プラズマ団の章
『ネオテニー』
 自分の記憶が本物かどうか疑った事はあるだろうか。

 彼の場合は、あると答えるほかなかった。与えられたものは全て自分のものだと信じて疑わなかったが、それが果たして自分の記憶かと尋ねられれば首を傾げざるを得ない。

 彼が見知っていたのは泡沫の弾ける音だ。ゴボッゴボッと一定のリズムを刻んでいる。聞き慣れたそれが崩れる瞬間こそが世界の終わりであるかに思えた。彼にとって世界とは、暗黒色に塗り潰された視界と耳元でざわめくそれらに集約される。未だ、見る事を知らない眼球は果たして存在するのか。彼はまず視界の存在を疑ったが、それは懸念材料の一つとしてはまだ大人しいほうだった。

 彼の疑念は自分が存在するのか、という問いに発するものだったが、それはある日打ち破られた。

 卵の殻が砕けるように、彼を覆っていた暗闇に亀裂が走り、彼は生を受けた。



 培養液が排出され、彼は目を開ける事を許された。今まで、この粘性を伴った液体が全てを遮っていたのだ。光、音、情報と呼ばれるもの全てを。彼は身体と体温を自覚し、次に思ったのはどうして液体の中で溺れていなかったのだろうという純粋な疑問だった。

 しかし、そのような些事は突然に耳に入ってきた情報量の多さに掻き消された。今まで泡沫以外の音を聞いていなかった耳には強い刺激とも思える声が響き渡る。

「まさか、起きたのか?」

 驚愕の声と共に聞こえてきたのは、「起きる時期でしょう。そう騒がないでください」という冷静な言葉だった。彼は冷静な声のほうへと視線を向ける。初めて使う眼球は光を過剰に取り込んでいたが、その中で情報を選択し、不要な情報を切り捨てる。

 佇んでいたのは白衣の男だった。青い髪が巻き上がっており、神経質そうな眼鏡をかけていた。男は眼鏡のブリッジを上げて、「カプセルを開きましょう」と提案した。すると、同じような白衣の人々が忙しく端末に取り付き、「カプセル、開放します」と復誦した。

 すると、彼を覆っていたカプセルが上向きに開いて彼は転げ落ちた。彼の手足にはチューブが引っ付いていた。

 白衣の人々が恐れ戦く目を向ける中、男だけは冷静に彼へと歩み寄った。

「手を」

 男の差し出した手に彼は無意識のうちに手を重ねた。男の手は驚くほど冷たかった。これが人間の手か、と疑ったほどだ。

 そこで彼は気づく。目の前の男は「ニンゲン」なのだと。

 どこか、見知ったような響きだったが、それを追及する前に男が彼に白衣を被せた。

「裸で歩き回るわけにはいかないでしょう」

 彼はそこで自分が裸である事に気づく。男は眼鏡の奥の怜悧な瞳を彼に向けた。

「私の名前はアクロマ。言葉は喋れますか?」

「アク、ロマ……」

 初めて使う喉と舌は絡まって喋りづらかったが何とか言葉を返す事は出来た。

「結構」とアクロマは頷いて彼の手を取る。アクロマと同じ、肌色の五指が並んでいた。

「ニンゲン……」

「そう。あなたはニンゲンなのです」

 アクロマが首肯し、周囲へと視線を配った。

「この方へと衣服の容易を。言語野に障害がある可能性があります。すぐさま、能力テストと共に知的年齢テストも行ってください」

 アクロマは彼から離れていく。彼は手を伸ばしたが、「心配せずとも」とアクロマは振り返った。

「会う機会は何度でも訪れるでしょう。あなたが適合者ならば」

 適合者という言葉に疑問を覚えたが、アクロマは扉の向こうへと行ってしまった。後に残された白衣の人々によって彼は服飾を与えられた。

 白いジャケットに黒いインナーを手渡され、彼は着替えた。

「とってもお似合いですよ、――」

 それが自分の名前なのだろうか。一言だけなので聞き取れなかった。しかし聞き返せばおかしいと思われるに違いない。何故だかそれだけは理解出来た。研究員達は笑みを張り付かせた顔で自分を眺めていた。

 彼はふと背後を見やった。

 その視界に入れたものを理解する前に、研究員達に連れられた。

「さぁさ。あなたに相応しい場所へと行きましょう」



 彼は赤い部屋へと連れてこられた。赤い部屋の隅にはハーフパイプがあり、おもちゃが散乱している。どこか物悲しさを訴えてくるような部屋だった。

「これが、ニンゲンの部屋……」

「ニンゲンなんて。あなたは自分の事をいつでもボク≠ニ言っていたではありませんか」

 研究員の声に、「ボク」と彼は呟いてみたが実感が伴わなかった。

「あっ、お帽子を忘れていましたね」

 気づいたらしい研究員が慌てて帽子を持ってきた。黒を基調にした鍔つきの帽子だった。彼はそれを被った。違和感を覚えて頭を押さえる。長い髪が指先に絡みついていた。新緑のような透き通った緑だ。

「これが、ボクの髪……」

 自分に髪の毛があることさえ、彼には初々しさを伴っていた。しかし赤い部屋には何かしら脅迫めいたものを感じていた。彼らは何がしたいのだろう。何のために自分をここに導いたのだろう。そんな気持ちばかりが勝ってしまう。

「あの電車のおもちゃで、よく遊んでおられたじゃありませんか」

 研究員が打ち捨てられた電車のおもちゃを指差す。彼にとっては初めて目にしたものであったが、どうしてだかそれは遠い過去に一度触れたような気がしていた。歩み寄り、電車のおもちゃを持ち上げる。モーター音が虚しく響いており、ゴム製の車輪が空転していた。

 裏返して眺めるとまるで昆虫の背面のようだ。

「ボクは、何をすればいい……」

 彼が呟くと、「何も」と研究員は答えた。

「何も?」

「ええ。あなたはここにいるだけでいいんですよ。あとでポケモンとの顔合わせを済ませます」

「ポケモン……」

 耳馴染みのある言葉だ。その言葉は昔から知っているように思えた。

「ええ。ゲノセクトはきっとお気に召すと思いますよ」

「ゲノセクト。それが、ポケモンなの……」

「この世界にはたくさんのポケモンがいますが、あなたが出会うのはその一体」

 研究員達は赤い部屋から出て行った。彼は電車のおもちゃを暫く見つめていたが、やがてプラスチック製の外装を取り外して中のモーターを動かすスイッチを切った。すると電車は死んだように動かなくなった。

 彼は赤い部屋を見渡す。どれも中途半端だ。何から何まで、途中で動きを止めている。生きているわけでも死んでいるわけでもない。

 ならば自分は、と彼は左胸に手を当てた。

 鼓動が感じられたが、それが電車と同じように作り物でない保証はなかった。



 何時間かするとアクロマが訪れた。アクロマは眼鏡のブリッジを上げて、「これを」と赤と白を基調とした球体を差し出した。

「これは?」

「モンスターボールです。この中にポケモンが入っているんですよ」

 彼は差し出されたそれとアクロマの顔を交互に見やってから、モンスターボールを受け取った。中央のボタンを押すと、突然に球体が割れて光と共に何かが現れた。

 それは前傾姿勢を取った細身の物体だった。赤い複眼を有しており、紫色の身体は無機質だ。攻撃的に尖った細い爪と手足はまるで最初から闘争を約束されたかのようだ。

「ゲノセクト。あなたのポケモンです」

 アクロマの声に彼は目を向けた。

「ゲノセクト?」

「ゲノセクトに関する事はあれから学ぶといいでしょう」

 アクロマがゲノセクトを顎でしゃくる。彼は意味が分からずに首を傾げた。

「あなたには、ポケモンの声が分かるはずですよ」

 そのような事は初耳だったが、アクロマの出来るはずという期待に応えねばと彼はゲノセクトに歩み寄った。ゲノセクトは彼へと鋭角的な爪を向けて威嚇してきた。彼が唾を飲み下すと、「このゲノセクトは、まだ調整途中ですので」とアクロマが言った。

「少しばかり攻撃的かもしれませんが、あなたになら心を開くでしょう」

 アクロマは柔らかく微笑んで赤い部屋を出て行った。彼はゲノセクトと対面する事になったが、ゲノセクトが何を考えているのかなど分かるのか、と自分自身思っていた。初めて見たポケモンがゲノセクトだが、彼には電車のおもちゃと同じように映っていた。このポケモンという奴もシャーシがあって、外装を剥がすとモーターが備え付けられているのだろうか。

 ゲノセクトは背中に大砲を背負っており、余計にそのような想像に駆られた。彼がゲノセクトに触れようとすると、ゲノセクトは爪を彼の手に向けて振るった。指の間が裂けて血が迸る。赤い血潮だった。ゲノセクトの赤い複眼に血の気が走り、ようやく警戒されているのだと彼は知った。

 その時、突然赤い部屋へと研究員が乗り込んできて彼の手当てをした。ゲノセクトは研究員を見て暴れていたがモンスターボールに入れられると大人しくなった。研究員は、「痛かったでしょう?」と彼の傷を手当した。

 彼には理解出来なかった。

 痛みなど感じなかったからだ。



 モンスターボールに入ったゲノセクトは大人しい。彼はそう認識するようになった。ボールにさえ入っていれば危害を加えられる事はない。しかし、その状態ではアクロマの言っていた「ポケモンの声を理解する」事は出来ないような気がしていた。

 彼は決意を固める必要があった。裂かれた手を見やり、別に痛くもないのだから恐れる必要はないと判断した。

 モンスターボールのボタンを押し込んでゲノセクトを出した。ゲノセクトは前回に比べて少しばかり落ち着いているように思えた。彼はゲノセクトに触れた。恐れる事はない。痛みも感じないのならばそれは恐れる対象として認知されない。

 ゲノセクトの爪に触れる。すると、頭の中に声が流れ込んできた。

 ――タスケテ。

 それがポケモンの声だったのかは分からない。しかし、ゲノセクトの内側から滲み出てきた声である事は明らかだった。

 これがアクロマの言う事なのだろうか。彼はゲノセクトのあらゆる部位を触ったが、場所によってはゲノセクトが嫌がって威嚇してきた。だが、前回の反省もあってか、威嚇されれば彼は手を引いた。ゲノセクトは気性が荒いようだった。まるで常に戦闘状態に身を置いているかのようだ。彼はゲノセクトをボールには戻さず、赤い部屋のおもちゃを差し出した。スイッチの切れたシャーシだけの電車を見せると、ゲノセクトは爪の先端でそれに触れた。するとスイッチが勝手に入り、電車が動き始めた。

「すごい! すごいね、ゲノセクト!」

 自分では壊してしまったのかと思ったおもちゃを復元したゲノセクトの行動を褒めるとゲノセクトは顔を背けた。照れているのかもしれない。

 彼はあらゆるおもちゃをゲノセクトに見せ、その反応を楽しんだ。ある時にはゲノセクトでもおもちゃを壊してしまう事が明らかになったが、逆に彼がそのおもちゃを直す事もあった。

 ゲノセクトはおもちゃを手渡す度に少しずつではあるが彼に心を許しているようだった。触っても嫌がらなくなったし、爪で攻撃してくる事もなくなった。

 触れるとゲノセクトの声が聞こえてきた。

 ――三億年前のポケモンだ。

 ――これを復元して改造すれば我がプラズマ団の大きな戦力となる。

「プラズマ団?」

 意味不明の言葉をゲノセクトに問いかけるとゲノセクトは自らの身体を触らせた。声が頭の中に響き渡る。

 ――ポケモンを解放しなさい!

 ――ワタクシだけがポケモンを使えればいいんです!

 それは酷く歪曲した声だった。その声の主を彼は知っているような気がしたが、思い出したくないと感じた。彼の中の防衛本能がその人物の事を探る行動を躊躇った。

 彼は幾度かゲノセクトに触れて声を聞くうちに、ゲノセクトの記憶の中に潜れる事を発見した。今までのように声だけではなく映像が脳内で像を結ぶようになったが、その事をアクロマには伝えなかった。もしかしたらアクロマは声を聞く事を重要視していて自分の能力に関しては忌避しているかもしれないと思ったからだ。その原因は研究員達の自分とゲノセクトを眺める視線にあった。彼らは自分が電車のおもちゃに向けるのと同じような視線を向けていた。こうすれば外装が外れるのではないか。こうすればモーターは止まるのではないか。

 彼らの毒を伴った眼差しは「探究心」というものであると、彼はゲノセクトとの幾度かの記憶のリンクで探り当てた。

 ゲノセクトはほとんど彼に従うようになったが、アクロマは一つだけ心がけるようにと伝えた。

「ゲノセクトの言葉は全てが真実とは限りませんよ。決して、ゲノセクトの声だけに気を取られないよう。我々の声を重要視して欲しいのです。私達は同じニンゲンですから」

 それはその通りだろう、と彼は感じた。ニンゲンとポケモンは違う。本質的に。それは理解出来る。しかし、反面理解出来ない部分もあった。ならばどうして、自分はポケモンの声が聞けるのか。

 アクロマに問い質そうとしたが、彼は微笑んで答えを煙に巻くばかりだった。

 彼はある日、ゲノセクトに触れながらうつらうつらと夢の舟を漕ごうとしていた。その時、ゲノセクトから声が響いた。ほとんど罅割れたような、悲鳴に近かった。

 その声に彼はびくりと肩を震わせて目を覚ました。

 声を聞いた彼はゲノセクトを見やった。

「今のは……」

 ゲノセクトは黙したまま何も言わない。それが答えに思えた。

 彼はゲノセクトと共に赤い部屋を抜け出した。



 アクロマがいる場所にはすぐに辿り着けた。ゲノセクトの声が導いてくれたのだ。

 研究員達が自分とゲノセクトを止めようとしたが無駄だった。彼が、「テクノバスター」と口にするとゲノセクトの背中につけられた大砲から高威力の光線が放たれて研究員達をなぎ倒していった。アクロマは背中を向けたまま、「ほう」と感嘆の息を漏らした。巨大なスクリーンには自分とゲノセクトがいた赤い部屋が映し出されていた。

「テクノバスターを引き出しましたか。やはりあなたにはそれを使う素質があるようだ」

「下手な芝居はやめてもらおうか、アクロマ」

 彼の今までとは一線を画した声にアクロマは振り返った。その眼差しに優しさは欠片も存在しない。研究員達と同じ、観察する者の眼があった。

「ボクをゲノセクトのトレーナーに仕立て上げようとした。その真意を聞かせてもらおう」

 彼の言葉にアクロマはフッと口元を緩めて、「真意とは」と返した。

「何の事です?」

「とぼけるな! ボクは、ゲノセクトの記憶を探って見つけたんだ! プラズマ団がどういう組織なのかを。それに、ボクが見捨てたゲノセクトの記憶も」

 ゲノセクトと自分は一度会っている。その時、自分はゲノセクトを見つめて哀しそうに呟いた。

 ――科学でポケモンを軽蔑したのか。ボクはそんなポケモンを使うのは御免だね。キミ達には、ボクの気持ちなんて分からないだろう。

 その時の事をゲノセクトは覚えていた。覚えていて、自分と出会い傷つけた。傷つけられた身である事を知りながら。

 アクロマは、「そこまで分かってらっしゃれば話が早い」と歩み寄ってきた。彼とゲノセクトは身構える。

「近づくな。それ以上寄れば、テクノバスターで撃ち抜く」

 アクロマは足を止めたが、口元に貼り付けた卑しい笑みを隠そうともしなかった。

「しかし、だとすれば余計に分からないですね。あなたはゲノセクトの記憶を見たのでしょう? だったら、自分の正体についても理解しているはずだ」

「……何の事」

「それこそ、しらばっくれても駄目ですよ。あなたは、深層意識の中で自分の存在を知覚しているはずです。今まで幾度となく試してきましたが、今回のあなたはどうなんでしょうね?」

「どういう意味だ。今回の?」

 彼は問いかける。アクロマは肩を竦めて、「答えに至っていない? あるいは、答えを拒否している?」と嘯いた。

「何を言っている」

「自分で考える事が嫌なら申し上げましょう。あなたはゲノセクトの過去を見た。その過程で、あなた自身も見たと言っている。ですが、それは今のあなたと同一ではない」

 どういう事なのか。ゲノセクトの過去にあった見捨てた自分は確かに自分自身だった。

「ボクが忘れていたんだろう。忌まわしき記憶として」

「違いますね」

 彼の言葉をアクロマはすぐさま否定した。一歩、踏み込んでくる。

「動くなよ。ゲノセクトで殺されたくなければ」

「あなたは、自分がどうやってこの世に生を受けたか、知っているはずです。ゲノセクトの内部に残響する声を聞いているのならば」

 アクロマがさらに一歩、踏み出す。顎でゲノセクトをしゃくった。

「問いかけてみなさい。ゲノセクトに触れればたちどころに理解出来るでしょう」

 その言葉はまるで最後通告のようだった。彼は震えながらゲノセクトへと手を伸ばした。自分が見捨てたポケモン。その記憶が溢れ出す、はずだった。

 しかし、ゲノセクトの記憶の中にあったのは培養液で満たされたカプセルに入っている無数の人影の姿だった。

 その段になって、彼は理解する。最初の部屋で、自分の視界に入ったものは間違いではなかった。

 並び立つカプセルの中には無数の「彼」が並んでいたのだ。

 それをゲノセクトの視界を借りて彼はようやく知覚した。それを察したのかアクロマが声をかけてくる。

「理解出来ましたか? あなたはゲノセクトの適合者を生み出す過程で作り出された七番目のNなのです」

 彼の名を呼び、アクロマが言い放つ。彼はその場に膝を崩した。信じられなかった。ゲノセクトへと視線を向けるが、ゲノセクトの無機質な眼差しには今にも泣き出しそうな自分が映っていた。

 緑色の長髪に、黒い帽子を被った――七番目のNの姿が。

「……ボクは、ボクじゃない」

「記憶の継続性と能力の持続が見られたので今回は当たりかと思いましたが、やはり駄目でしたか。髪の毛一本から造り出すのにも手間と金と人員がかかる。出来れば早めにこのプランは終了したい。主任研究員の権限で、このプランは打ち止めにしましょう。クローン培養実験はロケット団の領分ですし、プラズマ団は金と技術でそれに劣る」

 ゲノセクトを眺めた。ゲノセクトは何も言わない。何も答えない。全てを知っていたのだろう。知っていて自分には見せなかったのだ。

「最後に。ゲノセクトは鏡です。我々の声を反響して返すだけ。ゲノセクト自身には何の主張もない。あなたが新生プラズマ団を背負って立つのなら、私の負担も減ったのですが致し方ありませんね」

 アクロマがパチンと指を鳴らした。するとゲノセクトの眼に映る自分の姿が変異した。どろどろに融け出しているのである。

「クローン体が持つのはせいぜい48時間。タイムリミットです。私の権限において『コードN』は凍結。ゲノセクトは本来提唱していた通り、自立稼動が可能なように調整し直します」

 アクロマが背中を向ける。彼は声を搾り出そうとした。しかし喉が爛れたように熱くて呼吸すら自由ではない。その時になって全身が溶解している事に気づいた。

 彼はゲノセクトに触れた。融けた指から声が迸ってくる。

 ――タスケテ。

 その声は最初に拾ったものだった。この声だけは誰の声でもない。ゲノセクト自身の声だ。その確信に彼は微笑んだ。

 ゲノセクトにも心はあったのだ。決して鏡などではない。

 彼は最後の思念を送り込んだ。その瞬間、ゲノセクトの砲門が光り輝く。研究員が声を張り上げた。

「アクロマ様! ゲノセクトが!」

 アクロマが振り返った瞬間、ゲノセクトの「テクノバスター」がスクリーンに突き刺さった。アクロマは硬直していた。

 彼は最後に笑みを浮かべる。ポケモンの意思は勝手な都合で曲げられるものではない、と。

 アクロマに指を突きつけながら彼の意識はそこで途絶えた。



 漂流する意識を拾い上げたのは彼自身の言葉だった。彼はゲノセクトに一つだけ言葉を刻んだ。

 トモダチ。

 彼が発した、オリジナルと同一でありながら、同時に彼がオリジナルと違うという証明の言葉でもあった。


オンドゥル大使 ( 2014/02/08(土) 22:01 )