第三章 六節「十三番通路へ」
番人とは果たしてどのようなものなのか。
イシスは夕食を受け取るために食堂へと向かっていた。カメテテの〈デュアル〉を抱えている事に物珍しそうな目を送ってくる人間はいたものの、イシスは自分から関わろうとは思わなかった。テーブルの角にトレイを置いて椅子に座る。〈デュアル〉を床に置き、イシスは夕食を口に運ぼうとした。マカロニサラダだったが、それを今まさに飲み込もうとした矢先、それが視界に映った。
柱の陰に二つの人影があった。イシスがどうしてその人影に気づけたのかと言えば、相手もこちらを注視しているからだ。その視線の放つ矢のような鋭さにイシスは咄嗟に身構えた。
――殺気だ。
カメテテを抱えてもう一度、柱の陰を見やるともう人影はなかった。イシスは夕食を置いて柱へと歩み寄る。大理石で出来た、頑丈そうな円柱だった。近寄れば、二人もの人間が一瞬にして隠れられるほど大きくはない事が分かる。柱に触れながら必死に二人組を探した。
「今、一瞬だけ見えたんだ。顔は……」
顔までは見えなかった。ただ、確かにこちらを見ている事だけは察知出来たのだ。イシスが柱を覗き込んでいるのを怪訝そうに尋ねる声があった。
「何してるの?」
視線を向けると同じ監房の女性が首を傾げている。イシスは柱を叩いて、「何でもない」と答える。
「コンタクトでも落とした?」
「わたし、裸眼だし。視力は悪くない」
「そう。じゃあ、何を?」
「別に。何でもないさ」
そう、と女性は通り過ぎていく。イシスがほっと胸を撫で下ろした直後、背後に気配を感じた。
すっと、すぐ後ろに立たれた感触に振り返ろうとすると、「振り向くな」と鋭い声が放たれた。矢を射られたかのようにその場に縫い止められる。
「番人か」
ようやく声を発する事が出来た。しかし相手は答えない。イシスは〈デュアル〉に指示を出そうか迷っていたがそれを見透かしたように、「ポケモンに命令を下せば」と声が返ってくる。
「これ以上の情報はないと思え」
「つまり、手を出さなければ情報をくれるってわけか」
イシスの言葉に相手は鼻を鳴らした。
「ただで与えるつもりはない。しかし、嗅ぎ回られても面倒だ。あの厄介者がいなくなって清々しているというのに」
「厄介者っていうのは、ノア・キシベの事かい?」
尋ねると返事がなかった。それが答えなのだろう。
「お前は、モンスターボールを求めているわけではないな」
「分かるのか?」
「〈ザムザ〉がこの刑務所内ならば隈なく監視の目を光らせている」
〈ザムザ〉、と呼ばれるものが何なのか分からなかったが、その追及は今はよしておく。イシスは状況を客観的に分析する。
柱の陰から現れた何者かに自分は交渉を持ちかけられている、と考えていいのだろうか。相手が小説家の言にあった番人だとして、モンスターボールを所望しないイシスに接触した理由は一つしかない。
「ノア・キシベ。彼女について、あんたは、いや、あんたらは何かを知っている」
確信めいた言葉に相手が舌打ちを漏らした。
「答えを求めるのならば地下二階、十三番通路で待つ」
「待てよ。十三番通路なんて地下二階にはなかったはずだ」
「探せ。求めよ、さらば与えられん。探せよ、さらば見つからん。叩けよ、さらば開かれん」
「新約聖書。主の言葉」
「イエス」
相手が応じたのとイシスが振り返ったのは同時だった。しかし、相手の影も形もなく、柱の陰が黒々と足元にあるだけだった。
「一瞬で姿を消した……」
否、最初から相手などいなかったのか。しかし、先ほどまでの刺すような気配は勘違いにしては生々しい。イシスは首筋をさすり、夕食を置いたテーブルに向かった。トレイを持って、監房の女性の前に行く。女性は複数の囚人に囲まれていた。人望が厚いようだ。
「ねぇ、地下二階に十三番通路ってある?」
だからか、イシスの言葉は不意打ち気味に響いたのだろう。女性は瞠目し、他の人々はひそやかに声を交わし合った。
「誰?」
「同じ監房の子。イシス・イシュタル」
女性が説明し、イシスへと向き直った。
「十三番通路なんてないわよ。あるのは十二番と十四番だけ」
「間は?」
「だからないって」
「ああ、そう」
イシスは身を翻した。公式にはないとされている場所なのだろう。「なにあれ」、「感じ悪い」と声を交わし合う囚人達を女性がいさめていた。イシスは夕食をテーブルの隅で片付けて、早速地下二階へと潜る事にした。