ポケットモンスターHEXA BRAVE












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Rebellion
第七章 二節「再起動」
 マシンが軋みを上げる。

 ライダーはさらに加速を促し、三十六番道路から降りた。下の道に入り、すぐさま反転する。ライダーの挙動に驚いたトラックが甲高いブレーキ音を立てる。黒バイクはトラックの横を通り抜けた。

「危ねぇだろ! 死にてぇのか!」

 野次を背後に聞きながら、ライダーは迷路のようにうねった道の先を行く。

 三十六番道路はサイクリングロードに直通する高速道路だ。その下にある三十七番道路はこの時間には車の通りが多い。身を隠すにはもってこいだった。

 ライダーは赤いランプの軌跡を描きながら闇の中を走り抜けて、一つのマンションの前で停まった。マンションにはガレージがあり、バイクから降りてガレージへと押して進める。ガレージの中にはボタンがあり、それを押すと、ガレージのシャッターが閉まった。それと同時にガコン、と音がしてガレージそのものが降下していく。ライダーはフルフェイスのヘルメットは取らずに、バイクに片手をついたままじっと立ち尽くしている。やがて胃の腑を押し付ける下降感が消え失せ、ライダーの眼前のシャッターが開いた。バイクを置いてライダーだけがそこから階段を下る。広い空間になっていた。天井は低いが、圧迫感は覚えない。吹き抜けのような構造で、一段階ごとにコンピュータが置かれている。その一つの筐体の前で、黒衣を纏った人物がライダーに気づいて振り返った。

「お疲れ様。例のデータは手に入った?」

 眼鏡のブリッジを押し上げ、怜悧な眼差しを向ける。ライダーは頷いて、オレンジ色のライダースーツのポケットから小さなスティックメモリーを取り出した。少女が歩み寄ってそれを手に取り、端末へと再び向かう。少女はキーボードを打ちながら、「あのさ、静かなのはいいんだけど」と肩越しに視線を振り向ける。

「だんまりって気分がいいもんじゃないわよ。おまけにフルフェイスだし」

 少女の言葉に、「そう言われましても」とライダーが口を開いた。ヘルメットに手をかけて、首から外す。ヘルメットを取って現れたのは黒髪の少年だった。首を振って圧縮されていた空気を振り払う。ふぅ、と息をついて少年は声を出した。

「レナさんが静かなほうが集中出来ると思いまして」

「あのねぇ、ユウキ。そう物事簡単じゃないの。あんただって、うるさければバトルに集中出来るわけでも、静かなほうが落ち着かないわけでもないでしょう」

 レナと呼ばれた少女は黒衣のポケットに手を入れてため息をつく。ユウキは抗弁の口を開いた。

「僕は、テッカニンを使うから、うるさいほうが有利ですけど。静かだと羽音でばれてしまう」

「はいはい、有利不利はこの際どうでもいいわ。あたしはね、ぴっちりと着込んだライダーが立ち尽くしているっていう画に対して気味が悪いだけ」

「言いがかりですよ」

 ユウキはヘルメットを近くのテーブルに置いて、代わりに置かれていたオレンジ色の帽子を被った。それを見て、レナが呆れたと言うように息をつく。

「ヘルメットで蒸し風呂状態だったのに、どうして帽子被るの? あんたは相当、将来禿げたいみたいね」

 その言葉にユウキはむっとして、「失礼な。別に禿げたいわけじゃないですよ」と応じた。レナはスティックメモリーからデータを引き出しながら、進捗状況を一瞥し、「まぁ、あんたの勝手だけれど」と口にした。

「でしょう? 僕は昔から帽子がないと駄目なんです」

「悪癖ね。帽子依存症とでも名づけようかしら。ああ、でも似たような症状にブランケット症候群とかあるわね」

「ブランケット症候群?」とユウキが訝しげに繰り返す。レナは筐体を指でなぞりながら、「子供の頃に毛布とか何らかの物に依存したことがあるでしょう?」と尋ねた。

「まぁ、小さい頃にはガーゼとかを噛まなきゃ眠れない子供だったらしいですけど」

 ユウキの返答に、「うわっ」とレナは吐きそうな顔をした。

「何ですか?」

「いや、ガーゼとかは正直引くわ」

「引かれるために言ったんじゃないですけど」

「まぁ、続けるわね。そういう依存対象のある事を、毛布になぞらえてブランケット症候群、または安心毛布と言うわね。幼児が精神的安定を得るために必要とする要素の事よ」

「それが僕にとっては帽子だと?」

 ユウキが帽子を取って、鍔を内側に向けて眺める。そのような事は自覚していなかったので改めて見ると新鮮に思える。

「ええ、そうね。あんたにとっては帽子だったってわけ。何らかの思い出でもあるの?」

 ユウキはかつて短パン小僧として戦っていた時にも赤い帽子を被っていた事を思い出す。昔から陽光の下を歩く事が多い子供だっただけに帽子は欠かせなかった。しかし、その事をわざわざレナに言ったところで仕方がないだろう。ユウキは、「かもしれませんね」という言葉で濁した。レナは、「まぁ、いいわ」とその話を打ち切って端末に向き合った。データの移行が完了し、レナがキーを叩く。すると、幾つかのファイルが浮かび上がってきた。

「さて、どれがボスにとっての安心毛布なのかしら」

 乾いた唇を舐めて、レナがキーを叩いて絞り込みに入る。幾つかのウィンドウが明滅した後に、一つの文書ファイルが見つかった。ファイルを開くと、頭にこう書かれている。

「RH計画」と。

「出たわ。これがボスの安心毛布なのか、それとも別の何かなのか」

「少なくとも」

 ユウキは歩み出た。レナが顔を振り向ける。

「僕らの半年間は無駄じゃなかった。それを証明したい」

 その言葉にはレナも頷く。耳にかかった髪をかき上げて、「それには同意ね」と返した。

「半年間も穴倉に潜った意味がないんじゃ、あたしだって浮かばれないわ」

「そうね」と声が発せられて二人はそちらへと同時に視線を振り向けた。そこにいたのは白衣を引きずっている少女だった。長い黒髪で紫色の髪飾りをつけている。幼い顔立ちでくりりとした紫色の大きな瞳が印象的だった。

「ユウキ。お勤めご苦労。私が開発した高機動バイクの性能はどうかしら?」

「悪くありません。キーリ」

 キーリと呼ばれた少女は、「ならいいわ」と口元に笑みを浮かべた。幼さに似つかわしくない、大人の笑みだ。

「私の計算式によると」とキーリはぺたぺたとスリッパを踏み鳴らしながら、端末へと歩み寄り、目にも留まらぬ速度でキーを打った。レナですらその速度には尻込みする勢いだ。

「テッカニンを騎乗中に繰り出せて、なおかつ気取られない速度には達していると思う。高速戦闘が売りだからね。何秒かロスがあったでしょう?」

 キーリが見透かした声を出してくる。ユウキは正直に応じた。

「ええ。テッカニンを操るのにやはりこれでは思考と反射に遅れが出ます」

 ユウキはライダースーツを袖口から捲り上げ、右腕を晒した。右腕には何かが打ち込まれた痕があり、傷口が蒼く光っている。

「擬似的に月の石の同調状態と同じ状態を維持しようとしたわけだけど、どう? もしバイクの運転に支障が出るようなら解除する手はあるけれど」

「いえ、これはこれで便利です。テッカニンを今まで以上の高速戦闘で使う事が出来る」

「でも、あなたは命を削っているも同義よ」

 放たれた声にレナが息を詰まらせるのが気配で伝わった。ユウキはライダースーツの袖口を直しながら、「いいんです」と応じる。

「僕が望んだ戦いですから。それに半年前には力が足りなかった。この力があれば、もしかしたらボスの喉元に辿り着けるかもしれない」

「ボス――カルマ、ね。あの男は全く尻尾を見せないわ。私の追跡を逃げ切るとは毎度味な真似をしてくれるじゃない」

 キーリが笑みを浮かべて作業に没頭する。この状態になったキーリは止められない事を知っている二人は視線を交し合った。

「それに、ランポも戦っている」

「ランポ、ねぇ」

 懐かしい言葉を反芻するようにレナは口にした。リモコンを手に取りモニターの電源を点ける。モニターには今放送しているテレビ番組が映っていた。ランポの姿が映し出されているVTRを背にして、コメンテーターが話し合っている。その中にモノクルをつけた禿頭の男がいた。他のコメンテーターとは明らかに纏っている空気が異なる。戦地に身を置いている猛者の姿だった。

『コウガミさん。ウィルは半年前のリヴァイヴ団蜂起の際に、事態を収束しリヴァイヴ団の一斉検挙、及びリヴァイヴ団の一掃を果たしたわけですが』

『そうですね』とコウガミと呼ばれた男が応じる。重々しい声音であった。

『リヴァイヴ団という地下組織は最早存在しない。我らウィルが全て駆逐しました。カイヘン地方は今や地下組織を持たないクリーンな地方として他地方の一歩先を行ったと言えるでしょう』

「何がクリーンなものですか」

 レナが吐き捨てる。ユウキは拳を握り締めた。半年前にランポはカイヘンの独立のために立ち上がった。ボスの影武者という重責を負い、プレッシャーに押し潰されそうになりながらも決死の覚悟で矢面に立ったのだ。しかし、その結果はどうだ。ウィルに制圧され、リヴァイヴ団は事実上の解散を余儀なくされた。リヴァイヴ団の発言力が強かったコウエツシティは混迷の中にあるという。それだけで身が引き裂かれる思いだったが、事態はそれだけに留まらなかった。

『しかし、ある筋ではウィルがリヴァイヴ団を抱き込んで、新たなる組織となった、という穿った見方があるようですが』

 コメンテーターの言葉にコウガミは笑いを返した。

『それは穿ち過ぎですよ。何故、敵対していた悪の組織と組まねばならないのです? それではヘキサの再来ではありませんか』

『その通りなんですよね。巷の噂話なんですが、ウィルの構成員の中には胸にRのバッジをしている人間がいるとかいないとか』

 コメンテーターが唾を飛ばしながら口にした言葉に、コウガミは温和な笑みを浮かべた。

『都市伝説ですよ。我々ウィルにそのような者がいるわけがない。いたとしても、ですよ。それは性質の悪い悪戯心というだけです。リヴァイヴ団の団員を抱き込むなど、考えられない。彼らは犯罪組織なんですよ』

 コウガミの言葉にコメンテーターは意見を引っ込めたようだった。これ以上は無駄だと判断したのだろう。あるいは薮蛇になると考えたのか。後者だとすれば賢明な判断と言えた。

「実際はこうだって言うのにね」

 レナは新たな文書ファイルを呼び出した。それはウィルの構成員を記したリストだ。その中には経歴にディルファンスがある人間には「D」の印が、他にも「R」の印があった。リヴァイヴ団員上がりの証である。

「ウィルはリヴァイヴ団の団員をきちんと組織に組み込んだ。それでも半年前の戦いでほとんどは殉死したようだけどね。リヴァイヴ団を組織の一員としてしっかり呼び込んだのはどこの誰かしら?」

 レナがわざとらしくモニターを見やる。ユウキはランポの姿が真っ先に目に入ったが、恐らくはランポの考えではない、という事は察しがついていた。たった一週間前後とはいえ、ランポの傍にいたのだ。彼の考え方は分かる。ランポは死んでも敵に与する事はない誇りの持ち主だ。もしその信念を曲げるような事があるとすれば唯一つ。それは仲間の生死が関わっている時だけだろう。

「ランポはきっと、決断を迫られた。リヴァイヴ団を束ね、今もどこかでウィルとリヴァイヴ団両方を手に入れようとしているボスに」

「ランポはきっと、戸惑っているでしょうね。半年前に姿を眩ませたあたし達が再び現れたのを知って」

 ユウキは掌に視線を落とす。ぴっちりと黒い革製の手袋が覆っている。

 オレンジ色のライダースーツを着込む自分と、半年前とは真逆な黒衣を身に纏ったレナ。

 きっとランポは自分達を見た時、一番に戸惑うはずだ。どうしてそうなったのか、と。だが、それらの話し合いが進む前に、戦いへともつれ込むかもしれない。それくらい、自分達とウィルは切迫した関係性にある。何よりもボスが、説得などというぬるい手段を用いるはずがない。必ず、自分達とランポの接触を断つために行動を起こすはずだった。自分達はそのために待った。半年間、傷を癒し、新たな力を得るために。雌伏の半年間は長かったようにも思えるし、短かったようにも思える。どちらにせよ、ユウキの頭にあるのは唯一つの事柄だった。

「ボスを倒す。その邪悪を、止めなければならない」

 断固としたユウキの言葉に、「熱いわね」とレナが返して、近くのテーブルにあるコーヒーメーカーへと歩み寄った。カップにコーヒーを注ぎ、口に運んで顔をしかめる。

「まっずい。早く外に出て、まともなコーヒーが飲みたいわ」

「そんなに待たせないと思いますよ」

 ユウキが答えると、「そうかしら」と怪訝そうにレナは応じて、まずいコーヒーをすすった。その時、コンピュータの一つが通信を受信した。レナが、「そのキーボード」と指差す。

「エンターキーを押したら通信が開く」

 ユウキは歩み出して、エンターキーを押した。すると、モニター上にδの黄色い文字が刻まれたモノリスが現れた。ユウキとレナはそのモニターを見やり、二人して眉をひそめた。スピーカーから合成された音声が聞こえてくる。

『今回、ワタシが考案した作戦はうまくいったようだね』

 レナがカップを置いて、「おかげさまでね」と答えてから腕を組む。

「あたしのビークインを出させたのは、でも、酷いわね。一歩間違えれば鳥ポケモンにビークインは集中攻撃を浴びせかけられていた」

『ビークインは先ほどKが回収した。データ転送しよう。モンスターボールを置きたまえ』

 レナは不遜そうに鼻を鳴らして、空のモンスターボールと既にポケモンの入っているモンスターボールを筐体の窪みへと置いた。すると間もなくしてビークインがモンスターボールへと転送されてきた。逆にポケモンの入っていたボールはブランクになっている。ポケモンはデータ化して転送が可能である。これは随分前から使われている技術で、ポケモンセンターなどではトレーナーに無償で提供される。その代わりに税率負担が高いのがトレーナーを抱える地方の悩みだ。レナはビークインが入っているのを確認して、「一時でも預けるのは不安だったわ」と言った。レナはビークインと「K」と呼ばれる人間の手持ちとを交換した形になっていた。

『それは申し訳ない。しかし、こちらには優秀な部下がいるんだ。それも含めて任せてもらったと思っていたのだが』

 ユウキはビークインがあのタイミングで現れて「フラッシュ」の攻撃をしてくれなければ危うかった事を思い出す。「フラッシュ」からの「かげうち」という連携を思いついたのも、通信越しの男だ。いや、合成の声なので男かどうかすら怪しい。ただ、二人にはこう名乗っていた。「F」と。

「Fさん。あなたを僕達は信用している。いや、信用しなければ危うい。そういう均衡の下で僕達の関係は成り立っている」

『ユウキ君。君の意見はもっともだ。だからかな、君はワタシに、そろそろ正体を明かせと急かしているように聞こえる』

 その通りであった。ユウキは片手を掲げて拳を作る。

「僕達だけ正体を知られているのは、何か納得がいかない。あなたはいつだって僕達を売る事が出来る。それって対等な関係性じゃないでしょう?」

 そうでなくとも危うい立場なのだ。命の一端を握られているとなれば心境は穏やかではない。レナも同じ気持ちなのだろう。目配せし合い、「F、あなたは」と口を開いた。

「あたし達に何を求めているのかしら。せめてそれだけでも明らかにする権利はこちらにもあるんじゃない?」

『ワタシが君達に求めているものは半年前に話した通りだ。今も、その目的は変わる事はない』

 だからこそ、知れば知るほどに分からなくなる。まるで逃げ水を追わされている気分だ。ユウキは核心に迫る言葉を発する。

「Fさん、あなたは僕達に言った。半年前に、これは対等な契約だ、と。しかし蓋を開けてみればあなたと僕達は決して対等ではない。僕達は追われて、いつ死ぬかも分からない危険な任務に身をやつしている。対してあなたは傍観者だ。事態を客観的に分析し、表舞台には顔を出さない。それって卑怯じゃないですか」

 ユウキの言葉にFはしばらく返事がなかったが、やがて、『そうだろうな』と声が返ってきた。

『ワタシは卑怯者である事は確かだ。しかし、半年前に話しただろう。ワタシは既に戦闘不能なのだ。いくらウィルδ部隊を束ねる人間と言っても、隊長格全員が高度な戦闘能力を有しているわけではない。ワタシの戦闘能力はユウキ君、君にも劣るだろう』

 ユウキはモノリスの「δ」の文字を見やった。通信越しのFの所属を示している。ウィルδ部隊、敵そのものであるウィルと自分達は組んでいる。その事実がどこか遊離して思えた。δ部隊は自分達との共闘関係を結び、来る「RH計画」の阻止を目指している。掲げた拳を握り締め、ユウキはこの半年間の自分の変化を顧みる。自分もレナも変化を受け入れるしかなかった。モニターに映ったランポへと視線を投じ、「あの時」と口にした。

「僕らはあなたに命を救われた。もし、あの出会いがなければ、僕らの命はなかったでしょう」

 レナが顔をしかめてFのモノリスに視線を向ける。Fは、『そうだね』と応じる。

『ワタシは君達に接触したのは偶然だったが、君達の目的がリヴァイヴ団のボス打倒だと知り、運命を感じたよ。ウィル内部でもきな臭い噂が立ち始めていた頃だったからね。それに、ランポの演説が決定的だった』

 ランポの演説を観た時、Fは確信したと言う。これはボスではない、と。ユウキが頭を振って声を出す。

「ランポが悪いわけじゃない」

『そう。ランポはむしろ、よくやった。彼は彼なりの方法で邪悪に立ち向かおうとしている。しかし、彼の力は微弱だ。今のままでは闇に呑まれるだろう。全ての真実が闇の中に食い殺されてからでは遅いのだ。それに闇には正攻法が通用しない。こちらもまた、汚れる覚悟を負わねばならない。それだけ今回の敵は強大だ』

 敵、と判じられた言葉にユウキはデオキシスの姿を思い返す。デオキシスを操り、リヴァイヴ団を裏から牛耳る存在、カルマ。カルマに勝つための方策を自分達は編み出そうとしてきた。

『ただ単にカルマの悪行を公表しただけでは、恐らく握り潰されるであろう事は明白だ。それにカルマは、そう簡単には姿を見せない。ユウキ君、君が見た時にはカルマはボスの側近を演じていたようだが、今はどうなっているのか想像もつかない。もしかしたらさらに複雑なポジションに身を置いている可能性はある。このままでは、引きずり出す事など到底叶わない』

 ユウキは掌に視線を落とし、「それでも」と声に出していた。

「やらなきゃならない。僕らが、カルマを倒す」

『その意気だ』とFが応じる声を出した。

『君達のような若い意思がある限り、希望は潰えない。また作戦概要を提示しよう。RH計画の阻止。そのためならば、ワタシはいくらでも協力を惜しまない。志すものは同じだと信じている。ユウキ君、レナ君、ワタシのプラン通りに動いてくれれば、君達の身の安全は保障する』

 逆に言えばプランに反した行動を取ればいつでも切り捨てる、と暗に言っているようなものだった。ユウキは渇いた喉に唾を飲み下す。Fとの関係性は危うい均衡の上にある。こちらが打つ手を一つでも間違えれば、Fは即座に判断を下すだろう。それを理不尽だと言う事は出来ない。理不尽の中から這い上がって、自分達は今、ここにいるのだから。

『君達には逆境の運命を強いる事となるだろう。しかし、これを突破出来なければ、君達はワタシの下へと辿り着く権利さえない。どうか向かい風の中でも生き続けるだけの強さを持っていて欲しい』

 それは願いだろうか。はたまた強制だろうか。どちらとも取れる言葉を発して、Fは、『そろそろ時間だ』と言った。

『今回手に入れたRH計画の資料の送信を確認した。君達にはこれからもRH計画に関するデータを手に入れてもらいたい。それが恐らくは最も早く、ボスに辿り着く手立てとなるはずだから』

 δの文字が消え、モノリスが「通話終了」の文字に掻き消される。ユウキは息をついて、「ボスに辿り着く手がかり、か」と呟いた。レナはコーヒーをすすりながら、「理想論ね」と口にする。

「Fが裏切らない保障はどこにもない。それなのに、あたし達は愚直にFの指示に従っている。これがどれほど危険な綱渡りか。向こうはこっちの正体も、潜伏場所も知っている。フェアゲームなんかじゃないわ。とんだアンフェアよ」

 レナは、「まずいわね」とカップを置いた。ユウキが質問する。

「それはコーヒーが? それともこの状況が?」

「両方よ。状況は最悪に近い。あたし達はウィルに手持ちが割れているし、相手取るにもこちらが情報面で一足先に出ているからこそ有利に立てているだけ。一手でも後手に回れば、あたし達は確実に負ける。あたしは絶対、拷問されるのなんて嫌だからあんたの情報は真っ先に売るわよ」

「僕だって嫌ですよ」

 ユウキは応じながら、この戦闘状況で最も得をしているのは誰かと考える。恐らくはカルマとFだ。この二人が結託していないのが唯一の救いだろう。いや、もしかしたら裏では結託しているのかもしれない。だとすれば、最初から自分達の反逆など意味がない事になるが、半年間も逃げおおせているという事実から鑑みて、情報漏えいの心配はないだろう。Fは秘密を守っている、という事になる。

「僕は少し休憩します。レナさんは」

「あたしは今回のデータの解析。多分寝ないから、勝手に眠っていて。おやすみ」

 片手を振ってレナが端末に向かい合う。自分の戦いが表に出てポケモンで戦う事ならば、レナの戦いはこれからだ。その戦いの邪魔になるようではいけない。キーリは端末に向かったまま顔を振り向けもしない。彼女も集中状態に入っているのだ。

「分かりました。おやすみなさい」

 ユウキは部屋の奥にある通路を渡り、硬いベッドの待つ仮眠室に向かった。まるで牢獄のように薄暗い。ユウキはライダースーツを脱いで、ベッドに寝転がった。

 唯一の光源である白熱電球を眺めながら、ユウキは、「もう半年、か」と呟く。半年間、変化は否が応でも訪れる。ユウキは少しばかり背が伸びたし、戦い方も変わった。

 Fによって指南された戦い方が、ユウキに多数対一の戦いを組み込んだ。より多くの敵を、どれだけの速度で、どれだけ手早く片付ける事が出来るか。ユウキは自分自身が変化に強いとは思っていない。むしろ、変化には弱いほうだ。ブレイブヘキサにいた頃は、ランポというリーダーを頼ればよかった。しかし、今は誰も頼れない。誰にも打ち明ける事の出来ない戦いを繰り広げなければならない。しかもそれは世界の敵となる行為だ。かつてのヘキサと何が違う、とユウキは問い返して、「やめよう」と首を振った。寝返りを打って瞼を閉じる。目を瞑ると半年前の出来事が、鮮やかさを伴って蘇ってきた。



オンドゥル大使 ( 2014/03/23(日) 21:01 )