ポケットモンスターHEXA BRAVE












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Rebellion
第七章 十節「空虚」
 オートメーション化された機械の一群。

 それが自分という個体の認識だった。

 彼は空虚な身体の中に収まる自我を感じる。滅菌されたような部屋には天井と床から光が放射されている。ゆらゆらと蜃気楼のように揺れる視界の中に、浮遊している相手が映った。青白い振袖を思わせる姿をしている。まるで小柄な少女だ。白い薄氷の表皮の頭部は内側が紫色で、黄色く濁った瞳で彼を睨んでいる。赤い帯を締めた花魁のような立ち振る舞いのポケモンは緩やかに袖を振るった。

 氷・ゴーストタイプのポケモン、ユキメノコである。その直後、室内の天候が崩れ、ぱらぱらと霰が降り始めた。対岸に相手のトレーナーがいる。トレーナーの姿とユキメノコの姿が歪んだ。彼はホルスターからモンスターボールをようやく引き抜き、緊急射出ボタンに指をかける。

「いけ、キリキザン」

 ボールから弾き出された光が人型を取り、赤と黒を基調とした騎士姿のポケモンが出刃包丁のような腕を振り払い、光を薙いだ。キリキザンはユキメノコと対峙する。ユキメノコの眼がぎろりとキリキザンを見下ろした。キリキザンが地面を蹴りつけ、ユキメノコへと飛びかかる。鋼鉄の刃による一撃はしかし空を切った。ユキメノコの残像が切り裂かれ、すかさず背後に回っていたユキメノコが片腕を振り上げる。キリキザンの背中に触れた瞬間、水色の光が同心円状に広がり、放たれた光線の帯がキリキザンを押し出した。氷の光線――冷凍ビームが突き刺さったキリキザンが大きく仰け反りながら地面へと落下する。さらに攻撃の隙を与えまいとユキメノコは袖を払って舞い踊った。

 ユキメノコの周囲の空気が凍結し、極小の氷の刃を形成する。ほとんど剃刀に近い大きさの氷の刃は一陣の旋風となり、ユキメノコが振り払った瞬間、キリキザンへと降り注いだ。氷タイプの技、「ふぶき」である。威力の高い代わりに命中率に難のあるこの技は、しかし、今の状態では必中であった。最初にユキメノコが使った攻撃、「あられ」の状態が持続しているのである。霰が降り注いでいる間、吹雪は必ず命中する。さらにユキメノコにとって霰状態は戦局を有利に進めるためには必要な技だった。

 ユキメノコの特性は「ゆきがくれ」だ。この特性は霰状態の時に回避率が上がるという能力である。最初の一撃をキリキザンが外したのはこの特性が働いていたからだ。ユキメノコは袖を振り払って吹雪の応酬を地上にいるキリキザンへとぶつけ続ける。雪が降り積もり、その重量は人間ならば耐え切れず背骨が折れているであろう。しかし、キリキザンはポケモンであり、なおかつ打たれ強い悪・鋼タイプである。ユキメノコとトレーナーが勝ちを確信した瞬間、彼は短く告げた。

「もういいだろ、キリキザン。お遊びはそこまでだ」

 その言葉に一際強い鳴き声が上がった。響き渡る前に、紫色の閃光が瞬き吹雪を引き裂いてユキメノコへと直進する。ユキメノコは咄嗟に防御の姿勢を取った。ユキメノコの眼前で弾け飛んだ暴風に煽られながらユキメノコとトレーナーがキリキザンのいるであろう場所へと目を向ける。

 キリキザンは健在だった。それどころか片腕で降り積もった何キロもあるであろう雪を担いでいる。キリキザンが手先から肩口にかけて紫色の波動を発した。瞬間、ブロックのように固まっていた雪に切れ目が走り、ボロボロに砕け散った。キリキザンは片腕を払って雪を落とし、右手を凍結した地面へと突き刺した。凍りついた地面に亀裂が走り、キリキザンの腕が沈む。キリキザンの手先から肩口にかけて紫色の波動が駆け上った。キリキザンは顔を上げると同時に打ち込んだ腕を振るい上げる。

「サイコカッター」

 彼の命令にキリキザンは忠実に応じた。振り払われた紫色の剣閃――「サイコカッター」は中空のユキメノコへと音を超える速度で肉迫し、その身へと一撃を加えた。ユキメノコはしかし、直前に袖を振り払い、吹雪の壁を作った。幾重にも張られた氷の粒が砂鉄のようにサァッと動いてサイコカッターを減衰させる。

 その一撃だけならば、ユキメノコは凌いだだろう。しかし、サイコカッターが消え失せた直後、ユキメノコの眼前に迫っていたのはキリキザンそのものだった。跳躍したキリキザンは片腕を後ろに引いている。

 サイコカッターをまるで噴射剤のように用いて接近したのである。腰だめに両腕を構えたキリキザンはユキメノコを射程に入れたかと思うと頭部を引いたのである。ユキメノコとトレーナーが狼狽していると、次の瞬間、鋼の重さを伴ったヘッドバットが打ち下ろされた。

 鋼タイプの技、「アイアンヘッド」である。ユキメノコが衝撃に地面へと落下しかけるが、ただ攻撃を受けるだけのユキメノコではない。咄嗟に背後へと袖を払って後ろ手に組み、冷凍ビームを放ったのである。今度はユキメノコが相手の戦法を真似る番だった。冷凍ビームによって制動をかけたユキメノコは落下ダメージを免れ、中空に踊り上がっているキリキザンをその視界に捉えた。片腕を払い、吹雪の刃を放つ。吹雪がキリキザンにかかった瞬間、キリキザンの腹部にある半月型の反れた刃が銀色の光を帯びて瞬いた。直後、十字の光が放たれてキリキザンの腹部から音速の鋼の刃が打ち込まれる。

 ユキメノコは避ける事叶わず、刃の応酬を満身で受け止めた。氷タイプにとって鋼タイプの攻撃は天敵だ。ユキメノコの表皮が裂け、ボロボロになったユキメノコから胴体が消えた。胴体部分はユキメノコが相手を惑わせるために発生させる幻影だ。本体は頭部とそこから伸びる両腕である。キリキザンが水鳥を思わせる華麗さで降り立った。その姿に相手のトレーナーが賞賛の拍手を送る。

「いやぁ、参った。キリキザンの状況判断力とトレーナーとの信頼関係。また腕を上げたようだな」

 相手のトレーナーは緑色の制服を身に纏っている。肩口には「WILL」の白い縁取りがあった。彼もまた同じ制服を身に纏っている。小柄な彼にはその制服はあまり似合わない。モンスターボールをユキメノコに向けると、赤い粒子となって戻っていった。彼もキリキザンへとモンスターボールを向けて戻す。トレーナーが、「おめでとう」と片手を差し出した。

「私に勝った事で、君は三等構成員に昇格する資格を得た。つまりは私と同レベルだという事だ。これだけの群衆の前で君は力を示したんだ。胸を張っていい」

 トレーナーの言葉に二階層部分にあるマジックミラーがゆっくりと開いた。そこから拍手が送られる。新たな三等構成員を笑顔で迎えようというのだろう。彼には興味がなかった。

「知るかよ」

 差し出された手を無視して彼は身を翻す。トレーナーがきょとんとしていると、彼は前髪を払った。黒い前髪が包帯の巻かれた額にかかっている。彼がその部屋を後にしようとすると囁き声が耳に入った。

「澄ましやがって。どういうつもりなんだ」

「せっかく、三等構成員昇格試験を執り行ってやったのに、あの態度」

「隊長の息子だか知らないけれど、横暴過ぎるだろ」

 最後の言葉に彼は反応して振り返って声を張り上げる。

「俺はあんな男の息子じゃない!」

 その言葉を発した人間は目を丸くしていた。「でも」と声が囁き合われる。

「カタセ隊長の息子だって噂は嘘なのか?」

「いや、隊長自身放任しているって」

 彼はそれらの雑音にいちいち真っ向から叫び返すのは無意味だと悟った。こちらの労力をいたずらに消費するだけだ。

「下らない」

 彼は言い捨ててその場から立ち去った。彼の目的はただ一つ、三等構成員に昇格する事だ。そのために人に頭を下げるという慣れない事もした。

 通常、昇格試験には二十名以上の一つ階級が上の構成員による認定と、三等以上の構成員との一騎打ちによる勝利が基本である。彼はずっと四等構成員だった。四等ではいくら喚こうが戦闘構成員には加えられない。下っ端仕事を半年間も続けていれば嫌気が差す。三等構成員になれたのならば戦闘作戦にも組み込まれる事だろう。

 彼は飢えていたのだ。

 戦い、というものに。

 暗い廊下を歩く彼の前に、「よう」と声をかけてくる影を見つけた。彼は視線を振り向ける。黒いサングラスをかけた赤い髪の少年だった。彼と同じく緑色の制服を身に纏っている。薄暗い廊下のせいか、サングラスの奥にある蒼い瞳が光って見える。少年はケースを担いでおり、彼へと歩み寄った。

「久しぶりだな、マキシ」

 自分の名を呼ばれ、彼――マキシはようやく自覚した。声をかけてきた少年へと無愛想に言葉を返す。

「テクワ」

 その名を呼ぶと何とも言えぬ懐かしさがこみ上げる。引き離されたのは半年間だったが、もう何年も会っていないように感じられた。テクワがサングラス越しの視線を向ける。

「三等に上がったんだって? めでてぇな。何か食いに行くか?」

 テクワがグラスを呷る真似をする。マキシは顔を背けた。

「興味ないな」

「だろうな」

 マキシが歩き出すとテクワも歩き始めた。訝しげに、「何だよ」とマキシが声を出す。

「何だよ、とはご挨拶だな。半年ぶりの再会を喜ぼうっていう腹じゃねぇの?」

「別に。そんな感情は浮かばない」

「拗ねてるねぇ」

「拗ねてない」

 マキシはため息をついてキリキザンの入ったボールを撫でた。テクワが目ざとく、「そのキリキザン」と声をかける。

「成長したな。戦い方も随分と変わった」

「あの時、俺の刃は折られたんだ。もう今までの戦い方じゃあいつには勝てない。それは分かっていた」

「父親をあいつ呼ばわりか」

 テクワが口にするとマキシは歯噛みして前に歩み出た。テクワが立ち止まる。

「お前は、あいつの本性を知らないから……!」

 マキシが目を戦慄かせて口にすると、テクワは息をついて、「よーく分かっているつもりだぜ」と応じた。

「あの人は俺にとって師匠なんだ。戦い方を、生き方を教えてくれた」

「違う。あいつはお前の生き方を束縛したいだけなんだ。あいつに踊らされるな」

 マキシはテクワの胸倉を掴み上げていた。マキシのほうが背が低いため見上げるような形となる。マキシの眼を真っ直ぐに見つめ、テクワは、「俺が選んだ」と短く告げた。

「だからカタセさんを責めてやるな。あの人は、お前の事だって気にかけているんだ」

「違う、違うんだ!」

 マキシは首を横に振った。

 ――あいつは一度だって自分の事を見ていない。

 そう言い放ちたかったが、テクワはカタセを信じ込んでいる。それはテクワがカタセに戦い方を教えられた師である事ももちろんであるが、それ以上の今の立場がそうさせた。

「俺はな、二等構成員としてあの人の近くにいるつもりだ。だから分かる。あの人は、冷たいだけの人じゃねぇって」

「冷たいとか、温かいとか、そういう奴じゃない。あいつはもっと別の――」

「マキシ」

 遮られて放たれた声にマキシは顔を上げる。テクワがマキシの手を包んでゆっくりと引き離した。

「ε部隊副隊長として、それ以上の暴言は許せねぇな」

 テクワの言葉にマキシは声を詰まらせた。テクワは立ち去り際、マキシの肩を叩く。

「二時間後、次の作戦概要が伝えられる。戦闘構成員になったんだ。お前のポジションもある。しっかり戦うんだ」

 テクワの足音が遠ざかっていく。マキシは奥歯を噛み締め、「チクショウ!」と壁へと拳を放った。



オンドゥル大使 ( 2014/04/12(土) 21:27 )