第七章 五節「ワイアード」
前進の道を選ぼう。それこそが、自分に出来る唯一つの抵抗だ。Fは深く聞き届けたのか、『いいだろう』と応じる。
『ワタシはリヴァイヴ団を情報戦で追った。ウィルの中でもδ部隊は情報戦に秀でているためにそれを一手に引き受けている。しかし、我々には報告の義務はない。ある程度まで追い詰めねば情報戦の意味はない。レナ君、君にならば分かると思うが、確証のない情報など価値は微塵にもない』
「よく分かっているわ」
それは研究者だったからだろう。即座に応じたレナの声を聞き、Fは、『その点で言えば』と返す。
『これから話す情報の信憑性はフィフティフィフティだ。もしかしたら推し進められない可能性もある。それを交渉の鍵とする事を、まず許して欲しい』
不確かなものに自分達の運命はかかっているというのか。その条件にユウキは唾を飲み下す。それでも前に進むしかないのが畢竟、この状態だ。
「それはどのような」
ユウキが問いかけると、Fは重々しい口調で言葉を継いだ。
『ワタシは今夜現れたボス、ランポが張子の虎である事を知っている。彼は利用されているのだ。その奥に潜む深淵に。そしてユウキ君、君はその深淵へと手を伸ばし、思わぬしっぺ返しを食らった。君の傷の状態は、ワタシは知らないが、Kの処置が必要だったという事はかなりの重症だったのは想像に難くない。今は、傷の状態はどうだね?』
「安定しています。しかし、継続的な処置が必要かと」
Kが答える。ユウキとレナは彼女が話すとは思えなかったので少し面食らっていた。
『そうか。作戦行動に支障が出ない事を願うばかりだが、Kがいるのならば君の傷は恐らく回復の傾向に向かう事だろう。それよりもワタシが危惧しているのは、リヴァイヴ団内で推し進められていたとある計画だ。それがどこまでの話なのか、という部分に興味がある』
「ちょっと、F。あなたは勝手に話を進めるけれど、その計画ってまず何よ」
レナが口を挟む。キーリが、「これだから我慢のないオバサンは」と顔を背けて口にした。「何ですって」とレナが顔を振り向けると、キーリが舌を出す。
『そうだな。そこから話さねば。ワタシがリヴァイヴ団を継続して観察していた結果、ある計画が持ち上がっている事に気づいた。しかし、それはどうやらリヴァイヴ団の中でも一握りの、本当に上層部しか知らない計画のようだ。その計画の名は、RH計画』
「RH、計画……」
レナへと顔を振り向けるが、レナは首を横に振った。どうやら知らないらしい。
「血液型かしら?」
『君でも知らないと来たか。となると、これは本物のボスが推し進めている計画と見て間違いなさそうだな』
レナの言葉を無視してFが納得する。ユウキは質問をして少しでもその計画について知る必要があると感じた。
「Fさん、その計画の概要は?」
『それがワタシもよくは分かっていないのだ。ただ一つ言えるのは、この計画がボスにとってかなりの秘密だという事だけだ。もしかしたらボスそのものがこの計画のためにリヴァイヴ団という組織を作ったのかもしれない。それほどにこの計画は厳重に固められている』
「それを、突破する術は?」
「そのためにあなた達に協力を仰いだのよ」
キーリが口を開く。ユウキはキーリへと振り返り、「どういう事ですか」と尋ねる。キーリは胸元に手を当てながら応じた。
「私達δ部隊は情報戦部隊。戦闘には向いていない人間ばかりよ。個体戦力では結構な強さでも、軍隊として統率されたβ部隊やε部隊には遠く及ばない。私達よりもさらに秘密主義なα部隊隊長にはなおさらね。だからこそ、研究に心血を注いできた。情報面では全てにおいてリヴァイヴ団の上を行けるように鍛えてきた」
『そして我々が見つけ出したのがRH計画だ。しかし、この計画は不透明な部分が多い。本当に存在するのかどうかすらともすれば危うい計画だ。ワタシはあらゆる手を尽くしてこの計画の仔細を調べようとしたが、あらゆる防壁が立ち塞がった。最早情報戦だけでは手の打ちようがない。実質戦力が必要になってきた。しかしδ部隊は君達が今見ている通り、戦力としては心許ない』
「だから、僕達をその戦力として利用しようというのですか。でもそれはウィルへの反逆じゃない。リヴァイヴ団への反逆だ」
意味するところがようやく分かりかけてきてユウキが声を発すると、「そうとも言える。でも、少し事情が異なってくるわ」とキーリが告げた。
「どういう、意味ですか?」
『ここから先は推測の話になるが』とFが前置きして口を差し挟む。
『恐らくはリヴァイヴ団とウィルは結託するだろう。これはリヴァイヴ団という組織を調べれば調べるほどに出た結論だ』
「まさか……」とレナが声を詰まらせる。ユウキからしても寝耳に水の話だ。
「そんな事が」
『しかしあり得ないとは言えない。違うかな?』
返事に窮する。カルマが本物のボスだとすれば、全ての現象を利用しようとするだろう。その中にはリヴァイヴ団という一単位ですら入っているのかもしれない。
「団員からの反発が来るわ」
『反発など、この状況下においては無意味だ。君達は今夜だけで何人のリヴァイヴ団員が命を落としたのか知っているのか?』
ダミー部隊の事が思い出される。エドガーは? ミツヤはどうなった? テクワとマキシは? 今さらに仲間達のことが気にかかってくる。
『ウィルは強攻策を取った。リヴァイヴ団という組織を潰す事を第一条件に掲げた彼らは市民からの反感など恐れず、本隊と思われる部隊に対してβ部隊による奇襲を取り、ε部隊による情報統制を計った。世論を恐れない組織はほとんど無敵だ。世論を味方につけようとしたリヴァイヴ団の作戦は見事に引っくり返された結果になる』
「リヴァイヴ団が、負けたって言うんですか……」
絶望的に呟いた声に、Fは冷酷にも、『その通りだ』と返す。
『だが、リヴァイヴ団の上層部、本物のボスはこの程度で負けを認め、野望を掲げる手を下ろすほど脆くはない。恐らくは兵が減ったのならば取り入ろうという算段だろう。本物のボスにとって、リヴァイヴ団という組織にこだわる必要はないのだ。ボスはただ私兵が欲しいだけに過ぎない。それがここ数年、リヴァイヴ団を観察した結果、導き出された結論だ』
ユウキもレナも言葉をなくしていた。では、ただボスのエゴを満たすためだけにいくつもの死が積み重ねられたというのか。ユウキは覚えず拳を握り締めた。自分の事だけを考えて、ボスは命を侮辱し、食い潰した。それは決して許されるべきではない。震える拳に気づいたのか、「怒りは分かるわ」とキーリが口を開く。
「でも怒りだけじゃ何も解決しない」
それは冷酷だが真実だ。リヴァイヴ団で生きた自分達は、結局、駒に過ぎなかった。駒が余計な意思を持ったからボスは潰そうとした。ユウキはキッと顔を上げてFのモノリスを見やる。モノリスは静かだ。怒りを湛えているのかどうかも分からない。
「僕らの犠牲はこのままでは意味がないものとして終わってしまう。ボスにとって都合がいい、ただの駒として終わりを迎えるか。それとも反逆ののろしを上げるか。人は皆、運命の下に平等だと言います。それが真実ならば僕は出来る限り意味のある人間として存在したい。そしてボスには平等を味わわせたい。運命の奴隷としての戦いを」
『よく言った、ユウキ君』
Fの言葉にこれが正答なのだろうかと胸中に問いかける。自分はもしかしたらこの瞬間、間違いの道に足を踏み出したのかもしれない。それは確かめようのない、自分達のこれからでしか判別しようのない不確かなものだ。ただユウキは許せなかった。今まで死した者達もいた。命を賭してランポや自分達は戦ってきた。それが意味のないものとして雲散霧消していくのはあってはならない。覚悟は最後まで光り輝かなくてはならないのだ。
「正直、馬鹿の理論ね」
キーリが口を開いてぺたぺたとスリッパを踏み鳴らしながら端末へと向かう。椅子に座ったかと思うと、目にも留まらぬ速度でキーを打ち、ディスプレイ上にある数字を弾き出した。
「あなたの理論で戦っても勝てる見込みはゼロコンマ一パーセント未満。感情論だけではリヴァイヴ団のボスを闇の中から引きずり出す事は出来ない」
キーリが振り返りながら放った残酷な真実にユウキは言葉をなくした。確かにそうだ。感情の赴くまま戦うだけでは何も変わらない。無知な獣のままである。ユウキが顔を伏せると、キーリは、「でも」と言葉を発した。
「あなた達の持つ情報と、私達の叡智が組み合わされば、可能性は無限に広がる。ゼロコンマの確率を、せめて一パーセントくらいに持ち上げる事は可能かもしれない」
「叡智って何よ。δ部隊は何か策があるとでも言うの?」
レナが腕を組んで不遜そうに尋ねる。先ほどからキーリ達は結論を先延ばしにしているようにしか思えなかった。キーリが片手を振るい、「試算の余地はあるわね」とレナの険のある視線を受け流した。
『我らδ部隊は常にリヴァイヴ団の一方上を行く技術を開発している。そのために存在する部隊だ。開発部門だと、考えてもらって結構』
むしろそのような事こそが得意分野というわけか、とユウキは納得する。キーリが椅子から立ち上がり、手招いた。最初、意味が分からずレナと顔を見合わせると、「ユウキ、あなたよ」とキーリが呼んだ。
「僕、ですか……」
「そう。手持ちを見せてもらうわ。先ほどのスキャン結果だと、テッカニンとヌケニンみたいね」
これにはユウキとレナは二人して瞠目したが、ある意味では当然なのだ。ただで回復するわけがない。ポケモンセンターでも手持ちは明らかとなる。このような施設ではさらにシステムが厳重に張り巡らされているのだろう。ユウキは頷いて、ホルスターからボールを引き抜いた。
「まずはテッカニンを」
緊急射出ボタンを押し込み、テッカニンを繰り出す。すぐさま高速戦闘に移行したテッカニンは空気の中に溶けて消える。キーリが眉をひそめて、「私は手持ちを見せて、と言ったの」と不満を露にした。
「すぐに高速戦闘にしちゃ、見せてないのと同じだわ。少しは考えなさい」
キーリの忠言に、レナが食いかかろうとしたがユウキが片手で制した。
「ユウキ。でも、こんな子供に言われっ放しで」
「僕が悪かったんです。いつもの癖で。テッカニン、止まれ」
そう命じるとテッカニンは翅を震わせながらも可視化出来る速度で留まった。ふわりふわりと浮き上がりながらも、高速で翅を震わせているために高周波が耳を劈く。キーリがぶかぶかの袖で耳を塞ぎながら、「うっさいわねー」と顔をしかめる。
「静かに出来ないの?」
「ちょっとあんた、さっきから注文が――」
「いえ、大丈夫です、レナさん。キーリさん、でいいですか?」
「呼び捨てで結構」
「ではキーリ。テッカニンは滅多に止まりません。せめて止まり木の類があれば別ですが、この空間ではそれがない。それに止まったとしても鳴き続けます」
「じゃあ、出来るだけ静かに。ここが秘密基地だって事を忘れないで」
ほとんど命令口調のキーリにユウキは従った。レナはやはり気に食わないようだ。腕を組んでぶつぶつと小言を垂れている。
「テッカニン、翅の振動数を最小限に。出来るだけ低速で、キーリに見えるようにしてくれ」
命じるとテッカニンはゆっくりと、今にも落ちそうなほど危うく飛行し始めた。慣れていないのだろう。今まで高速戦闘ばかりを使ってきたので低速になれというのは他人に歩き方を変えろというのと同義だった。ゆらゆらとするテッカニンを前から後ろから眺めながらキーリは呟く。
「なるほどね。このテッカニン、高速戦闘用に特化されている。この速さを打ち破るには、まぁ高周波から位置を割り出すか、蜘蛛の巣やエレキネット、電磁波、黒い眼差し、影踏みで絡め取るしかないようね。ああ、でも影踏みはほとんど無理ね。速くて飛行しているのなら」
キーリの発した技の名前はどれもポケモンの行動を制限する技だ。素早さを下げる技、逃げられないようにする技である。ユウキは瞬時にそこまで見抜くキーリの審美眼に言葉をなくしていた。レナでさえ、「よくそこまで技名が出るわね」と感心の声を出す。キーリがこめかみを突きながら、「ここの違いよ、オバサン」と嫌みったらしく告げた。レナが頬を引きつらせて、「ほう……」と声を出す。胡乱な空気を感じ取って、ユウキは口を差し挟んだ。
「でも僕のテッカニンでもボスのポケモンには歯が立たなかった」
思い出すと敗北の苦渋が滲み出してくる。キーリがユウキを指差して、「それよ」と声を発する。突然指差されて、もちろんユウキは戸惑った。
「それ、とは……」
「リヴァイヴ団、真のボスのポケモン。それこそがδ部隊が追い求め続けている情報。教えてもらえるかしら?」
キーリの申し出に答えようとしたユウキを今度はレナが手で制した。問いかけようとすると、首を振って目で伝えた。ユウキもそれの意味するところを理解する。レナは交渉の材料にしようとしているのだ。ボスのポケモンの正体、それは重要機密である。その手がかりを持っていたレナがあれだけ狙われたのだ。当然、核心に迫る正体となれば相手は喉から手が出るほど欲しいはずである。
「教えてあげてもいいけれど、条件があるわ」
「条件?」
キーリが眉根を寄せた。恐らくキーリは愚かな自分達二人から匿った恩をだしにしてまんまと情報を引き出そうと考えていたのだろう。レナが思い留まらなければうっかりと口を滑らせるところだった。
「あたし達のウィル、及びリヴァイヴ団からの絶対的な安全。それを保障してもらう。そのためにはカードを提示してもらう必要があるわ。あなた達がどこまで本気なのか」
Fはほとんど自分達の機密に関しては口にしていない。これでは一方的な契約である。ユウキもモノリスを見やって同じような言葉を発した。
「Fさん、答えてください。ウィルとリヴァイヴ団を相手取るといっても、あなた方はどこまでやるつもりなのか。先ほどのRH計画だって信憑性がない。その資料の一端すら見せてもらっていないんだから。僕らがただ躍らされているだけではないという証明は? どこにあるんです?」
ユウキが問い詰めるとキーリがモノリスへと目を向けた。その後にユウキ達の背後についているKへと目配せする。この三人は何を考えているのか、それを知る必要がある。
『いいだろう。君の言う事はもっともだ。我々は一切の情報を開示していない。しかし、これからこの基地にある全ての端末にアクセスする権限を与えられる君達からしてみれば瑣末ではないかと思ったのだが』
「冗談じゃないわ。あたし達がここにある端末に触れられるのかすら怪しい。キーリとか言う子供に見張らせているし、後ろは戦闘員で固めている。これじゃ、拘束と何ら変わりないわ」
レナの言葉は正鵠を射ている。この状況は拘束と大差ない。手持ちを知られ、こちらの動きは制限されている。もしもの時には、Fは自分達をウィルにもリヴァイヴ団にも売る事が出来る。ボスと考えている事が違うと言う証明もない。これで信用しろというのは甘い話だった。
『ワタシは君達に全てを預ける。そのつもりでこの場所へと導いた』
Fがキーリの名を呼びかける。キーリが振り向いて、「何? パパ」と応じた。
『RH計画に関して我々が知りえた全ての情報と、我々の開発している戦力についての説明を求める』
「でも、パパ。それは――」
『ワタシと君達は対等だ。だからこそ、情報は共有すべきだと考える。これからのためにもね』
キーリは渋々承服したようだった。髪をかき上げて、「仕方がないわね」とキーを打ち始める。やがてウィンドウに表示されたのは「RH計画概要」というものだった。上部に「極秘」の赤字がある。
『我々が知りえた情報だ。微々たるものだが、力にしてくれ』
「そうさせてもらうわ」
キーリを押し退けてレナが端末の前に座った。RH計画に関する情報のバックアップを取っている。キーリはレナに見えないように舌を出してから、ユウキへと向き直った。
「さて、ユウキ。あなたに必要なのは戦力の拡充ね。ついてきなさい」
キーリがぺたぺたと踏み歩いて奥を目指す。ユウキがその後に続いて歩き出すと、背後にぴったりとKがついた。どうやらKは女性でありながらもこの場所においては重要な戦闘員のようだ。ユウキとレナ、二人を相手取るくらいは難なくこなすのだろう。ケーブルとパイプが生物の循環器のように複雑に絡み合った先に廊下が二手に分かれている。キーリは右側を行った。奥に部屋があった。蒼い液体で満たされた試験管が並んでおり、下部には精密機器がある。テッカニンがゆっくりと翅を震わせながらついてくる。
「ユウキ。あなたは今以上に強くなる必要がある。そのために、邪道とも呼べる方法を取ってもらうわ」
「邪道、ですか……」
ユウキが不安を滲ませながら口にすると、「心配には及ばない」とキーリが手を振った。
「ここでは計りようがないけれど、あなたのテッカニン、どこまで自在に操れる?」
問いかけられてユウキは返事に窮した。どこまで、というのは意識した事がない。
「分かりませんけれど、たとえるなら手足です」
「手足、ねぇ」
「指を動かそうと思って動かすんじゃないくらいまでは操れます」
ユウキの説明を聞いてキーリは何度か頷いた。
「オーケー。結構熟練の域に達しているわけだ。じゃあ、同調まで行っているのかしら?」
同調の話題は以前レナとランポを交えてした事があったが、自分はそこまで行ってないと感じていた。ユウキは首を横に振る。
「いえ、その、同調って言うところまでは到達していないかと」
キーリは椅子に座って主治医さながら、「なるほどねぇ」と端末に情報を打ち込む。キーリが、「ママ」とユウキの後ろにいるKを呼んだ。Kは全てを承知しているかのようにすぅっと動き、精密機器の調整を始める。ゴゥンゴゥン、と稼動音が響く。ユウキがそちらを見やっている間にもキーリの質問は続く。
「同調を感じた事は?」
キーリの質問にユウキは記憶の中を探りながら、「自分ではないんですけれど」と答える。
「一度だけ、これは同調なんじゃないかって思った事はあります」
「他人のポケモンを見て?」
「敵のポケモン、ツンベアーでした。それとテクワ、仲間のドラピオンが応戦していて、彼らは僕とは異なる手段でポケモンを操っているように見えた。思考体系がまず異なるんです。手足よりもほとんど一部として、身体の内部器官のように操るよりも動作の延長線上にあるような……」
言葉を繰り出しながら、うまく自分の中で構成されない事に歯噛みする。キーリは急いた様子はなく、「なるほど」と応じる。
「正しいわね。同調が理解出来ないトレーナーが同調を目の当たりにした印象としては」
「僕は、別に理解出来ないわけじゃない」と抗弁の口を開くと、「でも信じていない。眉唾だと感じている。違う?」と返されてユウキは閉口した。確かにあるとは考えていない。
『この世界に同調は存在する』
そう答えたのはFだ。今はこの部屋を見張っているのだろうか。むき出しの監視カメラの眼がユウキを見据えた。
『ワタシは既に実証済みだ』
「実証って、どこでですか。人体実験ですよ」
『ワタシはかつて地獄を見た』
カイヘンの人々の中の共通認識の地獄とは八年前のヘキサ蜂起だろう。Fはその当事者だとでも言うのだろうか。しかし、ヘキサ団員、つまりロケット団員とディルファンス構成員は刑罰に処されたはずだ。ウィルのδ部隊の隊長の席に収まっているはずがない。
「ヘキサですか」
Fは答えない。それが何よりの肯定だった。
『地獄ではそれが当たり前の敵として立ち塞がった。我々は同調を手にしたトレーナーとポケモンを見たし、さらにその先にある可能性に至った』
「可能性……」
呆然と呟いたユウキに対して、キーリが、「唐突だけど、あなたは概念存在を信じるかしら?」と尋ねた。
「概念存在、ですか……」
同調よりもさらにはかり知れない言葉にユウキは口中で繰り返す事しか出来ない。キーリは構わず続ける。
「ポケモンと人間の認識の垣根を越えた先、ボーダーラインを突破した者。私達はワイアードと呼んでいるわ」
「ワイアード……」
「ポケモンと同調して、思念の先へと至った存在の事を、私達はそう呼称して研究してきた」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ユウキは頭がパンクしそうだった。声を出す事でかろうじてそれを押し留めている状態だ。額に手をやって事柄を整理する。キーリが、「何よ、待たないわよ」と返す。
「ワイアードの感じる世界は私達の認識とは異なる。同調による周囲の気配の鋭敏化、ダメージフィードバック、意識圏の拡大、様々な事が実証された」
「その、実証されたってどういう事ですか? まるでワイアードが近くにいるみたいだ」
『その通りだ』
Fの冷たい声音が審判のように響く。ユウキは顔を上げて周囲を見渡した。テッカニンがゆらりゆらりと浮かんでいる。
『ワイアードは存在する。君の目の前にいるだろう』
Kが振り返った。その手には銃のような機器が握られている。蒼い液体を満たした試験管が撃鉄のように組み込まれていた。ユウキは怖気が足元から這い上がってくるのを感じた。何をされるのか。自分は何になるのか。
「そこに座りなさい、ユウキ」
キーリが顎でしゃくって命じる。ユウキは首を横に振った。
「い、嫌だ。何のつもりなんだ、あなた達は。ワイアード? 同調? 信じられない言葉ばかりだ」
『しかし信じてもらう他ない。そして、君は手に入れねばならない。力を』
ユウキは後ろ手にテッカニンへと指示を飛ばそうとした。指を二本立てて「シザークロス」を命じようとするが、テッカニンはふわりふわりと浮くばかりで高速戦闘に移る気配がない。
「……何をしたんだ」
ユウキの言葉に、「この部屋には微弱ながら特定周波数が放出されているわ」とキーリが両手を広げて応じる。
「人体には問題ないけれど、ポケモンは平衡感覚を失って指示を聞けなくなるわね」
ユウキは歯噛みした。まんまと連れ込まれたわけだ。
「最初から、このつもりで……!」
「動かないほうがいいですよ」
Kがバイザーの奥の眼差しを向けた気がした。銃のような機器を掲げてユウキへと歩み寄る。ユウキは逃げ出そうとしたが、その直前にキーリが端末のエンターキーを押した。瞬間、廊下へと続く道がシャッターで塞がれた。ユウキはシャッターに爪を立てる。何度か叩いてみたがシャッターが開く気配はない。
「閉じ込めて、何をするつもりです」
振り向いて戦闘の光を湛えた双眸を向けた。キーリが、「へぇ」と興味深そうに声を出す。
「ほとんど死にかけていたのにまだそんな眼が出来るんだ。根っからのトレーナー気質ね」
冷静に分析するキーリに対して、ユウキは憤懣をぶつける。
「僕は戦いが好きじゃない」
「それでも、戦わなきゃならない時があるのよ」
キーリの言葉に、「分かった風な事を……」と思わず口にすると、「あなたの気持ちは分かるわ」とキーリが呟いた。
「ママも、パパも戦いが嫌いだもの。私だって好きじゃない。出来るなら、戦わずに全てを終わらせたい。でもそうはいかない。この世はね、戦いの連鎖の上にあるの。誰にも、そこから抜け出すことは出来ないのよ」
達観したキーリの声にユウキは呆然としていた。その瞳は暗い色を湛えている。まるでこの世の深淵を眺めてきたような眼差しだ。Kが歩み寄り、ユウキの腕をひねり上げる。ユウキ自身は非力だ。抗う事も出来ない。Kが銃の先端部をユウキの右腕に当てる。
「やめろ!」とユウキは叫んだ。その瞬間に何かが打ち込まれた。走った鋭角的な痛みに顔をしかめる。何か重たいものが内側へと打ち込まれた感触がした。Kが手を離すと、右腕は少し痺れていたが、動かす事が出来た。打ち込まれた箇所を見やる。右腕の一部が腫れ上がっており、そこから蒼い光が覗いていた。
「これ、は……」
ユウキが腕を押さえながら呻くと、キーリが憮然として告げる。
「それは月の石を融かして凝結させて再構築したものよ」
「月の石、ってあの」
「そう。カントーで多く採れる進化に必要とされている石。でもね、高純度の月の石は融かしてポケモンと人間に組み込む事によって通常の五倍以上の性能を引き出す事が出来る。それがルナポケモン。八年前にヘキサが実戦投入したポケモンとトレーナーよ」
ユウキは信じられない心地でその言葉を聞いていた。そのような話は聞いた事がない。嘘偽りとして切り捨てるにはしかし、キーリとKは本気に見えた。
「じゃあ、テッカニンにも……」
訪れるであろう行動に、キーリは、「いいえ」と否定した。
「私達はルナポケモンと媒介になるトレーナー間におけるダメージフィードバックと中毒性を何よりも危惧した。その結果、新たな策が講じられたわ。様々な実験が重ねられた。……ママもパパも協力した」
最後のほうは消え入りそうな声だった。苦肉の策である事はその声音からして明らかである。
「私達は、ダメージフィードバックによるトレーナーの生命の危機を何よりもあってはならない事だと考え、試作に試作を重ねました。その結果、生み出されたのがこれです」
Kが銃器のような器具を構える。それに何があるというのだろうか。ユウキは考えた事をそのまま問いかけた。
「何があるって言うんです?」
「月の石を融かし、さらに再構築して体内に凝結させる技術。これによってダメージフィードバックの問題は解決されたわ。私達は純粋な同調状態に近い状態を得られながら、通常のワイアードとは違う新たなワイアードを生み出せた。名を冠するならばそれはネクストワイアード。次世代の技術よ」
ユウキは腕が脈打つのを感じた。蒼い光が傷口から見え隠れして網膜にちらつく。
「でも、これは……」
ただ都合よく同調だけを取り出したものではない。それは直感的に分かった。キーリが目を伏せて、「そうね」と答える。
「あなたが察している通り、この方法は命を削る。ダメージフィードバックの代償がない代わりに、ポケモン側へと意識が引っ張り込まれる可能性があるわ。擬似的な同調の代償って言うわけね」
ユウキは腕を押さえて蹲った。脈動が脳へと突き抜けてくるようだ。意識が拡張され、無理やり自身の内部をこじ開けられているかのような錯覚を覚える。自分でも未知の領域へと踏み込まされている。それはポケモンと人間が至っていい場所なのか、否か。
「ネクストワイアードはポケモンの変化の影響を受けない。意識だけをポケモンに飛ばす事が出来る。この部屋では難しいでしょうけど、試しにやってみなさい。意識の声だけでポケモンに技を繰り出させるの」
キーリが椅子から降りて屈み込み、ユウキの顔を覗き込む。呼吸が荒くなっているのを感じた。絞り込まれた意識が鋭敏化した針のようだ。ユウキはその針の先端にテッカニンを感じた。自分という個体との境界が溶けようとしている。流れ込んできたテッカニンの思惟に抗うように、ユウキは意識の声を上げた。
――シザークロス!
瞬間、テッカニンが掻き消えて高速戦闘へと身を浸す。極大化した感知野がテッカニンの存在を主張させ、キーリの首筋へとテッカニンの爪が振るわれようとした。その直前、青い影がテッカニンの行く手を遮った。光が突然弾けたかと思うと、テッカニンと同調していた意識の眼が眩む。ユウキは自分の手を前に翳した。実際には光が襲ったのはテッカニンのほうだ。自分ではない。ユウキはそれを意識し直して、矮小な自分という個の中へと意識を落とし込んだ。「ユウキ」という器に戻った意識が肩を荒らげて目の前の光景を視界に入れる。
キーリの背後へと襲い掛かったテッカニンの爪を、青いポケモンが阻止していた。ジェット機のような威容を持つのは先ほどのポケモンと同じだが、青に色を反転したようであり、ラティアスと呼ばれたポケモンよりも身体が鋭角的だった。鋭い赤い眼差しに射る光が宿る。その眼の奥が蒼く燃えていた。ジェット機のようなポケモンは小さな末端としか思えない両腕から光を放射したようである。その光弾がテッカニンの攻撃を防いだのだ。
Kがホルスターからモンスターボールを引き抜いた格好でキーリの背後を守っていた。テッカニンの爪から放たれた技の残滓がKのバイザーへと至っている。バイザーに亀裂が走り、音を立てて割れた。ボロボロと崩れ落ちたバイザーの欠片が床に転がる。キーリは呆然と訪れた光景を眺めるしか出来ない。ユウキも同様だった。Kだけが顔を振り向けた。キーリと同じ、紫色のくりりとした瞳だったが、今は戦闘用に細められている。鋭いまなざしがユウキに今しがた行った事を自覚させた。
「僕、は……」
「私の言葉に反射的に従ったのね」
キーリは落ち着きを取り戻して、何度か頷いた。Kはユウキを見下ろしている。紫色の瞳孔の奥に蒼い光が揺らめいているのを見た。ユウキは、「あなたも」と口を開いていた。
「ネクストワイアードなんですか」
「ママは違う」とキーリが首を振って否定する。
「ママは最初期のワイアード。今よりも随分と乱暴な方法でポケモンとシンクロさせられていた。ディルファンスの技術よ」
どこか吐き捨てる声音を伴ったキーリの言葉にユウキは声を詰まらせていた。ディルファンス。それはキーリにとっては軽蔑の対象なのだろうか。考えを巡らせていると、Kは青い鋭角的なポケモンをモンスターボールに引っ込めた。赤い粒子となって戻っていく。Kはユウキにも、戻すように促した。
「一度ボールに戻してから経過を報告するといいと思います」
素顔が見えたKの声音にはどこか暗い色が浮かんでいる。過去という重石を断ち切れていない声だとユウキは思った。その声音はサカガミに似ているからだ。どこか悔いている、そのようにも感じられる。ユウキはKに従ってモンスターボールで空間を薙いだ。テッカニンがモンスターボールに赤い粒子を棚引かせて吸い込まれる。キーリが息をついた。
「少し焦り過ぎたわね。感知野のコントロールも学ぶべきでしょう」
『キーリの言う通りだな。ユウキ君、思っていたよりも君は力が強い。だからこそ、御する術を覚えなくてはならない』
ユウキは立ち上がって、まだ疼く右腕を押さえた。傷口が気になって仕方がない。Kが、「慣れてください」と言葉を発した。
「そうするのが一番だと思います」
「取り出す術は?」
「あるにはあるけれど、これから戦うあなたには必要ないでしょう。むしろ、一度打ち込んだ程度じゃ定着しないわ。何度か重ねながら、思考でポケモンを操る事に慣れないと」
ユウキは右腕を掲げて、「これが僕の傷ってわけですか」と呟いた。キーリがクスリと笑って、「何それ、詩的ね」と言った。
「どちらにせよ、ワイアードとして戦うにはまだ経験が浅い。ユウキ、あなたには戦い方を覚えてもらうわ。これまでのポケモンバトルの常識じゃない。新たな領域に踏み込むために」
その後押しをF達がしてくれたというわけだ。感謝すべきか、またはこのような残酷な運命に投げ込まれた事に対して恨み言の一つでも言うべきか。ユウキは傷口を眺めながら、どっちつかずの思考を持て余していた。
『強攻策を取った事、許して欲しい』
Fの声にユウキは、「いえ」と首を振った。いずれは必要になる事なのだろう。
「こういう事は早いほうがいい。僕も覚悟を決める気になれる」
『そう言ってもらえると助かるな。さて、次に君達がやってもらう事は我々への情報提供だ。レナ君もRH計画の概要には目を通したようだし、どちらからでも構わない。話してもらえるかな』