第四章 二節「策」
「ノア!」
監房に戻るなり小説家が顔を明るくさせて出迎えた。看守の目を憚らずノアへと抱きつこうとする。ノアは手で制した。
「まだ手錠が外れていない」
看守に手錠を外させる。小説家がまた抱きつこうとしたのでノアはするりとかわした。看守が去っていったのを確認してから、「〈インクブス〉」と彼女が呼んだ。スリープの〈インクブス〉は手を波打たせて青い波紋を空間に刻む。するとノアの眼前の景色が歪んだ。
「何……」
「会わせたい人がいるの。ノア。あなたにとっても初対面じゃないはず」
小説家の言葉に怪訝そうにしていると空間から人影が歩み出た。スリープの認識を操る能力で今までそこにいたにも関わらず視野には入らなかったのだろう。ノアは突然現れた人間を見据える。
ベリーショートの金髪でノアを見つめる眼差しは碧眼だった。目の下に下弦の月を模した刺青がある。
「あんた、確か……」
「イシス・イシュタル。久しぶりだな。ノア・キシベ」
ふたご島刑務所に入る前、セキチクシティの留置所で出会った女だ。あの時は確かお互いの名前について話しただけだった。別段、深い仲というわけではない。だというのに、どうして小説家は彼女を隠していたのだろうか。小説家に目を向けると肩を竦めて、「イシスが」と口を開いた。
「どうしてもノアに会いたいって。他人の監房に入り浸るのは禁止されているから〈インクブス〉で見えないようにしたの」
「それはいい。あたしが言いたいのは、どうしてここに彼女がいるのかだ」
ノアが鋭い眼を向けるとイシスはフッと口元に笑みを浮かべた。どこか挑発的な物腰だ。
まさか、敵か、と判断しかけてノアがモンスターボールに手を伸ばすと、小説家が慌てて説明する。
「ああ、違うの、ノア。この人はノアの敵じゃない。……ああ、でも、敵だった、と言うべきかしら」
小説家が頬に手を添えて考え込む。話が見えない。ノアが困惑しているとイシスが声を発した。イシスはノアよりも頭一つ分背が高いため、見上げる形になった。
「わたしに敵意はない」
「敵である事は認めるの?」
緊張の糸を解かずにノアが尋ねると、「そうだな」とイシスが思案した。
「どちらでもない。今のところは」
「何それ」
ノアはホルスターに伸ばしかけた手を強張らせる。どちらに転ぶか分からない人間など信用が出来ない。
「でも、ノア。イシスはとてもいい人なの」
小説家が擁護する。ノアはそれすらも疑った。小説家はスリープを奪われて一時目的を見失った事がある。今回の敵もそのようなイレギュラーである可能性は高い。
ノアがあまりにも警戒を解かないので小説家はやきもきしたように声を出した。
「私は操られてないわ。正常よ」
「正常な人間は、自分から正常なんて言葉はそうそう使わない」
ノアの言に吹き出したのはイシスだった。ノアが呆気に取られてそれを眺めていると、「いや、失礼」とイシスが返した。
「あまりにも第一印象と違っていたので、つい。留置所で見た時は、まだ何も知らぬ子供に見えた」
「実際、何も知らなかったからね」
イシスは腰に手を当ててノアを見下ろした。その眼差しに敵意は確かに見られない。
「ノア・キシベ。わたしは、あの人とやらの一手としてお前を無力化するために送り込まれた」
その言葉にノアは驚愕した。まさか相手のほうから手の内を明かすとは思えなかったのである。
「でも今は、あの人の制御下を離れている。その証拠に」
イシスはホルスターからモンスターボールを引き抜いてノアの目の前に掲げた。赤と白を基調に施されたモンスターボールだ。それを手に入れるために必要な苦労をノアは知っている。
「番人の二人に、会ったの?」
「ああ、会った。そして聞いた。今、この刑務所で起きている陰謀を」
陰謀、とノアは自分の中で反芻する。イシスは二段ベッドの下に座り込み、「少し長くなる」と前置きした。
「座って聞くといい」
「残念ながら、殺人罪で捕まってから四日間、ずっと座りっぱなしだったので、もう飽きているわ」
売り言葉に買い言葉の体でノアが返すとイシスは微笑んで、「本当に」と口にする。
「変わったものだ。だからこそ、わたしはお前の事を知的探求(しり)たいと思ったのだがな」
ノアは立ったまま話を聞く事にした。小説家は監房の隅っこに座り込んでいる。どうやらイシスに対して気を許しているようだ。
「わたしはあの人の一手として、お前の無力化を命じられた。しかし、心の奥底でそれは自分の目的ではないと感じ、独自に調査を始めた。あの人の事、この刑務所で起きている事を。しかしあの人はその事に対して憤りを感じたらしい。わたしは危うく始末されかけた」
「始末されなかった、ってわけ」
「追い返したのさ」
イシスは微笑んでモンスターボールの緊急射出ボタンを押し込んだ。光に包まれて人型が躍り出る。ノアは目を見開いた。七本の触手を持つ岩盤の人型は明らかに特異だった。
「何、それ……」
「ポケモンだ。種族はガメノデス。わたしは〈セプタ〉と名づけた」
「ガメノデスの、〈セプタ)……」
イシスの言葉をそのまま返す。ガメノデス――〈セプタ〉は触手の先端に鉤爪を持っており、それら全てに顔が存在するという奇妙を極めたような姿だった。もし行き会っても捕まえて手持ちにしようとは考えないであろう容貌だ。
「お前のポケモンは確かヤミカラスだったか」
「〈キキ〉よ」
ノアはすかさず答えていた。
「それがこの子の名前」
モンスターボールに手を添わせながら言うと、「いい名だ」とイシスは首肯する。
「しかし、そのご自慢の〈キキ〉であっても、今、このふたご島刑務所で生き残るのは大変難しいだろう」
イシスの言い分にノアはむっとして、「〈キキ〉は半端なレベルで育ててないわ」と抗弁を発した。
「知っている。番人との戦闘で随分と鍛えたようだな。しかし、それでも不充分だ。進化の道を、閉ざされている」
「進化……」
ノアはランスが持ってきた闇の石を思い出す。あれによってヤミカラスはドンカラスへと進化を遂げるのだと説明していた。だが、その闇の石は今やあの人のポケモンの手にある。
「わたしはあの人とやらに辿り着かねばならない。その意味で、目的は同じはずだ」
イシスの言葉にノアは、「どういうつもりなの」と声を発する。まだ信用出来たわけじゃない。
イシスは〈セプタ〉をモンスターボールに戻し、膝を打って立ち上がった。何をするつもりなのかと訝しげに眺めていると、不意に手が差し出された。
「あの人を倒す。それがわたし達の目的のはず」
思わぬ言葉にノアは息を呑んだ。小説家も同様で目をぱちくりさせている。
「……どういう料簡で」
「わたしは、恐らくは裏切り者として認知されただろう。あの人の一手と戦い、何とか生き残った。これからも刺客が送り込まれる事は想像に難くない。ならば、こちらも手を組んで相手に立ち向かおうと言うんだ」
ノアはようやくイシスの言わんとしている事を理解した。
「共同戦線を張るって言うの?」
「不満か?」
「不満も何も」
ノアは手を振り翳す。
「信用する条件が少な過ぎる」
イシスはあの人の一手だった。それを示されたからと言って小説家のように安易に信用というわけでもない。小説家だってノアは信用しているわけではない。〈キキ〉のほうが上だからまだ安心出来るだけだ。
〈セプタ〉は見たところ〈キキ〉よりも強そうであった。その点でノアは心配している。
イシスはその考えは見透かしたように、「杞憂だ」と口にしていた。
「〈セプタ〉はわたしの言う事を完全に聞くし、お前が思っているような反抗などするつもりはない」
「どうだか」
ノアの言葉に、「どうやったら信用されるものかな」とイシスは後頭部を掻いて考え込む。ノアは、「そうね」と顎に手を添えた。
「あの人に関する情報の開示、及び交換としましょう。そうしなければ話にならないわ」
ノアにとって最も有益なのは情報の数だ。ノアが知っている事、イシスが知っている事。それを統合してあの人の像を結びつける。そうしなければ勝てない。それだけは分かっていた。
「なるほど。言う事はもっともだな」
イシスは手を引っ込めて、「わたしが知っている事を先に語ろう」と言った。どうやらノアの信用を得る必要があるらしい。ノアからしてみればどうしてそこまで自分に執着するのかが分からなかった。
「まずあの人に関してだが、男か女かも分からない。これは番人に聞いても分からなかった部分だ。もう一つ、あの人はかなり位の高い人間である事」
ノアの考えていた部分と共通するものだった。あの人は、少なくともこのふたご島刑務所を掌握している。
「もしかしたら看守の誰かかもな。主任看守とか。それならばわたしの面会に現れた納得がいくし。それに恐らくはこの刑務所に駐在している人間であると思われる。刑務所の状況をある程度リアルタイムで理解出来る相手……。これがわたしの考え得るあの人の全体像だ」
イシスは包み隠さずに答えたのだろうか。それは分からなかったが、ノアには言える事があった。
「いくつか穴があるわ」
指を一本立てて口にするとイシスが目を瞠った。しかしすぐに笑みの中に隠れる。ノアから聞き出せる事のほうが有力だと瞬時に理解したのだろう。
「何が?」
あえて無知を装ってこちらのカードを待っているのかもしれない。そうは思いつつもノアは言っていた。
「まず、看守の誰かである事。これは恐らくはない」
「何故?」
問い返された声にノアは滑らかに言葉を発する。
「看守は今回の事件を重く見ている。火の粉が降りかかるような場所にいるような相手が件のあの人だとは思えない。むしろ、そういう場所とは無縁な、刑務所からは切り離された存在と思える」
「切り離された、という部分が分からないな」
イシスは含んだような声音で返す。
「何か、特別な存在だとでも言うのか」
「そうだとしなければ説明がつかない事が多過ぎるわ」
ノアは顔を伏せて独房で考えていた事を思い返す。四日間、みっちり一人で考え込んだ理論を展開した。
「まず一つ。あの人にポケモンの所有数の制限は恐らくない」
「ああ、それは言えているかもしれない」
イシスも思うところがあったのか頷いた。小説家は首を傾げている。
「どうして?」
「手数が多過ぎるのよ。ほぼ同時期に、あたしを無力化するための手駒を一気に用意している」
「だが、ポケモン預かりボックスの利用者だと考えれば腑に落ちるが」
イシスの言に、「それも考えたわ」とノアは即座に返した。
「でも、だとすればより奇妙よ。預かりボックスは、トレーナー登録されている人間しか使えない。だとすれば、あの人はポケモントレーナーだという事になる」
その言葉に含めたものを察したのかイシスが顔を曇らせ顎に手を添える。
「……なるほど。それは奇妙だ」
ノアとイシスのやり取りについていけていないのか、小説家が声を差し挟んだ。
「ねぇ、どうして奇妙なの? あの人がポケモンを使うのならばボックスくらいは使えて当然のはず」
「まず一つの問題として、ボックス使用履歴から足がつく」
イシスが指を一本立てて小説家に説明する。
「現状のカントーではポケモントレーナー及びポケモン所有者に関する法整備が万全だ。そこからあぶれたトレーナーは自動的に探知される。つまり、トレーナーでない相手を探すほうが容易なんだ」
小説家はイシスの説明に不備を感じているのかまだ納得し切れていない様子である。ノアは自分の情報のカードを切った。
「今回の、面会室でのあたしの事件。いいえ、刑務所側は事故として処理したものであっても、一応は捜査されたはずよ。便宜上はね。それでも、見つからなかったのには理由がある」
「あの人が、情報操作出来る相手の場合」
即座にその可能性に思い至ったイシスにノアは頷く。
「それもあるけれど、あたしはこうも考えている。あの人が現場にいる看守ではない場合よ」
その言葉にはイシスも眉をひそめた。
「何故だ?」
「あたしは、あの人はトレーナー登録から除外される地位にいるような人間であるという可能性も一考している」
「政治家か」
「役人?」
イシスと小説家の言葉にノアは頭を振る。
「どちらも、刑務所内で起こった事件の情報操作をするには大き過ぎる役職。もっとミクロに、話を考えていいと思う」
「だとすれば、より分からないな」
イシスが首筋をさする。ノアは、「そうね」と爪を噛んだ。
今のままではあの人へと繋がる情報があまりにも少ない。ノアは手持ちポケモンのカードを切るべきか迷った。まだイシスがあの人の支配から脱し切れているという保証はない。もしかしたらあの人はイシスを通じてノアの情報の度合いを測っているのかもしれない。
「わたしが言える情報を開示しよう」
イシスが両手を開いた。ノアが目をやっていると、「このままでは埒が明かないよ」とイシスは微笑む。
「お互いに腹の探り合いが趣味のようだ。でも、今の状況ではそれは行ったり戻ったりを繰り返すいたちごっこ。どちらかが諦めて腹を割るしかない。今の状況では、わたしが折れる事にした」
どうやらノアの浅はかな考えは見透かされていたようだ。イシスの思わぬ審美眼に目を瞠るばかりであった。
「ノア・キシベ。いや、ノア、でいいか?」
その前の確認事項として尋ねてきた。ノアは首肯する。
「ノア。わたしはあの人に与えられたポケモンを持っている。ガメノデスの〈セプタ〉。特性は悪い手癖。攻撃を受けた時、または接触時に相手の持ち物を奪う。わたしはこれを用いてこの一両日中にあらゆる囚人から情報をいただいた」
「どうやって?」
「本人の大切なものを奪ってやれば、それを対価に情報を仕入れる事が出来る」
イシスの言葉にノアは唖然とした。駆け引きではイシスのほうが上のようだ。
「同室の女との戦いの後、わたしはあらゆる囚人から情報を得た。でも、あの人に関する情報はろくなものじゃない。わたしは、たった一日に六人のあの人の手先と出会うはめになった」
「六人……!」
その数にノアと小説家が戦慄する。まさかそれほどまでに手を張り巡らせていたとは。しかし、その事から導き出される事が一つある。
「確実に、相手は預かりボックスの利用者ね」
ポケモンは原則六体以上の所持は許されていない。ポケモントレーナーならば常識である。ノアでさえ、その常識だけは知っている。
「どうして六体までって決まっているか、お前らは知っている?」
イシスの質問にノアと小説家は顔を見合わせた。お互いに無知というわけだ。
「六体、というのが新人トレーナーに関しては適切な数字だから、ってのが一番有力な線。もう一つ有力な説が、六体ならばどのような強力なポケモンでも制圧出来ると政府が承諾したから、っていう話」
「そんな話、聞いたことないわ」
小説家の言葉に、「そりゃ、そうでしょうよ」とイシスは返した。
「これは表では噂レベルですら囁かれていないんだから」
暗にイシスが裏レベルの情報に精通しているという話だった。この状況ではイシスが一歩、情報面で優位に立ったという事だ。
「六体の制限に関しては、別にどうでもいい」
ノアは話を切り替えた。問題とすべきは、ただ一つ。
「相手がそれだけの駒を用意出来る環境にいるという事」
ノアはこれからの事を考える。イシスは、「同感」と頷いた。
「刺客がどれだけでも増えるって言うのと同じだからね」
「あんたが戦ったのは? イシス、でいいのよね?」
「ええ」とイシスは首肯し説明を始める。
「わたしが戦ったのは同室の女のジバコイルだけ。他の連中はまだ一進化もしていないポケモンを掴まされていた」
「渡されたポケモンに差がある?」
ノアが聞き返すと、「みたいね」とイシスは小説家に顔を振り向けた。急に視線を向けられたので小説家は萎縮した様子だ。
「でも、共通している最後の記憶は、スリープに記憶を消されるところ。どうやらみんなそうみたいだけれど」
「当の私は、〈インクブス〉から夢を取り出す方法が分からない」
小説家がしゅんと肩を落とした。自分に関連した記憶しか取り出せないのだろうか。ノアは訊いてみる。
「〈インクブス)の能力は、成長しないの?」
「無理よ。ノアも知っての通り、私の〈インクブス〉は戦闘用に出来ていない。せいぜい不意を突くくらい。真正面からの戦いには慣れていないわ」
「でも、〈インクブス〉の中にわたし達が失った記憶、お前風に言えば夢が入っているんだろう? それをどうにかして取り出せれば」
「試してみたわ」
小説家は額に手をやって髪をかき上げる。
「でも、どうやっていいのか分からない。もしかしたら〈インクブス〉は本当のところではわたしの事をトレーナーだと認めていないのかもしれない」
「深層意識では、あの人のポケモンであるという事か」
イシスは苦々しく口走った。ノアは小説家からイシスへと顔を振り向ける。
「でも、それだけじゃないんでしょう?」
予感があった。イシスはまだ何かを隠している。ノアの言葉にイシスは少しだけ驚いてから、予定調和のように穏やかな顔立ちになった。
「……本当に、最初に会ったお前とは全然違うな」
「教えて。一つでも情報が欲しい」
「なら、条件が一つある」
イシスが指を立てて示す。
「条件?」
「わたしが話せば、きちんとお前も話すんだ。自分の知り得る情報をな。フェアじゃないだろう?」
それはその通りだ。どちらにせよ、ノアは話すつもりだった。自分一人で戦うには非力である事は一番に理解している。
「いいわ」
ノアの言葉にイシスは首肯してから、「実は話には続きがある」と言葉を継いだ。
「これは奇妙な事なんだが、全員がノア、お前の無力化を命じられていた」
「何も不思議はないじゃない」
小説家の声にイシスは、「これはとてもおかしいんだ」と返す。
「だって、あの人はノアの無力化を命じていたんでしょう? 私達に与えられた命令とさして変わらない……」
「そこね」
ノアが理解して声を出すと小説家は目を白黒させた。イシスが、「鋭いな」とノアに目を向ける。
「あたしの無力化、という部分がおかしい。どうして殺害じゃないのかしら」
「あっ」と小説家が気づいた声を出す。イシスは心得たように頷いた。
「その通り。ふたご島刑務所はただでさえ、野生ポケモンによる事故が多い。事故死に見せかける事も可能であるし、他の囚人に殺させて罪を被せる事だって別に不可能じゃない。だというのに、だ。あの人がこだわっているのはそこなんだ。ノア、お前の無力化。これが最も異常な命令なんだ。どうして殺害でも排除でもなく、無力化なのか」
ノアもそれは薄々感じていた事だった。ランスは新生ロケット団のシンボルに祀り上げようとしていた。それは分かる。だが、あの人の一手である看守はそれを阻んだ。つまり、ロケット団経由の陰謀ではないという事と、そのような事をあの人は望んでいないという事実が浮かび上がる。
「ランスは……、面会人は、あたしを新生ロケット団のために使おうとしていた」
「ランス、というのは」
「育ての親よ。と言っても、お金を出してもらっていただけだけど。かつてのジョウトにおけるロケット団残党のラジオ塔ジャック時に幹部として働いていたわ」
「ロケット団幹部。とすると、殺害されたのはそのランスとやらか」
「いいえ。もう一人。ランスを殺した看守も結果的に殺された。その両人を殺したのは、同じポケモンよ」
ノアの言葉にイシスが眉根を寄せた。
「ポケモン……? トレーナーではなく、か?」
「ええ。変なポケモンだった。剣の形状をしていて」
「剣?」
イシスは小説家へと視線を向ける。小説家は頭を振った。
「知らないわね」
「そのポケモンに、看守のノクタスは操られている様子だったわ。思うに、あの人にとっては、ロケット団の首領に祀り上げられる事は本意ではなかった」
「つまり、組織めいた犯行である線は薄くなったわけだ」
イシスはすぐさま声を返す。ノアは、「それでも、ロケット団に対抗する組織である可能性の線は捨てきれないけど……」と煮え切らない声を出す。
「いや、それはないだろう」
イシスがその可能性を否定した。
「何で?」
「ロケット団は既に解散して歳月が経ち過ぎている。そのような残党組織にわざわざ対抗する組織があるとは思えない」
「同感ね。私もロケット団についてはいくつか著書を読んだけれど、もうほとんど忘れ去られているわ。今更、脅威と感じるほどじゃない。多分、新生ロケット団でさえ、ランスとか言う幹部の独断だったんじゃないかしら?」
そうなのだろうか。ノアは考える。本当にランスだけの夢物語だったのだろうか。それにしてはランスはいやに自信ありげだった。自分というカードを手に入れれば一発逆転出来るかのような……。
「新生ロケット団に関しては、恐らく脅威度は低いと考えていいだろう」
イシスの言葉でノアの思案は掻き消された。だとすれば、と次の思考に移る。
「あの人は何者なのか。何の目的でそれを阻んだのか、という疑問に突き当たるわね」
「ふりだしに戻ったな」
イシスが肩を竦める。小説家は、「でも、収穫はあったわ」と口にする。
「ノア。あなたの無力化をあの人は望んでいる。殺害でも排除でもなく、無力化。そこに何かヒントがあるんじゃないかしら?」
「ヒントねぇ……」
ノアは二段ベッドの下に座り込んだ。頬に手を当てて考え込む。
「それが分かれば苦労はしないんだけど」
「どちらにせよ、このままじゃ、わたし達は排除されるな」
無力化ではなく、と付け加えてイシスは小説家に視線を送った。小説家が肩を震わせる。
「何で、私まで……」
「ノア側についたんだ。当然だろう」
小説家は落ち着きなく周囲を見渡しながら両肩を抱く。
「心配要らないんじゃない? あんたには対象の認識を食うって言う能力が備わっているんだから」
「それは〈インクブス〉のものであって私のじゃないわ。それに、その能力だって全面的に開示されているわけじゃない」
その通りだろう。小説家からしてみれば爆弾を抱えているようなものだった。
「番人は、どうだ?」
イシスの提案にノアは目を向けた。
「番人って、モンスターボールの?」
イシスは頷き、「彼女らならば何か知っているかもしれない」と呟いた。
ノアもその予感はしていた。もしかしたら、このふたご島に蔓延る陰謀の渦をいち早く察知しているのかもしれない。
「行きましょう」
ノアは決断した。