第二章 九節「戦闘意識」
「ポケモンには相性がある」
カフカの変身したメタモンがヤミカラスとなって〈キキ〉へと襲い掛かる。〈キキ〉は何度かその攻撃をもろに受けて倒れそうになるが、その直前にホズミが回復を施した。
まるで無間地獄だ、とノアは感じる。だが、彼女達の言うところの一両日中にレベル40まで上げるにはこれでも物足りないのだという。ノアは〈キキ〉と同じように身体中に擦り傷を作っていた。それはメタモンがノアをも襲おうとするからだ。
カフカ曰く、「トレーナーも強くなければ、ポケモンと共に戦う事など出来ない」らしい。〈キキ〉だけに任せて戦う事は不可能であり、トレーナーが傷つく覚悟がなければ戦闘において真っ先に狙われるのだという。
カフカの操るメタモンは〈キキ〉とノア、両方を相手取ってもまだ余裕がありそうだった。先ほどまでのレベルを合わせていたメタモンではない。形も姿も同じであったが、レベルが違うという。ノアには一目でそれが分からなかった。しかし、戦っていれば分かる。刺すようなプレッシャーと戦闘意識。殺気の塊のような攻撃が〈キキ〉に、あるいはノアへと放たれる。ノアは不恰好に転がる形でそれを辛うじて避けるか、またはもろに食らった。
「相性……」
息を荒立たせながら言葉を返す。メタモンが〈キキ〉へと翼を翻して襲い来るのを、ノアはすかさず指示を飛ばした。
「〈キキ〉! 凍える風!」
〈キキ〉が翼をバッと広げたかと思うと冷気が靄となって展開された。雹のような細やかな粒子が振動し、ヤミカラスとなっているメタモンへと突き刺さる。メタモンは飛び退ってその攻撃を回避する。だが、翼の先端が凍り付いており、動きが鈍った。ノアはその隙を見逃さない。
「翼で打つ!」
〈キキ〉がすぐさま飛び上がって上段から翼を打ち下ろした。メタモンの頭部に命中し、ヤミカラスだった頭がゲル状になって割れた。
だが、すぐさま持ち直し、再び変身を遂げる。
「そう。今のように、飛行タイプは氷に弱く、それが弱点となる。さらに威力の高い技で相手の攻勢を削る事も出来る。〈ザムザ〉!」
名前を呼ばれメタモンは嘴を突き出した。そのままきりもみに回転して〈キキ〉へと直進する。あまりの速さに〈キキ〉が狼狽していると、その身体へと削岩機のような一撃が突き刺さった。
「〈キキ〉!」
「ドリルくちばし。飛行タイプの物理技の中でも使いやすい部類の技だ。〈ザムザ〉がこの技を引き出せたところを見ると、ヤミカラスの〈キキ〉には、その素質が備わっていると見れる」
〈キキ〉が弱々しく羽ばたいて落下しようとするのをホズミが傷薬を空中に散布した。すると、見る見るうちに傷口が塞がってい〈キキ〉は見た目上は持ち直す。しかし、精神のダメージははかり知れない。先ほどから同じような攻勢が続いているのだ。ある時は勝利し、ある時は敗北しながらも倒れる事は許されない。
「連鎖のさせ方、攻撃方法はよくなっている。だが、それでは不充分なのは身に沁みて分かっているはずだ」
カフカの言葉にノアは歯噛みする。戦えば戦うほどに自分達の無力さが圧し掛かってくるようだ。
「今の、レベルは……」
ノアはホズミへと視線を流す。ホズミは、『25、というところでしょう』と返した。
「まだ、たったの25……」
40までは程遠い。だが、〈キキ〉は着実に戦闘を重ね、自分との連帯感を強めている。時折戦闘を中断しては、ホズミが〈キキ〉へと新たな技を教えた。ホズミによるとあらゆる型を知ることが、ポケモンを知る事になるのだという。最初の技構成は既に離れ、常に新たな判断力を求められていた。
『何も悲観することはありません。もう少し強くなればいいだけの事』
「簡単に言ってくれるわ」
「レベル40の壁は大きい。そこまで育て上げられなければ、ふたご島刑務所で生き残る事は無理だと判断せざるを得ないな」
ノアはカフカの言葉に強気に返す。
「やってやるわよ。あたしと、〈キキ〉なら」
初めて捕まえたこのポケモンとならば。出来るはずだと、自分に言い聞かせる。カフカは、「一度に得られる経験値に関して、だ」と話を続ける。
「メタモンが記録しているあらゆるポケモンになる事は可能だが、あえてお前には自身の鏡像であるヤミカラスとだけ戦ってもらう」
「それは、どうして」
「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」
カフカはそう告げてすぅと目を細めた。
「まずは己を知れ。敵を知るのはその後だ」
メタモンが黒い翼を広げる。冷気の束が連鎖し、〈キキ〉へと突き刺さった。〈キキ〉の濡れた漆黒の羽が凍てつく氷に晒されて動きを鈍らせる。
「ヤミカラスの優位な点は」
カフカはメタモンを自在に操り、〈キキ〉の背後を取らせた。〈キキ〉はすぐに反応する事が出来ない。「こごえるかぜ」によって素早さを下げられているのだ。
「その機転の早さ、鋭さだ。勝負においてその軽さは何よりも強いだろう。だが」
メタモンが翼を突き上げて反応した〈キキ〉の喉元に突きつける。刃のように、それは〈キキ〉を怖気づかせた。
「脆さが際立つ。一度背中を取られればお終いとなる。これで一死、だ」
メタモンが翼を下げて再び羽ばたく。〈キキ〉とノアは息を詰まらせる。カフカが、「〈ザムザ〉」と名前を呼ぶと、ヤミカラスだったその形状を崩し、元のゲル状のメタモンへと戻った。
「耐久面での不備の残るポケモンだが、強みもある」
ホズミ様、とカフカが呼ぶとホズミは〈キキ〉を手招いた。〈キキ〉を指先に止めてすっと片手を目の前で払う。それだけでホズミはポケモンに技を教える事が出来るのだ。その現象は不思議であったが、この二人に関して言及するのはよしておいた。長生き出来る気がしない。
〈キキ〉が飛び立ち、再び戦闘へと入る。カフカがメタモンへと命じる。
「〈ザムザ〉、変身。オノノクス」
その言葉にメタモンが急激に分裂し、その体積を膨らませていく。見る見る間に足腰が整って茶褐色の龍を思わせるポケモンへと変貌した。口元の両端に斧のような意匠がある。目は赤く、鋭い眼光だった。龍だが翼はない。陸生恐竜に似ている。
ノアは呆然としていた。そのポケモンから発せられる殺気に気圧されていたのもある。
「ドラゴンタイプのポケモン、オノノクス。これを倒して見せろ」
放たれた言葉は無謀そのものだった。
「そんなの……。今しがた耐久に難があるって言ったばっかりじゃ――」
「四の五の言わずに戦え」
カフカの言葉にノアが二の句を継げないでいると、ホズミが、『大丈夫』と言った。
『〈キキ〉ならやれます。今、教えた技を繰り出すだけでいい』
「今、何を教わったの?」
〈キキ〉へと尋ねるが〈キキ〉は弱々しい声を返すばかりである。ホズミがノアへと歩み寄り、耳元で囁いた。
その技の名前にノアは戸惑う。
「えっ、そんな技で勝てるの?」
『試してみてください。〈キキ〉は、最大の力で応えてくれます』
確証はなかったがノアにそれ以外の選択肢はなかった。メタモンが――いや、今はオノノクスと呼んだほうが正しい威圧感を出すポケモンが吼える。全身から燐光が迸り、赤い内部骨格が露になった。
「オノノクス、逆鱗」
その威圧感に覚えずたじろぎそうになる。しかし、ノアはその一線で〈キキ〉を信じた。〈キキ〉ならばやれる。〈キキ〉ならば自分に応えてくれる。
ノアは指示を飛ばす。
「〈キキ〉! オウム返し!」
〈キキ〉の眼前に銀色の皮膜が円形に張られた。すると、〈キキ〉の身体から赤い燐光が迸り、相手のオノノクスが攻撃を放つ前に、〈キキ〉が嘴の先端に溜めたエネルギーを一射した。その一撃でオノノクスが地に這い蹲る。オノノクスの脇腹が引き裂けてだらりとゲル状の断面が溶けていた。
「今のは……」
ノアが呆然と呟くと、「今のが、オウム返しの力だ」とカフカは答える。モンスターボールを突き出してメタモンを戻した。
「そして、〈キキ〉の、悪戯心持ちのヤミカラスにおける強みでもある」
「悪戯心……?」
とは何なのか。最初にメタモンが〈キキ〉へと変身した時も同じ事を言われた。カフカは明らかな嫌悪の表情を浮かべ、「特性だ」と面倒そうに言い捨てた。
「特性?」
ノアが首を傾げているとカフカは眉間に皺を寄せ、「ホズミ様、私では冷静に説明出来る気がしません」とホズミに丸投げした。ホズミは嫌がる様子もなくノアの疑問に答える。
『特性、とはポケモン一体一体がそれぞれ持つ固有能力。ポケモンに応じて性格や技構成が異なるように、特性も異なります。しかし、特性は性格や技構成と違い、後天的なものが働きません。先天的な、生まれ持ったものが固有能力として働きます』
「固有、能力」
〈キキ〉にそんなものがあったのか。ノアが羽ばたいている〈キキ〉を眺める。今しがた強力そうなドラゴンタイプを屠ったとは思えないほどの呑気な顔立ちをしていた。
「今の攻撃はそれが働いたんだ」
カフカの言葉に、「それよ」とノアが口にする。
「どうして今、〈キキ〉はあんなに強力な技を使う事が出来たの? だって、まるで相手が出そうとした技を先取りして出したみたいな……」
「それが特性、悪戯心」
カフカは腰に手を当てて断じる声を出す。
「変化技を、素早さに関係なく、先制して出す事が出来る。今使った技はオウム返し。相手の技を本来ならば使われた後にコピーして出す事が出来るのだが、悪戯心ヤミカラスではそれが異なってくる。この場合、相手の技を、相手より早くコピーする事が可能となる」
『ただし、高度な読みが必要となってきます』
ホズミが補足する。ノアはそこでようやく理解した。
「特性と技を組み合わせて、今の、オノノクスとか言うポケモンに勝てた」
「その通り。戦闘は必ずしも力押しではない。ヤミカラスの場合は特にそれが顕著だ。ヤミカラス同士で戦った時に感じただろう? 単純な力比べでは勝てない、と」
それはその通りだろう。自分は何も知らず、タイプ相性さえも分からずに戦っていた。〈キキ〉が力押しで勝てるようなポケモンでない事はこの連戦で確定している。
「オノノクスは本来、一撃で沈むようなやわなポケモンではない。それを沈められたのは運でも偶然でもなく、経験の蓄積だ」
その時、カフカの眼にノアを見る時現れる特殊な光が宿ったのを感じた。一番近い感情を探すのならば畏怖だろうか。しかし、そのような感情を覚えられるような事をしたつもりはない。
「何か?」
「……何でもない。ヤミカラスとの連戦を再開する。〈ザムザ〉」
名前を呼ぶと別のモンスターボールからメタモンが飛び出した。何体メタモンを持っているのだ、とノアは感じる。
「今度はさっきまでのよりレベルが10高い。これに勝てれば、一気にレベル上げを狙える」
ノアは呼吸を整えた。戦いのうちに自然と身についた呼吸法だ。肺の中の空気を思い切って全て吐き出し、新鮮な空気を吸い込む。すると頭の中が研ぎ澄まされていく感覚が伴ってくる。それは〈キキ〉も同じなようでほとんど同タイミングで〈キキ〉も呼吸を整えた。
「――来い」
ノアの言葉にカフカが口元を綻ばせた。
「いい覚悟だ」
ヤミカラスへと変身したメタモンがノアと〈キキ〉へと襲い掛かる。ノアは手を振り払い、「勝つんだ」と呟いた。
「あたしが、勝つ」