ポケットモンスターHEXA BRAVE












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Rebellion
第七章 十三節「彼の名を知らず」
 オーダーは正確無比な狙撃を、だった。

 テクワはその命令通りに虎視眈々と待っていた。

 時が満ち、ユウキが現れるのを。ユウキが第三プラントに現れるのはほとんど賭けだった。他のポイントではβ部隊やα部隊が張っている。ε部隊の隊長であるカタセは多くは語らない。しかし、信頼出来るとテクワは考えていた。半年間、副隊長を任ぜられてからは二ヶ月ほどだがカタセの傍にいて分かった事が二つある。この人は決して間違いを犯さない、という事だ。正解を導く力がこの人にはある。だから隊長になれた。自分をここまで成長させてくれた。

 しかし、反面で、この人はとても臆病だ、とも感じていた。

 何に対してなのかは、テクワも思うところがあったから追求しなかった。どこから逃げようとしているのか、誰から逃げようとしているのか。この人はずっと追われている。

 ひょっとしたらミサワタウンにやってきたあの時からずっと。この人は間違う事はしない。だが、何かから逃げ続けている。目を背けて、なかった事にしたいと考えている。

 怖いのだ、とテクワは感じた。向き合って、真正面から何かを伝える事が。相手も自分も傷つけてしまう事をこの人は直感的に分かっている。だから、踏み出せないし、踏み出さない。踏み出さないから間違えない。失敗をしない。正解にはなる。だが、それは永久に解答を拒否し続けているのと何が違う。

 テクワはいつしか、この人に正解を導かせる事ではなく、見落としに気づかせる事が自分の役目なのだと感じていた。この人は人生という道で色んなものを落としてきた。それを取り戻そうとは思っていない。言い訳をしないからだ。その生き方は潔いが、悲しさと虚しさは雪のように積もる。いつしかその身を押し潰してしまうのではないだろうか。だから、テクワは見落としを気づかせてあげようと半年間努力したが、この人はその見落としから距離を置く事ばかり上手になっていく。見落としも、解答者から見つけられない事ばかりが上手になる。お互いの埋められない距離。テクワはもどかしかった。

 だから嬉しかったのだ。見落としが少しだけ歩み寄ろうとしているのを。しかし、この人はまだ目を背け続けている。テクワは、ならば見落としに歩み寄るのは自分の役目だ、と判断した。この人は永遠にその部分の解答を保留にし続けるのならば、その部分の解答だけを自分が引き受けよう。それこそが人生における正答となるのならば。

 テクワは、らしくない感傷を振り払ってサングラスを外す。闇の中、蒼く輝く双眸が浮かび上がる。ドラピオンが狙撃姿勢を取ってユウキを待ち構えていた。ユウキは愚直にも正門からこの場所に訪れた。真っ直ぐな奴だ、と半年前に判断したのは間違いではなかったと思い返す。あの時、全てが始まっていたのだ。

 マシンが呻り、無理な走行でユウキは正門を押し入った。テクワは口元を綻ばせる。

「真っ直ぐだな、ユウキ。だがな、真っ直ぐがゆえにお前は命を落とすんだ。悪いな、これもあの人のためなんだよ」

 ライフルを組み上げると腰をくびれさせた紫色の巨躯が光を振り払って飛び出す。鋭角的な眼差しに、太い腕が頭部から生えている。テクワの手持ちであるドラピオンが蒼い眼をユウキへと据えた。テクワはライフルの照準をユウキに合わせる。十字の照準の中にバイクに跨ったユウキが入った。テクワもこの半年間で同調を極めた。だからだろうか。ユウキもその段階に踏み込んでいるのが肌の感触で伝わる。

「お前には来て欲しくなかったよ。二つの意味でな。さよならだ、ユウキ」

 ドラピオンが狙撃姿勢を取り、ユウキへと毒針を発しようとした、その時である。テクワは頭上に新たなプレッシャーを感じた。

 肌を粟立たせる圧にユウキへの照準をすかさずそちらへと向ける。星空の中、流れるように何かが降って来る。青白い炎のような瞬きが視界の中で弾け飛んだかと思うと、線を引いて広がり、瞬時に接近してくる何かを感じ取った。

 テクワが賢明だったのは咄嗟の防御を選んだ事だ。攻撃ならば確実に仕留められていたであろうその青白い光は空気を引き裂いてテクワの張っていた建築物へと突き刺さった。振動が揺さぶり、粉塵が舞い散る中、テクワはドラピオンの堅牢な防御の腕に抱かれている。ドラピオンと同期した視界の中に青白い光の後に追従してきた赤い流星を見た。しかし、青白いほうに比べれば穏やかなものだ。ゆっくりと屋上に降り立ったそれは、人を乗せていた。モンスターボールを今しがた空けた大穴へと向ける。赤い粒子がモンスターボールへと吸い込まれた。テクワは息を殺してそれを見つめていた。

 粉塵が晴れた時に立ち現れていたのはぴっちりと張り付いた特殊スーツを着込んだ女だった。女だと知れたのは、テクワの感知野によるものだ。柔らかな空気を身に纏っているが、それが一瞬にして針に転じる事が判断出来る。テクワはライフルを構え、ドラピオンによる狙撃を試みようとしたが、「無駄です」の声に遮られる。

「驚いた。俺の気配が分かるのか」

 テクワが心底驚いた声を振り向けると、「あなたも」と女が声を発した。その時に気づいたが、女は顔をバイザーのようなもので覆っていた。中央にはδの文字がある。

「私が分かるようですね」

 分かる、という言葉の中には、理解している、という意味も含まれるのだろう。言われた通り、テクワは女を理解していた。それは一瞬の邂逅であったにも関わらず、まるで長年の友にでも出会ったかのような錯覚を与える。

「あんた、前に俺と会ったか?」

 確証のない言葉を紡ぐと、「冗談は」と女がモンスターボールを振り上げた。

「好きではありません」

 断固とした声に、「ああ、これは失礼」とテクワが応じる。突きつけられたモンスターボールはそのままだ。殺意もそのまま、湖面のように透き通った殺意である。

「あんた、綺麗な殺意を持っているな。俺がよく知っている人に似ているよ。だからか。勘違いしたのは」

 その人物の事を思い出す。テクワが同調の力を得る前の事だったが、綺麗な人だと感じていた。しかし、後にそれは綺麗な殺意の持ち主であった事をテクワは知るのだ。刀を提げた物騒な格好を見れば分かるものを。自分は純粋無垢にその人に憧れていた。今も焦がれている部分はあるのかもしれない。ただ網膜の裏に黒い着物を纏ったその人の立ち振る舞いだけは鮮烈に焼きついている。しかし、テクワはその人ではないと感じていた。厳密にはその人とすぐ傍にいた誰か――。

「……ああ、そうか。俺はあんたの事を産まれる前から知っているんだ」

 テクワの言葉に女は首を傾げた。テクワの感知野が女の持つ何かと干渉し合い、スパークのような光を一瞬弾けさせた。その一瞬にテクワは小さな命の誕生を見た。交差する命の連鎖にまたも、「ああ」と呻く。顔を拭って、「そうか」と頷いた。

「その子もまた、片親なのか。俺と同じに」

 その言葉に女が目を見開いたのが気配で伝わった。初めて表情らしい表情を浮かべた女にテクワが言い放つ。

「俺とその子は似たもの同士だ。だから、あんたと戦う事になった」

「……出来れば戦いたくないです」

 女もそれを知ったのか。突き出していたモンスターボールを下げた。しかし殺意は微塵にも揺らいでいない。張り巡らされた殺意の網の中に、テクワは飛び込んだ。

「俺だってそうさ。でもよ、戦わなきゃならない。何かを決するためにな」

「行け、ラティアス、ラティオス」

 女がモンスターボールの緊急射出ボタンに指をかける。光を振り払って首を巡らせながら舞い上がったのは青いジェット機のようなポケモンだった。鋭角的なフォルムに、雄々しい眼差しがある。温和な眼差しの赤いポケモンと共に女を守るように前に出た。テクワは感知野で相手のポケモンの動きを探ろうとしたがそれと相殺するように放たれた殺気が邪魔をした。パチンと水風船のように弾けた自分の感知野に驚く以上に、やはりという感覚が先に立った。

「あんたはやっぱり、そうなんだな」

「何がですか」

「柔らかい空気を持っているけれど、針みたいに時々鋭くなるんだ。……お袋にそっくりだ」

 テクワの言葉に女は完全に敵を見る目を向けた。

「私の名前はK。あなたを葬る」

「殺すのに名前も教えてくれねぇのか?」

「今の私にはこの名前で充分。……あの人が待ってくれているから」

 吹き消されそうな小声で放たれた言葉にテクワは眉根を寄せる。あの人とは、と無粋にも感知野で探ろうとした自分の気を読んだかのように、またも鋭いプレッシャーの圧で破られた。どうやら感知野を巡らせるのはKと名乗った女のほうが上手らしい。

「あなたにも、待っている人がいる」

「待っている人なんていねぇさ。全部、振り切っちまった。お袋も、博士も、サキ姉ちゃんも、マコ姉ちゃんも、今の俺なんて見たくないだろうよ」

 不意にプレッシャーの網が揺らいだ。何故だ、とテクワは今の言葉を反芻する。サキとマコ、という部分にKは反応したように思えたが、それは一瞬の事ですぐに紅蓮のような殺気の海に埋没した。

「あんたは……」

「ラティオス、ラスターパージ」

 ラティオスの身体が内側から輝きを放つ。来る、という予感にテクワはドラピオンを先行させた。ラティオスが全身から放った閃光が凝縮し、付け足されたような両腕が折り畳まれたかと思うとばっと両翼が振り払われた。

 光が濃縮し、渦を巻き、ラティオスそのものをまるで銀色の砲弾のように染め上げる。ラティオスの姿が次の瞬間、一条の光となり、ドラピオンへと突っ込んできた。テクワは咄嗟にドラピオンへと回避行動を取らせようとする。しかし、ドラピオンが反応するよりも速く、銀色の砲弾が肩口に突き刺さった。ラティオスの放った自身を光の速さまで顕現化させる鋼鉄の矢――「ラスターパージ」に抉られた。

 そうテクワは認識したが、ドラピオンからのダメージフィードバックはなかった。ただ眩く輝いただけだ。突き刺さった感触はあるがダメージは通っていない。テクワは信じられない心地で自分の身体を眺めた。Kへと視線を向ける。

「あんたは……」

「ラティアス、ミストボール」

 赤い龍であるラティアスが首を巡らせ、小さな両腕を突き出した。両腕の中で光が幾重にも折り重なり、渦を成して銀色の輝きを全面に放つ。たちまち凝縮された光は粒子を伴い、霧となった。霧の中で眩い光を放つ球体だけが映る。まるで台風の目のように、渦の中央へと光が吸い込まれていく。無限に光を吸い込み続ける霧の砲弾をラティアスが放った。

 夜の闇さえも引き剥がす光が先ほどのラスターパージの謎から脱却していないドラピオンへと撃ち込まれる。今度こそやられた。そう感じたテクワだが、痛みはまるでなかった。眩い光に押し包まれたのは感じた。しかし、ダメージは一分もないのである。テクワが身体を確かめるように触ってから顔を上げると、Kはバイザー越しに読めない眼差しを送っていた。

「何のつもりなんだ? こけおどしか?」

 テクワがライフルを構える。ドラピオンに攻撃させようとしたが、敵意は微塵にもなかった。むしろ薄れている。相手ではなく自分の問題だった。先ほどの二つの光の技がそうさせたのか、それはテクワにも分からない。ただ、二つの技は殺すつもりで放たれたのに、ダメージはなかった。その事実だけがテクワの前に歴然と立ち塞がる。

「何とか言ったらどうなんだ!」

 テクワは柄にもなく叫んでいた。普段は戦いの中で常に冷静な自分が惑っている。何故なのか。根源を探ろうとして、先ほど自分で言い放った言葉を思い出した。

 ――お袋にそっくりだ。

 テクワはライフルを持つ手が震えているのを感じた。怯えでも恐れでもない。この根源的な感情はただ一つ。

 ――戦いたくない。

 テクワは、「撃つぞ、間抜け!」とドラピオンに狙撃態勢を取らせる。ラティアスとラティオスがKを守ろうと身構えるが、Kは片手を振るっただけで二体のポケモンも動きを制した。二体のポケモンは主人の意思を感じ取ったかのように狙撃の道を開ける。テクワは目を見開いた。

「本当に、俺はあんたを撃てるんだ……」

 ――違う。

 心の奥底にいる自分が告げる。テクワは首を横に振った。照準の中央に標的を定める。

 ――違う。

 またも響く裏腹の声にテクワは獣のような声を上げた。呻り、怒鳴り、混濁した感情の中、「撃つぞ!」とまた声を発する。

 Kはあろう事か身体を開いた。まるで撃てと言っているかのように。

「撃ちなさい」

「ああ、撃つ」

 引き金に指をかける。

「撃つんです」

「撃てるさ」

 いつものように静かな心地で、静脈注射を打つ看護師のように――。

「さぁ」

「撃つ」

 引き金にかけた指から力が抜け落ちる。テクワはライフルを取り落としていた。ドラピオンが戸惑ったような声を上げる。テクワは膝をついた。目を伏せて、「違うな。俺は……」と顔を上げた。今にも泣きじゃくりそうな顔をして、テクワは懇願する。

「撃たせないでくれ。お袋と同じ女性を」

 テクワの切なる願いの声を聞き届けたように、Kは歩み寄ってきた。テクワはKに抱かれて涙を流した。撃ちたくなかったのだ。心の奥底にいる自分は。ここで引き金を引く事は、母親を撃つ事と同義になってしまう。それは守りたい人々に切っ先を向ける行為だ。

「あんたは、わざと俺に撃ったのか」

 Kは答えない。その代わりにテクワが涙と共にしゃくり上げながら声を出した。

「ラスターパージも、ミストボールも、毒・悪タイプのドラピオンには効かないと知っていて、わざと……」

「あなたは敵に何を期待しているのです」

 テクワはその言葉に首を横に振った。

「もう、あんたは敵じゃない。俺にとっては他人とも思えない。どうしてなんだ? 産まれる前から本当にあんたを知っていた。本当なんだ」

 母親の胎盤の中にいた原初の記憶が同調の渦の中で呼び起こされたのか。それとも、本当に母親と同じものをKに見たのか。自分でも判然としなかった。ただ、撃ってはならない。それだけが心に先行した。

「もう、戻れないような気がして……」

「きっと、戻れます」

 Kの優しい声音にテクワは、「チクショウ」と声を上げた。

「男が泣くもんじゃないってのに」

 いつしか自分にも課していた枷の一つが外れたような気分だった。テクワは首を振って、「あんたは反則だ」と告げる。

「あんただけは、この世で二番目に戦えない相手だよ」

「一番は」

「俺のお袋だ。いつも負けるんだよ。口喧嘩でも、何でもな」

 テクワは涙を拭って立ち上がってみせた。もう一人で立てる。そう言いたかった。ライフルを構えるが、銃口はKに向いていない。

「あんたは本当に戦うべき相手を教えてくれた。本当に慕うべき相手も。そうだろ?」

 Kはやんわりと首を振った。今になってその髪に紫色のリボンが巻かれている事に気づいた。アクセントのように光る紫に髪が揺れる。魅せられていた、と今さらに感じたテクワは顔を逸らした。

「どうやら気づかされちまったみたいだな。俺も」

 テクワは穴を見やった。地下の階層まで貫いている穴は覗き込むとひやりとする大きさだった。先ほどのラスターパージが恐らく全力で放たれたのだろう。ポケモンの属性効果における相性によってダメージを受けなかったとはいえ、全力ならば貫くだけの力は備えていたという事実にテクワは身震いした。

「おっかねぇな。本気なら属性効果なんて関係なしに俺の身体にも穴が空いていたってわけかよ」

 Kは視線を振り向けるだけで言葉を重ねようとはしなかった。テクワは穴の下で戦っている二つの思惟を感じる。否定と肯定、相反する二つがぶつかり合い、答えへと導こうとしている。

「あいつも、気づかなくっちゃならない」

 テクワはもう一つ、この戦闘を見守る思惟を感知した。それはテクワの感知野の網にかかったかと思うと、すぐに闇の中に溶けていったが、穴の底で戦っている二つをじっと見つめている。

「もう一人、いますね」

 Kも感じ取ったのだろう。即座に攻撃に移ろうとするのを、「待ってくれ」とテクワが制した。Kが怪訝そうな目を向ける。

「決着は、あいつの手でつけさせてくれ」

 テクワの決死の声にKは無言を返した。それだけは、と懇願する声音に、「そう、ですか」とKは応じた。

「あなたもまた、その人達を大切に思っているのですね」

 Kの言葉にテクワは穴の底へと視線を向けて呟いた。

「……ユウキ、マキシ」



オンドゥル大使 ( 2014/04/17(木) 21:29 )