ポケットモンスターHEXA BRAVE












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Rebellion
第七章 一節「反逆者」
 ネオンサインに混じって羽毛のような白い雪がちらついていた。

 ネオンの色を引き移した雪が様々に色を変える。

 その身に纏っている色だけでも千差万別、雪は人々の頭上へと平等に降りしきる。

 天からの贈り物である雪をその時、突風が引き裂いた。

 黒い突風である。纏わりつくようなネオンを振り切り、速度を増した黒い風の正体は中型のバイクだった。

 車輪が凶暴な音を響かせて道路を噛み砕き、前傾姿勢になって跨ったライダーのヘルメットにはネオンの色が流れている。行き過ぎていく色を振り払う様はまさしく旋風である。

 どの色にも染まることなく、黒いバイクはハリマシティの高速道路を駆け抜けていく。その背後へと追いすがる特殊車両があった。車体にWの白い文字が刻まれている。赤いパトランプを有しており、有事である事を告げていた。その車がスピーカーをハウリングさせながら、前のバイクへと呼びかける。

『こちらウィルβ部隊である。止まれ。止まらなければ攻撃も躊躇わない』

 その声を意に介せず、バイクは止まる気配を見せない。さらに速度を上げるバイクへと特殊車両が追いかける。下の道路から新たに同系統の特殊車両が合流し、三台の特殊車両がどっぷりとした体躯に似合わない速度でバイクを補足する。投光機を持った鳥ポケモンが空中に展開し、黒バイクを照らした。特殊車両の助手席に納まったサヤカは、セミロングの髪をかき上げながら、「別働部隊に通達」と無線機へと吹き込んだ。

「対象は三十六番高速道路を北上中。五百メートル先にバリケードを張っておくように。首尾は?」

『つつがなく、サヤカ一等構成員』

 返答の声に、「結構」とサヤカは応じた。視線の先に黒バイクを捉える。あれをこのまま逃がすわけにはいかない。今日こそ捕らえなくてはならないのだ。サヤカは無線機の周波数を変えて、「目標の速度が思ったよりも速い。各員、気を引き締めろ」と告げた。『了解』の復誦が返ってくる。サヤカが息をつくと、運転を任せている部下からの声を聞いた。

「サヤカさん。あれは、何のつもりなんでしょうか?」

 心底理解出来ないのだろう。サヤカは顔を振り向けた。緑色の制服を身に纏い、胸には「R」を反転させたバッジがあるが、肩口には「WILL」の白い縁取りがある。相反した意匠を身に宿した部下は半年前に入隊したばかりの三等構成員だ。サヤカは頬杖をついて窓の外に目を向ける。威圧するようなビル群が並び立ち、道路を走る自分達を見下ろしている。

「あれは私達には理解出来ない思考体系で動いている敵よ。そう考えるしかないわ」

 その判断が精神衛生上、最も好ましい事は目に見えている。敵に理由を求めるな、というのはかつてのウィルであった頃からの教えだ。しかし、新生ウィルになってから入った部下には今一つ通じなかったのだろう。彼はハンドルを握ったまま首をひねった。

「分からないです。奴は、何故こんな無茶をするのか。たった一人で、ウィルに対抗出来ると思っているんでしょうか?」

 それこそ愚問というものだろう。たった一人で出来る事などたかが知れている。サヤカは、「状況を掻き乱すつもりなのよ」と返した。

「それこそが敵の目論見。それにはまったらお終いよ。状況に呑まれない事ね」

 敵、と口にしてから、本当にそうなのだろうか、と自問する。組織が敵と断じたものは本当に敵だろうか、といつも考えてしまう。

 八年半前、ディルファンスにいた頃に考えた悪癖だ。ヘキサとの最終決戦の場で独自の判断を迫られた。その時に、自分は自分の心に従ったものだが、今もその志は生き続けているのだろうか。敵という判断に疑問を挟まず、私情は含まず、ただ淡々と排除する側に回ってしまった自分は、果たして正しいのだろうか。そこまで考えて、ナンセンスだと言う一語で振り払った。今はウィルに所属する一兵士だ。正しい、正しくないの議論は上が判断するのであって、自分のような歯車が判断する事ではない。それでも考えずにいられない性分になってしまったのは、ヘキサという地獄を見たからか。あの地獄をもう二度と再現させてはならない。だから悪の芽は早めに摘まねばならないのだ。今は、その行動の一端である。

 そう断じ、サヤカは黒バイクの動向を探った。黒バイクはオレンジ色のライダースーツを身に纏っている。まるで追いかけてくれと言っているようなものだ。サヤカは指示を飛ばした。

「β部隊構成員に告ぐ。圏内に近づいてきたら一斉包囲。絶対に逃がすな」

 その声に返ってくる言葉はない。β部隊の構成員は、皆、特殊車両の中で息を殺して待っている。戦闘の準備をして。サヤカは黒バイクの行く手に、即席型のバリケードが張り巡らされたのを見た。牢屋のような赤い光の線が立ち上って行く手を阻む。

 黒バイクが車体を横滑りにさせてバリケードの直前で急停車する。しかしエンジンを切る様子はない。まだ抵抗するつもりなのだろうか。特殊車両が前門の守りを固めるように停車して、サヤカは車から降りた。それと同時に車両の後部が開き、中から緑色の制服を身に纏った人々が現れた。全員、ウィルの構成員だ。

 モンスターボールをホルスターから引き抜き、攻撃態勢に移る。銃を突きつけるようにモンスターボールを構えた。統率された動きは、サヤカが攻撃の指令を出した瞬間に攻撃へと転じる。取り囲んだウィルの構成員達を見やってから、サヤカは声を出した。

「この状況で逃げられると思うな。無駄な抵抗はやめて大人しくするといい」

 黒バイクに跨ったライダーは答えない。フルフェイスの黒いヘルメットからは表情など窺えなかった。腰にモンスターボールの入ったホルスターを提げている。しかし、それに手をやる前に、こちらの攻撃命令が行き届くだろう。黒バイクに勝ち目はない。

「投降しろ」

 サヤカが再び声を発する。鳥ポケモンが投光機から光を放つ。円形の光に照らし出されたライダーは完全に包囲されているように見えた。後ろはバリケード越しの構成員で固められ、前は特殊車両と二十人を超える構成員だ。この包囲網から逃げ出せるはずがない。

「ポケモンも出さずに勝てると思うな。我々は貴様を拘束する権利がある」

 そう告げると、ライダーは肩を揺らし始めた。笑っているのだ、と知れた時、怖気と共にサヤカは訝しげな眼差しを向けた。

「何がおかしい」

「ポケモンも出さずに、と言いましたよね」

 ライダーが初めて声を発した。その声の意想外の若さに辟易しつつ、サヤカは、「それが」と口を開く。

「どうしたと――」

「既に出しています」

 その言葉が響き終わる前に構成員の一人が吹き飛ばされた。見えない壁に突き飛ばされたかのように次々と構成員達が後ろへと弾かれていく。サヤカは予め教えられていた対象のデータを脳裏に呼び出した。

「テッカニンだ! もう出していたというのか……」

 忌々しげに口走り、見えないポケモンを捉えようとするが、テッカニンはその素早さゆえに操るトレーナーでさえも苦心するポケモンだ。当然、夜の闇に溶けている高速のポケモンを炙り出すのはそう簡単な事ではない。ライダーはバイクに跨ったまま、いつでも走り出せる準備をしている。サヤカは指示を飛ばした。

「総員、攻撃に移れ。ポケモンの使用を許可――」

「遅い」

 その声が響き渡る前に放たれた声にサヤカは目を向けた。ライダーが天へと指を突き出している。指された先に奇妙な影が映った。黒と黄色の警戒色で塗り固められたポケモンだ。スカート状の下半身を持っており、そこから二匹、三匹と小さな物体が躍り出る。小ぶりな翅を震わせるそのポケモンの名をサヤカは知っていた。

「……ビークイン」

 呟いたサヤカはビークインが自分の手先であるミツハニーを身体から繰り出して何かをしようとしている事に気づいた。思わぬ伏兵に判断が鈍った瞬間、ビークインが身体から光を放射した。眩い光はミツハニーというレンズを通して拡散し、視界を一瞬ハレーションの中に沈ませた。サヤカが片腕を翳して顔を覆った直後、声が響く。

「テッカニン、バトンタッチ」

 高速の中に身を浸していたテッカニンが光となってライダーのモンスターボールへと戻り、代わりにその場に現れたのは土色のポケモンだった。虚ろな眼をしており、枯れ果てた枝葉を思わせる翅を有している。背中に亀裂があり、まるで既に死した遺骸のようだった。おあつらえ向きに天使の輪を頭につけたそのポケモンは泥のように黒く形状を崩したかと思うと一瞬で消え去る。

「ヌケニン、影打ち」

 ライダーの言葉が響き渡った直後、背後に気配を感じた。サヤカは咄嗟に投光機を持っている自分のポケモンに命じる。

「ムクホーク! ツバメ返し!」

 投光機を捨て去り、空中に展開していた鳥ポケモンのうちの一体、胸部に黒いM字の文様を描き、リーゼントのように尖った鶏冠を持つポケモンが急降下する。

 サヤカの手持ちであるムクホークは背後から現れようとしていた何かに急降下からの翼の一撃という刃のような攻撃を浴びせた。しかし、その攻撃が命中する前に、何かは素早く影の中へと没した。

 白い闇の中で何も見えないサヤカの耳にいななき声のようなエンジン音が響き渡り、すぐ傍を黒バイクが走り抜けていくのが分かった。サヤカがビークインの放った光が晴れたのを確認してハレーションの抜けた視界の中、黒バイクがいるであろう場所へと目を向けるが、そこには何もいなかった。もちろん、ビークインも既に撤退している。サヤカは周囲を見やった。構成員達は軒並みその場に倒れ伏していた。昏倒している者も中にはいる。

「今の、は……」

 部下が首筋をさすりながら身体を持ち上げる。それでも動きに支障があるのか、何度か頭を振って顔を拭った。ムクホークがサヤカの腕に止まる。サヤカは背後を振り向いた。黒バイクの姿は既に見えない。

「何が起こったんですか?」

 部下の言葉にサヤカは顔を振り向けて、「やられたわ」と声に出す。

「テッカニンを走行中に出していた。それに気づけなかった時点で、私達の敗色は濃厚だった。でも、それだけじゃない。こちらがバリケードを張る事を予期して、ビークインを先回りさせていた。ビークインのフラッシュでこちらの目を眩ませ、それと同時にフラッシュによって生じた影を利用して、ヌケニンの影打ちの連携へと持ってきた」

 ヌケニンの「かげうち」は相手の影を利用して、一瞬にして背後に回り先制を約束する技だ。

 夜の闇の中ではほとんど無効となるのだが、フラッシュによって焚かれた光が構成員達の影を浮き彫りにした。その影にバトンタッチで加速の速さを引き受けたヌケニンが潜り込んで構成員達の首筋へと攻撃を見舞った。自分は幸運にもムクホークによってそれを免れた結果になった。部下が首筋をさする。どうやらこの部下はヌケニンの一撃を受けても昏倒しなかったらしい。ガッツがあるのか、それともただの体力馬鹿か。ほとんどの構成員が呻き声を上げる中で、部下は口を開く。

「つまり、かなりの熟練度を持ったトレーナーっていう事ですよね。普通、フラッシュから影打ちのコンボなんて考えつかないでしょう。それにタイミングがずれたら終わりだ。恐らく、相当に綿密な計画を立てて、我々と相対したのでしょうね」

「袋のネズミに追い詰めたつもりが、追い詰められたのは我々の側だったって事ね」

 皮肉にもならない冗談にサヤカは周囲に視線を張り巡らせた。どうやら命に別状のある攻撃を受けた者はいないらしい。

「総員、立て直せ。追跡は続行不可能と判断」

「サヤカさん。しかし……」

「この状況で追えというのは無理があるし、もう逃げおおせているでしょう。私は隊長に報告するから、後の事は任せるわ」

 サヤカの断固とした言葉の数々に部下は閉口したが、やがて挙手敬礼を返して、「大丈夫か?」と昏倒した構成員の介抱に向かった。サヤカはポケッチの通信機能を開き、β部隊の隊長へと繋ぐ。

「隊長、こちら追跡部隊です」

『あー、サヤカちゃん? 今、どうしてるの?』

 相変わらずの腑抜けっぷりにサヤカは怒鳴り散らしたくなったが、体面上我慢する。

「どうしてるも何も、対象に逃げられました。隊長は詰所で待機している予定でしょう。隊長こそ、何しているんですか?」

 うっ、と声を詰まらせた通信越しの相手に、サヤカは畳み掛けるように声を放った。

「まさか、待機命令を無視していたんじゃないでしょうね?」

『無視なんてしてないって。ただ、退屈だったからさ。ジュースを買いに行っていたんだよ。そしたら、今、サヤカちゃんから電話来るじゃん。俺、焦るじゃん。ジュース零すじゃん。……全く、踏んだり蹴ったりだ』

「それは災難でしたね。でも、こちらはもっと災難ですよ」

 サヤカは昏倒した構成員達を見やり、ため息を一つついた。それを鬼の首を取ったかのように通話越しの声が弾ける。

『おっ、サヤカちゃん、ため息ついたね。サヤカちゃんでも憂鬱な時はあるんだ?』

「ええ、主に隊長のお世話をする時とかですかね」

 返された声に、『きっついなー』と笑い声が上がった。サヤカは前髪をかき上げて、ふぅと息をついてから、真面目な声になった。

「カガリ隊長、申し訳ありませんでした」

 その言葉に少しの沈黙を挟んでから、『謝らないでよ』と声が発せられた。

『サヤカちゃんの手腕は皆、知っている。それでも出し抜かれたって事は、相手は相当だって事だ。この数週間で何件だっけ?』

「もう五件です。五つの我々に関係する建築物に襲撃がくわえられております」

 ほとんど一週間に一件の割合で相手はこちらへと仕掛けてくる。小競り合いになる事は少なくなかったが、今夜のようなカーチェイスになる事は稀だった。追い詰めた、と感じていた。しかし、その実は相手の演出、掌の上だったという事だ。その事実にサヤカは歯噛みする。何も出来ないのかと、無力な自分を実感する。

『相手の目的は何なんだろうねぇ』

「データが奪われているようですが、何のデータなのかは我々には開示されないまま、知っているのは上層部だけですからね」

『言っておくけれど俺は知らないよ』

 カガリの言葉にサヤカは、「分かっていますよ」と返す。

「隊長は我々に隠し通せるほど器用じゃないでしょう?」

『何それ、馬鹿にしてる?』

「してませんよ。隊長は正直な方だと褒めているんです」

『サヤカちゃんに褒められて、嬉しいな。光栄だよ』

 そのような事は、本心では微塵にも感じていないだろうに。嘘八百が並べられるのもある意味では才能である。だからこそ、時勢の変化に対応してまだ隊長の立場を守れているのだろう。カガリは自分達が思っているよりも、ずっと賢しい子供だ。

「それは、どうも。しかし、逃がしてしまいました」

『誰も責めないよ。仕方がない』

 サヤカは道路の先を見据えながら、口を開く。白い吐息が常闇に溶けていく。

「反逆者、ユウキ」

 そう口にしたサヤカはポケッチを下ろした。



オンドゥル大使 ( 2014/03/18(火) 08:18 )