ポケットモンスターHEXA NOAH











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イシスとカメテテ
第三章 三節「陰謀の渦中」

 指輪を持て余しながら、イシスは朝食の場に顔を出した。すると、声がかかる。

「よう、イシス。シャバはどうだった?」

 尋ねてくるのは前回、ふたご島刑務所に収監された際、顔見知りになった人間だ。

「代わり映えはしないよ。検閲は厳しくなる一方だ」

 言論の自由、結社結成の自由、全てが奪われている。

 今のカントーには地下組織らしい地下組織がいない代わりに政府公認の組織が幅を利かせている。少し前までのカイヘンではそれはウィルだったのだが、今やカイヘンで独自に作られたブレイブヘキサの発言力が強い。聞けば、年の頃はあまり変わらない少年がリーダーだと言う。別段、羨ましいわけではなかったが、組織を運営するとなると大変だろうなという見当違いの考えが浮かぶだけだ。

「それよりも、それ。出しっ放しなのか?」

 指摘されたのは両腕で抱えたカメテテだった。カメテテは移動する際、伏せって触手を伸縮させてゆっくりと移動する。しかし、それではいつまで経っても監房を出られる気がしないのでイシスが抱えているのだ。

「ああ、出しっ放し。何か問題が?」

「いや、ないけれど、脱獄未遂だと思われるぞ」

「かもなー」

 カメテテは見れば見るほどに決して愉快とは思えない顔立ちをしていた。まず、岩から伸びた触手に顔がついている事に驚愕した。掌サイズの顔面はしかめっ面をしている。二本の触手にはそれぞれ意思があるようだったが、お互いの動きを尊重して決して仲違いはしないようだった。

 イシスはその言葉を同じ監房の女性から聞いた。どうやら自分が話した内容らしいのだが、完全に消えていた。カメテテのレベルを確かめる。

「レベル50は超えている、か……」

 もし進化系が存在するのならば進化してもおかしくないレベルだったが、カメテテはそういう素振りは見せない。

 テーブルに置くとカメテテは伏せってぺったんぺったんと這い進む。イシスは朝食を受け取ってテーブルに戻ると、ほとんど動いていなかった。イシスはサンドイッチに齧り付きながら思い出せる限りの事を脳裏に描く。

 面会人にモンスターボールを手渡された。しかし、本来ならば家族が渡しに来るはずだ。あの面会人は家族ではなかった。さらに言えば初対面だった。加えてイシスの本来の手持ちはカメテテではない。ダイケンキである。だと言うのに、カメテテが手持ちとなっているのはどういう事なのだろう。

 イシスはベーコンエッグサンドをむしゃむしゃと頬張っていると、カメテテが不意に顔を起こした。その視線の先に自分のサンドイッチがある事に気づいて、イシスは恐る恐る手を差し出す。すると、鉤爪でサンドイッチを引っ手繰るとがっつき始めた。イシスは頬杖をつきながら呆然と眺めていると、このカメテテを使って、何かしろと命じられた事を思い出す。

 命じられたのは、ノア・キシベの無力化だが、イシスにはそれが必要な条件だとは考えられなかった。ノアに危険はない。留置所で会った時、話の通じる奴だ、という印象があった。自分以外にも何か余計な事に時間を割いてしまう奴がいるのだと、少しだけ親近感さえ覚えた。

 だが、ノアに課せられている十字架は重い。

 キシベの娘。かつてカイヘンを脅かし、カントーを恐怖のどん底に陥れた未曾有のテロ事件、ヘキサ事件の首謀者の娘。今までどうしてその存在が明るみに出なかったのかが不可解だが、カントーはキシベの娘を放っておくような愚鈍さは持ち合わせていない。

「いや、そもそも、どうしてあいつは今になって……」

 イシスは頬杖をつきながらサンドイッチに齧りつく。

 思えば不可解な事だらけなのだ。ノアがキシベの娘だとして、何故今なのか。もっと前に、その存在が確認されれば彼女は思想犯としてではなく、世界の敵として認識されてもおかしくはない。それこそ私刑に処せられても何の文句も言えない立場だ。しかし、彼女は十五年間、生き永らえてきた。どういうからくりが働いたのか。何が、彼女を安全に生存させたのか。それが謎である今の状態は決して好ましくない。

 だが、自分はそんな事を考えて時間を潰すような暇はないのだ。自分にはやるべき事がある。

「ノア・キシベの無力化、か」

 面会人に命じられたノアの無力化。どうしてだか知らないが、自分の内奥にはノアを恨んでいる気持ちさえある。怨恨を抱くような関係性ではなかったはずだが、いつの間にか芽生えた感情だ。

 ――ノア・キシベを許さない。

 どうして許さないのか。そもそもどのような因縁なのか。それらの関係性はすっ飛ばして、ただ「許せない」という事実だけが頭の中にあった。

 これは原初からのものなのだろうか。それとも面会人によって植え付けられたものなのだろうか。

「どちらでもいい、な」

 イシスはサンドイッチを口の中に放り込んで、「行くぞ、カメテテ」と口にした。カメテテはぺったんぺったんと伸縮しながらゆっくりと進んでいく。イシスは呆れてカメテテを抱き上げた。

 カメテテは意外に重い。三十キロ前後はあるのではないだろうか。監房に戻ると、女性が知恵の輪を解いていた。女性は頭の体操が好きなのか、様々な道具を持っている。折り紙や、ブロックもあった。イシスの姿を見つけて、「カメテテは出したままなのね」と女性が口にする。

「一度モンスターボールに戻すと二十四時間の制限を受ける。そうじゃなくってもこいつはモンスターボールの開閉システムに介入して勝手に出てくるんだ。出していたほうが手間の減る」

 カメテテを監房の床に放つと、腹這いになってぺったんぺったんと這い進み始めた。移動方法がそれしかないようだ。顔面が床に密着しているので前が分からないのではないかと思ったが、鉤爪を細かく動かして空気の流れを読んでいるらしい。カメテテはゆっくりと動いていた。イシスは椅子に座ってそれを眺めている。すると、女性が声をかけた。

「カメテテって、よく見ると可愛いわね」

 イシスは目を見開き、「可愛い? こいつが?」と顎でしゃくる。カメテテはイシスの嫌悪の視線など感じていないのか、同じように動くばかりだ。

「よくよく見ると愛嬌があるわよ」

「これに愛嬌があるんなら、マッギョとかにも愛嬌がありそうだ」

 マッギョというのはイッシュに主に生息するポケモンで沼地に多い。愉悦の形に吊り上げられた眼に平べったい独特の形状は一見すると気持ち悪いが、反面、熱狂的な支持層も獲得しているらしい。

「マッギョは可愛いじゃない。だからカメテテも可愛いと思うわ」

「こいつを形容するのにキモチワルイ以外の形容がわたしには見つからない」

 イシスの声にもカメテテは反応する素振りはない。イシスの言う事を聞いているようだが、それはモンスターボールの支配によるものだろう。本当のところでは信用しきっていないのは目に見えている。

 知恵の輪に悪戦苦闘している女性へとイシスは歩み寄り、「こうやれば解けるんじゃない?」とアドバイスを行った。すると、するりと二つの知恵の輪は解けた。女性が喜ぶかと思ったが、反対に女性は不服そうだった。

「どうした?」

「自分で解こうと思っていたのよ」

「そいつは残念。わたしのほうが早い」

「イシスちゃん。頭の回転が速いのね」

 イシスは眉根を寄せた。それどころか自分は頭の回転が他人よりも数倍遅いと自覚していたからだ。

「偶然だよ、偶然」

 イシスは片手を振るって話題を切り替えた。

「それよりさ」

「何?」

 女性は知恵の輪を元に戻そうとしている。イシスは手伝おうかと思ったが、余計な尾鷲になるだろうとやめておいた。

「ノア・キシベって囚人、知ってる?」

「ああ、それなら有名よ」

 意想外なところでノアの情報が手に入ってイシスは若干うろたえた。まさか、知られているとは思っていなかったのだ。

「どういう風に?」とイシスは質問を重ねると、女性は怪訝そうな顔をした。

「何?」

 イシスが金髪を掻きながら口にすると、「それも昨日言ってた」と女性がイシスの胸元を指差した。

「本当に忘れているのね。虫食い状態。ふたご島刑務所が騒然となったわ。脱獄未遂ですって」

「脱獄未遂?」

 にわかには信じられなかった。ノアはただ者ではないと思っていたが、まさかこの絶海のアルカトラズを前にして脱獄を企てるとは。無茶無謀を通り越して、一種の羨望すら感じる。

「それだけじゃないみたい」

 女性は声を潜めた。これから話される内容が決して褒められたものではない事を察したイシスが耳をそばだてる。

「何でも、殺人も犯した可能性があるんだって」

「ノア・キシベが、殺人?」

 信じられない、と思わず続けていたが、「信憑性のある情報よ」と女性は続けた。

「看守さんに聞いたの。もちろん、袖の下を渡してね」

「その時の状況、詳しく教えてもらえる?」

 イシスがぐいと突っ込んできたので女性は少し気圧された様子だった。

「あなたが知ってどうするの?」

 どうするのか。自分でも分からない。ただ、知る必要があるとだけは感じる。

「ノア・キシベの人となりは何となく分かっているんだ。留置所で一緒だったから」

「まぁ」と女性は口元に手を当てる。彼女からしてみれば奇妙な符号だろう。

「だからノア・キシベに関して何か情報がないかってしきりに訊いてきたのね」

 どうやら自分は既に内偵を始めていたらしい。ただ、その自分とは断絶しているが。

「ノア・キシベってどういう子なの?」

 女性の質問にイシスは出会った時の状況を思い返した。イシスの質問にも動じず、冷静な判断力を持っているように思えた。だからこそ、殺人と言うのは奇妙に浮いた事柄に思える。

「しっかりしている奴だったと思う。別に自分の境遇を可哀想がって欲しいとも、同情して欲しいとも思っていないようだった」

「すごいわね」

 女性が感嘆の息を漏らした。イシスも、もし自分がその立場ならば押し潰されていただろうと推測する。ノアには何かしら諦観めいたものがあった。この世界を斜めに見ているとでも言うのか。まともな感情で世界を見つめているわけではない事は一見して理解出来た。

「ノア・キシベって、あのキシベの娘なんでしょう?」

 女性の言葉にイシスは首肯する。これは公然の事実だろう。このふたご島刑務所において隠し立てする意味はない。

「怖いわ」と女性は肩を抱いた。

「どうして?」

「だって、稀代のテロリスト、キシベの娘よ。何を考えているのか分かったものじゃない」

 普通の人間はそう考えるのだろうか。イシスにはノアが全く理解不能な思考回路を持っているとは思えなかった。十五歳にしては少し達観している部分があったが、それ以外は普通の少女だ。

「ノア・キシベ本人に危険思想はないよ」

 イシスの言葉に、「本当かしら?」と怪訝そうな目を向ける女性だったが、直接会って話したのだから間違いはないと感じていた。

「でも、イシスちゃんはノア・キシベに恨みがあるんでしょう?」

 指摘されて、ああ、と思い返す。そうだ。ノアには恨みがある。しかし、何をどう恨んでいるのか、その部分が判然としなかった。

「ああ、うん。多分、わたしはノア・キシベを恨んでいる」

「世界の敵の娘だものね。考えるだけで恐ろしいわ」

 どうやら女性はイシスが過去にノアから何かしらの攻撃を受けたものだと勘違いしているらしい。ノアから何かをされた覚えはない。しかし、恨みだけはしこりのように自分の中で固まっている。

「ノア・キシベに接触する方法は」

「ないわよ。彼女は一週間の懲罰房送り。一週間後、戻ってきたとしても誰も話しかけようなんて思わないでしょうね。看守でさえ。……ここだけの話なんだけれど」

 またか、とイシスは半ば呆れつつもその話を聞いた。

「ノア・キシベが殺したのは看守と面会人みたい。だから、脱獄未遂の罪もついている」

 イシスはそこで違和感に気づいた。だとするならば、何故――。

「何故、ノア・キシベは完全な脱獄をしようとはしなかったのか」

「さぁ」と女性が肩を竦める。その時になってようやく知恵の輪が完成した。

「脱獄を途中で諦める何かがあったんじゃない? よく分からないけれど」

「面会人の名前は分かる?」

「看守さんに聞けばどうにか分かるんじゃない? もちろん、それなりの額は必要だろうけれど」

 イシスは手持ちを確認した。カメテテでポケモンバトルを制する事が出来るとは思っていない。だから予め獄中に入る前に手に入れた金でやりくりするしかない。

「どれくらい?」

「五万くらいで教えてくれるんじゃない?」

 五万か、とイシスは金の勘定を始める。その程度の情報を見逃してもノアを追い求める事が出来ような気がしたが、ここは早道を使おうとイシスは思った。出来うる事ならば最小限に出費は抑えたいが、これも必要なものだ。イシスが監房を出て行こうとすると、「忘れ物」と女性が声をかけた。カメテテが横たわっている。

「世話してよ」

「嫌よ。噛み付かれたら」

 イシスはカメテテのシュールな外見から噛み付く事はないと思っていたが、鉤爪は鋭い。怪我をさせれば厄介な事になる。もう一度、イシスは抱き上げた。カメテテが二本の頭部を揺らして反応する。

 出て行く直前、イシスは気になっていた事を尋ねた。

「ねぇ。カメテテって何タイプ?」

 女性がパズルを始めようとした矢先だった。「確か」と顎に手を添えて考え込む。

「水・岩タイプじゃなかったかしら。あまり詳しくないからね。私の情報は当てにしないで」

「参考にはするよ」

 イシスはカメテテを抱えて監房から出て、看守を探した。ずんと重いカメテテの重量を確かめながら、イシスが歩いていると今朝方出会った看守が警棒を振る翳しながら歩いているのを見つけた。

「看守さん」とイシスは呼び止める。看守は振り返ると、「何だ、またお前か」と眉をひそめた。イシスの手にカメテテがある事に気づくと、「ポケモンの出し入れは――」と説教が始まろうとした。イシスはそれを遮って、「聞きたい事があるんですよ」と本題を切り出す。

「何だ? 下らない事ならば一蹴するぞ」

「下らなくはないと思います。ノア・キシベの脱獄未遂についてです」

 その名前を出した途端、看守が目に見えて緊張したのが分かった。それだけセンセーショナルな事件だったと言う事なのだろうか。イシスは言葉を重ねる。

「どういう経緯でノア・キシベは脱獄を企てたのでしょう。それが知りたい」

「……知ってどうする?」

 イシスに対して看守は警戒の眼差しを向けている。答えを間違えば永遠に機会を失うであろう。慎重に言葉を選んだ。

「囚人同士の話題についていけなくって。これから先、十年も過ごすんですから円滑な人間関係が必要かと」

 イシスの言葉に看守はまだ信じられない様子だったが、やがて監視カメラから見えない角度で指を伸ばした。どうやらここから先はタダというわけにはいかないらしい。イシスは予め女性から貰っておいた折り紙を手渡す。兜の型に折られたその中に五万円ほど入っていた。看守は一瞬だけ確認すると、すぐにそれをポケットに入れた。手馴れた動作だ。

「ノア・キシベは面会人を殺し、その後に看守を殺したと思われる」

「どうして、断言出来るのですか?」

「生き残っていたのが、ノア・キシベだけだったからだ。看守は胸を一突きされていた。残忍な犯行だよ」

 看守の言葉にイシスは疑問を挟んだ。

「面会人の犯行だとは考えられなかったんですかね」

 イシスの言に看守は眉根を寄せて、「それも考えたよ」と息を吐き出した。

「確かに、面会人もポケモンを出していた。しかし司法解剖の結果、面会人が殺された後、看守が殺されたのだと証明された。ノア・キシベだけが無傷だった。両方を殺せる機会があったのは、ノア・キシベだけだ」

「なるほど」

 筋は通っているように思える。しかし、イシスは違和感を払拭出来なかった。話の筋は通っている。だからこそ、何か疑念のようなものが付き纏う。

「ノア・キシベの、凶器は?」

「ポケモンだろう」

「じゃあ、調べたのですね」

「ああ。ヤミカラス。ノア・キシベは〈キキ〉と名付けていたが」

「〈キキ〉」

 イシスが鸚鵡返しに言葉を発する。ノアの印象からポケモンにニックネームをつけていたとは意外だった。

「ヤミカラスからは、死体に触れたような形跡はなかった」

「じゃあ、断言は……」

「しかし、では誰が、殺したと言うのだ。あの面会室には看守と面会人、そしてノア・キシベの三人しかいなかったのだぞ。それに死体には触れた物証はなかったものの、ポケモンとの戦闘の形跡はあった。ノア・キシベはヤミカラスを繰り出して面会人のポケモンと戦ったのだ」

「何のために?」

「面会人が何かしらの強硬手段に出たのか、それともノア・キシベが凶行に及んだのか」

 看守も煮え切らない様子だった。イシスは質問を重ねる。

「監視カメラは?」

「どうしてだかオフになっていた」

 イシスは首をひねった。どうにも不可解な事が多い。

「ちょっと整理させてください。面会室にいたのはノア・キシベと看守、それに面会人。殺された順番は面会人、看守の順番。ポケモンは無力化されていた。しかし、肝心のヤミカラスが面会人と看守を殺したかどうかは分からない。そういう事ですね?」

 確認の声に看守は渋々と言った具合に首肯する。

「まぁ、そうなるな」

「だとすれば早計なのでは? ノア・キシベが殺したかどうかは結局のところ分からない」

「しかし、ポケモンを出していたのだ。何かしらの戦闘行為があったと見るのが当然だろう。それに生き残っていたポケモンはノア・キシベのものだけだった。状況証拠は充分に揃っている」

「でも、状況証拠だけです」

 それに本当に必要な要素が揃っていない。ヤミカラスは看守の胸を一突きできるほどの能力だったのか。イシスはさらに尋ねた。

「面会人は? どう殺されていたんです?」

「看守と同じさ」

「では、胸を一突き」

「ああ。一撃の下に、だ」

 イシスは顎に手を添えて少し考える仕草をしてから、「では、ヤミカラスのレベルを教えてください」と言っていた。

「聞いてどうする?」

「ノア・キシベが本当に犯行に及んだのかどうか、確かめる材料が欲しい」

 看守はイシスの言動に対して怪訝そうな目を向けていた。イシス自身、戸惑っている。どうしてそこまでノアの事を知ろうとしているのか。看守はノアが犯人だと決め付けている。それでいいではないか。ノア・キシベの無力化は成し遂げられている。

 ――でも、納得いかない。

 自分の中のしこりを解消させなければ、前には進めない。ノアは、本当に看守と面会人を殺したのか。

 イシスの言及に看守は、「褒められた事じゃないな」と呟いた。

「あまり、揉め事に首を突っ込むのは」

「でも、わたしは知りたいんです。ノア・キシベがそれほどまでに残忍だったのかどうか」

 自分の中のイメージを崩したくないのもあったのか。イシスの声にはいつの間にか熱が篭っていた。

 看守は、「そうさなぁ」と額に指を当てる。イシスが黙って待っていると、「しかし、世界の敵の娘だ」と看守は口にする。

「動機なんて、そんなもので充分だろう?」

 キシベの娘である事だけで片付けられて欲しくない。イシスはなおも食い下がる。

「看守さん。ノア・キシベは本当にそんな事が可能だったのか。客観的に教えてください」

 イシスの言葉に看守は唇をへの字にして、「そこまで言うか」と呟く。イシスの情熱が一種異様に映ったのだろう。イシスは、もう一葉の折り紙を手渡す。追加料金だった。それを周囲に目を配りながら手早くポケットに入れた看守はわざとらしく咳払いした。

「ヤミカラスのレベルは48。特性は悪戯心。しかし、知っての通り、ヤミカラスそのものは決して強くない」

 看守は遠い眼差しを送りながら、「これは面子に関わるのであまり言いたくないのだが……」と声を潜める。イシスは耳をそばだてた。

「監視用のモンスターボールではなく、一般のモンスターボールに入れられていた。つまりすり替えが行われた形跡があったという事だ」

 語られた事実にイシスは、「可能なんですか?」と訊いていた。ふたご島刑務所は二度目だが、黒いモンスターボールから普通のモンスターボールに入れ替える事は原則出来ないはずだ。

「我々にも分からん」と看守は首を振る。

「だが、何者かがモンスターボールの入れ替えを行った。看守レベルの人間が関与している可能性が高いために、公には出来ないが、以前よりそのような事はよくあったと言う」

 イシスは初耳の言葉に目を見開いていた。このふたご島刑務所に囚人に味方する勢力がいると言うのか。

「何のために?」

「我々のモニターの目を掻い潜るためだろう。一度没収した程度で矯正されるとは思えない。ノア・キシベのモンスターボールとヤミカラスについてはそのままの処遇だ」

「つまり、お咎めなし、と?」

「仕方がないだろう。それが公になれば囚人達はここを出た後、ふたご島刑務所の穴を暴露するに決まっているからな」

 臭いものには蓋の理論か、とイシスは納得すると同時に、このふたご島刑務所が決して難攻不落のアルカトラズではない事が証明された。

「どうやってそれを手に入れたか、などと聞くなよ。我々にも分からんのだ」

 イシスは頷くと共に新たに湧いた疑念を尋ねる。

「ヤミカラスはいつでも繰り出す事が出来た」

「それが、我々がノア・キシベを犯人だと判断した材料でもある」

「でも、それは看守さんや面会人も同様では?」

 イシスの言葉に看守は繭を跳ね上げる。

「何だ? 貴様、我々を疑っているのか?」

 しまった、とイシスは口を噤む。頭を下げて、「失言でした」と訂正した。

「でも面会人は出来たんですよね。それを」

 看守は周囲を見渡す。憚るような小声で、「これは極秘で頼む」と前置きした。イシスは頷く。

「面会人は、財界に顔の利く人間だった。恐らくは金で検査をパスしたのだと考えられる」

「権力者ですか。一体、誰だったのです? 面会人って」

 ノアを訪ねてくる面会人がただの人間であるという事はないだろう。相手はキシベの娘である。わざわざ泥を被るような真似をしてまで、ノアに会いたかった人物とは。

 看守は一つ息をついてから、その名を口にした。

「ランス。元ロケット団幹部だ」

「ロケット団……!」

 思わず大声になりそうになったイシスへと看守は指を立てて静かにと促す。イシスは口元を手で覆いながら、「ロケット団って」と言葉を続けた。

「じゃあ、ノア・キシベを訪ねる理由は充分にあると」

 看守は黙って頷く。しかし、それならばなおの事分からない。面会人――ランスはロケット団幹部。恐らくはノアを新生ロケット団に祀り上げようとして訪ねてきた。ノアが断ったのならば強硬手段に出ようとしただろう。ランスがポケモンを出していた理由がここで説明出来る。ノアはそれに応戦してヤミカラスを繰り出し、戦った。ここまではいい。

 問題はその次だ。

 ノアは戦って勝利したにせよ敗北したにせよ、ランスを殺す動機がない。殺せば自分が疑われる事は自明の理だ。わざわざ罪を被る理由が思い浮かばない。

 さらにネックとなるのが看守殺し。例えば、ランスが邪魔な看守を先に殺したとして、逃亡を企てたのならばまだ理解出来る。

 しかし、殺された順番はランスの後に看守なのだ。これではつじつまが合わない。ランスの企てが失敗して、看守に逆に殺される結果になったのだとしても、ノアが看守を殺す理由が思いつかない。

「考えれば考えるほどに、奇妙ですね」

 全くだ、と看守は頷く。

「こんな事は言いたくないんだが、せめて死んだ順番が逆だったのならもう少し説明がついたんだけどな」

 死んだ順番。それこそがこの状況を紐解く鍵となるのだろう。

「何か、ランスに関して分かった事は?」

 イシスの質問に、「何も」と看守は首を振る。

「何もって、さすがに調べているんでしょう?」

「だからって我々ふたご島刑務所の看守に情報が降りてくるわけではない。テレビでも報道管制が行われている。看守と面会人を殺したのが世界の敵の娘となれば、まさしくカントーを震わせる一事件だろう。だけど、上はそれを表沙汰にしたくないらしい。そりゃ、不祥事になってしまうからな」

 面会人、それもロケット団員から賄賂を受け取ったという事だろう。またはろくに調べもせずに通した怠慢か。どちらにせよ、ふたご島刑務所が不利な立場に立たされるのは明白である。

「おっと、この事は」

 口を滑らせたと思ったのだろう。イシスが娑婆に出て口外しないとも限らないのだ。「分かっています」と返す。

「情報源は漏らしませんし、これはわたしの個人的な調査の範疇です」

「そう言ってくれると助かるな。だが、決して立場が逆転したわけではないぞ」

 それを確かめるように看守は警棒を握る手に力を込める。イシスは、「重々承知していますって」とカメテテを盾にした。

「だから乱暴はよしてください」

「よし、分かっているのならばいい」

 看守は鼻息を漏らした。イシスは、「もう一つ」と訪ねる。看守は胡乱そうな目を向けた。

「まだあるのか?」

「ええ。元ロケット団幹部、ランスだと分かったのはどの段階ですか?」

「それは、当然、事後だろうさ」

「つまり、死んでから分かった、と?」

「相手も国際指名手配犯だ。偽装くらいはしてくるだろう」

 仮にも世界を支配しようとしたロケット団の幹部である。当然の事ながら、身元がすぐに割れるようなへまはしないだろう。

「じゃあ、ロケット団幹部、ランスは生きているうちは自分が決してロケット団員だと明かさなかったわけですか?」

 イシスの質問に、「くどいぞ」と苦言を漏らす。

「そう言っているだろう。もし明かしたとしたら、その場で取り押さえられる。……あっ」

 何かに気づいたように看守は声を上げる。イシスもそれの意味するところを汲んで頷いた。

「看守さん。わたしは確認したいんですよ」

 看守が唾を飲み下したのが気配で伝わる。自分の推理の行きつく先を見据えたのだろう。眼球がわなわなと震えていた。

「ランスがロケット団幹部だと明かした時、その時はノア・キシベの前であると推測されます。その時に、看守の目がないのはおかしいでしょう?」

 看守は、「しかし……」と言葉を濁した。気づいているのだろう。その可能性に。

 ――看守がグルであったという可能性に。

 もちろん、それは金を掴まされただとか、知らぬ存ぜぬを通せだとかそういうレベルの問題ではない。もとより承知であった、という可能性だ。

 つまり、面会室にいた看守は全てを承知の上で面会に臨み、何らかの目的を果たそうとした。しかし、その目的は潰えた。何かが起こったのだ。ノアがその途中で反抗したのかもしれない。本当のところは分からないが、何か予定外の事が起こり、看守とランスはお互いの目的を見失って殺し合った。

 そのシナリオの渦中にいるのは間違いなくノアだ。

 一体、ノアに何があるというのか。

「俺が、教えられるのはここまでだ」

 看守がすごすごと逃げていく。イシスは追おうとは思わなかった。それよりも、追及すべき真実があった。

 ――ノア・キシベとは何者か。

 どうして自分はノアの無力化を命じられたのか。

 カメテテへと視線を落とす。二本の触手を揺らめかせながら、カメテテは仏頂面を崩さない。

 カメテテを授けた相手、自分の面会人は何を望んでいたのか。イシスは知らねばならぬ事がこのふたご島刑務所の裏側で蠢いているのを感じた。



オンドゥル大使 ( 2014/08/14(木) 20:29 )