ポケットモンスターHEXA NOAH











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無害なる者
第四章 六節「無害なる者U」

 視界に入る物体は全てレンズを透過している。レンズ内に入ればこちらのものだった。

 起き上がって音を立てないように動き出す。二段ベッドから降りて監房を抜け出した。夜の刑務所は寝静まっている。野生ポケモンも眠っているのだろう。記憶の中にあった道順を辿り、監房をノックした。すると鉄柵の向こう側から声が聞こえた。

「何だ?」

 不機嫌そうなその声に言葉を投げる。

「あたしよ」

「さっきの詫びを入れに来たのか?」

「ええ。やっぱりイシスが正しかった。それを伝えたくって」

 その言葉に暫く沈黙を挟んだ後、監房内で人影が身じろぎした。鉄柵の扉を開くとイシスが自分を見下ろしていた。

「ノア。だからと言ってこんな時間に単独行動は感心しないな」

 イシスはいたずらを仕出かした子供を諭すような口調で述べる。レンズがその姿を捉え、計測する耳がその声音を記録する。

 前髪を掻きながら、「一刻も早く、言わなきゃって思ったから」と理由を口にする。イシスはため息を漏らした。その実は自分の事を心配していたようだ。

「入るか? 今ならコーヒーくらい用意出来る」

 イシスが背中を向けた。その瞬間、モンスターボールの緊急射出ボタンに指をかけた。

「いけ――」

 その声をイシスが聞き取るよりも先に光を纏った物体が躍り出た。その物体から電撃が放射されイシスは身体を震わせた。感電したのだろう。一瞬のうちに彼女は全身から力を奪われていた。

「何を……」

「イシス・イシュタル。これもあの人の命令なの。背徳には死を」

 その言葉にイシスはハッとしてモンスターボールをホルスターから引き抜いた。その動きよりも先に命令の声音を弾けさせる。

「トリックルーム」

 繰り出した物体の足元からピンク色の立方体が引き出され監房を一瞬で覆った。

「何だ、これは……」

 イシスは気づいていない。その言葉すら、既に遅いという事を。

「攻撃」

 物体が動きイシスの腹腔に体当たりを仕掛ける。イシスは監房の端まで吹き飛んだ。机の上に並べられていたコーヒーやクロスワードパズルの雑誌が散らばった。

「何を……」

「動きを封じて」

 声に従い、動いた物体がイシスの腕を踏みつけた。呻き声を上げるがまだモンスターボールを握っている。存外にしぶとい、と感じた。

「まるで害虫みたい」

 嘲りの言葉にイシスが眼に力を込めた。自分を睨み据える。

「……お前、ノアじゃないな」

「どこが?」

 イシスはその返答に窮したようだった。何故ならば、彼女の瞳に映った自分の姿は寸分違わずノア・キシベのものだったからだ。

 舌打ちを漏らし、緊急射出ボタンを押し込もうとするのを踏みつけた物体が力を込めて封じる。

「骨を折ってもいいわ。片腕くらい、何てことはないでしょう」

 その言葉に物体が両腕を使ってイシスの右腕を掴んだ。筋肉の軋みと共にイシスの喉から呻きが漏れる。

「何の、つもりだ」

「折って」

 その言葉が響き切る前に骨の折れる音が残響した。イシスが身体を折り曲げて右腕を押さえる。その手からモンスターボールが落ちた。

「拾って奪いなさい。抵抗出来ないようにね」

 モンスターボールを拾い上げ、自分へと手渡す。鼻を鳴らし、「いい様ね」と口にした。

「一つ、いい事を教えてあげましょう。この世で最も恐れるべきは何なのか」

 イシスの眼からはまだ戦闘本能が消えていない。隙あらば飛びつこうとでも考えているようだ。獣の眼だな、と感じた。

 モンスターボールを弄びながらその答えを口にする。

「無害なる者こそ、恐れるべきなのよ。それはたとえば優しく流れる水であったり、土くれであったりする。それそのものは取るに足らないわ。でも、もし水が音速の速さで発射されたら? もし、砂塵が視界を覆い尽くすほどの量で被さってきたら? その場合、何でもない、取るに足らないと思っていた無害なる者が凶器と化す」

「何が、言いたいんだ」

 痛みに耐えながらイシスが口にする。口元に笑みを張り付かせて、歩み寄って見せた。

「つまり、あたしを恐れなかった時点で、あなた達の敗北は決定していた」

 イシスの碧眼には自分の姿が映っている。それは間違えようもなくノア・キシベのそれだった。

「少し眠っていなさい。同室の人間がいないという事は、あなたの発見は少し遅れるだろうから」

 指を鳴らすと電流が浴びせかけられた。イシスは間もなく意識を失った。時折、痙攣して白目を剥く。

 何事もなかったかのように監房から出た。自分の監房に戻るとちょうど小説家が気配を察して起きていた。

「ノア? どうしたの?」

 まだノア・キシベの姿のままだった。いけない、と一瞬で変身する。小説家は目をぱちくりさせてもう一度自分の姿を認めた。

「ロキちゃん、か。どうしたの?」

「こわいゆめをみたの」

 そう告げると、「何も心配いらないわ」と小説家が手招いた。ロキは二段ベッドの上に上り、小説家の腕に抱かれて眠りに落ちた。



オンドゥル大使 ( 2014/08/24(日) 22:40 )