「さすがお姉ちゃん。黒い鉄球に気づくとはね」
「黒い鉄球?」
「そっか。このノア・キシベの記憶にはポケモンの知識はない。なら、わざわざ教えてあげる必要はないわ」
その言葉にノアは戦慄した。まさか、記憶までも模倣していると言うのか。
「あたしの物真似は過去と未来さえも凌駕する。〈キキ〉を操るのも、ひょっとしたらあたしのほうがうまいかも」
ロキの言葉にノアは苛立った。
「あまり、年上を嘗めないほうがいいわ」
自分のペースを崩されるのが最もあってはならない事だ。ロキ自身が刺客だと明かした以上、既に手心を加える必要はない。
「それに、イシスと小説家を倒したというのなら、なおさらあたしはあんたを倒さねばならない」
ノアは〈キキ〉を呼びつけた。毒気を抜かれかかっていた〈キキ〉の瞳に再び戦闘意欲が点火する。それを見たロキが感嘆の吐息を漏らした。
「へぇ、思っていたよりも結びつきが強いんだ。だったら、あたしも本気出しちゃおっかなぁ」
「あまり、呑気に事を構えないほうがいい。あたしは、既に戦闘態勢に入っている」
ノアは手を振り翳した。〈キキ〉が動き出す前にタブンネの手が振り上げられる。その動きのほうが速い。何故、と問いかける前にその指先で黄色い光が弾けた。
「シンプルビーム」
放たれた一条の光線が〈キキ〉へと突き刺さる。「〈キキ〉っ!」と声を上げて見やるが、〈キキ〉に外傷はなかった。直撃のはずなのに、とノアが訝っていると、「わき見している暇あるの!」とロキの声が飛んだ。
「タブンネ、十万ボルト!」
ノアはすぐさま応戦の声を投げた。
「甘い! 〈キキ〉、オウム返し!」
〈キキ〉が銀色の膜を張って「十まんボルト」と反射する事は確定だった。しかし、銀色の膜は張られる事なく霧散した。ノアが察する前に〈キキ〉の身体へと電流が流し込まれる。青い電子が跳ね飛び〈キキ〉の身体を内側から焼いた。
「〈キキ〉! どうして……」
〈キキ〉の特性「いたずらごころ」ならば優先度0の「オウムがえし」は成功するはずだ。たとえ「トリックルーム」で時空が反転していたとしても有効であるのに。〈キキ〉は「オウムがえし」を張る事すら出来ないように見えた。
「二つ、いい事を教えてあげるわ、お姉ちゃん」
ロキが指を二本立てる。ノアが目を向けると、タブンネも同じ動作をしていた。
「一つ、お姉ちゃんの〈キキ〉は既に特性が書き換えられている。悪戯心の特性は先のシンプルビームによって単純の特性に変えられたのよ」
「何ですって……」
ノアは〈キキ〉の様子を見やった。しかし、それだけでは特性が書き換わった事など分からない。ロキが優越感に浸った眼差しを向けてくる。
「ポケモンの特性も半端にしか理解していないお姉ちゃんなら、覚えたての戦法を使ってくる事は読めていた。特性、単純は能力変化が二倍になるけど、悪戯心で有効だった戦法は通用しない。つまり――」
ノアの姿を取ったロキが悪鬼の笑みを浮かべる。
「もう、その戦い方は古いのよ」
その言葉はノアに衝撃を与えるには充分だった。カフカと学んだ戦い方が出来ないとなれば自分はどうすればいいのか。ノアには咄嗟に思いつく戦法などない。〈キキ〉は首を巡らせて困惑している。主人の困惑を写し取ったように。
「〈キキ〉も怯えているわよ。お姉ちゃん、きちんと指示を出さないと」
そのような事を言われてもノアには思い浮かばなかった。ロキがため息を漏らして、「やっぱりね」と口にした。
「お姉ちゃん、やっぱりあたしより弱い。そんな人がどうしてママを助ける事が出来るのかしら? あの人の考える事は本当に分からない」
頬に手をやってノアを見やるロキへと声をかける。
「あの人の事、あんたは知っているの?」
「それはあたしに勝った人間だけが口にしていい言葉よ。今のお姉ちゃんが口にしていい言葉じゃないって事ぐらいは、馬鹿でも分かるわよね?」
ノアは歯噛みした。〈キキ〉に視線を向ける。「十まんボルト」のダメージは深刻だ。飛行タイプを持つヤミカラスには有効だったのだろう。濡れた黒い翼が煤けている。ノアは早急に手を打たねばならぬ事だけは理解出来た。〈キキ〉がこの時空の反転したフィールドで十万ボルトの猛攻を避けつつ、反撃に転じる事こそが今求められている戦法だ。
本来ならば悪戯心の特性を利用して相手の攻撃を反射し、攻めに転じる事が考えられたが、特性を無効化された今となっては不可能に思えた。特性を復活させる事が出来れば、と考えたが、そのような技を覚えているわけではない。
「考えているわね、ノアお姉ちゃん。でも、あたしには勝てないわ。トリックルームで時空が反転し、さらに悪戯心の特性を潰された今となっては、ヤミカラスの〈キキ〉はあまりに貧弱。そしてその戦法の、何と脆弱な事か。一点を潰されただけでお姉ちゃんのご自慢の戦い方は崩落する。お姉ちゃん、それであの人まで辿り着くつもりだったの? 不可能に近いわ」
「うるさい」
ノアはロキの言葉を遮って口にした。身体の中で沸騰したマグマが口をついて出たかのような声音だった。身を焦がしかねないこれは怒りだ。イシスと小説家を倒し、今自分をも倒そうとしているロキに対しての。
しかし、ロキはその敵意を涼しげに受け流す。
「いい感じになってきたわよ、お姉ちゃん。あたしへの敵意と殺意に満ち満ちている。ねぇ、さっきの質問の続きを聞かせてあげるわ。この世で、真に脅威なる存在とは何か。答えの一端を、教えてあげる」
「必要ない。〈キキ〉」
冷たく断じた声に〈キキ〉が反応し、タブンネへと攻撃の手を加えようとする。螺旋を描いた「ドリルくちばし」はしかしタブンネには届かなかった。ひらりと身をかわされる。その背中へとタブンネの指先が向けられた。
「冷凍ビーム」
タブンネの人差し指で水色の光が弾け、〈キキ〉の背中へと氷結の光線が放たれた。〈キキ〉が嘴を開いて鳴き声を上げる。〈キキ〉の翼は凍てついており、飛翔が困難に思えた。
「〈キキ〉っ!」
「いちいち心配している場合? お姉ちゃんは全ての感情を押し殺してあたしに立ち向かわなければならないんだよ? まぁ、いいわ。教えてあげる。真に脅威とすべきは、無害なる者よ」
「無害……」
「そう。お姉ちゃんはあたしの印象にこう思ったはず。なんてかわいそうな子供なんだ。この子にだけは自分と同じような目に遭わせたくない、って」
ノアは胸中を言い当てられてどきりとした。ロキは冷徹な目を据える。
「バッカみたい。それって結局自己満足じゃない。あたしに向ける視線はみんな似たようなものだった。守ってあげなくっちゃ、助けてあげなくっちゃ、って。……あたしがいつ、あんたら大人に助けなんて乞うたよ!」
ロキが憎しみの篭った眼差しを向ける。その眼にノアは覚えず気圧された。糾弾するようにロキはノアを指差す。
「大人はいつだってそう! 自分達だけが偉ぶって、誰かを見下して! 庇護の対象があるとこうも簡単になびく生き物! だから最大限に利用させてもらったわ。無害なる者。それはあたしとタブンネの事。知ってる? タブンネはとても弱いの。しかも経験値がたくさんもらえるから育成には必須。タブンネを積極的に狩るトレーナーやポケモンだっている。タブンネも無害なる者なのよ。でも、その実は違う。あたしも、タブンネも爪を隠している。自分でも自覚出来ない、心の奥深くにある鋭い爪。それで獲物を引っ掻き、抉る瞬間を心待ちにしている。分かった? 無害なる者は、同時に最も邪悪なものでもあるのよ」
ロキの言葉にノアはよろめいた。自分達の向けていた同情や憐れみは全て意味をなさなかった。それどころか彼女達を歪ませてしまった。その事実にノアは身体から力が抜けていくのを感じた。
「せいぜい、後悔しなさい! タブンネ、もう一度十万ボルト! これで終わらせるわ!」
タブンネが指先を〈キキ〉へと向ける。まるで矢を番うかのように人差し指から発生した電流の網を引っかけてもう一方の手で保持する。
「お別れね! さよなら、お姉ちゃん!」
次の瞬間、タブンネは十万ボルトの矢を放った。