ポケットモンスターHEXA NOAH











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イシスとカメテテ
第三章 八節「知的探求たい」

 監房に戻ったイシスはクロスワードパズルを解いている女性に出迎えられた。

「遅かったわね」

「ちょっと寄り道してた」

 イシスは簡素に答えて二段ベッドの上で寝転がった。何の気もなしに天井を眺める。岩肌がごつごつとしている。

「さっきはごめんなさいね」

 女性の言葉にイシスは咄嗟に反応出来なかった。

「何が?」

「お友達が、失礼な事を言ってしまって」

 夕食の時の事だろう。イシスは特に気にしていなかったが、謝罪された以上は失礼だという判断だったのだろう。

「別に。どうでもいい」

「あなたを傷つけたわ」

「そんなの」

 どうだっていい、とイシスが続けようとした直後、「〈デュアル〉はいないのね」と女性が遮った。

「ああ。ちょっとね」

「そう。本当に残念だわ。イシスちゃん」

「だから、気にしていないって。そんなの」

「いいえ。言わせてちょうだい。あなたを裏切ってしまった事を。そして、これから死を持ってあなたの未来を閉ざす事を」

 イシスはあまりにも滑らかに放たれた宣告に対応する事が出来なかった。一瞬、意味を吟味しようとして、パチリと何かが弾ける音が耳に届いた。

 言葉の理解と、電流が迸ったのは同時だった。

 イシスは二段ベッドから弾かれたように飛び降りて自分へと襲い掛かろうとした電気の牙を逃れた。二段ベッドの鉄柵を電流が行き交う。

 イシスは転がるように監房の床に手をついて状況を確認する。

 女性が片手にモンスターボールを握り締めてイシスに目を向けていた。傍らに影を落とす巨体が浮かんでいる。

 U字型磁石を両端に取り付けたネジの塊、あるいはUFOを思わせる容貌だった。赤い単眼がぎらついており、その両端には小型の眼がある。計三つの眼がイシスを睥睨していた。頭頂部に黄色いアンテナが立っており、ふわふわとその巨体が浮かぶのを手伝っているように映る。

「この、ポケモンは……」

 イシスが声を詰まらせると、「ジバコイル」と女性が告げた。

「ジバコイルの〈トリニティ〉。この子に勝つ事は、〈デュアル〉を出せないあなたからしてみれば不可能よね?」

 女性が立ち上がり、髪をかき上げる。イシスは、「何のつもりだ」と声を出した。

「何のつもりも何もないでしょう。最も早い理解を望むわ」

 イシスは沈黙を暫時挟んでから、「あの人の手先か」と口走った。それしか考えられなかった。

 女性は歌うように、「同じ標的を狙う人間は、二人と要らないわ」と口にする。

 イシスは反抗的な目を向けた。

「あんたがそんな奴だとはな」

「お互い様よ、イシスちゃん。あなたがノア・キシベの無力化に意欲的なのはいいけれど、あの人が知り過ぎるのも考えものだって私に処分を命じたのよ」

 ジバコイルは身体の両端にある磁石を回転させながらイシスへと狙いを定めようとする。どうやら緩慢な様子だったが、それでもイシスには脅威に映った。

「……忠告の矢先とは」

「番人に会ったのでしょう? 知る必要のない事、というのがこの世には存在する」

「それがノア・キシベについて、か」

 イシスは悟ってゆらりと立ち上がる。あの人はノアについて自分が疑念を深める事をよしとしなかった。ただ忠実に、駒であれと考えていたに違いない。

「知ろうとしなければ、私が動く事もなかった。本当に残念だわ、イシスちゃん。結構、気に入っていたのよ。あなたの事」

「わたしは、あんたの事は別に、何とも思ってなかった」

「嘘。無条件に信用していたくせに」

 女性の言葉に、「本当さ」と返す。

「だって、この段階になっても、あんたの名前を知ろうとも思わない」

 その言葉に女性は眉間に皺を寄せた。

「……どうやら、他人を怒らせる事だけは得意なようね。あなたの事、色んな人に聞いて回ったけれど総じて他人行儀な人間だって事は一致していたわ。決して自分を見せない、とも」

 自分を見せない、か。イシスは胸中で自嘲する。その通りだろう。女性は鼻を鳴らした。

「だから友達も出来ないのよ! 〈トリニティ〉!」

 弾かれたようにジバコイルが動き出す。浮遊しているために、その動きは思っていたよりもずっと滑らかだった。イシスへと接近しようとする。イシスは後ずさって監房を出た。廊下を駆け抜けようとするのを、「無駄よ!」と女性の声が追いかける。

「〈トリニティ〉は一度狙った獲物を逃がすほど、優しくないわ」

 その言葉通り、ジバコイルはイシスへと距離を離さずにぴったりと付いて来る。

 イシスは食堂へと降り立った。深夜の食堂には人っ子一人いない。テーブルや椅子を壁にして、イシスは逃げようとするがジバコイルは浮かんでいる上に時折放つ雷撃で椅子は粉々に砕けた。ジバコイルの放射する磁場に晒されたテーブルが粉砕され、放たれた電気の刃が端から溶断する。イシスは度々振り返りながら、何度か倒す方法を考えたが妙案は思い浮かんでくれない。

 椅子を放り投げるが、ジバコイルの放った一条の電磁の砲撃が椅子を砕け散らせてイシスへと向かってきた。イシスは咄嗟に飛び退いてそれを避ける。先ほどまでイシスの頭のあった位置を青い電磁を纏わせた砲撃が過ぎ去っていった。岩壁に突き刺さり電磁の波を這わせる。

 イシスは肌が粟立つのを感じた。

 もし、少しでも反応が遅れていたらどうなっていたか。

「だから、無駄だって、言ったでしょう?」

 ゆっくりと、余裕さえ感じさせる足取りで女性が食堂へと降りてくる。イシスは起き上がってくらくらとする頭を持ち直すようにこめかみを叩いた。

「〈トリニティ〉の眼を掻い潜ることなんて出来ない」

「〈トリニティ〉って、名前?」

「そうよ」と女性はジバコイルの体表を優しく撫でた。ジバコイルは目を細めてうっとりとしている。相当女性に懐いているようだ。

「元々はあの人のポケモンだったけれど、懐かせるのには時間はかからなかったわ。だってこれでもブリーダーの端くれですもの」

 得意気な女性にイシスは鼻の頭を拭いながら声を出した。

「それは、あんたの望んだブリーダーの姿なのかよ」

 語っていた、自身のブリーダーとしての性。それゆえに大切なものを失ってしまった悔恨。それらは全て嘘だったと言うのか。イシスには全てが嘘だとは思えなかった。

「実の子供を犠牲にしたんだろう。だったら、それなりに思うところはあるはずだ」

 言葉が利いてくれれば、とイシスは感じていたが女性は高圧的に鼻を鳴らした。

「どうでもいいわ。あんな母親の言う事をまるで利かない、人間の子供なんて。そんなものよりもずっと、ポケモンのほうが優れている。だって私の言う事をきちんと聞いてくれている。私を見てくれているもの。なのに、人間の子供ときたら何よ」

 女性の口調は徐々に棘を帯びて吐き捨てるものになっていく。

「私が必死に働いて、必死に面倒見ているのに、朝から晩まで言う事も聞かず、ビービー泣いて。泣きたいのはこっちだったわ。でも、みんな見て見ぬ振り。母親だったら子供の面倒を見るのは当たり前なの? 女だったら子供のわがままには眼を瞑るのが当たり前なの? そんなの私には耐えられなかった。ポケモンとずっと過ごしているほうが、ずっといいわ」

 女性の言葉にイシスは頭を振った。

「それはあんたの勝手だと思うぜ」

「何が勝手なものですか。母親の言う事は絶対でしょう?」

「それがエゴだって、何故気づかない? 子供は母親の道具じゃない」

「知った風な口を――」

 女性が手を振り下ろすとジバコイルの突き出した二門の磁石の腕に青い電磁が纏い付き、次の瞬間、球形を成したそれが発射された。電磁の砲弾はイシスへと直進する。イシスは身を屈めてそれを回避する。

「利かないでよ! それこそ子供の言い分だって、何故気づかないの?」

 一方は壁を穿ち、もう一方はイシスの行く手を阻んだ。眼前で電磁が脈打ち、イシスの前に壁を形成する。

「これで逃げる手は一つ封じた」

 女性の声に反対側に逃げようとしたが、その前にそちら側にも電磁の砲弾が放たれる。イシスはその場に縫い止められる形となった。

「これで二方向、封じた。ねぇ、イシスちゃん。これ以上、抵抗しないほうがいいと思うわ」

 女性の提案にイシスは肩を荒立たせながら、「それもあの人の命令?」と尋ねる。

「いいえ。私の意思よ。あなたはとても可哀想。友達もいないで、ただ孤独に歩んでいる姿は涙ぐましいわ。このふたご島刑務所は二度目だって言っていたわよね。でも、あなたに囚人仲間がいるようには見えなかった。いつでも独り。私は、あなただって救いたいのよ」

「救う?」

 女性の言葉にイシスは嘲った。

「どの口が」

「あの人の命令で今はあなたを襲っている。でも、ノア・キシベを追う事さえやめれば、あなたを逃がしてあげる事も出来るかもしれない」

 妥協案か、それとも本気で言っているのか、イシスには判断がつけられなかった。

「ノア・キシベの秘密を追う事が、自分達の不利益になると分かっているのか」

「お願い、やめて。これ以上、あなたを殺させる材料を作らせないで」

 女性は必死の体だったが、イシスにはそれも芝居めいて見えていた。

「どうかな。わたしをどちらにせよ消すつもりなのかもしれない。知り過ぎたわたしを」

「まだ、後戻りが出来るわ。あの人に相談してみましょう。そうしたら、きっと――」

「きっと、わたしは殺されるな」

 イシスは息を荒立たせながら言葉を遮る。それは間違いないだろう。ノアについて、少しばかり探っただけで殺されかけるのだ。あの人の前に出ればそれこそ格好の的だろう。

「イシスちゃん。大丈夫よ。あの人はそんな悪い人間じゃない」

「自分は姿を見せず、誰かを駒にする事しか考えていない人間が、いい奴なものかよ」

 イシスの中で既にあの人への疑念は確信となっていた。自分のような存在でも、障害になるのならば躊躇わない。駒を切り捨てる時は非情に。それが自分を操っている人間の本性ならば、もう迷わない。

「わたしは、わたしからそいつを裏切るまでだ」

 イシスの声に、「どうして分かってくれないの……」と女性は消え入りそうな声を出した。

「あなたの命がかかっているのよ。そんな、非情になりきれるわけが……」

「嘘だね。あんたは、そのジバコイルで私を殺す事に何の罪悪感も覚えていないよ。ちょうど自分の子供を、見殺しにしたように」

 イシスの言葉に女性はぴくりと眉を跳ね上げた。その反応にイシスが黙していると、女性は、「その事を……」と呟いた。

 イシスが僅かに後ずさろうとする。女性は顔を上げて叫んだ。

「その事を、軽々しく口にするな! この人間のクズが!」

 ジバコイルが女性の声に呼応して磁石の腕を突き出した。電磁を纏い付かせた腕が回転する。

「最早、生かしておく必要はないと、私が判断した。あの人にはこう言っておくわ。私のほうがあなたの理想に相応しい。と」

「それがお前の本性か」

 イシスの言葉に女性は吼えた。

「〈トリニティ〉、電磁砲!」

 ジバコイルから電気の砲弾が撃ち出される。イシスは両側を挟まれており後退しか出来なかった。しかし、後ずさっても結果は見えている。イシスはこの状態で、あえて前身を選んだ。「でんじほう」の塊が眼前に迫る。

「愚かな!」と叫んだ女性へとイシスは身体をばねのように縮こまらせる。頭上を電磁砲が行き過ぎ、イシスはスライディングして女性とジバコイルの懐へと飛び込んだ。

「これで!」

「何が出来る!」

 イシスの声に女性の声が被さる。確かにその通りだ。何が出来るというのか。自分でも分からない。しかし、一つだけ確かな事があった。

「ここでは死ねない。わたしは生き残る。ノア・キシベを知るためにも。だから、こいつの力を使う」

 イシスは腰のホルスターからモンスターボールを引き抜いて緊急射出ボタンに指をかけた。

 光を振り払って飛び出した影はカメテテとして最初、地についたがみしりと体表に亀裂が走った。

 水色の岩の身体が、まるで蛹のように罅割れてむくむくと触手が動き始める。まさしく新たな生命体の揺籃になるかのように。女性はそれを見てたじろいだ。

「何? 何をしているの?」

「今、わたしは殻を破る。誰かに与えられたものじゃない。わたしの意志で、誰かの事が本当に知りたい。わたしは、ノア・キシベの真実を知らなければならない」

 その言葉に膨れ上がったカメテテの身体がパチッと弾け飛んだ。岩の体表が周囲に砕けて飛ぶ。ジバコイルの鋼の身体を岩が打ち据えた。女性が手を前に翳して驚愕の眼差しで見やる。

「その、姿は……」

「あんた、ネーミングセンスないよ。三つだから〈トリニティ〉? 二つだから〈デュアル〉? わたしは〈デュアル〉なんてダサい名前はゴメンだね」

 イシスの眼前にいたのは二足で屹立する影だった。二本の腕の先は鋭い鉤爪になっており、さらに水色の岩の胴体からは三つの首が伸びている。そのうち二つは腕と同じように鉤爪であったが、眼があった。真ん中に挟まれているのは掌だ。掌には皺の代わりに顔面が刻み込まれている。鋭い双眸が射る光を灯した。

 二本の脚、二本の腕、二本の触手。――そして一つの掌の形状を取った顔面を持つ異質なポケモンだ。そのポケモンは身体を反り返らせて吼えた。今まさしく、世界に生まれた事を主張するように。

「ガメノデス……。カメテテの進化系」

「その通り、既にレベルは達していた。あとは、こいつとわたしの問題だったんだな。そして、今! こいつはわたしに応えてくれた。わたしのポケモンとしてある事を望んでくれたんだ!」

 イシスの言葉にガメノデスが首肯する。二本の腕と二本の触手を掲げてガメノデスがジバコイルと対峙する。女性は暫時、唖然としていたがすぐに持ち直した。

「そう。でも、ガメノデスは水・岩タイプ。私の〈トリニティ〉に葬られるために進化したようなものだわ! 電気・鋼のジバコイルにはね!」

 ジバコイルが攻撃の挙動を見せようとする。その前に、ガメノデスが二本の脚で跳躍した。

 爆発的に膨れ上がった触手は最早、カメテテの時のような虚弱さは感じない。ガメノデスはそのまま腕を交差させる。それと同時に、胴体から生えた三本の頭のうち、両端の二本まで交差させた。四本の腕が刃のように煌き、ジバコイルの鋼の身体を打ち据える。ジバコイルが傾いだ。女性が瞠目する。その鋼の身体に亀裂が走ったからだ。

「クロスチョップ。当然、弱点対策なんて初歩中の初歩だろう?」

 格闘タイプの技「クロスチョップ」が鞭のようなしなりも伴ってジバコイルを切り裂いた。本来ならば二本の腕で繰り出される技がその倍である四本で叩き込まれたのだ。ジバコイルは両端の眼を回してふらふらと浮遊する。

「〈トリニティ〉!」

 イシスはその声にため息を漏らした。

「……だからさぁ、あんた、やっぱりセンスないよ。〈デュアル〉って名前は返上だ。最早、二本を越えた、七本の剣。これからは〈セプタ〉と呼ぶ! あんたから貰った名前を捨てて、ガメノデスとわたしは殻を破る。見てな。これが、覚悟だ」

 ガメノデス――〈セプタ〉が弾かれたように動き出した。岩の体表を自らの鉤爪で削り落として一気に軽量化した〈セプタ〉がジバコイルの背後に回った。ジバコイルが反応する前に振るい落とされた鉤爪の一撃がジバコイルの磁石の腕を切り落とす。ジバコイルは腕を落とされてようやく認識が追いついたようだった。

「〈セプタ〉とわたしはこれから知る事になるだろう。ノア・キシベとわたしを操ろうとしたあの人について。わたしは、ノア・キシベに会わなくてはならない。その確信がある! わたしは、ノア・キシベを知的探求(しり)たい!」

 身のうちから湧いた言葉が〈セプタ〉の身体を通過して明確な意志として弾け飛ぶ。〈セプタ〉が鉤爪をジバコイルへと打ち込み、ジバコイルがぐらりと傾いだ。〈セプタ〉は両腕でジバコイルを下から突き上げる。ジバコイルが女性の上に影を落とした。

「食らえ。クロスチョップ!」

〈セプタ〉が四本の触手を用いてジバコイルを叩き落す。直下の女性が悲鳴の形に唇を固定する前に、その身体はジバコイルに押し潰された。ジバコイルはアンテナを叩き折られ、赤い単眼から光が失せていく。

 イシスと〈セプタ〉はその場から身を翻した。円柱へと声を投げる。

「見ているんだろ。番人」

 イシスの言葉に応じるかのように影が凝固し、カフカの姿を形作った。すぐ傍にホズミがいる。しかし、どちらも本物ではないだろう。メタモンが作り出した仮初めの姿だ。

「やはり、こうなったか」

「やはりじゃない。こうなったのはあんたらの責任でもあるんだ。教えてもらう。ノア・キシベに会う方法を」

『どうして、そこまで?』

 ホズミの声に、「何でかな」とイシス自身もこめかみを掻いて苦笑いした。

「多分、似ているんだろうな。わたしとノア・キシベは」

「だから、あの人よりプログラムされた怨恨の念も作用しなかった。その感情よりも、貴様の知りたいという欲求が勝ったわけだ」

「いけないか?」

〈セプタ〉が傍にいる。イシスの命令があればいつでも飛びかかれる姿勢だ。カフカは首を横に振った。

「理解に苦しむな」

『でも、あなたはノアさんの味方であろうとしている。それは確かね』

 ホズミの言葉にイシスは頷いた。誰かに命じられたからノアの事を知ろうと思っているのではない。自分のためにノアを知るのだ。

「わたしにとって、必要だと思うから」

『それを人は引力に喩えるのよ。どうしても引き合う運命にある者達を』

「能書きはいい。ノア・キシベに会うには、どうしたら?」

 イシスの無遠慮な声にカフカが眉をひそめたがホズミが応じた。

『いいでしょう。教えます。ノアさんに会う方法は――』

 暗黒色に染まるふたご島の中を一つの言葉が舞う。それはこれから起こる全ての出来事の片鱗に過ぎない。イシスはその予感に身震いした。





第三章 了


オンドゥル大使 ( 2014/08/14(木) 20:30 )