第二章 四節「試練」
「……何で。ヤミカラスに、〈キキ〉に変身した?」
目の前で起こった出来事に頭が追いつかない。相手のヤミカラスが空間を駆ける。翼が〈キキ〉の身体をしこたま打ちつけた。ノアは戸惑いながらも〈キキ〉に命令する。
「〈キキ〉! しっかりして! 相手は偽者よ!」
そう自分に言い聞かせた。そうでなければ何だというのだろう。自分達と一瞬にして等しくなったとでも言うのか。
「〈キキ〉! 追い討ち!」
〈キキ〉が漆黒の瘴気を翼に纏いつかせ、相手のヤミカラスへと突っ込む。しかし、その一撃を相手は翼で払った。大したダメージは与えられたようには見えない。
「何で? 〈インクブス〉相手にはあれほど効いていたのに……」
ノアの疑問を解消する前に相手のヤミカラスが翼から鋭い光の束を放ったかと思うと、その一閃が〈キキ〉を打ち据えた。〈キキ〉が空中でよろめき、体勢を立て直す前に下段から相手の一撃が〈キキ〉の顎を殴りつけた。
〈キキ〉は脳震盪を起こしたようだ。飛んでいるのもやっとになり、羽ばたきのペースが落ちる。
「〈キキ〉! 追い討ち! 早く当てないと」
気持ちばかりが先行して〈キキ〉とペースが掴めない。どうしてだか、小説家と〈インクブス〉を相手取った時のように〈キキ〉と繋がっている感覚がなかった。
「やはり、その程度か。タイプ相性でさえも分かっていないとはな」
タイプ相性。昨夜、小説家と話した事だった。傍観していたホズミは、『やっぱり、ね』と呟く。何がやっぱりなのか。
「あんた達、示し合わせて……!」
「示し合わせてなどいない。これは真剣で対等な勝負だ」
「だったら、どうしてさっきのメタモンがあたしの〈キキ〉に成れたのよ?」
事前に情報が漏れていたとしか思えなかった。ノアの声につくづく愛想が尽きたとでも言うようにカフカは首を横に振った。
「……何一つ分かっていないようだ。せっかくだから教えておいてやろう。ポケモンには一体に一つ、特性がある」
「特性……」
そんな話は聞いていない。今はこの現象の正体を見極める事のほうが先に思えていた。だが、カフカはそれが重要な事のように語り始める。
「〈ザムザ〉メタモンの特性は変わりもの。場に出た相手のポケモンと一瞬にして同じ姿、同じタイプ、同じ技構成になる。特性までも同じだ。どうやらお前のヤミカラス、〈キキ〉とやらの特性は悪戯心か」
にわかには信じられなかった。しかし、目の前の出来事を説明するのにはその理論で通用する。メタモンの特性が働き〈キキ〉と同じヤミカラスに成った。相手のヤミカラスはメタモンが変身したものなのだ。
「そんな事って……」
『可能よ』
言葉尻を、ホズミが引き継ぐ。
『ポケモンには人知の及ばない事が可能である。スクールで習わなかった?』
「ホズミ様。このような下賎なる場所にいる輩に、常識を説いても無駄です」
どうやら周知の事実のようだ。ノアはスクールになど通っていないためにポケモンに関する知識がまるでない。
「じゃあ、情報を事前に仕入れていたわけじゃなくって」
「〈ザムザ〉はただ特性でヤミカラスに変身した。それだけだ。メタモンの状態のままでは戦う事すら儘ならないからな。だが、それにしたってお前の扱いは酷い」
何に対して非難を受けているのか。ノアには理解出来なかったがカフカは侮蔑の言葉を投げた。
「ポケモンに対する思いやりもなければ、タイプ相性も、ポケモンの能力を引き出す術も知らない。そんな人間にポケモンを操る資格はない」
カフカは怒りすら湧いているようだ。ノアを睨む目は先ほどよりもきつくなっている。
『カフカ。言い過ぎよ。この場所でポケモンを初めて手にしたのならば、そのような状態でも何ら不自然ではない』
「しかし、この者は異常です。同じ技を続けて命令すれば、威力は下がる。そればかりか、悪・飛行タイプであるヤミカラスに対して悪タイプの技、追い討ちを繰り出す……。そんな常識すら知らず、ポケモンをまるで力押しの武器のように扱っている。私はそのような相手にモンスターボールを掴む資格はないと考えています。モンスターボールが何故開発されたのか、知ろうとも思わないでしょう」
ヤミカラスに変身したメタモンが翼をはためかせ、〈キキ〉へと追突する。もつれ合うように二体は地面へと落下したが、ダメージを多く受けたのは〈キキ〉のほうだった。〈キキ〉は痙攣しながら赤い瞳に宿る生命の光を薄れさせる。
ノアは反射的に駆け寄っていた。
「〈キキ〉! 駄目、死なないで!」
「体力はレッドゲージだ。これ以上戦えば瀕死となる。さらに戦い続ければ待っているのは本当の死だ。ノア・キシベ。ここまでだ」
ヤミカラスに化けたメタモンが刃のような翼を突きつける。ノアは〈キキ〉を抱きかかえて背中で庇った。カフカが手を下そうとしたその時、『もういいでしょう』とホズミが声を発した。
「ホズミ様?」
『彼女も、充分に身に沁みて分かったはずよ』
ホズミはノアへと歩み寄り、手を差し出した。しかし、ノアは胸の中にある〈キキ〉のほうが心配だった。傷だらけで、掴んだ手を赤い血が伝っていく。命あるもののぬくもりだった。
『あなたも分かったはず。ポケモンは、武器や、道具じゃない。生きているのだと』
ノアは泣き出しそうな顔をホズミへと向けた。ホズミは微笑み、『モンスターボールを授けます』と言葉を続けた。
「ホズミ様? しかし、こやつは私に負けました。与える資格など……」
『カフカ。確かに、今の彼女には愛情も、力も足りないわ。でも、真っ直ぐよ。この瞳は』
ノアの瞳を二人が眺めている事に気づいた。一瞬だけカフカが息を呑む。何か起こったのだろうか、とノアが怪訝そうにしていると、ホズミは岩壁に手を差し出した。すると岩壁からするりと紫色の手が伸びて赤と白のコントラストが眩しいモンスターボールを差し出した。ホズミはそれを掴み、カフカの名を呼んだ。
カフカは静かに頷いたかと思うと、手を振り下ろした。その直後、腰につけたモンスターボールへと一撃が放たれた。亀裂が走ったかと思うとすぐに粉々に砕け落ちる。
「何を……」
ノアは狼狽した。モンスターボールがなければポケモンは操れないのではないか。しかし、その不安を払拭するようにホズミは告げる。
『モンスターボールの繋がりが絶対じゃないわ。ノア。あなたはこれから、ヤミカラスの〈キキ〉を捕まえてもらいます』