ポケットモンスターHEXA BRAVE












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Rebellion
第七章 十二節「因果の戦場」
 黒いバイクがいななき声を上げて走り出した。

 赤いランプの軌跡を描きながら、ユウキは漆黒のマシンと共に夜のハリマシティへと駆け出した。

 すぐさまホルスターからテッカニンを繰り出し、空気の中に溶けさせる。感知野の網の中にテッカニンの存在を感じた。テッカニンは高速戦闘に特化したバイクに追従してユウキの後にしっかりとついてくる。

 ユウキは体勢を沈めた。向かうはウィル第三プラントだ。空気の壁を破りながらテッカニンが羽音を散らす。

 半年前に比べて翅の振動数を減らし、相手に気取られぬように高速戦闘状態に入る事が可能になっていた。その点では進化したと言える。しかし、ユウキが操れるのはテッカニン一体が限度だ。ヌケニンまでの同調は出来ないし、ヌケニンに交替した瞬間、感知野の網が弱まるのを感じた。どうやらテッカニンとの戦闘に特化した戦闘形態に変化したようだ。

 ユウキはヘルメットの内側に表示される幾つかのウィンドウを視線で処理し、受け流しながら耳元から聞こえるキーリの声に意識を向けた。既に意識圏を二つに分割する事くらいは出来るようになっている。走っているユウキとテッカニンを操っているユウキは同一のようで別の存在だ。最初はこれが同調かと戸惑ったものだが、慣れてしまえばどうという事はない。二つの事柄を同時並行で処理する考え方さえ頭に入っていれば問題なく行える。

『ユウキ。逃走ルートプランをAからDまで用意するわ。ママが物理隔壁を破るから、あなたはプラントに潜入。情報隔壁を破る事に専念して』

 キーリの声に、「了解」と返して、ユウキはプラントへと向かう道を右折する。ネオンライトが彩る街並みを黒いバイクが波のように疾走する。プラントは郊外と言ってもユウキ達の根城に比べれば中心地に近い。巨大な緑色の球形が居並んだ場所にウィルの第三プラントはあった。球形のガスタンクの周囲には赤い常夜灯が点滅している。ユウキはバイクに加速を促した。プラントの前門は閉ざされている。

 ユウキは急加速の中に身を置いた。身体が追い出されていくような感覚を必死で押し留めて、アクセルとクラッチペダルを駆使して前輪を浮き上がらせた。牙のように前門に噛み付いたバイクに今度は後輪を浮かせるように促す。前輪が門を噛み砕くように音を弾けさせ、浮遊感が一瞬襲った。ユウキのバイクが浮き上がり、車体を横に流して、門を跳び越える。骨子が軋み、ユウキの身体を震わせた。ユウキは息をついて、「これより潜入する」と報告する。

 バイクを走らせながら、キーリの示すマップを参照する。キーリのマップは三棟ある建築物の一番手前を示していた。

『地下に物理隔壁があるわ。二十四層の物理隔壁はKが何とかしてくれる。そうよね? キーリ』

 声を振り向けたレナへと、『当然よ』とキーリが憮然として返す。

『ママは無敵よ』

 その言葉を裏付けるように衝撃音が鳴り響いた。手前の建築物が揺れ、ユウキはバイクの上で狼狽する。ようやく振動が消えた頃には、何やら腹の底を震わせる異音が響き渡っていた。ユウキはバイクから降りて建築物の中に入る。そこでようやく音の根源に気づいた。大穴が口を開けて空気を吸い込んでいるのである。天井から一直線に穴が空いて、断面をぐずぐずに融かしている。天上を仰ぐと、一瞬だけKらしき姿が垣間見えた。二十四層の物理隔壁とやらは、Kが屋上から放った技によって見事に突破されていた。

「ここから先は、出たとこ勝負ってわけか。テッカニン」

 ユウキは右腕を掲げる。テッカニンが近づいてユウキの腕を節足でくわえ込んだ。ユウキは穴へとゆっくりと降りていった。奈落に続いているかに思える穴は、ところどころ赤色の断面を晒しており、高熱を発する技によって無理やりこじ開けられた事が分かった。

 地獄の底まであるかに思われた穴は、不意に地面の訪れと共に暗黒ではなくなった。ユウキが降り立つと、物理隔壁を突破した衝撃が床にまで響いている。しかし、それ以上床を無駄に抉る事はなかった。Kの攻撃は正確無比に二十四層の物理防壁のみを破壊していた。それ以上穴を掘っても無駄になる。

 彼女の実力は予想以上だという事が証明された。ユウキがテッカニンの節足から手を離して、現れた空間を眺める。ドーム状の天蓋が突き崩されており、この場所だけが厳重に守られている事を告げていた。端にある鋼鉄の扉は今や無用の長物だ。まさか天井から破られるとはこの建築物を設計した人間とて夢にも思っていないに違いない。ユウキは中央にある筐体へと歩み寄った。何度か起動している事を示す緑色の光を発している。大型のデータ媒体だ。ユウキの背丈よりも高い。これほどのデータ容量だとは思わなかったが、もちろん何の策も講じていないレナとキーリではないだろう。

「レナさん、キーリ、僕の視界に映っているものが見えますか?」

 ヘルメットのバイザーにはカメラが内蔵されている。当然、ユウキの視界も同期されているはずだった。

『ええ、見えているわ、ユウキ。大型だけど旧式のデータ媒体ね。大きければいいってもんじゃないわ。もっとスマートじゃないと。私の用意した端子を使ってハッキングする。準備はいい? オバサン』

『小うるさいガキね。オバサンじゃないって言っているでしょう』

 お互いに小言を繰りながらも二人は息が合っているようだ。

 ユウキはヘルメットの首筋から端子を抜き出した。端子はそのまま本部のコンピュータに繋がっているらしい。ユウキには実感出来ないが、キーリはδ部隊のホストコンピュータも使ってほとんど足跡も残さずに潜入するという。ここまでの物理的潜入がユウキとKの仕事ならば、キーリとレナは情報戦でこそ真価が発揮される。ユウキは筐体に端子の接続部を探した。筐体の背部にあった接続部へと繋ぐ。すると、一瞬にして視界が赤色光で塗り固められた。ユウキはしかし、いつもの事なので慌てない。ハッキングしているのだ。穏やかであるはずがない。

『感知したわね。よし、かいくぐってやる』

 キーリの声に応じたかのように幾つものウィンドウが現れては消え、キーリが道筋を示す。ユウキには何が起こっているのかは全く分からないが、しばらくはじっとしていなくてはならない。それでも感知野を使って周囲に敵の気配がないかを確かめている。ユウキは、「どれくらいかかりますか?」と訊いていた。

『おおよそ、二十分ってところかしら。ダミーのデータや書き換えデータを元のデータに修復して張り直して、それらの情報防壁を潜り抜けてようやくRH計画のデータに手が届くって感じだから』

「要するに、僕は二十分、ここで張っておけってわけですか」

 ユウキが諦めたように口にすると、『そう言わない』とキーリがたしなめた。

『待つのも仕事よ。気長にしましょう。幸いにして防犯ブザーも危機回避プログラムも作動していないし、緊急システムは既にハックしたからもう敵が現れる事なんて――』

 ない、と続けられそうになった声の前に、ユウキの肌をプレッシャーの波が襲った。

 針のような意思。

 これは攻撃の意思だ、とユウキが判断してヘルメットを外し、その場から素早く後ずさった。予めつけておいたヘッドセット越しに、『ちょっと、ユウキ!』と怒声が飛ぶ。

『ヘルメットを無防備にしないで。あれを持ち帰ってようやく意味があるって言うのに……』

「敵がいる」

 断じた声に通信越しでも息を呑んだのが伝わった。二人分の緊張を乗せて、『何人?』と質問してくる。ユウキは肌を粟立たせるプレッシャーの根源を探ろうとした。右腕に意識を集中させて次の瞬間に弾けさせる。向こうが敵意を剥き出しにしているのならば、ユウキの放つソナーのような感知野で拾えるはずだった。拾った敵意の数に、ユウキは戸惑った。

「これは、一人……いや、数十人? でも、僕のほうに、明確な敵意で向かって来るのは一人だけだ。しかも、この感じは」

 ユウキは天上を仰いだ。月明かりの降り注ぐ物理断層を点のような何かが舞い降りてくる。ユウキは現実の眼でそれを見据えた。赤と黒を基調とした、全身これ武器とでも言うような威容を持つ騎士のポケモンだ。そのポケモンが紫色の波動で満たされた手を振るい上げる。ユウキは、「知っている」と呟いていた。

「この感覚は……、あなたなんですか、マキシ!」

 その言葉に応ずるように鉄の扉が開け放たれた。ユウキが現実の視線を移す。無用の長物かに思えた鉄扉から無数の人間が歩み出た。皆、腰のホルスターにモンスターボールを持っており、ユウキを視界に据えると抜き放った。その中で一人だけ、モンスターボールを既に抜いて前に翳している人間がいた。小柄だが鋭角的な眼差しを持っている。ナイフのようだ、という印象は間違っていなかった。額に巻いた包帯で前髪を上げている。半年前の違うのは緑色の制服で、肩口に「WILL」の文字が入っている事だ。ユウキは苦々しく口走った。

「マキシ……!」

「ああ、俺だよ、ユウキ」

 その言葉が響き渡った直後、ユウキの頭上で騎士のポケモンとテッカニンがぶつかり合った。騎士のポケモン――キリキザンの放った紫色の閃光、「サイコカッター」の光とテッカニンの「シザークロス」の残像がぶつかって火花を散らす。テッカニンはすぐに高速戦闘に身を浸したが、キリキザンは水鳥のように華麗に舞い降りたかと思うと、ユウキへと真っ直ぐに駆け出していた。まるで最初からユウキの命そのものが狙いだとでも言うように。

 ――否、まさしくそうなのだ。ユウキはウィルからしてみれば反逆者であり、その首は何よりも優先される。ポケモン同士のバトルにうつつを抜かしている場合ではない。真に勝利しようとするのならばトレーナーを狙うのは必定だった。

「でも、僕だって半年間、戦ってきたんだ!」

 テッカニンがすぐさま立ち現れ、キリキザンの進路を妨害する。テッカニンが羽音を散らせて、耳障りな高周波を出した。他の構成員達が顔をしかめ耳を塞ぐ。「いやなおと」による音波攻撃で敵の注意を削ぎながら、ユウキはヘルメットにデータがダウンロードされるまでの時間を稼ごうとした。しかし、断とした声が響き渡る。

「お前の目的はウィルのデータを奪取する事。そのために今まで派手な破壊活動をしてきた。全てはその目的をぼやけさせるため。俺達から見えにくくするため」

 マキシが凛として放った言葉にユウキは思わず目を戦慄かせる。マキシは首を鳴らして、「見くびるなよ」と口にした。

「戦っていたのは何もお前だけじゃない」

 キリキザンが跳躍し、ユウキの背後にある筐体へと踏み込もうとする。キリキザンは最初からテッカニンとの戦闘もユウキへの直接攻撃も当てにしていない。ユウキがデータを奪取する術を奪う。それが目的だった。

 キリキザンは腰だめに腕を構え、肘先から切っ先である手にかけて紫色の波動をまるで噴射剤のように用いて速度を増していた。サイコカッターを推進剤に使う。半年前のマキシならばまず思い浮かばない戦法だった。残像を引きながら直進するキリキザンへとユウキは思わず意識の腕を伸ばした。

 遮るイメージを拡張させ、キリキザンの前に意識を出す。すると、呼応したテッカニンがキリキザンの眼前へと飛び出した。トレーナーによる命令速度を無視したテッカニンにキリキザンが狼狽する気配が伝わる。テッカニンはそのまま愚直に頭部からキリキザンへと猛進した。キリキザンの鋼鉄の身体とテッカニンの交差した爪が激突し、キリキザンは押し出される結果になった。体勢を崩したキリキザンが着地と同時にたたらを踏み、腕を振るい上げる。テッカニンが羽音をほとんど散らせずにユウキの守護につく。その様子を見て、「なるほどな」とマキシは呟いた。

「お前も、変わったな。感想を簡単に言えば、テクワに似たぜ。戦い方もそうだが、目的のためには手段を選ばないところとかもな」

 マキシが顎を引いて口にすると、他の構成員が歩み出そうとするが、それを制する手があった。マキシが踏み出しかけた構成員を手で制し、「こいつは俺がやる」と歩み出す。キリキザンの傍まで歩み寄り、口を開いた。

「お前と戦う事になるとは思わなかったよ。ユウキ」

「僕は、あなたと戦わなければならないような気がしていました」

 その言葉にマキシが眉間に皺を寄せる。ユウキはマキシを現実の眼と意識の眼の両方で見ていた。

「どうして、そんなに雁字搦めになっているんです? 半年前は、そんなんじゃなかった」

 ユウキの声にマキシは目を見開いて、喉の奥から怨嗟の声を吐き出した。

「お前に何が、何が分かるんだよ!」

 キリキザンが弾かれたように駆け出す。ユウキは声を必要とせず、意識だけでテッカニンを動かした。

 テッカニンがキリキザンの頭上から迫る。キリキザンは片腕でサイコカッターを噴かせて、曲芸のように躍り上がった。鋼の蹴りがテッカニンとぶつかり一瞬だけ火花を散らしたが、すぐにテッカニンは高速戦闘に入る。もう一方の手を振り落とし、サイコカッターの閃光をユウキに浴びせようとしたが、それは眼前で霧散した。素早く戻ったテッカニンの爪がサイコカッターの光を十字に消し去っていた。マキシが駆け出し、キリキザンが動く。ユウキも円弧を描くように駆け出した。

 構成員は見守る事しか出来ない。二人と二体のポケモンが因果をぶつけ合う戦場が火蓋を切って落とされた。



オンドゥル大使 ( 2014/04/17(木) 21:28 )