ポケットモンスターHEXA NOAH











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影の番人
第二章 五節「一つだけの名」
 何を言われたのか、最初、理解出来なかった。もう一度、念を押すように尋ねる。

「あたしが、〈キキ〉を……」

『そうよ。あなたが〈キキ〉を、いいえ、今はもう、ただの野生のヤミカラス』

 その言葉に応じるように〈キキ〉はノアの手の中で激しくもがいた。生への渇望そのものとも言える姿にノアは戸惑う。

「〈キキ〉……」と弱々しい声を続ける前に、〈キキ〉は宙へと飛び立った。はばたくのがやっとの様子だったがノアの手にいるよりかはマシだとでも言うような態度だ。先ほどまでの〈キキ〉とは完全に隔絶している。

「何をしたの……」

 ノアはカフカとホズミを見やった。カフカはため息をついて、「野性に帰した」と淡白に応じる。

「モンスターボールが破壊されれば、相当な精神的繋がりでもない限りポケモンは自動的に野生に戻る。お前と〈キキ〉の間にあったのはモンスターボールによる支配と被支配だけだ。つまり、その程度の関係性だった。それだけの話」

 カフカの言葉に、「そんな……」とノアは声を詰まらせる。ホズミは岩壁に手を出すと、岩壁からスプレー式の物体が引き出された。宙に浮かぶ〈キキ〉へとスプレーが降りかけられる。すると、〈キキ〉の羽ばたきが少しだけ力強くなった。

「スプレー式の傷薬を使った。恐らく体力は数分も待てば満タンになるだろう。その状態のヤミカラスを、お前は捕獲しなければならない」

 カフカが冷酷に告げる言葉をノアは呑み込めなかった。

「そんな。無理よ。だって、ポケモンもなしに」

「ポケモンならくれてやる。これを使え」

 カフカが手を差し出すと、岩壁がねじれて中からごろりとモンスターボールが転がり出た。その中の一つを手にとってノアへと差し出す。

 ノアはそのボールを透かして驚愕した。入っていたのは小説家のスリープだった。

「これを、どうして」

「あの女は私に敗北した。スリープの能力であいつ自身のスリープに関する認識と記憶を食った。だから、あいつは何も覚えていなかっただろう?」

 それが真相だったのか。ノアは、「だったらどうしてあたしに?」と尋ねる。

『試すため』とホズミが応じた。

「試す?」

『あなたがヤミカラスの〈キキ〉を、もっと言うのならばポケモンを扱うのに相応しいのかどうか。この場所で、従順に、黒いモンスターボールに従って刑期終了を待つのは簡単。でも、それをよしとせずに、我々番人へと立ち向かったという事は、それでは終わらない、決して諦めないという意思を自分の中に抱けたという事。あなたにこれからそのスリープ、〈インクブス〉を使ってヤミカラスを捕まえてもらいます』

 ノアはふるふると首を振った。

「無理よ。不可能なはず」

『どうして?』

「だって、あたしは〈キキ〉でこいつを倒した。つまりあんた達の言うタイプ相性で分が悪いって事じゃない。それなのに、〈キキ〉を捕まえるだなんて」

「多くのトレーナーはいつだって相性抜群のポケモンで敵に立ち向かえるわけではない。大抵の場合、タイプ上では苦戦を強いられるはずだ」

 カフカの言葉の持つ重みに押し潰されそうになってしまう。ノアは肺から呼吸と共に声を漏らした。

「でも、あまりにも……」

『諦めるのなら、それで結構』

 言い訳の言葉を断ち切ったのはホズミの強い口調だった。電子音声でありながら、意志の強さを窺わせる。

 ノアは覚えず息を呑んだ。王者の風格に何も言えず口を噤む。エメラルドグリーンの瞳がすぅっと細められる。

『ただ、道具としてポケモンを扱うのならば、番人は決してボールを渡さない。それが分かっていてここに来たんでしょう?』

 ノアはその気迫に言い訳がこの場では何の価値も生み出さない事に気づいた。ここで試されているのは覚悟と、それに自身の器量だ。足りなければ爪弾きにされ、ここから追い出されるだろう。二度と、この場所には踏み入れないに違いない。〈キキ〉と自分は永久に引き離される――。

 ノアは立ち上がった。スリープの入った黒いモンスターボールを掴み、「……示せば、いいんでしょう」と口にした。

 カフカが、ほう、と感嘆の声を漏らす。ホズミは微笑んで、『もちろんです』と頷いた。

『モンスターボールの二十四時間の設計はリセットしてあります。スリープを、〈インクブス〉を出してあなたの覚悟を示してください』

 ノアは緊急射出ボタンに指をかけた。肺から息を吐き出し、呼気と共にその名を呼ぶ。

「行け、〈インクブス〉!」

 ノアの手の中でボールが割れて中から光に包まれた怠惰な身体が飛び出した。スリープが手を波打たせて〈キキ〉と向かい合った。つい昨日の戦闘の再現にノアは奥歯を噛み締めて今にも逃げ出したくなる萎えた心に鞭打った。

 ――ここで戦わないでどうする。

 自分は試されている。その試練を必要としているのは誰よりも自分であり、そして〈キキ〉であるのだ。ノアはスリープに技を命令しようとしたが、その前に〈キキ〉の翼が黒い瘴気に包まれる。

「おいうち」だ、と判じたがスリープにうまく指示が届かない。スリープは呆けたように鼻を持ち上げているだけだ。小説家の言う事ですら、距離を置けば聞かなかったポケモンである。付け焼刃の自分が御する事が出来るかどうかは疑問だった。

〈キキ〉の黒い翼がスリープの身体に叩き込まれる。スリープはそれだけで今にも倒れそうになった。

「〈インクブス〉!」

「応援するだけでは、ポケモンは戦えないぞ」

 カフカの声にノアは自分のするべき事を見定めた。やるべき事はただ一つ。トレーナーの的確な指示。

 一度距離を取った〈キキ〉が再び翼へと黒い瘴気を纏いつかせようとする。次を食らえば確実に沈む。そう感じた時、ノアの喉から声が上がっていた。

「〈インクブス〉、金縛り!」

 その声にスリープが応じて両手を強く突き出した。すると、〈キキ〉の勢いが急に削がれた。出しかけた技が中断され、〈キキ〉は戸惑いの眼差しを周囲に注いでいる。

「金縛りは相手を一時的に行動不能にする。ポケモン相手ならば技の一つを封じる事が出来る。どうやら運よく追い討ちを封じる事が出来たようだな」

 カフカの言葉に応じる間もなく、〈キキ〉は翼に風の光を鋭く棚引かせる。先ほど、カフカのメタモンが変身したヤミカラスが使っていた技だ。ノアは即座にスリープに命令する。

「金縛りで〈キキ〉の攻撃は一拍遅い! 〈インクブス〉、催眠術!」

 スリープが手を波打たせて独特のリズムをつけ、同心円状の思念が〈キキ〉へと送り込まれる。その攻撃を〈キキ〉はまともに浴びた。催眠術によって〈キキ〉は速やかに眠りへと誘われる。翼のはためきが速度を落とし、〈キキ〉は緩やかに地面に落下した。

「今ならば、あるいは、だな」

 カフカの言葉にノアは手に視線を落とす。その手へとホズミがモンスターボールを差し出した。赤と白の、ツートンカラーが映える。ノアが顔を上げてホズミに視線をやると、ホズミは優しく頷いた。するべき事は決まっている、とでも言うように。

 モンスターボールを掴んで、ノアは〈キキ〉に向けて投擲した。〈キキ〉にぶつかったモンスターボールが二つに割れ、〈キキ〉を光にして吸収する。空中でがっちりとモンスターボールが噛み合い、ぽとりと地に落ちた。

 大きく揺れる。何も起きない。

 次に二、三度揺れ動く。ノアは固唾を呑んだ。

 もう一度、ゆらりと揺れ、中からポケモンの気配を感じさせる。ノアは目を強く瞑った。

 次の瞬間、錠前が閉じる時のようなカチリという音が響いた。モンスターボールの表面が黒く覆われる。カフカは声を漏らした。

「捕まえたようだな」

 ノアは半信半疑のまま固まったモンスターボールを眺める。すると、拍手が聞こえてきた。びくりと肩を震わせるとホズミが、『おめでとう!』と電子音声で祝福した。

『ヤミカラスをあなたは捕まえたんですよ』

 その言葉に、「あたし、が……」とノアはモンスターボールに視線を落とす。モンスターボールへとカフカが顎を突き出して示した。

「拾ってみろ。既にお前のものだ」

 ノアは恐る恐るボールを拾い上げた。手に収まっている命一つ。ボール越しに伝わるぬくもりが〈キキ〉のものであることは真っ先に分かった。

「あたしの、ポケモン……」

 呆然と呟くと、『そう』とホズミが頷いた。

『世界にただ一つ、あなたが捕まえたあなただけのポケモン。捕まえたヤミカラスにニックネームをつけますか?』

 その言葉にノアは頷いた。つける名前は決まっている。

「あたしはこのヤミカラスを、これから〈キキ〉と呼ぶわ」


オンドゥル大使 ( 2014/08/04(月) 22:07 )