『リフレインレポート』
さぁ、恐怖に慄く我らを創造し俯瞰する神よ。
新緑の檻に囚われた孤独なる魂を導け。
かくて我は時の輪廻に誘われり也。草々。
一つだけ覚えておけ、クソッタレな新入り共。
隊長はそう口火を切って俺達を森の中へと導いた。鬱蒼と生い茂る木々が空を覆い隠す天蓋となり、昼と夜の区別もつかない。まるで異空間だ。隣接するヒワダタウンではまだ太陽が中天に昇っていたはずである。俺は、何度か時計を確かめた。
カントー標準時、六月十日。天気は晴れのち曇り。現在時刻、十四時三十二分。ヤドンの尻尾を切り売りして小金を稼ぐという目的を果たせなかった俺達ロケット団はヒワダタウンの西側ゲートから入れるウバメの森に関する重要な情報を仕入れた。この地では古くより語り継がれている伝承だという。
オカルト? ハッ、という俺達のスタンス。
鼻で笑え。一蹴しろ。それが神をも恐れぬロケット団、悪の権化の姿である。俺はホルスターにかけたモンスターボールを確かめる。つい数時間前、同期のイアンと話した事柄が思い浮かんだ。
――アンドウさん。この作戦、正気じゃありません。
イッシュの生まれでありながら流暢なカントーの標準語を話す彼は作戦前のブリーフィングの後、こっそり俺に耳打ちした。何で俺がこのガイジンと組織内で打ち解けたかと言えば、「アンドウさん」という発音が向こうの「アンダーソン」に似ているからだという。だから、最初のほうはほとんどイッシュ訛りの「アンダーソン」で呼ばれ続けた。くそっ! 俺はアンドウだってのに。他の連中には話しかけないくせに、イアンは俺にだけこういう砕けた態度を取る。砕けた、と言っても敬語だが、ジョウトで習った標準語はフランクな会話を意識してのものらしい。俺は実験台じゃねぇぞ。
だが、俺はそんな事をいちいち持ちかけたりしない。どうした? と平静に返す。大人だからな。
――神様に悪戯するの、いけない。きっと天罰が下る。
片言の癖に、天罰、と来たか。俺は笑い出しそうになったが、そこは真摯に聞いてやった。
――このジョウト地方の神様。ワタシ、色々勉強した。ジョウトには時を渡る神様の伝説ある。だから絶対、祠に近づいてはいけない。
イアンには悪いが、俺はそこで吹き出してしまった。外国の神様をお前は信じるのか、と。イアンは青い顔のまま、後悔するよ、とふるふる首を振った。そんなイアンも今や先行部隊に混じっている。だが顔色は優れない様子だ。俺は心配してやろうか迷ったが、既に作戦中である。ロケット団の統率を乱してはならない。神様を怖がっていたら、赤い「R」の矜持が泣く。
隊長は後続する俺達に声を飛ばした。
「ビビッてションベン漏らすんじゃねぇぞ。俺達は泣く子も黙るロケット団なんだからな」
残党だけどね、と俺は出かけた皮肉を呑み込んだ。サカキ様が解散宣言をなされた後も三年間、雌伏の時と耐え忍び、性懲りもなく活動する俺達はきっと害虫以下の存在だろう。民衆に罵声と石を投げられるためにこの制服はあるんじゃないぞ。
チームは五人一組。全員がブランクのモンスターボールを三十個以上携帯している。それはこれから行われる任務のためだ。
この五人の編成に入れただけでも光栄な事なのだ。現ロケット団の指揮を執る幹部にこのチームの有用性を証明しなければならない。そうでなくとも今のロケット団は残党であり、人手不足に喘いでいる。もしかしたらこの任務をこなせば幹部候補生にでもなれるかもしれない。俺は淡い期待を抱く。
目の前に他の木々に比べて細い一本の木が見えた。ここは出番だ。俺はモンスターボールを繰り出す。
「行け、ストライク」
緑色の身体を軋ませ、両手に鋭い鎌を保持したストライクが勢いをつけて細い木を【いあいぎり】で切り裂いた。その先は開けた空間であり、俺達はハッとして目的の物体を見据える。
簡素な木造の祠があった。もし、作戦目標でなければ見逃していただろう。銘が書かれた痕があるが、崩れた古い文字で読めない。纏っている空気は異質なものだった。触れれば何かしらの障りはありそうだ。そういえば、ウバメの森のゲートを潜る際、奇妙な老婆が口にしていた言葉を思い出す。
――森には神様がいるという。悪さをしてはいかんぞい。
うざったいババァだ、と俺は睨みを利かせたが、今になってあの言葉が真実味を帯びてくるのだから不思議である。
隊長は団員達が気後れしたのを感じたのか、「うろたえるな、馬鹿者」と檄を飛ばす。
「これはただの標識だ。セレビィが時渡りをする際に次元を間違えないように作った目印に過ぎない」
隊長の発したポケモンの名前が脳裏に思い出される。セレビィ。時を渡る力を持つという、幻のポケモン。目撃証言は極めて少なく、ジョウトの文献にもごく稀に登場するのみである。ロケット団は「時渡り」という能力に注目した。もし、今の技術を過去に持ち込む事が出来たのならば。もし、ロケット団を壊滅させた因子である一人のトレーナーをあらかじめ排除出来たのならば。今もロケット団が存続している可能性は充分にあり得る。
その、もしも、が実現可能なのがセレビィの力だった。
「時渡り」は過去と未来、現在を繋ぐ架け橋だ。俺達は過去に着目した。過去に際限なく渡る事が出来るのならばロケット団に対して反逆の声を上げる人間に標的を絞って殺害出来る。その者が生まれる前、親の代に遡って親を殺せばその者は未来に存在しない。パラドックスが発生し、ロケット団の明るい未来が約束される。もちろん、この「リフレイン計画」は万全を期したものだ。タイムパラドックスによって起こる齟齬、起こる全ての事象を隊長が管理しているのだという。さすがは隊長、荒れくれ者の俺達を束ねるだけはある。
隊長は祠へと歩み寄った。ゆっくりと観音開きの扉に手を伸ばす。全員が固唾を呑んでいた。隊長は勢いよく開いた。だが、中には何もいない。
俺は少し落胆していた。なんだ、すぐにセレビィと遭遇出来るわけではないのか。隊長が肩越しの視線を配り、「これからだ、クソッタレの新入り共」と告げる。
「あのオヤジ、ガンテツとか言ったか。奴の家から失敬した」
隊長が取り出したのはモンスターボールだったが、表面に崩した形象文字で「GS」と刻まれている。
「これはGSボール。これがあればセレビィをここに呼び出せる。このボールを道標として、セレビィが時間移動してくるはずだ。ガンテツの日記には『神を冒涜する作品』と記されていたが、俺達からしてみりゃ天啓だ」
隊長の言葉にチームの中にも安心が広がっていく。さすがは隊長、抜け目がない。
「では、早速」
隊長がGSボールを祠の中に置いた。その瞬間、緑色の光が明滅する。眼前で弾けた光に俺はぐらりと視界が傾いだのを感じ取った。緑色の木々が一瞬にして灰色の闇に沈む。
隊長も、イアンも、俺以外の全員が石像のように固まっていた。何かが、光を引き裂き極彩色の次元の中から身体を突き出してくる。まるで今しがたサナギから蝶になるかのように。極彩色の次元を粘液のように引いてそれは現れた。種子の頭部を持っている薄緑色のポケモンだった。眼は青く澄んでおり、黒い隈のような縁取りがある。短い触覚がピンと立っている。俺は狼狽しながら後ずさった。
「セレビィ……」
隊長の置いたGSボールを道標に、本当にやってきたのか。しかし、隊長達は動けない様子である。意識があるのも俺だけだった。セレビィと何故だか向き合えている。セレビィは首を傾げて甲高い声で鳴いた。森が鳴動する。凝結した時間が再び動き出そうとする。俺はハッとして、セレビィ捕獲作戦を決行した。
「ストライク、峰打ち!」
ストライクが鎌の峰でセレビィを打ち据えた。セレビィには戦闘する気がないのか、ストライクの攻撃を満身に受ける。セレビィが細く鳴く。今だ、と俺はモンスターボールを投げようとした。しかし、その前にセレビィが俺とストライクを青い眼の中に捉えた。俺達は揃って、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。筋肉や、関節の問題ではない。精神の問題でもない。これは抗えない「時間」という概念の問題だ。俺の身体を動かす「時間」という概念がその瞬間、氷結したのだ。
セレビィはしばらく見つめていたが、やがてすぅと目を細めると背中を向けた。諦めたように次元の裂け目へと戻っていこうとする。ストライクの身体が跳ねた。それはポケモンの本能だったのだろう。このポケモンは主人にとって危険だと判断したストライクは鎌の部分で、セレビィを斬りつけた。セレビィの身体が両断される。
その瞬間、七色が網膜の裏で弾けた。
俺はブリーフィングルームから退室する時に、イアンから耳打ちされた。
「アンドウさん。この作戦、正気じゃありません」
イアンの言葉に俺は眉をひそめる。作戦前にそんな弱音を吐くのは卑怯だ。しかし、俺はこの次に放たれる言葉を何となく予想していた。普段ならば、この奇妙なガイジンの片言など一秒先だって分からないのに何が発せられるのかが読めたのだ。
「神様に悪戯するの、いけない。きっと天罰が下る」
俺は自分の予測能力に驚いていた。どうしてイアンの次の言葉が分かったのだろう。ひょっとして前に聞いたのだろうか。俺は目頭を揉む。
「どうしましたか?」とイアンが顔を覗き込んでくる。やめろ。俺の顔を見るな、と手を振り払おうとすると、時計が目に入った。
「……なぁ、イアン。今日って何日だ?」
突然の疑問にイアンはわけが分からないとでも言うように大仰に肩を竦める。
「アンドウさん、何言っているんですか。そこに時計、ある。六月九日ですよ」
それは、俺達が作戦を行う前日だった。
一つだけ覚えておけ、クソッタレな新入り共。
隊長はそう口火を切って俺達を森の中へと導いた。鬱蒼と生い茂る木々が空を覆い隠す天蓋となり、昼と夜の区別もつかない。まるで異空間だ。隣接するヒワダタウンではまだ太陽が中天に昇っていたはずである。俺は、何度か時計を確かめた。
カントー標準時、六月十日。天気は晴れのち曇り。現在時刻、十四時三十二分。ヤドンの尻尾を切り売りして小金を稼ぐという目的を果たせなかった俺達ロケット団はヒワダタウンの西側ゲートから入れるウバメの森に関する重要な情報を仕入れた。この地では古くより語り継がれている伝承だという。
オカルト? ハッ、という俺達のスタンス。
――そのはずだ。俺達は、これが初めて迎える六月十日の作戦日のはず。なのに、俺はこの光景を知っている。夢で見たのか? 分からない。ブリーフィング中に眠っていたら注意が飛ぶはずだ。だったら、今朝の夢か。思い出そうとして、ああ、思い出せないと顔を覆った。
「おい、アンドウ。ストライクを出せ。この邪魔な木をぶった切る」
隊長に指示を出されて俺はストライクを繰り出す。【いあいぎり】でストライクが木を叩き割ると、そこには開けた空間があった。目の前には古ぼけた祠が一つ。文字が刻まれているが掠れて読めない。
それさえも、同じ。
隊長が怖気づいた俺達にGSボールを取り出して説明を始める。曰く、ガンテツのオヤジは『神を冒涜する作品だ』と言っていたが俺達にとっては天啓だ、と。
全てが自分の記憶通りに進む事に俺は焦燥を覚えていた。隊長がGSボールを祠に置く。
その瞬間、記憶が飛んだ。
俺はブリーフィングルームから退室する時に、イアンから耳打ちされた。
「アンドウさん。この作戦、正気じゃありません」
イアンの言葉に俺は眉をひそめる。作戦前にそんな弱音を吐くのは卑怯だ。――と、俺は違和感を覚える。イアン、お前は何を言っているのだ。俺はどうしてこの時間にいるのだ。
次の一言が放たれる前に俺は時計を見やった。顔面をさぁっと血の気が引いていくのが分かる。
六月九日。その時を刻んでいる。
GSボールについての性能は分かった。とっとと作戦を始めやがれうすのろ隊長殿! と俺は罵声を浴びせそうになった。その寸前で喉の奥へと声が落ちていく。
隊長がGSボールを祠に置く。次の瞬間、記憶が飛んだ。
俺はブリーフィングルームから退室する時に、イアンから耳打ちされた。
「アンドウさん。この作戦、正気じゃありません」
「ああ、正気じゃないな。……イアン、俺の額を触ってくれ」
イアンが怪訝そうにしながらもイッシュ生まれの大きな手が俺の額に触れた。イアンの手は温かい。生きている人間の、血が通った手だ。
「熱はありませんよ」
「そうか」
GSボールについての説明はもういいだろうが、隊長殿! 俺は叫び出したくなったがぐっと堪えてその時を待った。
祠にGSボールが置かれた直後、俺の意識は飛んだ。
「アンドウさん。この作戦――」
その言葉が発せられる前に俺は駆け出した。俺は時計を見やる。六月九日の時を刻んでいる。
「どうなっていやがるんだ……!」
俺は呻いて階段を駆け降りた。ブリーフィング兼残党ロケット団のアジトと化している雑居ビルを抜け出して、コガネシティの雑踏に身を浸した。人々は皆当たり前のように生きている。誰一人、異常な者はいない。俺は手近な人間を呼び止めた。俺の服装を見て怪訝そうに眉をひそめる男。だが、俺は構ってはいられない。
「今日は何日だ?」
突然の質問にたじろいだ様子だったが、「六月九日ですけど……」と消え入りそうな声で答えられた。
「もう一つ、質問をする。ロケット団が壊滅してから、何年経った?」
俺の服装とその質問を結び付けようとしていた男が、「あんた……」と叫び声を出そうとする。
「いいから、質問に答えろ!」
俺の絶叫に周囲の喧騒が一瞬だけ止んだ。男は今にもちびりそうになりながら口にした。
「……三年、だよ」
GSボールについてのご高説は必要ありません、隊長殿!
俺は結局、作戦に参加していた。もしかしたら、この任務についていなければ違う「俺」もあり得たのか? 何が原因だ。この現象は間違いない。
時を繰り返している。しかも、この作戦を遂行する前日と当日の二十四時間を。
何でだ? 俺が何をした?
そんな事を考えている間に隊長はGSボールを祠に置いた。
俺が制止する前に!
俺の意識は塵芥のように飛んだ。
俺はイアンが喋り出す前にその口を塞いで殴りつけていた。止めに入った団員達によって俺は地下牢に幽閉された。
翌日の作戦遂行時に、俺の意識は飛んだ。
「……イアン。近くに高層ビルはあるか?」
ブリーフィングを終えてすぐにそんな事を尋ねられたものだからイアンは戸惑っていた。
「ジョウトは景観維持のために、そんなに高い建築物はないはずですけど……」
「だったら、三階建てでもいい。見晴らしがいい建物がいい」
「このビルの隣が確か三階建てのカラオケボックスだったような」
皆まで聞かず俺は走り出していた。隣のカラオケボックスの主人を脅して、俺は屋上に来ていた。風が湿り気をはらんでいる。ジョウトはこの湿気が多い地形なのが嫌いだ。だから、余計な事を考えちまうんだ。
俺は屋上の縁に立ち、眼下を見下ろした。人がいる。たくさん。当たり前だ。自分で考えておいて、ジョークの一欠けらのセンスもない。
いつも通り。ハッというスタンスで、俺はビルから飛び降りた。
俺の隣にイアンがいる。歩いている。
「アンドウさん。この作戦、正気じゃありません」
「正気じゃないのは、俺のほうだ」
その言葉にイアンが、えっ、と声を出す前に俺は駆け出していた。どうなっている? 時計を見やるが、案の定六月九日。時間が繰り返しているとしか思えない。
「何が原因だ……」
俺は最初の六月十日でセレビィをストライクで殺してしまった事を思い出した。
「あれが、原因なのか」
そうとしか思えない。このまま時間が過ぎ、作戦が決行されれば俺はまた時間の渦に飲み込まれてしまう。
終わりのない輪廻に。
記憶だけを引き連れて。
死さえも道連れに出来ずに。
俺は舌打ちを漏らして階段の踊り場でどうするべきか思案した。しかし、妙案はそう簡単に浮かんではくれない。諦めかけたその時、俺の肩を掴んだ手があった。振り返ると隊長が精悍な面持ちで立っている。
「具合でも悪いのか? イアンが心配していたぞ」
クソッタレなあんたがGSボールを祠に置くからですよ、隊長殿! 俺は叫びたかったが、それよりもいい考えが浮かんだ。アイデアというのは、気紛れに、ポンと浮かぶものだ。
GSボールさえ置かせなければいい。
俺はストライクを繰り出し、敬愛する隊長殿を切り殺した。「何、で……」と声を発する隊長を尻目に俺はその身体からGSボールを探り当てる。これさえ破壊すればいい。置かせなければ、この時間のループから抜け出せるはずだ。
GSボールを奪い、俺はコガネシティ近辺に身を隠した。何人か殺してしまったが、 まぁいいだろう。時間の渦から抜け出せるならば本望だ。
二十四時間後、作戦結構時刻に俺の意識は飛んだ。
イアンを殺して、隊長も殺し、制止しようとした幹部の首もはねた。
しかし、翌日、俺の意識は飛んだ。
警察に自首し、全てを自供する。作戦は取りやめになり、ロケット団は完全に壊滅した。
しかし、翌日、俺の意識は飛んだ。
二度目の自殺を試みる。
今度はリストカットだったが失敗した。
三度目の自殺として、ストライクに首をはねさせた。
しかし、無駄に終わった。意識は飛んで六月九日へと渡った。
GSボールの製造者であるガンテツの下に向かう事にした。この謎を解明するにはそれが一番だと判断したのだ。三度の自殺の末、俺は人間が味わうであろう死の痛みを経験した。どれも二度も三度も味わうと気が狂ってしまいそうだ。だから、俺は根本原因を解決しようとヒワダタウンに出向いた。
イアンは怪訝そうにしながらもクロバットの【そらをとぶ】で俺を運んでくれた。ガンテツの家に押し入る。ガンテツは俺達がヤドンの尻尾を切り売りしていた時に世話になっていた。だから、俺の顔も覚えていたらしい。すぐに眉間へと険しい皺を刻んだ。この老人にはその表情がお似合いだ。リボンで髪を編んだ孫娘が突然の闖入者に瞠目する。
「……ロケット団!」
吐き捨てられた声に普段ならば高圧的な態度を晒す俺はその場に跪いた。ガンテツが目を白黒させている。俺は自分に降りかかった全ての現象を話した。ガンテツは最初、狂ったロケット団員が乗り込んできたのだと思っていたようだが、俺があまりにも真剣に語るので途中からは聞き入るようになった。何度か頷き、「それはお前さん、時渡りや」と口にする。
「時、渡り……」
セレビィの能力とされるものだ。過去と未来を自由に行き来する事が出来る。だが、それはセレビィの能力のはずだ。どうして自分の降りかかったのか。ガンテツは顎に手を添えて、「恐らくは」と言葉を選んだ。
「セレビィを殺した事でお前さんと普通の時間線との波長が狂った。そうとしか思えん。あるいは、セレビィの呪いか」
「呪い、だって」
オカルトだ、と切り捨てるのがロケット団だったが、自分で体験しておいてオカルトもないだろう。これは現実だ。紛れもない、逃れようもない現実である。
「何とか出来ないのか?」
「ワシの力じゃ、無理やで」
「そんな……!」
俺はガンテツに懇願していた。GSボールを造ったのだ。ならば、根本的な事も理解しているはずである。ガンテツは面倒そうに応じた。
「……ヤドンの尻尾を高値で売って荒稼ぎしておいて、いざ自分が困れば傷つけた人間に頼るんか? それは筋違いとちゃうか?」
孫娘は家で飼っているヤドンに擦り寄っていた。ヤドンが間抜けな顔で尻尾を振っている。その尻尾は、まだ完全に生えていない。自分達のつけた傷跡が生々しく残っている。
「……その通りかもしれない。だが、俺は、あんた以外にすがれる人間がいない事も知っている。俺は……、ストライク!」
ストライクを繰り出して俺は自分の喉元に鎌を突きつけさせた。仰天したガンテツが腰を浮かせ、「よさんか!」と声を荒らげる。俺は事の外冷静に事態を俯瞰している自分を顧みた。
死は既に三度経験している。痛みは伴うが、もう心が麻痺しているのか慣れていた。
「……孫娘の前で人死になど見せるわけにはいかん。お前さん、ストライクを収めぇ」
「交換条件だ。あんたの孫娘に一生のトラウマを背負わせたくなければ、俺の、時の呪縛から外れる方法を考え出せ」
無茶無謀な条件だとは自分でも分かっている。しかし、これしかない。俺が、セレビィの時渡りの呪いを脱するには。ガンテツは眉間に鋭く皺を刻み込み、「外道が!」と吐き捨ててから、その場に座した。
何かを語り出すつもりなのが分かり、俺はストライクをモンスターボールに戻した。
「……悪党を救うつもりはない」
孫娘に、人死に見せんためや。そう前置きしてからガンテツは話し始めた。
「時渡りは、何も万能やない。今の科学ではどうしようもなく理解出来ない範疇やろうが、時渡りをする際、ほんの些細な事で違う時間線に乗ってしまう事がある。お前さん、伴っているのは身体と、記憶のはずやな?」
質問に俺は頷く。ガンテツは、「セレビィ殺した時、動いてたんは」と俺を睨んだ。
「お前さんだけか?」
そこで俺はふと気づく。
「……いいや。俺と、ストライクだ」
「せやな。そのはずや。さっきの話が確かなら。だとすればストライクも同じように時渡りを経験しているはずや」
「ストライクが……」
俺はモンスターボールに視線を落とす。ストライクもまた、俺と同じように時の輪廻に囚われていたのか。
「だとすれば、鍵はストライクが握っとる」
ガンテツの言葉に俺は、「どういう意味だ?」と問い返す。
「記憶と身体、いや、身体は元の状態に戻るさかい、記憶、精神の部分か。それを引き継いどるんなら、自分と同じような状態にあるものに、印を刻むとええ。そうする事でループの回数が分かるはずや」
「何に?」
「ストライクは、持ち物持っとるか?」
逆質問に俺はたじろいだが首を横に振った。
「なら、便箋をストライクに持たせぇ。それに書くんや」
「書く? 何を?」
急くように結論を迫る俺へと、ガンテツは冷徹に告げた。
「この時間線でお前さんが経験した事を、レポートせぇ」
俺はブリーフィングルームから退室する時に、イアンから耳打ちされた。
「アンドウさん。この作戦、正気じゃありません」
「ああ、正気じゃないな。じゃあな」
俺はイアンに別れを告げて階段の踊り場まで駆ける。ストライクを呼び出すと、持ち物を持っていた。便箋だ。宛て先は「次の時間線のアンドウへ」とある。俺は便箋の封を切って中を見た。百枚ほどの手紙が入っており、その中の一枚に書き綴られている。
【リフレインレポート1】
俺はガンテツからこの時間の螺旋より逃げ出す術を聞いた。次の時間線の俺は記憶も引き継いでいるから、簡潔に、俺の経験とこの二十四時間でやるべき事を列挙しておく。
まず一つ、GSボールを奪っても破壊しても無駄だ。あれはセレビィの道標にはなったが一方通行のものだ。造ったガンテツにもその詳しい構造は分かっていないらしい。ただ何をしても俺にはこの二十四時間しか残されていない事は確かだ。この先にこれから俺が活動すべき項目を並び立てろ。前回の時間線では俺はガンテツから聞いた事をメモる事しか出来ない。ヒワダタウンに行くのは無駄だ。
そこで文章が途切れている。俺は顔を覆い、階段の踊り場ですすり泣いた。
【リフレインレポート2】
俺は泣くしか出来なかった。
【リフレインレポート3】
この時間線で試してみたのはストライクの技構成の変化だ。ストライクの技に【どろぼう】を組み込んだ。GSボールを直前に技で奪えばどうなるか、試してみたのだ。だが、結果は次の俺が分かっているよな?
奪っても破壊しても無駄だという俺の理論が補強されただけだった。
【リフレインレポート4】
俺は今まで試した事のない方法からアプローチする。直前でセレビィについて知りうる限りの情報を集めようと思ったのだ。もしかしたら伝承の類にそのヒントはあるかもしれない。ごく稀にしかこの世界に爪痕を残さないセレビィといえども、過去にもしかしたらループから抜け出した人間がいると考えたのだ。
俺の行動を嘲笑うかのように、ロケット団のデータベースではそれは発見出来なかった。次の俺の健闘を期待する。
【リフレインレポート5】
ジョウトは広過ぎる。全ての情報網を手繰るのは不可能に近い。俺は今から首を吊る。次の俺の健闘に期待。
【リフレインレポート9】
噂話を聞いた。金の葉っぱと銀の葉っぱを祠の前に捧げるとセレビィが現れるのだという。苦難の末、葉っぱの所在地を確認。次の俺が見つけてくれるだろう。
【リフレインレポート10】
その情報はガセだった。
【リフレインレポート35】
ようやく俺はある一つの事実に行き着いた。ここまで四十回近く俺は繰り返し、そのうち十回ほどは死を選んだだろう。だが、この情報は大きい。
目玉かっ開いてよく見るのだ。
そんな方法は存在しない。それが証明された。
俺はリフレインレポートとやらを破り捨てたくなった。
ガンテツに勧められて行ったこの方法は実のところ俺を無間地獄に叩き落すための方法だったのではないか。何度やっても無駄。それが理解出来てしまう。ガンテツはヤドンの尻尾の報復のためにこれをやらせているだけなのではないか。俺が踊り場で蹲って泣いていると、肩に手がかけられた。また隊長か、と顔を上げるとイアンだった。
「イアン……、俺はどうしたら……」
「どうなさったのですか、アンドウさん。急に飛び出して」
全て話そうかと思った。だが、イアンに話したところで何になる。いや、少しは作戦阻害の助けになるか。考えが堂々巡りする中、イアンは口にする。
「明日の計画が不安なんですね。ワタシもです。あんな珍妙なボールでセレビィを呼び出せるのかどうか……」
呼び出せる。しかし、その先は――。俺は頭を抱えた。イアンが肩を二、三度叩く。
「大丈夫ですよ。危険度も低いですし、大した任務ではないでしょう。それよりも、これをクリアすれば幹部候補間違いなしですよ」
イアンの興奮気味の声に俺は黙って首肯した。
一つだけ覚えておけ、クソッタレな新入り共。
隊長はそう口火を切って俺達を森の中へと導いた。鬱蒼と生い茂る木々が空を覆い隠す天蓋となり、昼と夜の区別もつかない。まるで異空間だ。
――否、ここは時間線の違う、異次元だ。
この森の木々も、草葉を揺らすポケモン達も、一つとして同じものはない。同じように引き継いでいるのは俺だけだ。
隊長の指示に従って俺はストライクに【いあいぎり】を命じる。眼前に開けた空間が捉えられ、俺達は立ち止まった。隊長が祠を開き、GSボールの解説を始める。俺はうんざりとして聞いていたが、ふと思い至った。
隊長の説明を俺は遮る。
「待ってください。今、言わなければならない事がある」
時計を見やる。リセットされるまで、残り一分弱。
「何だ、アンドウ」
「イアン」
俺はイアンへと向き直る。イアンは首を傾げた。
「どうしました? アンドウさん」
「どうして、作戦にボールが使われる事を知っていた? 珍妙なボール、と言っていたな。それはつまり、GSボールの事じゃないのか?」
「知っていておかしいですか?」
「ああ、おかしいさ。だって、俺達は今まさにあのボールを見たはずなんだからな」
その通りだ。自分は何度も繰り返しているものだからつい意識の外に置こうとしていた。
GSボールの存在が明らかになるのはこの瞬間だ。それ以前に知るのは不可能なはずである。
「イアン。お前も、何周目だ?」
その言葉はまるで約束手形のように静寂の空間に染み渡った。
隊長、他二人は唖然としている。何を言っているのか、気が狂ったのか、とでも言いたげだ。
イアンが口元を歪める。嘲笑の形を作り口にする。
「まさか、気づくとは」
「俺を時間の地獄に突き落として楽しかったか?」
「楽しくはありませんでした。だってたまに自分が殺されるのはいい気分がしない」
「何のためだ?」
それだけは聞かねばならない。何故ならば、イアンこそがセレビィのトレーナーだからだ。そうでしか、時渡りの制御を説明出来ない。
イアンは、「巻き込みたかったんですよ」と言った。
「時を渡る因果に。セレビィを持つがゆえに、この先の未来も、過去も全て分かってしまうという物悲しさに」
「その道連れというわけか」
イアンは首肯する。最早、セレビィの時渡りを発動させるつもりはなさそうだった。
「ワタシはこれからも時渡りを続けます」
イアンの背後の空間が引き裂けて極彩色を滲み出させる。気づけばイアンと俺以外の全員が石像のように固まっていた。
「また、誰かを巻き込むつもりか?」
「今度はロケット団総帥、サカキ様を巻き込むのも面白いかもしれません」
「させねぇ。ストライク!」
歪んだ時間の輪廻には決着をつけねばならない。ストライクが光すら振り払わずに跳ね上がり、イアンを切り裂こうとした。イアンはフッと微笑みを漏らす。
「それが、この時間の連鎖から逃げ切る唯一の方法です、アンドウさん」
イアンをストライクが袈裟斬りにした。セレビィがイアンから離れ、時間の狭間へと潜り込んでいく。それを制する前に、「動くな!」と声が飛んだ。
俺は三方を取り囲まれていた。隊長と二人の団員が俺にモンスターボールを突き出している。俺は素直に手を上げた。
隊長がハッと気づいて祠へと目を向ける。
「GSボールが発動しない!」
当たり前だ。セレビィは、この時間線ではないどこかへと旅立ってしまったのだから。
イアンの死体が倒れている。「作戦失敗だ!」と隊長が口走り、祠を荒々しく蹴りつけた。
セレビィは結局、現れなかった。
【レポート1】
俺は六月十一日を迎えた。奇しくも昨日六月十日は時の記念日だった