ポケットモンスターHEXA BRAVE












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Rebellion
第七章 十四節「超える刻」
 サイコカッターの紫色の残滓が揺らめき、片腕を振り上げたキリキザンがテッカニンを追う。

 テッカニンはほとんど見えない。しかし、キリキザンは僅かに聞こえる音でテッカニンの位置を推測していた。マキシはその音を頼りにして戦っていたが、半年前に比べればほとんど聞こえない。弱点を克服したと言うのか。いつの間にか上に行かれていた屈辱に、マキシは歯噛みする。

「キリキザン!」

 キリキザンが鋼の刃を振り払う。一瞬にしてテッカニンが距離を置き、射程外へと出た。キリキザンへとマキシは前進を命じる。

「ヘルメットを狙え! それがあいつの目的だ!」

 キリキザンが両腕を翼のように広げてサイコカッターを背面に放つ。サイコカッターを推進剤として用いて舞い上がったキリキザンへとテッカニンが追いすがった。

「させない。テッカニン!」

 テッカニンの爪がキリキザンの鋼の身体へと突き刺さる。その瞬間、キリキザンの腹部にある半月型の反れた刃が十字の光を投げた。テッカニンとユウキが瞬時に後ずさる。先ほどまでテッカニンがいた場所を銀色の刃の応酬が襲った。

 メタルバーストの弾丸を避けたテッカニンよりもキリキザンはヘルメットの破壊を優先した。舞い降りて駆け出したキリキザンの眼前にテッカニンが立ち現れる。キリキザンは鋼の刃を突き出した。テッカニンが貫かれたかに見えたが、それは残像である。本物のテッカニンが懐へと潜り込み、内側からキリキザンの頤を突き上げた。衝撃に仰け反るキリキザンだが、すぐに攻撃に転じた。

 足を踏ん張ってテッカニンへと鋼鉄の尾を引くヘッドバットをお見舞いする。「アイアンヘッド」によってテッカニンを操るユウキの注意が僅かに揺らいだのを感じた。テクワと同じ力ならばポケモンのダメージがトレーナーに返ってくるはずだ。しかし、テッカニンの身体が揺らいだだけで、ユウキ自身にはダメージはなかった。すぐさま思惟の糸が結び直され、テッカニンがキリキザンの背後に回る。爪を伸ばし、節足も用いてテッカニンはキリキザンを拘束した。キリキザンが肘打ちを見舞うがテッカニンが離れる様子はない。

「くそっ。離れろよ」

「離しません。僕は」

 悪態をついて焦るマキシに対してユウキはどこまでも冷静だ。その態度に苛立ちが募った。

「お前は、どうしてそう冷静でいられるんだよ……」

「マキシ。あなたは今、我を失っている。何かに囚われているようだ。大きな、何かに」

 ユウキの指摘にマキシの脳裏にカタセの姿が過ぎった。カタセに近づくために、自分は力を得た。三等構成員まで上り詰め、ようやく見てもらえると思った。しかし、実際に与えられたのはテクワの作戦行動が失敗した時の保険だ。自分の価値はずっと変わっていない。カタセにとってしてみれば、自分など無価値のまま終わってしまうのだろうか。

「……黙れよ。知った風な口を!」

 マキシは身体を声にして叫ぶ。サイコカッターを纏った肘打ちがテッカニンに命中し、テッカニンの拘束が緩んだ。キリキザンが跳躍し、ユウキへと真っ直ぐに落ちていく。ユウキは自分の身が可愛ければ逃げるだろう。その隙をついてサイコカッターでヘルメットを叩き割る。そう断じていたマキシは声を発した。

「メタルクローで攻撃しろ。そいつに身の程を教えてやれ」

 もちろん、ユウキならば避けられる程度の速度で放つメタルクローだ。銀色の光の尾を引きつつ振り下ろされた一撃は空を切り、次いで放たれたサイコカッターが真の目的を果たす。

 そのはずだった。

 しかし、ユウキはその場を動かなかった。振り下ろされた銀色の刃がユウキの肩口へと突き刺さる。血飛沫が舞い散り、キリキザンの銀色の身体を赤い血が彩った。マキシが呆然と、「どうして……」と呟く。

「お前ならば、避けられただろうに」

 当てるつもりなどなかった。牽制のつもりで放った技が命中し、マキシは狼狽していた。ユウキは歯を食いしばり、苦痛に顔を歪めながらキリキザンの鋼の切っ先を掴む。掌が裂け、血が滴った。

「マキシ。僕を攻撃すると見せかけてヘルメットを狙っているのは、最初から分かっていました。でも、僕は命に代えても守らなくてはならない。それだけの覚悟を携えてやってきた。あなたは、どうなんです? マキシ」

「どう、だって……。俺は、俺は……」

 マキシは頭を抱える。ユウキの言っている事が分からない。それよりも、身の内から声が響く。

 ――戦え。殺せ、と。

 マキシは首を振った。その意思に命じられるがまま戦うのは人間としてあってはならないと感じたのだ。

 まだ人間である心を持っている。自分でも不思議な心地にマキシは包まれていた。オートメーション化した機械の一群のつもりでいたのに、いざ血を目にするとうろたえる。それがかつての仲間の血だからか。ユウキはキリキザンが引き離そうとした腕を掴んで、無理やり引き寄せて叫ぶ。

「本当に戦うべき相手は! 分かっているでしょう!」

 ユウキは覚悟を問いかけているのだ。戦いを戸惑いの胸中で行っている自分を叱責している。

「本当に戦うべき、相手……」と言葉を繰り返し、キリキザンを見やった。キリキザンはよろめいて後ずさり、血に濡れた刃をだらんと垂らした。ポケモンとて機械ではない。鋼タイプとは言えど、心は持っている。キリキザンの眼がマキシへと向けられる。マキシに、主人へと今一度、覚悟のあり方を問いかけている。

 ユウキがヘッドセットを押さえ、「僕はもう行きます」とヘルメットを拾い上げた。作戦は失敗だ。テッカニンに掴まって飛ぼうとしたのを、他の構成員が阻もうとする。緊急射出ボタンから繰り出されかけたポケモンを、マキシは振り向き様にキリキザンへと命じた。

「サイコカッター」

 紫色の波動を得て閃光の刃が構成員達の目の前を切り裂く。よろめき後ずさった構成員達が、「何を……」と呻いた。マキシは自嘲の笑みを口元に浮かべて、「ああ、俺も何をしているんだろうな」と呟く。

「馬鹿だって分かっているさ。でも、馬鹿が移ったんだろうな。あいつは真っ直ぐだ。だから、俺達に進むべき道を示してくれる。分かったよ、ユウキ。俺の、本当に進むべき道が」

 マキシはもう一度手を振り翳す。サイコカッターが構成員達を囲うように放たれた。床を切り裂いた線に囲われた構成員達が戸惑う声を上げる。

「どういうつもりだ。マキシ三等!」

「俺も、心に従う事を決めたんだよ。だから、だからさ」

 マキシは息を吸い込んだ。肺を満たした空気を感じ取った直後、今まで出した事のない声を出す。

「いるんだろう! カタセ! いや、親父!」

 その言葉が物理断層に残響していく。反響した声にユウキが目を向けた。その目を見つめ返していると、不意に空間に亀裂が走り、紫色の次元の断層から黒いコートを身に纏った男が金色のポケモンと共に歩み出る。三日月を象った羽衣を纏うポケモン、クレセリアを携えて、ε部隊の隊長がユウキとマキシを交互に見やる。

「なるほど。敵にほだされたわけか。戦士失格だな」

「違う」

 ユウキが強い口調で遮った。カタセが視線を振り向け目を細める。

「マキシは自分で選び、気づいたんです。向かい合うべきは誰か、と」

 ユウキの眼をしばらく見据えてからカタセは、「なるほど」と口にした。

「いい眼をしている。指導者の眼だ。その眼差しであれを惑わせたわけか」

「違う」

 今度はマキシの声だった。カタセが首を振り向ける。マキシはキリキザンの隣に立っていた。

「俺が選んだ。親父、あんたを越える」

「無理だ」

 断固として放たれた声は冷たく響き渡る。否定の意思が皮膚を凍傷に晒すようだった。

「お前では俺に勝てない。決して埋められぬ隔絶というものがこの世には存在する。クレセリアとキリキザン、俺とお前がそうだ。越えられぬ壁というものを自覚するのだな」

「いつかは越えなきゃならない。それを今、俺は知ったんだ」

 マキシは拳を握り締める。ユウキはテッカニンに掴まっていつでも離脱出来るのだろうが、マキシを残して行くつもりはないらしい。とんだ甘ちゃんだ、とマキシは思う。

「なるほど、では五分だ」

 カタセが片手を広げる。マキシへと身体を振り向け、クレセリアのピンク色の眼差しがキリキザンを射る。

「五分で、お前らを黙らせよう。二人同時でも構わない」

 その言葉にマキシは首を横に振った。

「ユウキ、分かってるだろうが」

「ええ、僕は干渉しない」

 心得た眼差しを交わし合う。カタセは、「ほう」と感嘆したような息をつく。

「いい心がけだが、兵士としては間違えているな。戦うのならばより高い勝率を求めるべきだ」

「違う。戦いも、覚悟も、確率論なんかじゃ決してない」

 マキシは歩み出た。キリキザンが踏み出し、片腕を突き出す。クレセリアへの宣戦布告だった。カタセはため息をつく。

「つくづく、毒されたようだな。愚かしいと言っても限度があるものだが。まぁ、いい。キリキザンとお前の代わりはいくらでもいる。駒を一つ失ったところで大差ない」

 クレセリアが浮き上がりながら羽衣より閃光を放つ。キリキザンも腕を後ろに引き、紫色の波動を得た刃を振り上げた。

「サイコカッター」

「サイコカッター!」

 同時に放った声と共に同じサイコカッターの剣閃が瞬いた。ぶつかり合い、次元を歪ませて蜃気楼のような景色の中、キリキザンとマキシが踏み込んだ。クレセリアへと肉迫したキリキザンが鋼の腕を打ち下ろす。しかし、クレセリアの眼前で三枚の青い皮膜が張られた。「リフレクター」である。

「半年前はこれで終わりだった。でも、今は!」

 マキシの声に呼応したようにキリキザンは肘先から肩口にかけてサイコカッターを噴出した。勢いを増した鋼の刃がリフレクターを一枚、また一枚と破壊する。残り一枚となった時、リフレクター越しに羽衣が瞬く。

 キリキザンは両腕を打ち下ろしリフレクターを破壊した反動を利用して後ずさった。サイコカッターの剣閃がキリキザンのいたであろう空間を引き裂く。キリキザンが降り立つと同時に位相を変えたサイコカッターがキリキザンへと突き刺さった。衝撃と共に粉塵が舞い上がる。しかし、キリキザンは健在だった。腰だめに両腕を構えて、腹部から銀色に瞬く刃を放出する。

「メタルバースト!」

 キリキザンが両腕を突き出した瞬間、鋼の弾丸の応酬がクレセリアを襲った。クレセリアはしかし、リフレクターを六枚張って難なく無効化する。

「倍になって返ってくるのならば倍のリフレクターを張ればいい」

 カタセが腕を翳しながら口にする。マキシは口元に笑みを浮かべた。それを見て怪訝そうにカタセが眉をしかめる。

「何が可笑しい」

「いや、半年前には、あんたはそう言う必要性すら俺に感じていなかった。今、俺は、あんたと同じ土俵に立っている」

「同じ土俵だと?」

 クレセリアの羽衣が瞬き、凶暴な光を携える。キリキザンが身構えるが、それよりも速くに瞬いた閃光が肩口に突き刺さった。キリキザンがよろめく。肩には太刀筋が入っていた。

「自惚れるな」

 クレセリアの羽衣が何度も瞬き、キリキザンに猛攻を浴びせかける。キリキザンは「メタルバースト」の構えを取ろうとするが、それよりも相手の攻撃のほうが早く、なおかつ的確にキリキザンの急所をついてくる。

 キリキザンが片膝を折った。全身に太刀傷があり、ほとんどボロボロの状態だった。肩を荒立たせながらキリキザンがクレセリアを睨みつける。クレセリアは羽衣から閃光をもう一度放って、キリキザンを突き飛ばした。キリキザンが仰向けに転がる。カタセが時計を見やり、「あと三分残っている」と告げる。

「だが、無駄だったようだな。もう三十秒もいらない。お前とキリキザンにとどめを差すには」

 カタセが一歩、歩み出す。ユウキとテッカニンは何一つ動こうとはしなかった。構成員達も同様だ。誰も分け入っていい問題だと思っていない。これは一つの親子が決着をつけるための戦いなのだ。震えるキリキザンへと、マキシは声をかけた。

「キリキザン。俺には、テクワのようにお前の痛みを知ることも、ユウキのようにお前を自在に操る事も出来ない」

 キリキザンの首筋へと羽衣がかけられる。無理やり顎を上げられ、キリキザンはクレセリアを視界に入れた。マキシは胸元に手をやって言葉を続ける。

「でも、俺は! 俺にしか出来ない戦い方がある。俺はポケモントレーナーだ! そして、お前は!」

 その言葉に戦慄いていたキリキザンの眼が不意に鋭くなった。主の意思に呼応したキリキザンが腕を振り翳す。その腕が羽衣にかかった瞬間、マキシは拳を握り締めて叫んだ。

「俺の手持ち、誇れる相棒のキリキザンだ! 俺はお前と、勝つためにここに来た!」

 振るった刃が漆黒の光を帯びる。それを見た瞬間、クレセリアが唐突に身を引いた。リフレクターを左右に張って離脱しようとするのを、立ち上がったキリキザンが天上を仰いで甲高く雄叫びを上げた。両腕から闇色の光が弾き出され、漆黒の刃が拡張する。キリキザンが片腕を引いて片腕を突き出した。戦闘の構えを取り、マキシが声に出す。

「もう、サイコカッター頼みの戦い方だなんて言わせない。お前は、俺と共に戦うんだ。そのための因果を断ち切る刃」

 キリキザンが踏み出し、クレセリアへと漆黒の刃を振り翳す。クレセリアが左右に張っていたリフレクターを一点に凝縮し、一撃を弾こうとしたがキリキザンの漆黒の刃がリフレクターを引き裂いた。カタセとクレセリアが驚愕の眼差しを向ける。

「遅過ぎるかもしれない。でも、俺は、過去と決別するのならば! お前と!」

 キリキザンの放った闇色の剣閃がすかさず放たれたクレセリアのサイコカッターとぶつかり合い、干渉波のスパークを弾けさせる。焼け爛れた地面を抉りながら刃を振り上げる。拡張した刃がクレセリアの本体へと至り、その堅牢な身に初めて傷をつけた。クレセリアがリフレクターを張りながら後退する。しかし、傷口から溢れ出す闇の瘴気が漂っている。

「この技、辻斬りか。今さらに悪タイプの技を顕現させた程度で」

 カタセが腕を振るう。クレセリアが羽衣からサイコカッターを放ち乱舞する。偏向したサイコカッターが一斉にキリキザンを襲った。

 キリキザンは両腕を翼のように振り上げ、鳥のように舞い上がったかと思うと、くるりと身を翻し、全方向から襲いかかるサイコカッターの刃を相殺した。

 バラバラとガラスのように砕け散ったピンク色のサイコカッターが地面へと落下する。キリキザンも両腕を広げたまま緩やかに着地し、キッと顔を上げた。クレセリアを睨み据える。その眼光には最早迷いがない。マキシの迷いも吹っ切ったキリキザンは悪タイプ本来の性能を発揮し、今まさに師であるクレセリアを越えようとしていた。主人であるマキシが父親であるカタセを越えようとしているのと同じに。

「それだけじゃない。俺はここから自分の力で切り拓く。もう、言い訳はしない」

 キリキザンが呼応して叫び、クレセリアへと漆黒の刃を振るって駆け出した。

 クレセリアがリフレクターを五重に張り、内側でサイコカッターを充填する。最大出力のサイコカッターが放たれる事は想像に難くない。しかし、キリキザンは近接戦闘を続けた。リフレクターを一枚、また一枚と割っていく。

「つじぎり」による攻撃だけではない。キリキザンの肘先から肩口にかけて噴射剤のように紫色の波動が噴き出している。キリキザンはサイコカッターと辻斬りを併用しているのだ。今までの戦いを捨てるのではない、とマキシは確信していた。今までの自分も肯定した上で新たな境地へと至る。それが成長する事、それが進化する事なのだと、マキシは心に宿った炎に誓う。

 漆黒の刃が最後のリフレクターを引き裂いた瞬間、眩く羽衣が輝きピンク色の光が放出された。羽衣から放たれたサイコカッターの閃光がその場にいた全員の目を眩ませる。それは主人であるカタセやマキシとて例外ではなかった。だが、決して目を瞑る事はなかった。マキシは真っ直ぐな視線で光の先を見据える。サイコカッターの光の中に、漆黒の刃を携えたキリキザンの姿が確かに見えた。

「キリキザン!」

 名を呼ぶとキリキザンは両手を合わせ、頭上へと振りかぶった。相乗した漆黒の刃がさらに拡張し、巨大な闇色の炎が噴き出したように見える。キリキザンがそれを打ち下ろすのと、クレセリアが全力のサイコカッターを放ったのは同時だった。闇と光が掛け合わされ、全てが閃光の中に没したかに見えた直後、不意に景色が晴れた。キリキザンが両腕を開いてクレセリアの後ろに立っている。クレセリアは顔を上げて一声鳴いた。

 直後、がくりとキリキザンが膝を崩した。鋼の身体がボロボロと崩れて全身から血の霧を噴き出す。

「キリキザン……」

 マキシが名前を呼ぶと、キリキザンも鳴いた。その刹那、クレセリアの身体に闇色の太刀筋が浮かび上がった。クレセリアの身体を一閃していた太刀筋は深く、常に浮遊していたクレセリアが地にその身をつけた。

「なるほどな」

 カタセが声を出す。クレセリアの瞳から敵意が薄れ、くるりとキリキザンへと振り返る。何をするつもりなのか、とマキシが訝しげな目を向けていると、クレセリアは羽衣を揺らして踊り始めた。羽衣から光が溢れ、ピンク色の波動がキリキザンへと集約する。キリキザンは満身にその光を受けた。

「キリキザン!」とマキシが叫ぶと、「大丈夫だ」とカタセが告げる。

「今の技は三日月の舞。自分が瀕死になる代わりに、全ての状態を回復させる技だ」

 その言葉通りにクレセリアは舞い踊った後、力尽きたように地面に身体をつけた。その代わり、キリキザンは全身に受けた刀傷が癒えていた。血潮がこびりついていた身体は、完全に修復している。

「あんた……」とマキシが声を出すと、「その時が来たのだ」とカタセは淡々と語った。

「子が親を越える。弟子が師を越える。いつかは訪れる事なのだ。それは摂理だ。今、その瞬間に立ち会えた事を、俺は光栄に思おう」

 カタセの言葉にマキシはしばらく呆然としていたが、やがて全てを悟った。ようやく、自分は父親と対等な立場になれたのだ。父親も自分を見てくれている。否、今までも見てくれていた事がようやく分かった。理解する事は時に痛みを伴う。痛みを重ね合わせて、やっと父親の目線と同じ位置に立てた。

「親父、俺は……」

「俺は、ずっとお前から逃げてきた。だからこれは俺のつけだ。せめてもの餞別を受け取ってくれ」

 その言葉にマキシは目頭が熱くなったのを感じたが、まだ泣く時ではないと確信する。泣くのは全てが終わってからだ。今やるべき事を、父親に宣言する。マキシはキリキザンを呼んだ。全てを心得ているかのようにキリキザンはマキシへと歩み寄り、鋼鉄の刃の手で肩口を切り裂いた。鋭い痛みが走る。それと同時に肩の「WILL」の縁取りが服ごと切り裂かれていた。

「俺は、ユウキについていく」

 決心の言葉にカタセはいつも通り、「そうか」と呟いただけだった。それでようやく、この人は不器用なだけなのだ、と感じた。愚直なのはお互い様だ、とマキシは微笑みを返そうとした。その時である。

 突然、建物を激震が見舞った。カタセが周囲を見渡し、やがて構成員の一人を見つけ、苦々しく口走った。

「……増援を呼んだな」

 構成員はばつが悪そうに顔を背ける。その時、屋上から青い流星が降ってきた。その正体は青い身体を持つジェット機のようなドラゴンタイプだ。鋭角的な眼差しを投げ、乗れ、と言っている事がマキシには分かった。マキシはキリキザンをボールに戻してドラゴンタイプの背に乗った。

「マキシ。行きましょう」

 ユウキはテッカニンで離脱するつもりなのだろう。ヘルメットを被っている。マキシは背後を振り返った。空間が縦に引き裂け、闇が溢れ出している。その内側から何かが引き出されていくのをマキシは見た。巨大な何かが空間を越えてこの場に現れようとしている。

「でも、親父が……」

「俺はいい」とカタセは背中で答える。

「ようやくお前は自分の足で歩めるんだ。お前の事を、誇りに思っている」

 その言葉にマキシが、「親父!」と叫んだ。その時には空間を裂いて出てくるものの全貌が分かっていた。王冠のような頭部にボロボロの赤と黒の翼を持っている。首筋は赤い蛇腹で、六つの足が空間を踏み締めた。呼び込んだ構成員ですら、その姿に圧倒されていた。鳴動する声を放ち、そのポケモンが威嚇する。闇の地面を形成し、操っているトレーナーが出てきた。茶髪を逆立てさせて全身にシルバーアクセサリーを纏っている。見覚えがあった。β部隊の隊長、カガリだ。

「呼ばれたから俺が先んじて来てみれば、どういう状況だ? これ」

 カガリの声にユウキが、「行きましょう」と促す。マキシはまだ諦めきれず、「親父が」と声を出した。

「俺は、ここで食い止める」

 その言葉にマキシは目を見開いた。

「でも、クレセリアは瀕死状態だ。戦えない」

「足止めくらいならば出来る。行け。そして、頼んだぞ、ユウキ。俺の息子を……」

 カタセの声が聞こえるか聞こえないかの瞬間、青いドラゴンタイプが飛び出した。高速で二体のポケモンが物理断層を抜けて屋上へと至る。マキシは屋上に着くや否や、既に戦意のないテクワとドラゴンタイプを操っているであろう女を一瞥し、地下の階層まで空いた穴へと駆け寄って声を発した。

「親父!」

 その肩へと手が置かれた。ユウキの手だ。

「お父さんの意思を、無駄にしちゃいけません」

 ユウキの言葉にマキシは歯噛みしてから、身を翻した。キリキザンを繰り出し、全員が屋上から飛び降りた。β部隊の本隊が来る前にここから脱出しなければならない。ユウキがバイクに乗り、その後ろにテクワが乗った。マキシは青いドラゴンタイプに乗って逃げる事になった。赤いドラゴンタイプの放った霧状の砲弾が前門を砕けさせ、ユウキの駆る漆黒のバイクがテクワを乗せて走り出す。

 マキシは離れていくプラントを見ながら熱いものが頬を伝うのを感じた。ようやく分かり合えたと思ったのに、このような別れが訪れるなど予想していなかった。

「……さよなら、親父。俺は、行くよ」

 マキシは涙を拭って前を見た。夜の帳が落ちたハリマシティを二体のドラゴンタイプと黒いバイクが駆け抜けた。それは明日への勇敢な一歩目だった。






















「まさか、カタセさん。あんたが裏切るなんてな」

 カガリは先に空間を引き裂いて現れたギラティナと共にカタセを見下ろす。ギラティナはこの世の理とは違う反転世界を行き来する事が出来る。瞬時の移動には最適だった。β部隊に伝令が来て五分以内、カガリは危険だと制止するサヤカの反対を押し切って、プラントの最奥まで来ていた。目の前にはカタセと満身創痍なクレセリアがいる。先ほどの様子から、敗北した事を推し量るのは難しくなかった。

「でもさぁ、息子だからって逃がしちゃう? 反逆者に加担しちゃうんだぜ?」

 カガリの挑発的な声に、「構わないさ」とカタセはいつもの落ち着いた調子で告げた。しかし、その言葉にはいつになく熱いものが宿っている。

「マキシのやりたいようにやらせられれば」

 カガリはその言葉に額を押さえて、「かぁー」と声を上げた。

「熱いねぇ。カタセさんらしくないよ。でも、ようやくそれが本性ってわけか。いいぜ? 俺も戦ってみたかったんだ。あんたとはね」

 ギラティナが戦闘態勢に入る。ギラティナが暴れれば恐らくクレセリアに勝つ術はない。殺してしまうだろう、という事に一瞬の苦味を感じたが、そのような瑣末にはこだわらないのが隊長である。ギラティナが声を上げようとすると、不意にその赤い眼が天上を仰いだ。

「何だ?」とカガリも空を眺める。青い月明かりが降り注ぐ中、一瞬だけ黒点が見えた。それが一気に近づいたかと思うと、青い推進剤の線を引き、噴煙を棚引かせながら黒い影が落下してきた。

 ギラティナとクレセリアの間に落下したそれの衝撃で粉塵が舞い上がる。カガリはその粉塵の向こうに黒い巨体を見た。仕舞い込まれていた脚部が現れ、丸太のような腕を引き出し、胸部にある絆創膏のような意匠が躍動する。全身の関節から蒸気を迸らせ、その巨体は身じろぎした。

 それは黒い身体をしていた。全身が塗り固められたかのように黒く、重々しいシルエットをしている。白い眼窩がギラティナを睨み、意思の光を宿していた。

「お前は……」

 知っている。自分はこのポケモンと、そのトレーナーを。

「ゴルーグ」とそのポケモンの背に乗っていた人影が名を呼んだ。ゴルーグは全身を軋ませながら轟音のような声を発する。ゴルーグの背後から現れたのは黒い眼鏡をかけた逞しい男だった。半年前とはいえカガリはその姿を覚えていた。

「半年振りだな。俺は、帰ってきた」

 その男は片手を翳し、カガリへと宣戦の声を発した。

「お前の相手はこの俺だ」







第七章 了


オンドゥル大使 ( 2014/04/22(火) 20:54 )