ポケットモンスターHEXA BRAVE - Rebellion
第七章 九節「小心者」
 隊首会が終わり、会議室の前で待っていたヤマキの下に向かう。蛙顔は半年前と同じく側近を侍らせている。コートを羽織らせ、ゆっくりと踏み出しながらランポに向けて囁いた。

「君の気持ちは分かる。しかし、ようやくウィルとしてリヴァイヴ団の人間も発言力を持ち始めたのだ。ここで君が瓦解させてどうする? 彼らの歩みを止めないのが、上に立つ者の役目ではないのかね」

「……存じております」

 ランポが頭を垂れる。半年前までは偽りでもボスらしく振る舞えと言われていたが、今は元の立場に戻っている。むしろ、蛙顔のほうが実質的にはボスに近い。まさしく踏み台にされた自分の至らなさに嫌気が差す。

「しっかりやりたまえよ」

 そう言い置いて蛙顔は歩き出した。その後姿を眺めていると、「何だか勝手ですよね」とヤマキがぼやいた。

「あれだけ持ち上げておいて、組織の中で自分の立場が確立されたら掌返しですもん。これじゃ、浮かばれないのは誰だか」

「ヤマキ。口を慎め」

 ランポが忠告するとヤマキは唇をすぼめる。浮かばれないのは誰か。分かっている、とランポは瞑目する。半年前に命を賭して戦ったリヴァイヴ団の面々が報われない。何よりもエドガーとミツヤ、この二人は組織のために尽くしたのに浮かばれないだろう。二人の事を思い出していたから、ヤマキが怪訝そうに、「大丈夫ですか?」と尋ねる。

「あ、ああ。何でもない」

「顔色が悪いですよ。このまま帰りますか?」

 ランポは顔を拭って、「いや」と首を振る。

「寄らねばならないところがある。ヤマキ、いつもの場所だ。頼めるか?」

「断っても、ランポ様は強情ですから」

 ヤマキは笑ってエレベーターを降りてフロントを抜け、車へと促した。リムジンは来た時と同じように停車している。運転手へと行き先を告げる。

「ハリマ刑務所に向かってくれ」

























 外は乾いた冷たい風が吹き抜けているが、刑務所の中はじめっとしている。

 年中そうだ、とランポは感じる。独特の空気が流れている。滞留して、渦を成し、積乱雲のようにうず高く積み上がる。そういう類の空気が一年中流れている場所が刑務所だ。時間の流れから剥離している。あるいは、時間が止まっている、と言ったほうが早いかもしれない。

 街に出て、出かけにショッピングするような人間が描く一日という単位の時間とは意識を異にしている。囚人達の顔を眺める事は出来ない。ここはコウエツシティとは違い、公にある監獄だ。強制労働されている様子もない。彼らは静かに、朽ちていく枝葉のような生活を送っている。ランポとヤマキは看守に連れられ、モンスターボールを含む全ての装備や装飾品を置いて一本道を歩いていた。白く滅菌されたような道を歩きながら、奥まった場所にある灰色の扉を目指す。看守は扉を開ける直前、「面会時間は二十分です」と前置きした。

「金品、及び何らかの物の受け渡しは禁止、それが目撃された場合、即座に面会は謝絶されます。ここに来るまでに、滅菌は済ませていますね?」

 ランポ達は一度服を脱いで、滅菌室、というところで全身を精査されている。何かを持ち込む事は不可能だった。たとえそれが細菌の類でも。ランポとヤマキは頷いた。

「では、こちらへ」と看守が扉を開いて促す。室内は薄暗かった。ガラスで隔てられた場所に椅子が置いてある。椅子は一つだったのでいつもランポが座った。ヤマキはただ観察しているだけだ。看守と同様の仕事と言えた。

 ランポは椅子を引いて座り、ガラスの向こう側を見やる。黒々とした影が身じろぎした。ランポは声を発する。

「お加減はいかがだろうか。――α部隊元隊長アマツ」

 その言葉に影が顔を上げる。ジャラ、と音がして影の動きを制した。影は両肩の肩口から鎖をつけられている。鎖はそのまま上方へと伸びていた。足にも枷をはめられ、上げられた顔にある唇は焼き切られている。自由の一切が利かない身であった。影――アマツは二度頷く。これは半年間、アマツと交流して分かった事だが、二度頷く時はノー。一度頷く時はイエスだった。

「失礼した。俺があなたの立場になってから、もう半年が過ぎた。実感はあるか?」

 二度頷く。ノーだった。アマツとの会話の場合、こちらが言葉をリードしなければならない。そもそも何故、彼は拘留されているのか。全ては蛙顔の仕組んだ事だった。蛙顔は自分の身分を保証するためにランポをそれ相応のポストに固定する必要があった。適任であったのは、最も権限の強いα部隊の隊長だ。α部隊はカントーとのコネクションもあり、独自の判断が許される。しかし、ウィルの総帥、コウガミは異を唱えた。それによってつけられた首輪がヤマキである。

 ランポはまさしく蛙顔の捨て石にされた。α部隊隊長でありながら、独自判断は持たず、権限は全て蛙顔に移譲された形となる。当初、ウィルと対等に渡り合える交渉材料として重宝されていたアマツだったが、蛙顔が権限を強めるにつれて不要になっていった。最早、アマツの名を出さずともカントーの情報は入ってくる。

 アマツはただの鍵だった。カントーという厳重な金庫を開くための。その鍵が挿げ変わっただけだ。カントーの役人達は気にしなかったし、アマツのスタンドプレーを嫌っていた節もあったのだろう。速やかに権限と発言力が蛙顔の手に入り、ランポでさえ不要にされかけたが、ランポにはまだ利用価値があると踏んだのだろう。それがボスの判断なのか、蛙顔の判断なのかは分からない。しかし、交渉材料は意味をなくした。それは間違いない。アマツは当初はしっかりとした設備の病院で生かされていたが、生きているという事実が不都合なために本人の希望書があったという事で死んだ事にされた。

 当然、そのような希望書があったとは思えない。恐らくカントーの上役か、蛙顔が偽造したのだろう。しかし殺すにはまだ惜しいという判断を下され、アマツはハリマ刑務所の最深部にて拘留される結果になった。しかし、これでは生きながらに死んでいるようなものだ、とランポは感じる。点滴が首筋に打たれており、生命維持はなされているが、いっその事殺してくれと思っているだろう。自分の境遇ならばきっとそう思っている、とランポはこの哀れな囚人を見るたびに感じていた。

「そうか。今、季節は冬だ。寒さは感じるか?」

 二度首を振る。どうやら快適には過ごせているようだ。無理やり生かされている状態を快適と呼ぶのはいささか語弊があったが。ランポは息を一つついて貧乏揺すりをした。

「今日もある事を聞きに来た。それは俺にとっては不都合な事だろう。もちろん、あなたにとっても、だ」

 一度頷く。イエスのサイン。

「聞かせてもらいたい。リヴァイヴ団のボスについて」

 看守はリヴァイヴ団のボスはランポだと思っているはずだが、そう簡単な事ではないと察するのに時間はかからなかった。今や看守も一枚噛んでいる。この秘密に。

「リヴァイヴ団のボスは、男か、女か。男の場合はイエス、女の場合はノーで答えてくれ」

 アマツは首を振らない。いつもこの問答で沈黙する。この質問方法では駄目だ、とランポは他の質問を即座に考える。

「俺より年上か、年下か。年上の場合はイエス、年下の場合はノー」

 アマツは一度だけ頷いた。イエスだ。しかし、これでは判断材料としては薄い。ヤマキとてランポよりも年上だ。ランポよりも年下となればかなり絞られるのだが、この質問は意味を成さないだろう。ランポは顎に手を添えて考え込んだ。次の質問はどうするべきか。時間制限がある以上、多くの事は聞けない。しかもアマツ自身、何かしらの制約を受けているようにも感じる。

「あなたは半年前、リヴァイヴ団のボスと戦った」

 一度頷く。これは何度も確認した事だ。

「あなたをそんな風にしたのはリヴァイヴ団のボスなのか?」

 アマツは逡巡の真を浮かべてから、一度だけ頷いた。表向きにはユウキがアマツを下した事になっているがユウキを知っているランポからしてみればそれはありえない。アマツはそこまで答える事が許されているのならば、そこから先はどうなのだろうとランポは考える。両手を顔の前で組んで、「ではあなたは」と口を開く。

「リヴァイヴ団を壊滅させるつもりで動いていた。α部隊の隊長として」

 アマツが一度頷く。それがどうしてこのような状況になったのかは、彼自身分からないのだろう。リヴァイヴ団とウィルの密約が成立した事も、彼にとっては寝耳に水だ。アマツが信じていたのはウィルだったのか、それとも自分自身の腕だったのかは分からない。しかし、アマツにとって好まぬ方向に物事が転がったのは疑いようのない事実である。

「俺はあなたの後任を預かる者として、聞いておきたい。リヴァイヴ団のボスの戦力、それは何か?」

 アマツは首を二度振った。答える気はないのか、それとも答えると不都合でもあるのか。貧乏揺すりの頻度が高くなる。ランポは諦めずに言葉を続ける。

「見た事のあるポケモンならば一度頷き、見た事のなかったポケモンならば二度頷いて欲しい」

 アマツは二度頷いた。見た事のないポケモン、と言ってもアマツの知識の量は分からない。まだ未発見のポケモンという可能性も視野に入れれば可能性はごまんとある。

「見た事がないのならば、そのポケモンの名も分からないか?」

 アマツは二度頷く。名は分かる、と言っているのだ。しかし、それを聞きだす術がない。アマツは唇を焼かれ、喉も半年以上震わせていないのならば喋り方も忘れているだろう。ランポは、ここまでか、と感じていた。行き詰まり、終点だ。どのような質問をしてもここで必ず立ち止まらなくてはならない。何も持ち込めないために写真やデータで確認、というわけにもいかない。

「分かった。今日はここまででいい。貴重な時間をすまなかった」

 ランポは立ち上がり、看守に目配せした。看守が、「まだ十分ほどありますが」と言うと、「いや、今日の用事はここまでだ」とランポはアマツを見やった。

「また来よう。何か進展があるかもしれない」

 アマツは顔を伏せて闇の中で蹲った。ヤマキと共に部屋を出て看守の目が離れたところでヤマキが口を開いた。

「あの人、何か伝えるつもりはあるんですかね?」

 ヤマキは呑気なもので欠伸を噛み殺しながらハリマ刑務所を出た。ランポは歩きながら、「さぁな」と返す。アマツが何を伝えたいのか。恐らくはリヴァイヴ団のボスの正体、その手持ちだろう。アマツが握っている秘密はそれだ。その二つさえ明らかになれば、何らかの行動には移せるかもしれない。しかし、肝心の二つは霧の中のように掴みどころがない。一つでも分かればα部隊隊長の権限で闇から引きずり出す事が出来るかもしれない。しかし、それも可能性だ。本当に闇の中から引きずり出せるかは定かではない上に、α部隊隊長の権限は日々失われつつある。蛙顔に搾取され、自分はただの歯車に戻ろうとしている。ユウキと出会う前の、名もない歯車へと。

 ハリマ刑務所の前でリムジンが停まっていた。ランポとヤマキは乗り込んで、言葉を交わし合う。

「どうしてアマツ元隊長を訪れるんです?」

 リムジンがゆっくりと発車する。ヤマキの言葉に含むところがない事を確認して、ランポは答えた。

「彼から得るものがあると感じているからだ」

「リヴァイヴ団のボス、ですか。ランポ様ではないので?」

「お前は」とランポは皮肉の笑みを浮かべた。

「分かっていて言っているのだろう?」

「何の事だか」とヤマキはあくまで無知な部下を装おうとしている。ランポは口元を斜めにして、食えない部下だと再認識する。

「一時的にボスの名を拝命していたに過ぎない。俺は、張子の虎だ」

 ランポの告白に、「何と」とヤマキは驚いてみせる。本当な全く驚いていない事は火を見るよりも明らかである。

「どうして今の立場になったんですか?」

「ボスの名は俺には重かった。それだけだ。α部隊隊長、まだ合っている。随分と楽な役職に回してくれたものだと俺は考えているよ」

「楽、ですかねぇ。俺にはそれでも大変な役職に思えますけれど」

「ボスに比べれば楽さ。大人数を束ねるって言うのは精神をすり減らす。α部隊はその分、俺とお前だけだからいい」

 半年前の号令を思い返す。あの号令を発した時に感じた重圧。もう後戻りは出来ないという感覚は叶うならばもう二度と味わいたくはない。

「俺は、小心者なんだよ」

 ランポの言葉にヤマキは、「そんな事は」と否定する声を出そうとしたが、「いいや、そうなんだ」とランポは強く遮った。

「小心者だ。俺は、あの時、あいつではない、と言う事が出来た。しかし、言えなかった。俺はその罪を一生抱えて生きていかなきゃならない」

「あいつ、というのは……」

 ヤマキも察するところがあったのだろう。それ以上の言葉を重ねる事はなかった。ランポは顔を伏せて思い返す。あの時、ユウキではないと言えていれば。罪の認識は軽かっただろうか。このような状況にはならなかっただろうか。ランポは窓の外を見やる。重く垂れ込めた灰色の空の下、半年前に自分が映っていた巨大なオーロラヴィジョンにはニュースが映し出されており、連日反逆者ユウキの広域指名手配を流していた。

「本当に、ユウキの狙いは何なんでしょうかね?」

 ヤマキがランポの視線に気づいて声に出す。ランポはユウキならば正しき行いをするはずだと感じていた。

 ――もし、目的が同じならば。

 手を組めないだろうか。もう一度仲間として戦えないだろうかと考えて、それは虫が良過ぎると自分の中で取り下げた。裏切れと命じたのが自分ならば、抹殺せよと命じたのも自分だ。勝手気ままにユウキの命の価値を自分が決めている。そんな人間に今さら手を取り合う資格などない。ランポは掌に視線を落とした。

「随分と、汚れてしまったな……」

 その呟きはヤマキにも気取られる事はなかった。


オンドゥル大使 ( 2014/04/12(土) 21:26 )