ポケットモンスターHEXA BRAVE












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虚栄の頂
第六章 十九節「敗残の兵」
「……やってくれるじゃないか」

 カガリが左肩に突き刺さった毒針へと手を伸ばす。掴んだ瞬間、掌が毒で焼け爛れ、煙が立ち上った。しかし、カガリは毒針をあろう事か自力で引き抜いた。エドガーは舌打ちを漏らす。

 ――浅かったか。

 それともテクワの狙撃ミスか。テクワの腕ならば頭部を確実に狙うはずだ。それをしなかったのは、ミスだと判じるほかなかった。カガリが振り返る。毒に侵された左肩から先を押さえて、「もう無理だ」と口にする。

「あんたら全員、影の地獄へと堕ちろ」

 ギラティナが咆哮する。エドガーは思わずモンスターボールの緊急射出ボタンを押していた。

「いけ、ゴルーグ!」

 光に包まれたゴルーグの姿が射出され、床が重量でたわんだ。ミツヤへと顔を振り向ける。

「いつもの戦法だ! ミツヤ!」

「分かってる! ポリゴンZ、トリックルーム!」

 ポリゴンZの真下からピンク色の光が放たれたかと思うと、立方体へと瞬く間に成長し、回転しながら空間を押し包んでいく。ゴルーグとギラティナ、ポリゴンZがピンク色の立方体の支配下に置かれた。ゴルーグが巨体からは考えられない速度で跳躍し、ギラティナへと飛びかかる。

「シャドーパンチ!」

 ゴルーグが拳を固め、ギラティナの顔面へと直線の影の軌跡を描きながら一撃を放つ。蒸気を背中から噴き出し、推力を得たゴルーグの速さは無双だった。しかし、トリックルームの中、ギラティナは赤い眼をゴルーグへとタイムラグなしで向けた。その眼差しに背筋を寒くさせると、冷たい声が差し挟まれた。

「嘗めてるのか、あんた」

 目の前の少年が発したとは思えない声音に、エドガーは全身が総毛立つのを感じた。ゴルーグの影の拳が顔面を捉えたかに見えた瞬間、ギラティナの形状が崩れる。拳が空を掻き、カガリが左肩を押さえながら口にする。

「シャドーダイブ」

 ビルが直下から揺さぶられた。足元が危うくなり、エドガーは紫色の光が地表からせり上がってくるのを見た。

 ――呑み込まれる。

 その感触に意識が支配されかけた瞬間、ミツヤの声が弾けた。

「ゴルーグ! これを!」

 ミツヤが視界の端で何かを放り投げる。ゴルーグが反応して受け止める。トリックルーム内のゴルーグは素早く反転し、エドガーへと覆い被さった。

「何を……」とエドガーが口にする前にミツヤの指示が飛ぶ。

「ゴルーグ! 旦那を頼む!」

 ミツヤが微笑を浮かべて挙手敬礼するのが、振り向いたエドガーの視界に映った。ゴルーグがエドガーの片手を掴んで引き上げる。全身から蒸気を発し、スカート状の下半身へと足を仕舞い込んだ。点火した足元から煙が迸る。

「何を、ゴルーグ! 何をしている?」

 ゴルーグは答えない。無機質な白い眼窩を向けるだけだ。影が部屋へと染み渡り、エドガーの足を絡め取った。エドガーが傷みに呻く前に、ゴルーグが飛び上がった。トリックルーム内で点火したせいか、初速は速い。ゴルーグは瞬く間にビルの上空へと躍り上がっていた。トリックルームを越えて、ようやくエドガーは事の次第を理解した。影がビルを塗り固めていく。闇色一色に染まったビルの屋上に展開していた人々が形も残さずに呑まれていくのを見下ろし、エドガーはゴルーグに叫んだ。

「ゴルーグ! どうして俺を引き上げた? 指揮官は俺だ! トレーナーは俺のはずだ! 何故、ミツヤの命令を聞いた?」

 ゴルーグの巨大な拳に自身の小さな拳を叩きつける。ゴルーグは安全圏へと飛び去ろうとしていた。

 その時、黒色のビルから青白い光条が一閃した。一条の光が何なのか、エドガーは一瞬で理解した。

 あれはミツヤの、ポリゴンZの破壊光線だ。それが一射された直後、エドガーは闇に染まったビルが崩落するのを見た。全身に皹が入ったビルが、轟と空気を震わせ、鳴動した大気に灰色の煙が混じる。血飛沫のように粉塵が迸り、ビルが形状をなくす。エドガーの飛んでいる側から反対側の位置で、さらに青い光条が一射されたのを見た。何に向けて発射したのか、それは分からなかったが、ミツヤの決死の光、魂の輝きである事は分かった。直後、赤黒い旋風が巻き起こり、ほとんど形を成していないビルを粉砕した。エドガーはゴルーグへと視線を向け、声の限り叫んだ。

「ゴルーグ! 今すぐにミツヤの下に戻れ! 今すぐにだ!」

 しかし、ゴルーグは頑として聞き入れなかった。安全圏まで主人を送り届けようというのだろう。忠義の心が、今は邪魔だった。

「ミツヤが、あそこにいるんだ。俺も戦わなければ……、戦わなければならないのに……」

 呻くように発した声にもゴルーグは反応しない。エドガーは振り返ってビルのほうを見た。ギラティナと空中にいるβ部隊だけが残っている。ビルは完全に潰れていた。周囲のビルを巻き込んで、黒々とした土煙が上がっている。

 ゴルーグが降下を始めた。充分に戦闘領域から離れたと判断したのだろう。ビルの屋上へと降り立ち、主人であるエドガーをゆっくりと降ろす。エドガーはすぐさまビルへと向かって駆け出そうとした。その手を引っ張るものがあった。振り返ると、ゴルーグが感情を灯さない瞳でエドガーをじっと見下ろしていた。エドガーは無理やりその手を振り解こうとする。

「……離せよ」

 主人の命令を聞かず、ゴルーグは握り締める。エドガーは喉が引き裂けんばかりに叫ぶ。

「どうして、戦いから逃れて俺を連れてきた? ゴルーグ! 俺達は戦うためにあそこにいたんだ! 違うか?」

 ゴルーグは答えない。ポケモンに人間の言葉が通じる道理はない。ましてや感情など、分からないのかもしれない。モンスターボールだけの絆では。ゴルーグはもう片方の手で固めていた拳を、優しく解いた。中には小さなモンスターボールがあった。エドガーはそのボールを手に取る。翳して見ると、中にポリゴンがいた。ミツヤのポリゴンだ。

「……お前は、俺の命令よりもミツヤの命令を優先して、これを受け取ったのか」

 ゴルーグは頷いた。その時ばかりは、言葉を解しているように思えた。エドガーはゴルーグの拳に自らの拳を叩きつけた。何度も、何度も鬱憤をぶつけるように叩きつけて、ようやく無駄だと悟ったエドガーはゴルーグの拳に顔を埋めた。

「どうして……、ミツヤ……。皆……。俺は、俺は……!」

 エドガーは叫んだ。敗残の兵の叫びは無様な遠吠えとして、ハリマシティの夜に木霊した。



オンドゥル大使 ( 2014/02/21(金) 21:22 )