第六章 二十四節「虚栄の頂」
アマツがその言葉に身体をくねらせて向かおうとすると、カルマはアマツの頭部を踏みつけた。そのまま、同じ言葉を繰り返す。
「戦闘中止だ。ウィルは戦闘不能と判断する」
アマツが喉の奥から声を発する。しかし、唇が開けないためにそれは無意味な呻きとなった。ポケッチから各部隊の困惑の通信が返ってきた。
『戦闘中止って、どういう意味だよ、アマツさん! 俺達がせっかく、戦線を切り拓いたのに!』
『こちらε部隊、カタセ。その言葉の意味が理解出来ない。今、こちらは優勢にある』
民衆の叫び声が混じって聞こえてくる。まるで恐れ戦くかのような声だった。
「言葉通りの意味だ。これ以上戦闘継続の意味はないと判断する。これはリヴァイヴ団との特殊提携関係が結べた事に由来する」
『何だって?』
『それはどういう事か?』
他部隊からの質問を打ち切るようにカルマはポケッチの電源を切った。アマツを見下ろして、鼻を鳴らした。
「無様な。まぁ、本当の事だろう? リヴァイヴ団との特殊提携関係、いわゆる停戦協定という奴だ。それを自分の身を犠牲にして結んだα部隊の隊長。何と涙ぐましい事か。努力は必ず実を結ぶのだという証明になるな」
カルマは高笑いを上げた。高い天井へと吸い込まれていく。何が努力か、何が仲間意識か。そのようなものは覇者のごとき力を持つ者からしてみれば全く意味など成さない。
「俺は常に勝者だ」
アマツに言い放ち、カルマはマスターボールをデオキシスに向けた。デオキシスが赤い粒子となって吸い込まれ、カルマはまだ倒れ伏している蛙顔へと近づいた。蛙顔の肩を揺さぶると、ようやく気づいたのか、「ここは……」と寝ぼけた声を出した。
「しっかりなさってください」とカルマが言うと、「そうだ! レナ・カシワギの引き渡しは」と今さらの事を蛙顔は重要そうに口にした。カルマは忌々しげに思い出す。あの裏切り者の団員、ユウキとレナは恐らく逃げおおせた。こちらから追う手段がないわけではないが、それは準備を済ませてからだ、とカルマは自分を納得させる。
「レナ・カシワギはリヴァイヴ団をユウキという団員と共に裏切りました。逃亡を許すまいとしたのですが、ウィルの邪魔立てに遭いまして」
「そこに倒れているのは?」
蛙顔がようやくアマツの存在に気づく。カルマは自身の胸元に手をやって言う。
「このわたくしが、ウィルの隊長を何とか下しました」
「そう、か。よくやったな」
蛙顔はカルマがリヴァイヴ団のボスなど露にも思っていないのだろう。その声音は信頼出来る部下に対するものだ。
「ウィルは勝てないと知るや停戦協定を持ち出してきました。恐らくはランポ様の演説は期待していたほどの成果を得られなかったでしょう」
ウィルも本気だったのだろう。アマツがここまで深く潜り込めた事が、リヴァイヴ団の演説がうまくいっていなかった事と、同時に情報が漏洩していた事を示している。
「そうか。私としてもそれは、残念だな」
蛙顔が顔を拭って頷いた。張りぼてのボスに期待してどうするというのだろう。それよりも、いい条件が結べた事を喜ぶべきだった。
「停戦協定と共にウィルの総帥と会談出来る機会を得ました。これは好機です」
「何だと?」
「わたくしに考えがあります。会談自体は、α部隊隊長を使えば容易に可能になるかと。もちろん、話すのはランポ様ですが」
ランポには思い描いているシナリオを進めてもらう、理想のボスとして君臨してもらわなくてはならない。そのためには今回の演説である程度の成果を得る必要があったが、新都での演説はほぼ失敗したと考えてもいいだろう。
テロリストの妄言と切り捨てられかねないこの状況下で、武器に出来るのはα部隊隊長の身柄である。果たしてウィルがどれほど構成員に意味を見出しているか。既に戦闘不能となっている構成員の身柄など意味がないと言われてしまえばそれまでだ。
カルマは考えを巡らせる。どうすれば、アマツの価値を保持したまま、対等条件のカードとして利用出来るか? デオキシスを見られた以上、口を封じる事を優先してしまったが、アマツにはまだ利用価値がある。だから殺さなかったのだ。蛙顔は少し考えるように継ぎ目のない首筋を撫でた。
「ランポか。彼の了承だけでは無理があるだろう。ウィルの総帥と会談するに至るには難しいのではないか?」
「その困難を、何とかしたいはずなのですよ。ウィルもね」
「というのは?」
カルマは慎重に言葉を選んだ。ここで過ぎた事を言えば、ボスだと蛙顔にも露見する事となる。かといって、進言しなければランポとウィル総帥の会談など夢のまた夢だ。無能な部下を演じつつも、事態に直面にした時の聡明さを見せなければならない。
「ウィルは、今回のリヴァイヴ団演説の火消しを行いたいはずです。ハリマシティと近郊の町だけとはいえ、カイヘンの民にとってはヘキサの再来を予感させるものだったでしょう。ウィルにとって最もあってはならないのはヘキサのような組織の台頭。何としても、リヴァイヴ団を潰したいはずです」
「それは、そうだろうね。だからこそ、ダミー部隊を用意して本隊の被害を最小限に留めたのだが」
「しかし、今回、ウィルとしても強硬な手段に出過ぎた。先ほどα部隊の隊長による通信でそれを確信しました。ウィルもこのままでは世間のバッシングは避けきれない。それを最低限にするにはどうすればいいか」
「どうするのだね?」
カルマは苛立ちを覚えた。少しくらいは自分で考えればいいものを。しかし、口には出さない。カルマは少し間を開けて息を吸い込み、決心したように口にした。
「ウィルとリヴァイヴ団が手を組むのです」
「何と……」
蛙顔は絶句して驚愕に目を見開いた。カルマの発した言葉があまりにも突飛に聞こえたのだろう。しかし、この状況でどちらの利害も一致するものである事をカルマは説明した。
「よく考えてみてください。我々の目的、ボスの目指すところはあるべきカイヘンを取り戻す事。つまりカイヘンの自治独立です。ウィルはカイヘンの自治を断固として許さなかった。それはカントーがカイヘンを属国として従えたいがため。しかし、今やカイヘンの価値は落ちるところまで落ち、属国の維持もままならぬ状況。カントーからしてみればごくつぶしの地域でしょう」
「ふむ」と蛙顔が神妙な顔をする。カルマはあくまで客観的な意見を言う部下を装うとする。
「カイヘンに首輪をつける。それが当初のウィルの目的でした。しかし、飼い犬根性が既に骨の髄まで染み渡っているカイヘンの民は、調教の期間は過ぎたのです。今は、むしろ野に放つべきだとわたくしは考えます。野に放つべき、と主張するのがリヴァイヴ団。つまり、ウィルという組織よりもカントーという大元の意見と我々の意見は合致しているのです」
「だが、カントーがそれを認めるかどうか……」
不安げな蛙顔に、「認めさせるのです」と強く主張した。
「カイヘンの独立、ひいてはリヴァイヴ団の独立、それを認めさせるために一度手を組むべきなのです」
「独立のために手を組むのか? それは無理があるのではないか?」
蛙顔の意見にカルマは舌打ちを漏らしそうになる。これだから頭の回転が遅い人間は嫌なのだ。
「独立を最初の条件として持ってきたわたくしの言い方も悪かったですが、まずはウィルに向こう側のほうが得るものの大きい事実を認めさせる事です。実際、ウィルの得るものは多い。反政府勢力の排除、治安の維持、独立治安維持部隊が機能しているという証明、カイヘンという地域にまだ価値があると思わせられる。何よりもウィルは、リヴァイヴ団のボスを闇から引きずり出す事を求めているはず。今回、ランポ様ですがボスの姿が公に現れました。これによって、ウィルはリヴァイヴ団という組織に対してテロリズムによる報復以外の措置を取れるという選択肢が広がったのです」
「それは、対話という意味かね。組織のトップ同士の」
ようやく意図するところが見えてきたらしい。ため息をつきそうになりながら、「その通り」と声を発した。
「それを会談という形に持っていくために必要なカードが、彼です」
床に倒れ伏しているアマツを顎でしゃくって示す。蛙顔は震えた。
「死んでいるのかね?」
「いえ。生きています。まだ数日は生き永らえるでしょう。わたくしの提案といたしましては」
そこで言葉を切る。蛙顔の反応を見るためだ。蛙顔はすっかりカルマの言葉に聞き入っていた。
「彼に瀕死の重傷を負わせたのが、裏切り者のユウキ、という事にしましょう」
「裏切り者に罪をなすりつけるのかね」
「なすりつけるとは」とカルマは蛙顔を見つめた。蛙顔が僅かに怯んだように顔を引きつらせる。
「人聞きの悪い。そうすれば全ての糸がユウキに繋がるでしょう。リヴァイヴ団を裏切り、道を塞ぐウィルの隊長を瀕死に追い詰めた、いわば共通の敵。彼がどちらの利益にもならない存在だというのは明らかです。レナ・カシワギの知識も持っている……」
今、一番焦っているのはカルマだ。それを悟られてはならない。レナにデオキシスを解析され、ユウキが復活して立ち向かってくる。最悪のシナリオだった。そうなれば築き上げてきた王国が台無しになる。
「なるほど。レナ・カシワギというボスに繋がる重要人物の存在は、確かに厄介だ。それをウィルに売られでもしたら」
「売られる前に、こちらが手を組むのです。そうすれば、ウィルとリヴァイヴ団でユウキを追える」
「しかし、対面的にはどうするのだね。敵対組織が手を組むというのは」
「表向きには、ウィルはリヴァイヴ団を駆逐した、というシナリオでいいのではないでしょうか?」
「それは、リヴァイヴ団の解散を意味しているのかね」
蛙顔が頬を引きつらせてアーボックの杖をついて詰め寄ってくる。カルマは落ち着き払って、「いえ」と言葉を発する。
「リヴァイヴ団は解散しません。しかし、表舞台からは消えたほうがいい。それは確かでしょう。ここ最近、リヴァイヴ団は目立ち過ぎている。むしろ、元に戻ると考えていただきます。リヴァイヴ団は闇の組織として、ウィルの傘下に加わる」
「ウィルが、リヴァイヴ団を特殊部隊のように扱うと」
結論が見えてきた。カルマは一つ満足気に頷いた。
「そうです。ウィルという組織にとって、それが最も賢い選択でしょう」
蛙顔は少し思案するようにだぶついた首の肉をさすった。カルマはそれ以上、何も言わなかった。過ぎた事を言えばボスだと勘繰られる。これでもかなり無茶な進言をしたが、これほど念を押して言わなければリヴァイヴ団の総意とは思われないだろう。蛙顔は、「ふむ」と頷いた。
「いいだろう。これをランポ、いやボスに進言しよう。会談の場は、どうやって設ける?」
「α部隊の隊長の引き渡し。それを会談の条件にすればいいでしょう。場所は向こうが有利なほうがいい。ウィルの本部が理想でしょうね」
「なるほどな。そうと決まれば早速動き出さないわけにはいかない」
蛙顔は歩き出し、アマツを杖の先端でつついた。生きているのかの確認だろう。アマツは僅かに呻き声を上げた。
「カルマ」と名を呼ばれて恭しく頭を下げる。
「α部隊の隊長が死なないように見張っていろ。これは重要任務だ」
「は」と素直に了承し、カルマは扉の向こうへと消えていく蛙顔の背中を見送ってから、口元を歪めた。
慌しく人々が行き交う。まるで自分など見えていないようだ、とランポは感じた。
これでは本当に張子の虎ではないのか。スタジオセットが組まれた向こう側で団員と思しき人々は何やら小言を交わしている。その一言一言が突き刺さるようで、ランポは身を硬くした。これでボスをやろうとしていたのだから我ながら笑えてくる。その中の一人、猫背の団員がランポへと歩み寄ってきた。
「ボス、たった今、入電が来ました」
そうだ。この団員の前では自分は真実、リヴァイヴ団のボスなのだ。そう思うと何やら奇妙な感覚に囚われた。つい先日まではコウエツシティでチンピラの尻拭いをしていた人間に対して総本山の団員がぺこぺこ頭を下げている。奇怪だ、とランポは感じる。
「上まで来るようにとのお達しです」
上、とはランポに偽装の計画を告げた蛙顔の事を言っているのだろう。ランポは佇まいを正して、「分かった」と告げた。
「案内します。こちらをどうぞ」
どうやら猫背の団員がそこまでの道案内を務めてくれるようだ。恐らくはランポより通常ならば位が上である猫背の団員に引き連れられ、ランポはエレベーターホールまで歩いた。そこでちょうど降りてくるエレベーターがあり、扉が開くと蛙顔が目の前に現れたランポに目を丸くして驚いた。
「ちょうどこれから呼ぼうと思っていたのですよ」
蛙顔まで敬語を使うのは団員達にボスだと信じ込ませるためだろう。猫背の団員と別れて、ランポは蛙顔と共にエレベーターを上がった。狭い箱型空間の中、蛙顔は前を向いたまま口を開いた。
「これから君に、リヴァイヴ団のボスとしての指令を与える」
「指令、ですか」
元の立場へと逆戻りして声を強張らせる。蛙顔は、「そうだ」と口にした。
「ウィルの総帥と君は会談し、停戦協定を呑んで提携関係になってもらいたい」
ランポは目を白黒させた。「何ですって?」と聞き返し、ランポは尋ねる。
「停戦協定? それはいつ結んだのです」
まさしく寝耳に水の言葉に、蛙顔は肩越しに視線をやった。
「先ほどね。ウィル、α部隊がこのビルへと潜入していた事が発覚した」
重々しく口火を切る。それは驚愕すべき内容だった。ウィルα部隊隊長、アマツがこのビルの最上階へと難なく潜入し、レナ引き渡しの場において交戦状態に陥ったというのである。しかし、ランポの真に驚嘆した事実は蛙顔が発した次の言葉だった。
「α部隊隊長をその場に居合わせたユウキが瀕死の重傷を負わせたが、彼は同時にある企みを持っていた。レナ・カシワギの誘拐だ」
心臓を鷲掴みにされたような心地だった。それは自分が誓った事、とはもちろん言えない。ランポは、「そんな……」と今しがたその事実を聞かされた風を装わなければならない。
「レナ・カシワギを誘拐し、ウィルに重傷を負わせた彼をウィルとリヴァイヴ団は共通の敵として認識する事とした」
「ちょっと待ってください。ユウキは、何の考えもなくウィルに楯突くような奴じゃ――」
「現にそうだったんだ。割り切りたまえ」
断固として放たれた声に、ランポは言葉を喉の奥で飲み下す。これ以上口にすればぼろが出る。それはユウキとの誓いを何よりも台無しにする行為だ。お互いに誓ったはずだ。相手がミスしても見捨てろ、と。
「ユウキは、どうなるんです」
「裏切り者だ。レナ・カシワギの情報をウィルに売られる前に、我々はウィルと手を組む事のほうが賢明だと判断した」
「敵の敵は味方、という理屈ですか」
蛙顔は振り返る。すると、エレベーターの扉が開いた。豪奢な造りの最上階へと辿り着く。二体のポケモンの彫像が向かい合っており、威圧的な印象を与えた。赤いカーペットが敷かれている。先ほどまでいたビルと同じ建築物内にあるとは思えなかった。エレベーターの前にもう一つ、人影を見つけてランポは目を見開く。それは蛙顔の従者である紳士だった。
「今回のシナリオはカルマに考えてもらった」
従者の名前はカルマというらしい。今、初めて知ったランポは恭しく頭を下げるカルマを横目で見ていた。
「カルマ。アマツは」
「あの状態では何も出来ないでしょう。一応、ムシャーナの金縛りで足を動けなくしておきました」
「上出来だ」
何が話し合われているのかランポには分からない。しかし、ただならぬ事だという確信はある。
「ついてきたまえ。これが、我らのカードだ」
ランポは蛙顔とカルマの後ろに続いた。すると、廊下の突き当たりに真鍮製の取っ手がついた扉があった。
扉が開かれる。すると、強烈な鉄さびの臭いが鼻をついた。思わず顔をしかめると、奥の壊れた執務机の前に紫色の煙を発するポケモンと人影らしきものが見えた。胎児のように丸まって昏睡しているポケモンはムシャーナだろう。踏み込むと、ランポにもようやくその人影の全貌が見えてきた。その人影には両腕がない。肩口からばっさりと斬られている。両腕は少し離れた場所に無造作に転がっている。
人影は首を項垂れさせて荒い息をついている男だった。よく目を凝らせば唇が融けて溶接されたようになっている。この男は呼吸すら満足に出来ず、さらに両腕を斬られた痛みに呻く事すら出来ないのだ。地獄の責め苦とも思える光景を直視したランポは思わず息を呑んだ。
「この、男は……」
「ウィルα部隊隊長、アマツ。単身で乗り込んできたようだ」
蛙顔が口にする。だとすれば、先ほどの話にあったユウキが交戦状態に陥った隊長とはこの男なのか。しかし――、とランポは思う。肩口からばっさりと斬り捨て、さらには呼吸すら奪うというやり方はユウキの戦闘だとは思えなかった。
「これを、ユウキが……?」
確認の意を込めてもう一度尋ねると蛙顔は重々しく頷いた。そんなはずはない、とランポは知っている。ユウキの手持ちはテッカニンとヌケニンだ。退化の能力を使ったとしても、さらに能力の劣るツチニンである。
――ユウキではない。
ランポの中でその確信が強まった。このような悪辣な拷問をユウキがするはずがない。しかし、上官二人の前ではそのような感情など霧散した。自分がユウキの何を知っていたとしても、意味がないのだ。
「ユウキは、レナ・カシワギを連れ去り、その情報を利用してウィルとリヴァイヴ団、両方を相手取ろうとしている。恐ろしい事だ。瞬時に対応しなければならない」
言葉を発した蛙顔へとランポは顔を振り向けた。蛙顔は何の表情も浮かべていなかった。ただ、そうだと判断した眼を向けている。これは決定事項だと告げられていた。ランポの一存でどうこう変えられる事ではない。
「そこで我々はウィルと手を組む事とした。カルマ。ウィルに停戦協定は行き渡っているのか?」
「抜かりなく。恐らくは総帥レベルまで話は通じているかと」
いつの間に、と言う暇もない。既に話は抜き差しならない状況へと変わりつつある。最早、ボスとして演説した自分は立場を変える事など出来なかった。この状況にリヴァイヴ団のボスとして対応しなければならない。
「私は……」
ランポが弱々しく口を開いた。蛙顔とカルマが両方、ランポへと視線を振り向ける。ランポは目を伏せて言葉を発した。
――言うのだ、と自分の中の良心が告げる。これはユウキの仕業ではない。ユウキに全ての罪をなすりつけるためにリヴァイヴ団上層部が動いているのだ。
――本当の悪は。
ランポはカルマへと視線を向ける。カルマはモンスターボールを取り出し、ムシャーナを戻した。素知らぬ顔でランポの視線を受け流している。
「ランポ。どうしたのだね?」
蛙顔が促す。今言わねば、自分は一生卑怯者だ。ここでこのような人間達に揉まれて、自分も非道の道へと堕ちるのか。しかし、褒められた場所ではないとユウキに言ったのは自分自身だ。ランポはきつく目を瞑り、やがて声を出した。
「……リヴァイヴ団のボスとして、ウィルの総帥と会えばよろしいのですね」
言えなかった。
とてもではないが。
その悔恨が胸の中に充満していく。結局、自分とてこの連中と同じだ。自分かわいさに他人を犠牲にしようとしている。だが、これは責任だと逃れようとする自分もいる。既にこの身体も、発言も、自分一人のものではないのだと。ボスとして矢面に立つ覚悟をした時点で、自分の身はリヴァイヴ団という組織に捧げられたのだ。故に、この身体一つをとってしてみても、既に自分勝手に振る舞っていいものではない。
「よく決断してくれた」
蛙顔の声にランポは歯噛みする。喚き出したい気分だった。「お前らが、ユウキを陥れようとしているのだろう」と糾弾してやれればどれほど楽か。しかし、ランポはもうそのような心に従った発言さえも許されない。
「明日にはウィル本部で極秘の会談が行われる。ランポ、君は少し休みたまえ」
「仲間達の、安否は」
「追って連絡しよう。その仕事は我々の仕事だ。君はリヴァイヴ団ボスとして動きたまえ。今日の演説、とても満足いくものだった」
そのようなはずがない、とランポは抗弁の口を開こうとした。演説は失敗だ。うろたえる様子を見せてしまった。だが、何一つ言い返す事が出来ない。
「……ありがとう、ございます」
ランポは頭を下げる。蛙顔は片手を掲げ、「いい」と言った。
「ホテルまで手配しよう。カルマ。連れて行ってやって欲しい」
「分かりました」
カルマが頭を垂れて、ランポを促した。
「こちらです。車で向かいます」
「ウィルの襲撃に遭いませんか?」
「戦闘中止命令が出ているはずです。今の状態ならばホテルへと身を潜めるのに適しているでしょう」
身を潜める、という言葉にランポは、やはりそうなのだな、と納得した。自分はもうそのような立場なのだ。この命はリヴァイヴ団の人々の命と等価になってしまった。
表に停まった車に乗り込み、カルマが運転席に座った。ランポは窓の外を眺める。窓ガラスが割れ、死体が転がる様はまさしく地獄絵図だった。もうもうと黒煙が上がっており、その場所がダミー部隊の展開していたビルだと知るや、ランポは、「皆は」と口を開いた。
「大丈夫なのか?」
「被害は甚大です。しかし、ウィルはこの被害によって逆に雁字搦めになったと言えます」
淡々と告げるカルマに、ランポは、「どういう事ですか」と聞き返した。
「今回、ウィルは民間人を巻き込んでいます。その点でのバッシングは避けられないでしょう。今作戦でリヴァイヴ団を駆逐するする腹だったのでしょうが、あてが外れ、演説が無事に敢行された今となっては、ウィルは火消しに躍起になっているはずです」
「無事、か……」
自分の演説の至らなさに腹が立つ。ランポは骨が浮くほどに拳を握り締めた。何が無事なものか。あのような中途半端な演説一つのために、何十人何百人と死んだのだ。それを必要な犠牲だったと割り切れとでも言うのか。
「お気持ちはお察しします」
カルマの差し込んできた言葉にランポは顔を上げた。フロントミラーにカルマの顔が映っている。ランポを真っ直ぐに見据えていた。
「しかし、リヴァイヴ団という組織にとってはある意味で好機なのです」
「好機、とは」
「リヴァイヴ団はここ最近目立った動きをし過ぎている。ウィルも然りです。一度、初期状態に戻すのがお互いの組織にとって意味のある事かと思います」
「だから、会談を提案したのですか」
カルマが一瞬だけ、フッと口元を緩めたように見えた。しかし、それはすぐさま鉄面皮の中に埋没した。
「仰る通り。互いの利益の一致によって我々は安寧を取り戻し、なおかつ目的を達成する事が出来る」
「血塗られた安寧だと、私は思う」
犠牲を犠牲とも思わぬ言葉だ。まるで全ては予定調和だったかのような。ランポの内心を見透かしたように、「多くの犠牲を払いましたが」とカルマは続ける。
「血を流さずに自由を得る事など出来ません。もし、歴史の中に血の流れていない転換期があったとしたら、それはわざと見ないように目を逸らしているのです。目を覆い、耳を塞ぎ、無知な衆愚である事をよしとする。それが正しい事だと思いますか?」
「思いませんね」
ランポは即答した。それはただの無気力な人間か、あるいは全ての事柄に無関心を決め込んでいるだけだろう。衆愚という言葉がよく似合う人々だ。ある意味ではカイヘンの実情を捉えている言葉ではある。
「あなたは正直ですね」
「私の信条として、嘘は言わない、というものがあります。決して偽らない」
「なるほど。羨ましい」
しかし、その決意は先ほど自分で裏切ってしまった。ランポは苦渋に目を伏せる。信条を曲げたのは他ならぬ自分自身だ。
ホテルへと辿り着き、三日前と同じ部屋へと案内された。カルマが、「明日の朝に連絡を入れます」と告げる。
「会談にはスーツでお願いします」
「持っていません」
「準備しましょう。ウィルの総帥の耳には入っている事と思いますが、もしもの時もあります。その場合は時間変更も止むなしと考えてください」
「分かりました」とランポは了承して頷いた。カルマが部屋から出て足音が聞こえなくなってから、ランポは壁を殴りつけた。悪態をつき、叫び出したい衝動が眉間に強く皺を刻む。
「どうして言えなかった、ランポ!」
分かっている。責任と、上官に対する畏敬の念だ。状況に流された事もある。しかし、今までの自分ならば言えたはずだ。だというのに言えなかったのは、やはり変わってしまったからだろう。
両手に視線を落としてわなわなと視界を震わせる。拳を握り締め、「この力は」と口を開く。
「何のためにある。俺は何のためにボスの影武者になった。その先へと進むためだろう。なのに、俺は呑まれた。状況を変える言葉を発せられなかったのは、俺の弱さだ」
ランポは顔を覆って呻いた。獣のような声で、自身を責め立てるしかなかった。