ポケットモンスターHEXA NOAH











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無害なる者
第四章 五節「無害なる者T」

 声をかけてきたのは少女だった。

 それも自分よりも随分と幼い容貌をした少女だ。緑色の髪を頭の横で一つに結んでおり、金色に近い色の眼がノアとイシスを眺めている。

「ノア・キシベさん、ですよね……?」

 不安そうに上目遣いで少女は口にする。だぶだぶのオーバーオールでノアはこの場所には似つかわしくないと感じた。この少女は一体何なのだろう。イシスが前に出て、「ノア」と厳しい声を振り向けた。

「新手の刺客かもしれない」

 その言葉にはさすがにノアも反抗した。

「ちょ、ちょっと待ってよ。だって、この子……」

 ノアは改めて少女を見やる。十歳をようやく超えたように見える幼さ。袖の余った服装はそうでなくとも無害さを訴えてくる。むしろ守ってあげなくてはならないと思わせるほどに。

「しかく、って……」

 少女は明らかに戸惑って首を傾げる。短く結っている髪が揺れた。イシスは警戒の糸を解かずに、「子供だからって油断はならない」と言った。

「ホズミだって見た目は子供だった。だが、その実は熟練のトレーナーだ。見た目で騙す。常套手段さ」

 決めつけてかかる言葉にはノアでさえも閉口した。当の少女は当惑の眼差しをノアに向けている。

 助けて欲しい、とでも言うように。

「話を聞きましょう」

「ノア!」

 イシスの言葉にノアは、「敵だと決まったわけじゃないわ」と答える。

「だが、刑務所に子供なんて異常だろう!」

 それはその通りだ。しかし考える頭が回らない。今は、この少女を守らなければと思ってしまう。

「てき? ロキは敵じゃないよ」

「信用出来るか」と声を発するイシスの前に出て屈み込む。少女の眼には怯えの色が浮かんでいる。

「ロキ、っていうのが名前なの?」

「うん」とロキと名乗った少女は頷く。イシスは、「信用なるか」と吐き捨てた。

「どうして十歳にも満たない子供がこんなところにいる?」

 カントーでは十歳成人法というものがあり、十歳になれば強制的に社会人となる。ノアは尋ねた。

「何歳なの?」

「あのね、ちょうど十歳になったところだよ」

 両手を広げてロキは宣言する。ならば成人法の適応内だ。しかし、囚人の証であるオレンジ色のコート型の囚人服には袖を通していない。囚人ではないのか、とノアは訝った。

「囚人じゃないんなら、どうしてこんなところに」

「ママが、ここにいるから」

「ママ?」

「そう。ロキのママ。モノマネ娘のイミテ」

 ノアはイシスへと目を向けた。「聞いた事がある」とイシスが応じる。

「一時期タレントとしてもてはやされたな。ヤマブキシティのモノマネ娘、というキャッチコピーで。だが、その後重思想犯だと判断され、確か十五年の懲役に服していたはずだが」

 その間に子供をもうけたということなのだろうか。ノアには想像がつかずにロキを見やった。ロキは花が咲いたような笑顔を浮かべる。

「お姉ちゃんが、ノア・キシベだよね?」

「あ、ああ、うん。そう。あたしがノア・キシベ」

「どうしてノアの事を嗅ぎ回っている?」

 高圧的なイシスの態度にノアは声をかけた。

「イシス。そんなんじゃ怖がって何も答えてもらえないわ」

 その証拠にロキはノアの陰に隠れている。イシスは腕を組んで不遜そうに鼻息を漏らす。

「敵である可能性が高い。心を許さないほうがいい」

 確かにこの刑務所内で子供がいる事自体、奇妙なのだ。たとえ刑務所の中で産まれた子供だとしても。

「ロキちゃん、あたしの何を知っているの?」

「えっとねー」とロキは少しだけ考える仕草をした後、答えた。

「ママを助けてくれる人だって、聞いたよ」

「イミテを、助ける……?」

 どういう事なのだろうか。イシスに視線を配るが彼女とて理解している風ではない。

「ママは、今どこにいるの?」

 尋ねると、「しんじゃった!」とロキは答えた。その言葉に二人とも固まってしまう。

「今、何て……」

「ロキのママはしんじゃったの。だから、この刑務所の中にはもういないの」

 ノアはイシスへと顔を振り向けた。イシスも戸惑っているようだ。

「じゃあ、ママを助けるって言うのは……」

「お姉ちゃんが本物のノア・キシベなら、助けられるって聞いたよ?」

 小首を傾げるロキにノアは疑問を浮かべる事しか出来ない。

「誰に聞いたんだ?」

 イシスが詰め寄って訊く。ロキは少しだけ肩をびくりと震わせてから消え入りそうな声で、「お姉ちゃんには、話したくない……」と呟いた。

「何だと!」

 噛み付きかねないイシスを手で制してノアは尋ねる。

「怖がらせたら駄目だわ。あたしが訊く。誰に聞いたの? そんな話」

 ロキは何のてらいもなく答えた。

「えっと、あの人だよ」
















「どうして監房に子供がいるの?」

 連れ帰った第一声がそれだった。小説家はイシスを匿った時よりもなお不安そうな面持ちだ。

「〈インクブス〉で見えないように細工してあげて欲しいのよ」

 ノアの申し出に小説家は訝しげな目を向けた。ロキは少し小さくなってノアの陰に隠れる。

「この子、怖がりなの。お願い。看守に見つかる前に」

 その言葉でようやく小説家はその気になったようだった。スリープに命令し、ロキが見える認識を食った。

「これで看守や他の囚人には見えないはずよ。でも、どうして子供が?」

「あたしにも詳しい事は分からない」

 ノアは二段ベッドの下に腰を下ろしながら頭を振った。ロキは、「うえのぼっていい?」と二段ベッドの上を指差して聞いてくる。ノアは微笑んで頷いた。

「おかしい事だらけよ。イシスがいなくなったと思ったら今度は子供? 誰の子供なの?」

「モノマネ娘。イミテとか言う人の子供みたいだけれど……」

 歯切れ悪くノアが口にすると、「あのイミテの?」と小説家が食いついた。

「知っているんだ?」

「そりゃ、イミテといえば有名よ。ノアったら芸能にも疎いのね」

「放っておきなさいよ」

 何だか馬鹿にされている感じがしてノアは鼻息を漏らす。

「イミテは十年ほど前に投獄されているわ」

「どうして?」

「カントーで確認された、最初の思想犯だからよ」

「最初の、思想犯?」

 ノアが尋ねる。小説家は怪訝そうに、「本当に知らない? 有名な事なのに」と言った。

「ノアは出版社勤務だったんでしょう?」

「それでも、そんな昔の事は知らない」

「ああ、あんまりテレビでもうるさくは言わないからね。思想犯の言葉は伝播するって言うんで」

「イミテって言う人はどういう人間だったの?」

 二段ベッドの上でロキが飛んだり跳ねたりする。叱りつけようかと思ったがノアはよしておいた。

「モノマネ娘の名前の通り、どんな人間にも一瞬で早変わりする芸風が持ち味のタレントだったわ。一世を風靡したものよ。どの早業はまだ誰にも解明出来ていないばかりか、そもそも彼女自身の姿でさえ、どれが本物なのか分からない」

「そんな伝説を持った人間が、どうして思想犯に?」

 当然な疑問の帰結に小説家は声を潜ませた。

「ヘキサを肯定したのよ」

 ノアは目を見開いた。ロキがベッドの上を転がって笑い声を上げる。それでさえも遠い現実に思えた。

「ヘキサを……」

「そう。その当時は一番ヘキサ事件に関して世の中が過敏だった時期よ。そんな中、圧倒的人気を誇るアイドルのような存在がテロ組織ヘキサを肯定する発言をした。それがどのような波紋をもたらしたのか、ノアになら分かるでしょう」

 それは芸能界の追放などという生ぬるい処置ではないだろう。最初の思想犯だと言っていた言葉がようやく自分の中で繋がった。

「それで、この刑務所に?」

「囚人番号001番。イミテ。本名は分からないわ。彼女は人気者から一転して世界の敵と同義になった」

 自分の境遇と重なるものを感じてノアはベッドの上のロキへと自然に注意を配っていた。ロキはまだベッドの上で遊んでいるようだ。

「でも、ロキは、あの子は母親が死んだって言っていたわ」

「死んだの? イミテが?」

 小説家からして見ても初耳だったようだ。ノアはそれとなく探りを入れる事にした。

「イミテの扱いは、どのようなものだったの?」

「私にも分からない。昨日今日この刑務所に入ったばかりだもの。ふたご島刑務所で処刑された人間の情報は、何重にもプロテクトされて秘匿される。イミテが死んだのだとしたら、あの子はどうやって今まで生き延びてきたの? まず刑務所で子供なんて産めるはずないわ」

 ノアがロキへと視線を向けようとすると、ちょうどベッドの縁からこちらを見下ろしているロキの視線とかち合った。金色の瞳孔が収縮し、ノアは心臓を鷲掴みされる感触に陥った。

 覚えず息を呑むと、ロキはふふふと笑ってまたベッドの向こう側に消えた。

 ノアは今しがたの自分達の会話が酷く卑しいものに思えた。良心の呵責に襲われた。母親を失った子供の前で、何て惨たらしい話をしているのだろう。小説家もそれを感じたのか、少しだけ無言だったがやがて口を開いた。

「……あり得ないのよ、そんなの」

「分かってる」

 ノアは答えた。あの人の導きであるかもしれない、と言おうかと思ったが、ロキの手前、言うのは憚られた。

「ねぇ、ノアお姉ちゃん!」

 ロキがベッドの上からノアを見下ろす。ノアは立ち上がって、「どうしたの?」と穏やかな声で尋ねた。

「ロキ、ずっとここにいていい?」

 その言葉を否定する事は出来なかった。小説家のスリープの能力さえあれば、ロキはいつまでだってここにいられる。しかし、それが正しい事なのか。ノアが逡巡を浮かべていると、小説家が自分の名前を呼んだ。

「ここに、いさせてあげましょう」

 小説家も同じ事を考えていたのか。ノアの肩に手を置いた。ノアは優しい声音で応じた。

「ええ。いつまでだっていていいわ」

 その言葉にロキはころころと笑顔を浮かべてベッドを転がった。

 決して、自分のようになってはいけない。ノアの中でそれだけは確固として存在した。


















 ロキが疲れて寝静まってから、ノアはイシスと合流した。小説家はロキの秘密を守るために監房にいる。イシスはノアと廊下で落ち合った。落下防止用の鉄柵を掴んでイシスが先に口火を切った。

「あの子供は?」

「寝ているわ。小説家に任せている」

 イシスは少しだけ安堵したようだった。もし、ロキを交えていれば平静でいられる自信がなかったのはお互い様だろう。

「なぁ、ノア。わたしは、あの子供が刺客である可能性も含んでいると考えている」

 イシスの言葉にノアは反発した。

「何を言っているの。ロキは、そんな子じゃないわ」

「同情しているんだよ。ノア、お前は、あの子供に自分を重ねている」

 何も言葉が出なかった。その通りだったからだ。ロキは自分のようにしてはいけない。ロキにはこの世界が非情だと思わせてはいけない、と。

「ノア。優しさはある種の毒なんだ。お前の優しさであの子を生き永らえさせるほうが、よっぽど酷だと思わないか?」

「何それ。あんた、あの子を殺そうとでも言うの?」

 思わず語調が荒くなる。しかしイシスは落ち着いて言葉を発した。

「ああ。そうだよ」

 ノアは息を呑んだ。イシスの碧眼には迷いがない。正気でそのような言葉を発している。

「正気、なの?」

 分かっていても聞かずにはいられなかった。イシスは、「わたしは、信じていた人間に騙された事が何度もある」と前置きした。

「この間の同室の女に関してもそうだ。この刑務所ではまず、人を信じる事から裏切られていく」

 それは現実の言葉だ。そのような言葉でロキを傷つけて欲しくなかった。

「あの子は純真よ」

「だからわたし達が守らなければ、って? それはお門違いだよ、ノア」

 イシスの言葉はどこまでも冷たい。でも、とノアは言い返した。

「あの子の眼を見た? イシス。あの眼は、本当に求めているものを一生失った眼なのよ。これ以上、奪うなんて……」

 自分には到底出来ない。ノアの心情を汲んだのか、「だったらわたしがやる」とイシスはノアと向き合った。

「お前が出来ないのなら、わたしがやる」

「待ってよ、イシス。どうしてそんな事になるの? 分からない」

「お前は正常な判断が出来ていないんだ。あの子供本人が言っただろう。あの人に聞かされたのだと」

「でも、今までのようにあたしの無力化じゃないわ」

「結果的にお前の無力化に繋がっている。あの子供の存在で、ノア、お前は戦うための牙を失おうとしている」

 イシスの言葉にノアはハッとした。いつの間にかロキに対する警戒心が薄れている。これこそがあの人の狙いなのだろうか。ロキを敵という枠組みから除外するように仕組む。

「敵じゃないのなら、疑る必要だってないじゃない」

「違う。ノア。近づいてくる人間は皆が刺客だと思うくらいの気持ちでないとこれから先、生き残れないぞ」

「そんな不器用な生き方はしたくないわ」

 ノアは顔を背けた。イシスは、「お前のためを思っているんだぞ」と口にした。その薄っぺらい言葉にノアは反発する。

「あたしのためって何? 誰も頼んでいない」

 イシスは舌打ちを漏らし、「勝手にしろ」と背中を向けた。ノアはその足を呼び止める言葉がなかった。イシスは何でも疑ってかかっている。今のままではどちらにせよ、破局が見えていた。

 ノアは監房に向けて歩み出した。イシスが心変わりしてくれる事を願っていたが恐らくは無理だろう。自分と同じ、こうと決めたらてこでも動かないタイプだ。

 監房に戻ると既に小説家は寝入っていた。上段でロキに添い寝している。ノアは下のベッドに寝転がって色々と考えた。

 これから先、会う人間全てを敵と断じなければならないのだろうか。それはあまりにも狭い見識ではないか。常に神経を強張らせて生きられるほど器用に生まれついた覚えはない。

 ノアは瞼を閉じた。間もなく眠りはやってきた。



オンドゥル大使 ( 2014/08/24(日) 22:40 )