ポケットモンスターHEXA NOAH











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無害なる者
第四章 四節「遠く昔に消えたいきもの」

 看守と共に事故現場を見るのは何度目だったか、と考える。

 戦闘不能状態に陥ったジバコイルが監房の女性を圧死寸前に追い込んだ事件だ。何度も調書を見させられたし、最初の序文は頭の中に焼きついている。

「ジバコイルのコントロールを誤ったトレーナーの不幸な事故、か」

 呟いて、今も意識不明の状態であるジバコイルの主人を思い返した。

 ――彼女は、その程度の手駒に過ぎなかったのか。

 自分の中で浮かびかけた言葉に否と首を振る。事故が起こったのは深夜。食堂の真ん中だ。看守は寝ぼけた女囚がポケモンを繰り出して脱獄を企てたが、ポケモンの制御が及ばずこの結果に至ったと考えている。

「にしては、奇妙だ」

 口にしてから下唇を人差し指で撫でる。思案する時の癖だった。何往復かしてから、自分の中の予感を確信に変える事が出来た。

「彼女は、それほどまでに愚かだったとは考え辛い。むしろポケモンの扱いに関しては、プロであったはずだ。曲がりなりにもブリーダーの経験があったのだから」

 一人でぶつくさ呟いていると後ろから声がかかった。

「大丈夫ですか?」

 どうやら下唇を撫でる行動が吐き気を堪えているように見えたらしい。振り返って、「いや、大丈夫」と応じる。

 中年の看守は、「近頃多いですなぁ」と不満をこぼした。

「こういう奇天烈な事件が。つい四日前に囚人番号666の事件があったばかりだったというのに」

 額の汗を拭いながら看守はため息を漏らす。

「囚人番号666、ノア・キシベですか」

 口にすると、「そういう名前でしたかなぁ」と看守は首を斜めにした。

「なにせ、囚人や罪人は増える一方で。ふたご島刑務所はパンク寸前だって言うのに、お上は何にも聞いてくださらないんで。……あっ、今の発言は」

「分かっています。個人的な意見であって政府を中傷するものではない、と」

「そう言ってもらえると助かりますよ」

 くい、と顎を上げて看守が口元に気安い笑みを浮かべた。

「国際警察官、ヨハネ警部殿」

 ヨハネは自分の名前が呼ばれて初めてその職務を自覚したように、「いや……」と謙遜気味に応じた。

「私としてもこの事態の収束に尽力したいだけです。ポケモンを使った犯罪は日夜、進化を繰り返している」

 ヨハネは前髪をかき上げた。ヨハネの髪は男にしては珍しく肩まで伸びている。纏う気配はしかし、男性的とは言い難かった。それは何も伸びた髪の毛の話だけではない。
看守は少し聞き辛そうに声を漏らす。

「それにしても、警部殿。その、顔の傷は……」

「ああ、これですか」

 自分の顔を斜めに撫でる。その指の軌道に沿うように傷痕が走っている。縫い目のような傷痕で少しだけ皮膚が変色していた。

「ずっと前にね、事件を追っていた時にちょっと……」

 それ以上を追及しないようにヨハネは含める言い方を選んだ。看守は、「いえ、ちょっと気になっただけですから」と身を引いた。

「それにしたって、凶悪な犯罪者達が身を寄せ合っているんです。何か事件が起これば、我々が駆り出されるのは何も間違いじゃない」

 ヨハネは屈んで血の痕がこびりついた床に手袋を嵌めた指で撫でる。
「状況としては」と看守が説明を始めた。

「ジバコイルの重量がそのままかかり圧死寸前だったところを、発見した囚人が報告。その時には辺りは散乱していて荒れ放題だったといいます」

 何度も聞かされた報告だ。そらんじる事も出来る。

「ジバコイルの重さは180キロ。その重量が一気に圧し掛かったと考えれば、重傷なのは分からない話じゃないですね」

「ええ。しかし、なんだって制御も出来ないポケモンを所持していたんだか……」

 看守が鼻頭を掻く。ヨハネは応じる声を出した。

「慢心でしょう。このふたご島はレベルの高い野性ポケモンが出るとの噂です。ならば、レベルの高いポケモンを揃えれば、という答えに至るのは自明の理」

「しかしですなぁ。被害者は元ポケモンブリーダーだったそうですよ。模範囚で、知識にも長けていた。そんな人間が、いくら寝ぼけていたとはいえジバコイルを自分の真上にやるでしょうかね……」

 ヨハネは顔を振り向けた。

「疑っているんですか?」

 その声に看守は首をふるふると振った。

「滅相もない。しかし、ジバコイルにはダメージがあったと聞きます。もし……、もしですよ。何者かと戦闘したというのならば、その犯人を一刻も早く検挙する事こそが、近道なのではないかと――」

「事故ですよ」

 遮って放った言葉に看守は説明の声を呑み込んだ。

「事故、ですか」

「ええ。国際警察官である私の見立てです。間違いはない」

「そりゃ、そうなんでしょうけど……」

 煮え切らない様子だ。ヨハネはこんな事ならばスリープを手放すべきではなかったと後悔した。

 この事件を引き起こしたジバコイルだっていくら素養があるとはいえ、もっと吟味すべきであったかと考える。ヨハネは頭の中に調書を呼び出した。そこに書かれていた内容を一字一句反芻して、何者の仕業だったかを推理する。そう難しい話ではない。調書には「物理攻撃痕」と「格闘タイプの技」という記載があった。被害者に近い人間でそれを扱えるだけのポケモンの所持者にすぐに思い至る事が出来る。

 ――イシス・イシュタル。

 彼女だとすれば使われたポケモンはカメテテ、またはガメノデス。ジバコイルを沈めるだけの攻撃だとすれば既にガメノデスに進化している可能性が高い。ヨハネは考えを巡らせる。

 ――何故、彼女が離反したか。

 被害者であった女囚には自分の考えとしてノアへの過剰な知的好奇心は毒だと断じて襲うように仕向けた。しかし、考え方を改めれば殺す必要はないとも伝えておいた。その彼女が返り討ちにあったという事は、イシスはその要求を呑まなかったという事だ。

 しかし、そこで、どうして、という疑問が浮かぶ。

 イシスにとっても別に不利益な話ではなかったはず。ただノアに関して調べるな、というだけの警告だった。その警告が通じなかったとすれば答えは一つ。

「彼女の知的好奇心が勝ったか」

 呟いた声は看守には聞こえなかったようだ。ヨハネは地道に捜査を進める国際警察官として映っているだろう。

 断じて、この刑務所内で暗躍を進める存在とは映っていない。そのように自分を見る事は誰にとっても不可能なはずだ。

 ただ一人、ノアを除いては。

 ノアは面会室で自分のポケモンを見ているはず。不用意に出せば追いつかれるのは自分のほうだ。だが、ヨハネには自信があった。ノア達は決して自分へと辿り着く事は出来ない。それどころか、一両日中に二人のうちどちらかは命を落とす事になるだろう。

 だが、自分の目的はノア・キシベの無力化だ。それ以上は、今の段階では必要ない。

 ヨハネは息を長く吐く。

「お疲れですか?」

 看守の尋ねる声に、「そうですね」と応じた。

「時に」と口火を切る。看守が気づいて顔を振り向ける。

「はい?」

「最も恐ろしいものとは、何だと思いますか?」

 突然の質問に看守は目をぱちくりさせた。ヨハネの言葉があまりにも唐突に思えたのだろう。しかし、それ以上言葉を重ねないと本気の質問だと察したのか、「最も恐ろしい、ですか」とおうむ返しにした。

「ええ。この世で、最も恐ろしいものです」

「それは子供に対する答えじゃなくって? 本気で考えて、ですか?」

「本気でお願いします」

 看守は顎に手を添えて考える仕草をした後、ぽつりとこぼした。

「……人間、じゃないですかねぇ」

「私もそう思います」

 ヨハネは頷いてから、「ではどのような人間が一番恐ろしいでしょう?」と問いを重ねた。

「どのような、ですか……」

「具体例です」

 看守は戸惑いながらも答えを探している風だった。

「やっぱり、あれですかな。こう、筋骨隆々の、化け物みたいな巨漢とか」

 拳を振るう真似をしながら看守が笑う。ヨハネはフッと口元に笑みを浮かべて、「それもまた恐ろしいでしょうけど」と否定した。

「最も恐ろしいもの。それは、無害なる者ですよ」

「無害なる者、ですか……」

 予想外の答えに看守は目を見開いている。ヨハネの言葉に矛盾するものを感じたのか、「しかし、無害とは」と声を漏らした。

「何と言うか、逆説的な物言いに感じますな。喩えるならば毒を持っているがゆえに恐れられるものはさほど危険ではなく、むしろ毒など何もない存在のほうが危険だと言ってるかのような」

「かつて、この惑星にある動物がいました」

「動物、ですか?」

 ポケモンではなく? と暗に尋ねている声音だ。ヨハネは、「動物です」と付け加えた。

「その動物は鼻が発達しており、巨大ではありましたが気性はとても穏やかなのです。しかし一度暴れ出すと、それは猛獣でさえも恐れる災害のような存在でした」

 ヨハネはちら、と看守の様子を見やる。看守はこめかみに指をやって首を傾げている。その「動物」という言葉に違和感を覚えているのだろう。

 ――歴史から隠匿された言葉だ。

 この世界では。ヨハネは翳らせた顔立ちのまま口にする。

「大自然の大きなうねり。それによって世界は変化していく、いや、させられていく。失礼ながら、信仰はお持ちですか?」

「いや、生憎無宗教ですが……」

「そうですか。なら、一つだけ聞かせてください。シンオウに、アルセウス創世神話がありますよね?」

「ああ。誰もが一度は聞かされますね。この世界はアルセウスという一体のポケモンから始まったのだという、神話」

「信じておられますか?」

 ヨハネの言葉に看守は目を見開いて、「当然でしょう?」と答えた。

「世の常識ですよ。この神話がなければ、ポケモンの存在もあり得ない」

 その言葉で看守は揺るがされていた現実を補強したようだった。ヨハネはひとりごちる。

 ――選ばれるべき魂ではない。

「……そうですか」

 少し残念そうに答えたヨハネの心情を汲んだのか、「しかし、動物とは」と看守は笑い話にしようとした。

「奇妙なお話ですな。遠く昔に絶滅したのでしょう?」

「そうですね。そのようになっています」

 言葉の含むところに眉根を寄せる看守へとヨハネは言い渡す。

「お話の続きですが、無害なる者こそ最も恐れるべきなのです。それは半端に毒を持つ存在よりもなお恐ろしい」

 ヨハネがその場を離れていこうとすると看守が背中に呼び止めた。

「待ってください、警部殿。私みたいな人間では警部殿の仰りたい事は分かりませんが、一つだけ。その、絶滅した動物の名前は?」

 ヨハネは少しだけ逡巡するような間を置いてから答えた。

「インド象です」

 答えても、看守は呆けたようにぽかんと口を開けたまま黙りこくっている。

 ――伝わるまい。

 ヨハネは静かに歩き出した。



オンドゥル大使 ( 2014/08/19(火) 21:42 )