ポケットモンスターHEXA BRAVE












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虚栄の頂
第六章 二十三節「デッドクエスチョン」
 頭蓋を割ろうとした一撃はまさしく光速だった。

 テッカニンでトレーナーを攻撃するよりも速い。避けきれない、とユウキが悟った瞬間、振るわれた攻撃が直前で止まった。ぼやけた視界を向けると、黄色い多角形の集まりが寄り集まり、壁となって攻撃を防いでいた。小ぶりの翅を震わせて、ミツハニーが防御壁を構成している。

「ビークイン、防御指令。間に合ってよかった」

 隣にいるレナが片手を掲げて口にした。ビークインが繰り出されており、スカート状の下半身から飛び出したミツハニーが防御の構えを取ってデオキシスの一撃を防いだのだ。デオキシスが後ずさり、細い触手を揺らめかせた。カルマが舌を打つ。

「ポケモントレーナーだったか。邪魔だな。デオキシス」

 カルマが片手を上げてパチンと指を鳴らした。その瞬間、デオキシスの形状が変化した。頭部が三叉に分かれ、両方の触手がオレンジと水色の螺旋を描く。触手の先端と頭部は尖っており、より攻撃的に身体を変形させているようだった。脚部にオレンジ色の表皮が至り、膝が水色に尖る。

「……変形、いや変身、した」

 信じられない心地でユウキが口にすると、カルマがユウキを見下ろして片手を振るう。

「アタックフォルム。防御指令の壁を突き崩せ」

 その声に弾かれたようにデオキシスは動き出した。速さは先ほどではないが、それでも常人では目で追えない。まさしく掻き消えたという表現が相応しいデオキシスの姿が「ぼうぎょしれい」の壁の前に降り立ち、触手を平行させて構えを取った。上下の触手の間で電磁が行き交い、緑色のスパークの光を押し広げる。レナが慌ててビークインへと指示を出した。

「攻撃指――」

「電磁砲」

 遮って断として放たれた声と共に、デオキシスの腕から眩いばかりの雷撃の砲弾が放たれた。防御指令で形作られたミツハニーが高出力の電磁で焼かれ跡形もなく消え去る。生き物の焼ける臭いが漂う中、悪鬼のように佇むデオキシスが眼窩の奥の鋭い眼差しを向ける。

 ――勝てない、とユウキは悟った。

 まともに戦ったところでデオキシスには勝てない。ならば、とユウキはまだ空気中にいるテッカニンへと指示を飛ばそうとする。今のデオキシスは先ほどよりも攻撃力では勝るが遅い。カルマのこめかみへと一撃を加えればこの場を逃げ切る事くらいは出来る。

「テッカニン!」

 叫んだ声に呼応してテッカニンが高周波の翅を震わせる。カルマは一つ息をつき、デオキシスを呼んだ。デオキシスがほとんど瞬間移動のようにカルマの背後に回る。しかし、それでもテッカニンの攻撃は通る。そう確信した、その時だった。

「変われ」

 その言葉でデオキシスの形状が変化した。頭部が沈み込み、首と胴体の境目がなくなる。触手が平らになり、重なってガムのような形状へと変形する。黒かった胴体にオレンジ色の表皮が至り、中央の紫色の球体が光ったかと思うと、デオキシスは変身していた。先ほどまでとはほとんど別形態だ。デオキシスはまるで宇宙飛行士のような姿へと変貌している。デオキシスがガムのような腕を前に回した。その瞬間、紫色の光がカルマを覆い、テッカニンの攻撃を弾いた。弾かれたテッカニンが身をよろめかせる。

「ディフェンスフォルム」

 デオキシスがその眼をテッカニンに向けた。ユウキは肌が粟立ったのを感じる。

 このポケモンは何だ? 変幻自在にその姿を変化させ、全ての攻撃に対応する。

 今まで感じた事のない恐怖に身が竦み上がりそうになった。デオキシスが再び鋭く形状を変化させようとする。このまま戦ってもテッカニンが消耗するだけだ。ユウキはテッカニンへとモンスターボールを向けた。赤い粒子がテッカニンを捉え、ボールの中へと吸い込んでいく。カルマが、「ほう」と感嘆したような声を上げた。

「勝てないと悟ったか。賢明と言えば賢明。だが、真に賢ければここに来るのではなかったな。賢しいだけの子供が玉座につけると思ったか? 真の敗北の原因は、自らの力を見誤った事だ」

 カルマがユウキを指差した。デオキシスが再び高速移動形態へと変身する。頭部が伸縮し、黒い表皮が露になる。ガムのようだった腕が細く絡まり、不必要な部分が胴体に仕舞いこまれる。次の一撃が来れば確実に命を奪われる。ユウキは死を覚悟した。

 ――ここまでなのか。

 ランポと誓った夢も、ミヨコとサカガミに約束した言葉も、圧倒的な現実の前では無力なのか。デオキシスがまさしく現実の象徴として立ち塞がる。デオキシスの身体から紫色の光が迸った。残像のようにデオキシスの身体を覆い、ぶれて影を成す。

「冥土の土産だ。最高の技で始末してやる。サイコ――」

 二重像を結んだデオキシスが身体を沈ませる。刹那、その言葉尻を裂くように電流が迸った。





















「何だ?」

 カルマは周囲を見渡した。デオキシスの攻撃を中断させた電流の元を探ろうとしたのである。デオキシスは目の前で突然電流が跳ねたものだから、一瞬だけうろたえた。その直後、扉が開いた。カルマが視線を向ける。ユウキとレナが振り返った。

 そこに立っていたのはパーカーを着込んだ男だった。肩口に「WILL」の文字がある。カルマは苦々しく口にした。

「ウィルか。しかし、どうしてここに……」

「長年の勘でね。怪しい場所には鼻が利くのだが、まさか当たりを引いたか?」

 男が口元を緩める。カルマが呆然と見つめていると、不意にビークインが動いた。ミツハニーをスカートから繰り出し、防御指令の壁を張りつつ、余ったミツハニーを使ってユウキを運び出そうとしている。カルマが、「させるか」と腕を振るった。デオキシスが追いすがろうとすると、突然、何もない空間から何かが引き出された。デオキシスが立ち止まって、現れた何かへと視線を向ける。それは家電製品だった。冷蔵庫や洗濯機、電子レンジに掃除機、それに扇風機である。それも旧式の使い物にならないような物ばかりだった。

「こけおどしか。そのようなもので」

 デオキシスが再び直進しようとすると、洗濯機から空気を割る水の砲弾が放たれた。デオキシスは咄嗟に飛び退いた。即座に反応出来るデオキシススピードフォルムだからこそ、出来る芸当だった。水の砲弾が壁を撃ち抜く。カルマはユウキ達を気にしていたが、男は脇を通り抜けていくユウキ達に一瞥もくれなかった。カルマが鼻を鳴らす。

「いいのか? そいつらもリヴァイヴ団員だぞ」

 その言葉にレナが肩をびくりと震わせる。しかし、男はあくまでカルマへと敵を見る眼を向けていた。

「いいや。たとえそうだとしても、敵意のない相手に刃を向けるような真似を私はよしとしない。それにこの状況、明らかに脅威度は目の前のお前のほうが高い」

 カルマは舌打ちを漏らす。ウィルならば手当たり次第に団員に手を下すかと思ったが、目の前の相手はそうではないらしい。カルマがデオキシスを出しているのも原因にあるのだろう。ユウキとレナの姿が家電製品の向こう側へと消えていく。これでは追撃の機会を逃す。

「デオキシス!」とカルマは叫び、デオキシスが弾かれたように動き出した。一瞬で光速に身を浸すデオキシスの動きを、しかし、電子レンジから放たれた熱気が遮った。壁のように電子レンジから炎が噴き出し、デオキシスの追撃を無効化する。

 デオキシスは体力が低い。そのため、一撃でも食らえば不利に転がる事は間違いなかった。身を翻し、デオキシスは地面に降り立つ。すると、今度は冷蔵庫が開き、中から空気を凍てつかせるほどの冷気が放たれた。デオキシスの細い身体が冷気で凍り付いていく。カルマは即座に判断を下した。

「デオキシス、ディフェンスフォルム!」

 デオキシスの頭部が凹み、首の境目が消えて腕がガムのように伸びる。一回り太くなった身体が防寒の作用をもたらしていた。しかし、ディフェンスフォルムでもデオキシスの体力そのものは変わらない。長期戦になれば不利なのは明らかである。男がデオキシスの変身を見て、「ほう」と感嘆の声を漏らす。

「見た事のないポケモンだが、フォルムチェンジを行えるのか。なるほど、脅威には違いないな。私の判断は間違っていなかったという事か」

 カルマは歯噛みする。男はポケモンも出さず、古ぼけた家電製品だけで自分を圧倒している。その事実が解せなかった。

「貴様は、何者だ」

 問いかけた声に男は肩口の「WILL」の文字を指でなぞりながら答える。

「ウィルα部隊隊長、アマツ」

 放たれた言葉にカルマは舌打ちする。まさかα部隊の、しかも隊長が相手だとは。アマツは片手をゆらりと持ち上げて、「お前は」と口を開く。

「何だと?」

「人に名前を聞いておいて自分は名乗らないのか? リヴァイヴ団とは矜持もないのだな」

 カルマはしかし、名乗るわけにはいかなかった。表ではランポがボスとして演説を行っている。自分がリヴァイヴ団を牛耳る真のボスだなどと言えるわけがない。何よりもそれを言ってしまえば、今まで積み上げてきたものが一瞬で瓦解する。

「ウィルの狗に名乗る舌は持たないな」

 カルマは口元に笑みを浮かべて見せたが胸中は穏やかではなかった。α部隊の隊長をどうやって撒くか。いや、この状態に至れば既に撒くという選択肢はない。背中を向けて逃げようにも扉はアマツの側にある。デオキシスを出しているところを見られた以上、生かしておくわけにはいかなかった。

 アマツは、「なるほど」と鼻を鳴らした。

「まぁ、構わない。手土産にそのポケモンのデータを持ち帰らせてもらう。お前の死体と共にな」

「それはこちらの台詞だ。ポケモンも出さずに嘗めた口を」

 カルマの発した声にアマツは笑い声を上げた。何だ、と怪訝そうに眉をひそめていると、アマツはカルマを見据えて口を開く。

「既に出している」

 カルマは目を見開いた。目の前に映るのは中古の家電製品だけだ。どこにポケモンがいるというのか。

「家電製品の中か」

「当たらずとも遠からずだ。しかし、一瞬で見抜けないのならば言及する事はお勧めしない」

 デオキシスをフォルムチェンジさせて手当たり次第に家電製品を壊す手もある。しかし、どこに潜んでいるのか分からない敵を相手にデオキシスの体力で持つのか。デオキシスは一撃離脱の戦法を取っている。長期戦や多くの敵を相手取るのは無謀というものだ。

 ――何よりも、とカルマは懸念事項を頭に浮かべる。

 デオキシスがこうやって自在にフォルムチェンジ出来る理由を相手に気取らせてはならない。秘密だけは絶対に死守せねばならないのだ。

「……致し方ないな」

 カルマは呟き、マスターボールをデオキシスの背中に向けた。

「戻れ、デオキシス」

 デオキシスの身体が赤い粒子となってボールへと吸い込まれる。それと入れ替わりにカルマは赤いモンスターボールを取り出した。緊急射出ボタンへと指をかける。

「いけ、ムシャーナ」

 光と共に弾き出されたのは胎児のように丸まったポケモンだった。形状は獏を思わせる丸みを帯びた姿で、背中は薄紫色である。目を閉じており、頭頂部からは紫色の煙が噴き出していた。アマツが、「エスパータイプのポケモン、ムシャーナか」とその名を呼ぶ。カルマは腕を振るった。

「ムシャーナ。煙に見せるんだ。未来を」

 ムシャーナの頭頂部から一際巨大な煙の帯が噴出する。アマツからは見えない位置で煙が揺らめき、蜃気楼のように歪んだ。煙の中に像が映る。

 ムシャーナは未来を予知するポケモンだ。普段はほとんど眠っており、特性「よちむ」として未来の姿が現れる。カルマはムシャーナの特性を利用して、未来を予知しようとしていた。これから起こるであろう、アマツの攻撃をその眼で見る。像が明確に結び、ほぼ五分間の未来を映し出した。

 そこに描かれていたのは攻撃を受けるムシャーナの姿だった。ムシャーナは全身に細かな切り傷を負っている。電撃の攻撃を受けているのか、身体を痙攣させ電流が体表を跳ねている。その電流の一部がカルマへと至っていた。カルマは電流によって肩口を鋭く焼かれている。これは起こり得るであろう未来だ。しかし、その未来を変える事が出来る。

 五分間の間にアマツのポケモンの正体を看破し、デオキシスでポケモンと、あわよくばトレーナー本体を仕留める。それを可能にするのがムシャーナによる未来予知とデオキシスの高速戦闘だった。ムシャーナはデオキシスに比べて打たれ強い。ちょっとした攻撃では沈まない上に、デオキシスと自分の間にある秘密も存在しない、ただのポケモンとトレーナーの関係だ。時間を稼ぐにはこれしかなかった。

「お前」とアマツが口を開く。カルマは心臓を鷲掴みにされたような心地になった。

「ムシャーナによって私の攻撃を予知し、先ほどのポケモンによる一撃離脱戦法を取ろうとしているな。ムシャーナは耐久型のポケモン。それを前面に出すという事は一つの推論を導き出す事となる。つまり、先ほどのポケモンは脆いという事」

 事実を突きつけられ心臓が収縮したのを感じた。しかし、表情に出してはならない。カルマは笑みさえ浮かべて、「さぁな」と言ってみせた。アマツが不審そうな眼を向ける。

「そして、もう一つ。先ほどのポケモンは本当に、お前にとっての切り札なのだろう。私のポケモンの攻撃が読めないにも関わらず逃げる素振りすらないという事は、先ほどのポケモンは何か重大な事を握っている。お前にとっても、このリヴァイヴ団という組織にとっても」

 カルマは覚えずぎゅっと拳を握り締めた。それを認めたアマツが、「今、拳を握ったな」と指摘する。

「やましい事がある証拠だ。どうやら秘密は本当らしい」

「言いがかりだな」

 カルマは余裕の笑みを崩さない。アマツは顎に手を添えて、よくよく考える仕草をした。今、攻撃出来れば、と思ったが相手のポケモンは依然分からない。ムシャーナで仕掛けてみるか、と考えた矢先に声が飛んでくる。

「ムシャーナで仕掛けようと考えているな。だが、それはきっと失敗するぞ。逆にお前は私のポケモンの正体が分からなくなる。まるで、そう煙に巻かれたように」

「どうかな」

 それこそ敵のブラフかもしれない。そう考えたが、カルマには判ずるだけの余裕もない。すぐにでもユウキを追わねばならない。たとえユウキが死んだとしても、まだレナが残っている。自分の秘密の一端を握る可能性のある人間はこの世に存在してはならないのだ。

 やはり、ムシャーナで先制を仕掛ける。それしか今、残されている方法はない。一秒でも早く、カルマがユウキ達を始末出来るようにするには目の前のアマツに構っている暇はない。

「ムシャーナ、サイコキネシス!」

 ムシャーナの目が見開かれ、ピンク色の瞳孔が収縮する。体表が紫色の光を帯び、段階的な衝撃波がアマツへと襲いかかる。トレーナー本体へと攻撃すればポケモンが必然的に守りに入る事となる。そう考えての攻撃だったが、その時、掃除機が不意に動き出した。低い駆動音を立てて掃除機が走り込み、ノズルから草を吐き出した。草は瞬く間に増殖し、深い緑の壁を作る。緑の壁がたわんで「サイコキネシス」の放つ衝撃を減衰し、空気の中に溶け込ませる。カルマには目の前の光景が理解出来なかった。

「炎、水、氷、電気と来て、草だって?」

 そのような複合タイプを持つポケモンは存在しない。少なくともカルマの常識では考えられなかった。団員達の様々なポケモンを見てきたが、今のカイヘン地方において所有出来るポケモンは二体までだ。当然、戦法にも偏りが出てくる。複数のタイプを競合させるよりかは、一つのタイプに固執したほうが強いという事も分かってくる。だから、一戦闘において、見られる攻撃はせいぜい見かけに準拠したタイプでなおかつ弱点を補うタイプの攻撃が一つは組み込まれている。

 その経験則から異なるタイプの攻撃だとしても三つが限度だと考えていた。それも攻撃技のみで三つというのも珍しい。だというのに、アマツのポケモンは最低でも四つのタイプを使い分けているポケモンとなる。しかし、ポケモンというのはタイプ一致、つまり自分の持つ属性と同じ属性でなければ技の威力が弱まるという性質を持っている。なので、タイプ一致技とタイプ不一致の技がぶつかれば、勝つのは当然タイプ一致だ。

「タイプ一致の技を相殺出来るのは……」

 カルマが息も絶え絶えに口にする。アマツは口角を吊り上げた。奥歯を噛み締めながら、カルマは目の前の現実を見つめた。新緑の壁がばらけて一陣の鋭い旋風となってムシャーナへと襲いかかろうとしている。「サイコキネシス」とぶつかっておいて全く弱まった様子が見られない。刃の鋭さを伴った緑色の風がムシャーナの無防備な背中へと降りかかった。

「タイプ一致だけのはずだ。なのに……」

 ムシャーナを無数の草の刃が切り刻む。表皮が裂けて血が滲み出した。ムシャーナが緩慢な呻き声を上げる。ムシャーナの予知する映像は切り替わる様子はない。少なくともあと三分の間に電流による攻撃が自分とムシャーナを襲う。

 ムシャーナは嵐の只中にあったように全身に切り傷を負っていた。血が滴り、ムシャーナは再び目を閉じた。

 頭頂部から噴き出す夢の煙は変わらない。同じ予知だ。違う点があるとするならば、アマツの家電製品の中にテレビが追加されている。ムシャーナでは変えられないのかもしれない、とカルマは感じていた。デオキシスを繰り出せばあるいは、と思いかけて、いや、と首を振った。デオキシスは切り札だ。もし、アマツを逃がした時のリスクを考えれば手の内を明かすべきではない。自分の秘密を知る人間をいたずらに増やす結果に繋がってしまう。そうなれば、面倒だ。いくらデオキシスが優れたポケモンであっても、ある一点の弱点を突かれればお終いである。その弱点こそが、自分とデオキシスの秘密に繋がっているのだ。

「何だ、この威力は。考えられる複合タイプは、草・炎・氷……、いや、そんなはずは!」

 頭を振って否定する。そのような事はありえないのだ。ポケモンの複合タイプは二つまでである。しかし、何をすれば威力を保ったままタイプを変える事が出来るというのだ。

 アマツは家電製品の向こう側で、「考えているな」と口を開いた。勝利者の余裕が既に見えている。

「私のポケモンのタイプを。言ったはずだ。攻撃すればより分からなくなると。迷宮に迷い込むのはお前のほうだ、リヴァイヴ団の団員。そうだ。せっかくだから、この時間。有効に使わせてもらおう。お前が組織でどのポストにいるのか」

 カルマは目を戦慄かせた。その反応を見て、アマツが鋭く観察する。

「なるほど、その話題には触れて欲しくないようだ。このような豪奢な部屋にいるという事はそれ相応のポストだろう。しかし、お前のような顔を私は見た事はない。ブラックリストには一通り目を通したのでね、覚えている。後ろに倒れている蛙のような顔の奴は見た事がある。確か、ボスの側近だったか」

 カルマが肩越しにまだ倒れ伏している蛙顔を見やる。彼が起き上がっても厄介だ。彼もカルマの正体こそ知らないものの、口を割られれば面倒な数少ない人間である。彼には自分の事は「ボスへと複雑なコネクションを持って入ってきた使える従者」程度にしか教えていない。もし、取り調べによって自分の正体が婉曲的に露見するような事があれば、またしても面倒事が増える。消すべき人間が増えれば増えるほどに、行動は雁字搦めになっていく。

 アマツはそんなカルマの思惑など露知らず、推理を巡らせている。

「お前のような顔はなかった。という事は、つまりだ。お前は表立った行動はしないタイプの人間。組織の幹部でありながら裏方。そういう人間が一番怪しいぞ、うん? そういう奴ほど腹に何を抱え込んでいるか知れたものではない」

 アマツが手を振り翳す。掃除機が駆動音を止めた。今、カルマは気づいた。掃除機のコンセントが入っていない事に。それどころかどの家電製品もコンセントが繋がっていない。だというのに、突然動き出す。まるでポルターガイストだ。

 空間から再び何かが引き出されていく。ピンク色の光を纏って出現したのは、古ぼけたテレビだった。ブラウン管と呼ばれるテレビで、茶色がかっている。その時、突然、画面にノイズが走った。電源が点いて砂嵐が浮かび上がる。カルマは確認する。コンセントはついていない。

「予知映像と同じ……」

 カルマは後ずさった。アマツが人差し指を向ける。

 テレビから電気が迸った。電流が床を這い進み、ムシャーナの直下に至る。ムシャーナはまともに電撃を受けた。ムシャーナの身体が震え、鳴き声が上がる。ムシャーナから跳ねた電流がのたうち、カルマへと蛇のように襲いかかった。カルマは身をかわそうとしたが、電流の速度のほうが速い。肩口へと焼け付いたような痛みが走った。

 肩を引き裂かれ、カルマは確信する。これはタイプ一致の攻撃だ。不一致の攻撃技を大量に持っているわけではない。だとすれば、とうとう分からなくなる。カルマは片膝をついた。荒い息をつきながら、「炎・電気・水・氷・草……。それの全部がタイプ一致攻撃……」と呟いた。

「その通り。この迷宮が解けるか?」

 アマツの挑戦的な言葉にカルマは思考を巡らせた。コンセントの入っていない家電製品。そこから放たれるタイプ一致攻撃、見えないポケモン、どれもが大きな謎として屹立する資格のあるものでありながら、同時に存在している。カルマは思考がとぐろを巻いてぐるぐると当て所ない解答を求めているのを感じた。このままでは迷宮に呑まれる。そう感じた瞬間、「終わりだな」とアマツが告げた。カルマが顔を上げる。

「思考の終点だ。お前はこのクエスチョンを、結局、解く事が出来なかった。思考停止。ならば、さらに混乱させてやろう」

 テレビの前で周囲の闇が寄り集まっていく。球体を成し、紫色の影の砲弾を作り出した。細やかな電子が跳ねている。カルマは目を見開いた。

「シャドー、ボール」

「そうだ。このクエスチョンを解く事を放棄した人間には、終わりこそが相応しい。さらばだ。ムシャーナはこれで沈む」

 影の球体――「シャドーボール」が回転し集束して周囲の影を引っ張り込んでいく。まるでブラックホールのように貪欲に影を吸い込んで巨大化する砲弾を見ながら、カルマは目を伏せた。アマツはそれを、勝てないと踏んだ、と確信した。

「お前のポジションが知りたかったが、まぁいい。あとでいくらでも推理するさ。禁固部屋でな。食らえ」

 影の球体が途上の光を食い潰しながら直進する。ムシャーナにかかるかと思われた、刹那の出来事だった。

 突然現れたオレンジ色の残像がテレビを寸断した。真っ二つになったテレビから電流が迸る。まるで血飛沫のようだった。ムシャーナへとシャドーボールが突き刺さる直前の出来事だ。ムシャーナは赤い粒子を残して消えており、シャドーボールは奥の執務机を巻き込んで外へと突き抜けた。

「何が……」

「デオキシス。答えはもう出ていたんだ」

 カルマがゆらりと立ち上がる。アマツが攻撃の指示を与えようとする前に、走った紫色の光芒が掃除機と冷蔵庫を破壊した。アマツの眼にはデオキシスの残像だけが映った。紫色の残像が何重もの像を結ぶ。

「サイコブースト。一瞬の閃光で残像さえ追いきれない速度で相手を攻撃する思念の加速器」

 電子レンジが動き出そうとするが、その前に走った光が電子レンジを断ち割った。次にアマツが指示を出そうとしたのは洗濯機だが、洗濯機も同じ紫の光が一閃したかと思うと既に機能を停止し、基盤を剥き出しにして切り裂かれている。

「答えは――」

 アマツの眼前にデオキシスが現れる。デオキシスの触手がアマツにかかろうとしたその時、洗濯機からオレンジ色の影が飛び出した。

 まるで独楽のような形状をしたポケモンだ。頭頂部と下部が尖っており、顔だけがある胴体が丸い。青い眼に亀裂が入っており、水色の電気のオーラを纏っていた。そのポケモンは頭頂部から電流を放出した。デオキシスは一瞬で飛び退いてそれを回避する。スピードフォルムにとって、そのような事は造作もない。もちろん、ただ回避するだけではなく触手を巻きつかせてアマツを人質に取った。オレンジ色のポケモンは戸惑うような挙動を見せて家電製品の骸が転がる中、浮遊している。洗濯機に入ろうとするが、完全に壊された家電製品の中には入れないようだった。すり抜けたポケモンが甲高い声を発する。

「このデオキシスと同じ、フォルムチェンジだ。デオキシスのように姿と能力が変わるだけではなく、まさかタイプが変わるポケモンがいるとは思わなかったが」

 家電製品が最初に出てきた事こそが答えだったのだ。家電製品の中に潜むポケモン。入り込む家電製品によってタイプを変幻自在に変え、適した技を習得する。

「まだこの俺でさえ、知らぬポケモンがいるとはな。生息域が限られているのか。まぁ、いい。α部隊の隊長が使うほどのポケモンだ。それなりのものなのだろう。だが――」

 デオキシスの身体から紫色の光が迸り、アマツの肩口から引き裂いた。両腕が飛び、血飛沫が舞う。アマツが喉の奥から叫び声を発した。高い天井に木霊する。

「戦闘不能になってもらう。これで指示は出せまい。惜しい戦力だが、俺の軍門に下るような人間ではないだろう。どちらにせよ、口は閉ざしてもらわなくては」

 一瞬でアマツの前に立ち現れたデオキシスが姿を変身させる。攻撃的に尖った一対の触手を有し、三つに分かれた頭部のシルエットは全く違うポケモンに見えた。

「フォルムチェンジ……!」

 アマツの言葉に、「いかにも」とカルマが応じる。

「鏡だな。俺のデオキシスが解答だった。さぁ、命令の出せぬよう、その口を溶接してやろう」

 触手の先端で電流が宿り、スパークの光を爆ぜさせる。アマツは目の前に迫った恐怖にも臆す事のない眼を向けた。その眼差しに、「勿体無いが」とカルマが口にする。

「喋れないようになってもらうしかない。大丈夫だ。殺すのはずっと後にしてやる」

 デオキシスが両腕から放つ電流がアマツの両肩の傷口を焼いて塞いだ。アマツが奥歯を噛み締めて痛みに耐える。生き物の焼け焦げる臭いにカルマは顔をしかめた。次いで、その唇へとデオキシスの触手が伸びた。かかるかに思われた瞬間、アマツは口にした。

「ただでは死なない。ロトム、スピン形態へフォルムチェンジ!」

 カルマが振り返った瞬間、扇風機が回転を始めた。閃光のような瞬きが一、二度あったかと思うと扇風機の回転速度が瞬時に増して、光芒が煌いた。デオキシスへと光の刃が襲いかかる。空気を裂く刃の名前は「エアスラッシュ」だった。デオキシスに突き刺さろうとした刹那、アマツは口元を歪めた。一矢報いる事が出来たと確信した笑みだった。デオキシスの無防備な背中へとエアスラッシュの刃がかかった。一瞬のうちにデオキシスの薄い表皮を引き裂き、その身体が上半身と下半身で生き別れたように見えた。

「勝ったな」

 アマツの声に、カルマは呆然と口を開けていたが、やがて、口角を吊り上げて、「ああ」と口にした。その言葉に眉根を寄せた直後、アマツは自身の身体から血飛沫が舞うのを見た。腰から肩口にかけて鋭い切り傷が斜になって走っている。アマツは何が起こったのか理解出来ず、「な、な……」と喘ぐように口を開きかけては閉ざした。

 目の前のデオキシスの像が歪み、紫色の残像が引き裂かれてカルマの隣にあった。デオキシスは既にアマツの背後に回っている。本物は後ろのほうだ。切り裂いたのは残像だと、その時に理解した。

「サイコブースト。思念によってこの世の最高速度まで瞬時に達するデオキシス固有の技。貴様がエアスラッシュで切り裂いたのはサイコブーストで作った幻影だ。そして、皮肉にも貴様のポケモンの最後の悪あがきは、貴様の命を縮める事となった」

 アマツがその場に膝を折って崩れ落ちる。エアスラッシュによる傷は深く、両腕を切断された痛みと共にアマツの精神力を蝕む。息が荒くなり、死の足音が近づいているのを感じた。

「デオキシス。扇風機を無力化しろ」

 その声で弾かれたようにデオキシスの身体が掻き消え、次の瞬間には扇風機を断ち割っていた。触媒を失ったアマツの手持ちポケモン――ロトムがふわりと浮き上がり、独楽のような姿へと戻った。

 ロトムは周囲の影を吸収し、目の前に影の球体を練り出した。シャドーボールだ。しかし、それが完成するよりも速く、デオキシスがロトムへと一閃を浴びせかけた。デオキシスの身体が即座に空気の中に消え、ロトムの背後に現れる。ロトムが振り返った直後、シャドーボールがざくろのように弾け飛び、ロトムの身体が寸断された。ロトムの残骸は床に落ちると同時に消えていく。ぼう、とまるで火の玉のように一瞬だけ燃えたかと思うと、跡形も残さずに消えていった。アマツが呆然と見つめている。今しがた起こった出来事が信じられないとでも言うように。

「電化製品を触媒とするフォルムチェンジ。タネが分かれば何て事はない。触媒を破壊すれば、攻撃の幅はぐんと狭まる。だが、電化製品の意味が分からなければ勝てなかっただろう。貴様に敗因があったとすれば、俺のデオキシスがフォルムチェンジを会得していた事だ」

 カルマはアマツを見下ろして言い放つ。

「だが、ここまで俺を追い詰めた人間は初めてだ。敬意を表そう。そうだな。先ほども言ったが、ここでは死なせない」

 接近したデオキシスの触手の先で溶接する電磁が弾け、アマツの身体を斜に走った傷を塞いだ。アマツが仰け反って痛みに耐える。カルマは興味深げに、「ほう」と顎に手を添える。

「痛みで呻くような無様な真似は晒さないか。α部隊の矜持か。ウィルの意地か。結構な事だ。俺からしてみれば、そのようなものはどうでもいいのだが、構わない。男の絶叫など、女のそれに比べれば何ともつまらないものだよ」

 カルマの言葉にアマツは息も絶え絶えに、「外道が……」と吐き捨てた。カルマは事もなさげに、「外道で悪いか?」と返す。デオキシスの触手がアマツの首を絡め取り、無理やり前を向かせた。もう一方の触手の先端が唇へと近づき、溶接しようとする。さすがのアマツも恐怖で目を慄かせた。それを見たカルマが口元を歪める。

「我々リヴァイヴ団は悪の組織なのだよ。そこに矜持を見出すのは勝手だが、俺には必要ない。元より、善悪の問答など意味がないのだ。この世界においては力こそ全て。だからウィルという絶対者が必要だったのだろう? ただ、そうだな」

 カルマは顎に手を添えてアマツの顔を覗き込んだ。カルマは眼前に迫ったデオキシスの触手へと視線を注いでいる。

「記憶を消せるようなポケモンがいればちょうどいいのだが、今のリヴァイヴ団にはそのようなポケモンとトレーナーはいない。だからこれからの動作はイエスかノーだけだ。イエスの時は一度頷き、ノーの時は二度頷くといい。分かったか?」

 アマツが無言を返していると、カルマは凍りついたような表情になり、デオキシスの触手がアマツの唇を焼き切った。アマツが口元を押さえようとするが、既に両腕はない。悶絶するように身体をねじらせた。「言った事は」とカルマが口を開く。

「すぐに出来なければ一流ではない。ウィルの中でも随一の、α部隊の隊長が何て様だ。それでは部下に顔向け出来まい? うん?」

 カルマがアマツの頭を掴んで無理やり起き上がらせた。アマツはカルマを恐れるような眼差しを向けている。

「まず、一つ目だ。俺の言う事を聞くか?」

 アマツは一度頷いた。「よし」とカルマが確認し、「もう一つ」と続ける。

「デオキシスの事は他言無用だ。これを仕掛けておこう。デオキシス。未来予知」

 デオキシスが身体を震わせ、青白い残像を作り出した。その残像がアマツへと覆い被さってくる。アマツは身体をねじって逃れようとするが、その前に、すぅとアマツの内部へと残像が入ってきた。アマツが周囲を見渡す。カルマと、デオキシス本体以外は何もいない。

「貴様の中にデオキシスの未来予知攻撃を仕掛けた。貴様がデオキシスに関する何らかの事を誰かに伝えた場合、これは発動する。まぁ、もっとも、喋れぬ身で伝えられる事は限られているだろうが念のためだ」

 カルマはアマツの肩を踏みつけた。アマツが身体を震わせる。カルマは両腕で天井を仰ぎ、「恐怖しているな」と口にした。

「その恐怖こそが俺の力となる。恐怖がなければ、人は従うと言う事を覚えない。何と、愚かな種族か、と思う。だが、同時にこうも考えられる。恐怖というものを知りながら、無謀という事を行えるのも人間なのだと」

 カルマは肩を蹴りつけ、よろめいたアマツの頭を押さえつけた。靴で頭部を踏み躙る。

「俺にとって、α部隊の隊長と戦い、勝つ事は無謀だった。しかし、人間はその無謀を乗り越えた時にこそ真価を発揮するのだ。今ここに、俺の価値は貴様よりも上だという事が証明された。頂点に立つ者は少ないほうがいい。俺は貴様を押し退けたのだ」

 アマツが反抗的な眼を向けてくる。その眼光さえも今のカルマにとってしてみれば誉れだった。

「いい眼をしている。だからこそ、取引をしたい。いいな?」

 アマツは僅かな逡巡を浮かべようとしたが、デオキシスがいつでも攻撃態勢に移れる事を察したのか、一つ頷いた。

「俺をウィルの総帥に会わせろ」

 その言葉にアマツが目を見開いた。カルマは、「そう難しい要求ではないはずだ」と告げ、アマツから離れた。何をするのかとアマツが見ていると、斬り飛ばしたアマツの腕をカルマは拾い上げた。ポケッチのついている手首へと視線を落とし、アマツへと目を向ける。

「α部隊の権限を使わせてもらう」

 カルマはポケッチの電源を入れて通信を開き、口にした。

「α部隊より告げる。ウィル全部隊は戦闘を中止。繰り返す、戦闘を中止せよ」


オンドゥル大使 ( 2014/03/03(月) 22:21 )