ポケットモンスターHEXA BRAVE












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虚栄の頂
第六章 十七節「冥府の軍勢」
「始まった」

 ミツヤが隣で端末の画面を見ながら口にする。ランポの演説の声が聞こえてきていた。耳馴染みのある声だが喋っている声音は硬い。どうやらランポも緊張しているようだ、と思ったエドガーは直後に聞こえてきたポケッチの通信を聞き逃すところだった。

『指揮官。前方より敵影あり』

「なに?」

 エドガーは双眼鏡を取り出して前方の道へと視線をやった。ミツヤも演説映像を切り上げ、監視カメラの映像にハッキングして敵影とやらを見た。

「ウィルだ」

 ミツヤの声にエドガーはすぐさま指揮官の声になってポケッチに吹き込んだ。

「迎撃準備! 誰一人としてこのビルの敷地に入れるな!」

 張り上げた声と共に、エドガーは真っ直ぐに向かってくる一団を目にした。緑色の制服を身に纏った三十人ほどの部隊がポケモンも出さずに歩いている。先頭に立っている人間を見て、エドガーは声を漏らした。

「子供じゃないか……」

 前を歩いているのは派手な赤い衣装を身に纏った少年だった。ユウキと同じくらいに見える。本当にウィルか、と疑った胸中へとミツヤの声が差し込まれた。

「おいおい、あいつはヤバイぜ、旦那」

 慌てたミツヤの声に、「何がヤバイ?」と尋ねる。ミツヤはホルスターからモンスターボールを引き抜き、「旦那も準備したほうがいい」と忠告した。

「β部隊だ。中でも最年少で隊長格に就任した奴がいるって聞いた事がある。もし、あのガキが件の隊長ならば、持っているポケモンは――」

 そのミツヤの声を掻き消すかのように、ポケッチ越しに、『止まれ!』と部下の叫ぶ声が聞こえた。

『止まらなければ攻撃する』

『攻撃ぃ?』

 聞こえてきた声は先頭の少年のものだろう。思っていたよりも幼さの残る声だった。ミツヤが肩を引っ掴んで声を出す。

「旦那。ゴルーグを出す準備を! あのポケモンの前では包囲網なんて無意味なんだ!」

「何を馬鹿な。そんなポケモンなんて」

 エドガーが言い返すとポケッチから少年の声が聞こえてきた。

『一つ。お前らは勘違いをしている』

 エドガーは双眼鏡を向けた。少年が片手で天を示し、もう片方の手をホルスターにかけている。『何だと!』と部下の声が響いた。

『いくら策を巡らせようが、俺には勝てない。β部隊、全構成員に告ぐ。総員、ポケモンを出せ』

 β部隊と呼ばれたウィルの構成員達がホルスターからボールを引き抜き、緊急射出ボタンを押した。現れた不可思議な光景にエドガーは、「何だ?」と声を発していた。

 構成員達の出したポケモンは一様に翼を生やした鳥ポケモンや飛行型のポケモンだった。

『飛べ。後は俺がやる』

 その言葉に導かれたかのように構成員全員がポケモンに掴まって宙を舞う。エドガーが驚愕の眼差しで見つめていると、少年はホルスターからモンスターボールを引き抜いて掴んだ。そのモンスターボールの形状にエドガーは注目する。粗い望遠映像の中にMの文字が刻まれたボールが映った。

『いけ――』

 少年が無造作にボールを放り投げる。地面へとボールがバウンドした瞬間、球体が弾け、中から光に包まれた何かが射出された。それは光を振り払い、巨大な翼を広げる。

 ボロボロの外套のような翼だった。赤い突起がある。ムカデのように六本の足を有しており、蛇腹の首の筋が赤く光っている。王冠のような頭部があり、口を開いて咆哮した。鳴動する声が窓を叩き割り、エドガーは思わず後ずさる。

「あれは……」

「旦那! 早くゴルーグを!」

 ミツヤの急かす声よりも、突然現れた巨大なポケモンへと視線が吸い寄せられていた。見方によっては龍に見えなくもない。しかし、禍々しい姿の龍だった。黒い翼はまるで冥界の使者のようだ。

『そ、総員。迎撃準備!』

 部下の声がポケッチ越しに聞こえる。慄いた声に差し込むように、冷たい声音が響き渡った。

『ギラティナ。シャドーダイブ』

 禍々しい龍の姿がその瞬間、影となってどろどろに融けた。エドガーが目を見張っていると、影は一瞬にしてビルの前に展開していた部隊へと及び、紫色の光が影から放たれた。影が月光を反射するように紫色の光を放射した瞬間、展開していた人々が一瞬にして影に呑み込まれた。エドガーは目の前の現象が信じられなかったが、真実「呑み込まれた」という表現が正しい。影の沼へと部下達は声を上げる間もなく、消えていく。ずぶずぶと呑まれる中に一本の手を見つけ、エドガーは身体が粟立ったのを感じた。その手さえも、影は無情にも呑み込んでいく。

「……何、だ」

 何が起こったのか。一瞬にしてビルの前を固めていた団員達は消滅した。エドガーが困惑していると、影が空中に螺旋を描いて染み渡った。形状を成したかと思うと、影は広がって先ほどの龍の姿を取った。翼を広げ、龍が地面へと降下する。その巨体に不釣合いな、まるで体重がないかのように舞い降りる姿は、湖面に降り立つ水鳥を思わせた。

「旦那!」

 ミツヤの声でようやく我に帰ったエドガーはハッとして、双眼鏡を少年へと向けた。少年はまるでエドガーが見えているかのように指鉄砲を向ける。ひやりとした悪寒が背筋を滑り落ちていく。

「あれはギラティナだ! まともに戦って勝てる相手じゃない。逃げよう!」

 ギラティナ、と呼ばれたポケモンの事はエドガーには分からなかったが、今の一撃を見る限りまともに相手取って勝てる存在ではない事は明白だった。しかし、エドガーは首を横に振った。

「旦那? どういうつもりだよ!」

「ミツヤ。俺達はここを本隊だと思わせなきゃならない。ギリギリまで引きつける。あのギラティナとかいう化け物じみたポケモン。あれのせいで相手だって一斉攻撃が出来ない。ほとんど部隊を使い潰しているのと同義だ。これは好機だと考える」

 エドガーは双眼鏡をギラティナとそれを操る少年に向ける。先ほどの攻撃――「シャドーダイブ」ならば楽にこのビルを制圧出来るだろう。それをしないのは何故か。

「ウィルとて制限がある。ランポを生け捕りにするつもりなのかもしれない。だとすれば、このダミー部隊は一時でもあの化け物をここに留めなきゃならない。ミツヤ。リーダーが敵前逃亡など、ありえない」

 ミツヤへと顔を振り向ける。正気か、と疑う眼差しをミツヤが向けた。エドガーはこの状況下で無理にでも笑って見せる。頬が痙攣してうまく笑えなかった。

「正気も正気さ。俺達の役目を思い出せ、ミツヤ」

 その言葉にミツヤはエドガーへと向き直り、ギラティナへと視線を移した。ぽつり、と口にする。

「ギラティナは伝説級のポケモンだ。正攻法ではまず勝てないと思ったほうがいい」

「まだ、このビルに部下は残っているな」

「俺はその方法はよくないと思う。いたずらに部下を死なせるだけだ……」

 エドガーの考えが分かったのか、ミツヤが顔を伏せる。エドガーは左胸のバッジへと視線を落とし、拳を固めて左胸を叩いた。

「ミツヤ。俺達はリヴァイヴ団の矜持を胸に抱いている。この覚悟は無駄じゃない。一つの命だって無駄じゃない」

「駄目だよ。それこそ使い潰しているのと同じだ。奴らと大して変わらない」

 ミツヤの言葉は正論かもしれない。しかし、それでも――。

「それでも、俺達は戦わなければならない。それが俺達に与えられた、ブレイブヘキサ最後の任務だからだ」

 エドガーの言葉にミツヤはしばらく黙っていたが、やがて、「俺には無理だよ」と呟いた。

「自分の命だって惜しいのに、誰かの命を捨て石みたいに使うなんて」

「違う。ミツヤ。捨て石じゃない。部下の命も、自分の命も等価だ。少なくともランポはそう教えてくれた」

「だからって、どうするって言うんだよ!」

 ミツヤが堪りかねたように声を出す。上げた顔には困惑の色が浮かんでいた。エドガーはミツヤへと言葉を投げる。

「一人でも部下を死なせずに、あいつをここに引き止める」

「出来っこない。無理だよ」

「諦めるのは! ミツヤ!」

 エドガーは声を張り上げた。ミツヤがエドガーの目を真っ直ぐに見据える。エドガーは視線を逸らさなかった。

「俺達の命が消えるその直前までだ。それまでは決して、どれだけ汚かろうと足掻くしかない。それが、リーダーだ」

 エドガーの発した声にミツヤはしばらく黙りこくっていたが、やがて、「考えがあるんなら」と口を開いた。

「俺は乗るよ。乗りかかった船だ。旦那と一緒ならば、溺れたっていい」

「よし」

 エドガーは頷き、ポケッチへとこのビルの俯瞰図を呼び出した。ミツヤの端末に送り、端末の画面上でビルの断面図や俯瞰図を同時に浮かべる。

「全団員を屋上へと送る。これで地上の団員の被害を最小限に留める事が出来る」

 エドガーが画面を指差しながら指示する。自分でもうまくいくかどうかは分からない。しかし、ここで動かねば何が指揮官か、という信念がエドガーを衝き動かした。自分のものとは思えない言葉が口をついて出る。

「シャドーダイブを撃ってこないという事は時間的な制限か、あるいは空間的な制約があると考えられる。ビル全てを呑み込むようなものは撃てない、と推測される」

「希望的観測だ」とミツヤが告げる。エドガーは微笑んでみせた。いつもランポがするように。

「それでも、この可能性は捨てるべきじゃない。最初の一撃で全てを終わらせようと思えば出来たというのなら何故しなかった? 恐らくはランポを生け捕りにするか、あるいは無駄な被害は出さない事を前提にウィルが動いていると思われる」

「ここがダミーだとばれたらお終いだ」

「だからこそ、団員達を上に固めるんだ。上にランポがいて、それを団員達が保護しようとしているようにな」

 ミツヤはキーを叩きながら、「うまくいくかどうかは」と確率を試算した。

「十パーセントもない……。相手がこちらの思うよりも上手だったり、被害を顧みなかったりすれば終わりだ」

「ミツヤ。終わり、などという言葉を口にするな。それは自ら招いている。今は、どうすれば敵を長時間引きつけられるか、それだけを考えろ」

 いつしか自分の口調がランポのようになっている事を自覚しないままエドガーは言葉を発した。ミツヤは考えるように顎に手をやったが、熟考している時間はないようだった。窓の外でギラティナが飛び上がったのだ。

「指示を出す。ミツヤ!」

「分かったよ。全団員へと通達! 屋上へと向かえ。上の階層を固めるんだ。下階の警備は捨てても構わない」

 この指令がダミー部隊である事を勘付かせる原因になるかもしれない。しかし、自分に今出来る事はこれくらいだった。ポケッチへと困惑する団員の声が届いてくる。

『指揮官。本当に下階の守りは必要ないのでしょうか?』

『敵は空中部隊へと変わっています。屋上を固めれば、そこに何かあると言うようなものなのでは』

「今は気にするな」

 無茶な命令だと思いながら、エドガーは部隊のローカル通信へと声を吹き込んだ。

「俺の命令を信じて、上を固めてくれ。そうすればお前らの消耗も抑えられる」

 どの程度伝わるか。ある意味では賭けだった。沈黙が降り立つ。やはり、無理だったか、とエドガーが目を瞑ろうとしたその時、『り、了解』の復誦が届いた。

『こちらも了解しました。部隊を上層の守りに向かわせます』

 次々と了解の声が返ってきてエドガーは感極まりそうになった。しかし、涙はこのような時に流すものではない。男は軽々しく泣いていいものではない事は重々承知している。

「感謝する」

 そう無機質に返して、エドガーは通信を切った。ミツヤは、「ありがとう、皆」と偽りのない言葉を返している。ミツヤはキーを叩いて振り返り、エドガーへと声を向けた。

「旦那。俺達も向かおう。リーダーである俺達がやられちゃ元も子もない」

「そうだな」と首肯し、エドガーが歩み出そうとしたその時だった。ギラティナが翼を広げて浮き上がる。重力を無視したように、ふわりと浮かんで一つ羽ばたいた。瞬間、羽ばたきと共に赤黒い影の砲弾が飛んできた。一陣の風となって赤黒い砲弾が散り散りにビルへと叩きつけられる。エドガーは衝撃によろめいた。ミツヤは横倒しになりながらも、手をついて起き上がろうとする。

「今のは……」

「あの野郎。中の人間がどうなろうとお構いなしかよ」

 ミツヤが苦々しく口にする。エドガーがギラティナを操る少年を見つめていると、少年の周囲が丸く切り取られて紫色の光を発した。

 目を見開いていると、少年の身体が持ち上がった。まるで影という乗り物に乗っているように、少年がふわりと浮き上がって近づいてくる。ギラティナが翼をはためかせて、風を起こした。ただの羽ばたきが刃の鋭さを伴って、赤黒い旋風となりガラスを叩き割る。当然、エドガーの眼前の出窓も割られていた。少年は影に乗ってエドガーのいる階層へと近づいてきた。空中にいる人間から、「隊長、危険です!」と声が上がるのが聞こえる。

「隊長だって? あのガキがか?」

 エドガーが口にすると、声を張り上げた構成員に手を振っていた少年が顔を振り向けた。ユウキよりも幼いようであるが、眼に宿した光は野心の輝きを灯している。ともすればユウキ以上にはかり知れない。茶髪でアクセサリーを多用している辺りがユウキとは隔絶しているように見えた。田舎者と都会人の差か、と胸中に独りごちる。

「俺が隊長で悪い? リヴァイヴ団の団員さんよぉ」

 少年は威圧的な眼差しを向けて出窓まで近づいてきた。ギラティナがすぐ傍でいつでも攻撃出来るように飛んでいる。空中部隊は隊長らしき少年を守るように展開しており、もし破壊光線などの長距離兵装を持っているのならば下手に動けば不利なのはこちらだった。

 エドガーはゴルーグを出そうとホルスターに手を伸ばそうとしたが、ギラティナに勝てるとは思えなかった。ギラティナはゴルーグが拳を打ち込むよりも早く、トレーナーを始末出来るだろう。

 至近の距離まで近づいたギラティナの威容を見つめる。下弦の月のような装飾があり、その下にある赤色の眼光が鋭い。射抜かれてしまいそうだ。

「これが、伝説のポケモンか……」

 呟いた言葉に、「そう」と返したのは少年だった。ギラティナを自慢するように手を翳し、「これがギラティナ。シンオウの伝説の裏側に存在する、歴史から秘匿されたポケモンだ」と告げる。シンオウの伝説はエドガーも聞き及んでいた。

「この世界はアルセウスという一体のポケモンから発生したと言う伝説か」

「そう。意外と博識だねぇ、リヴァイヴ団なのに」

「お前のようなガキに言われる筋合いはない」

 エドガーはあくまでも退かない姿勢を見せていた。ここで尻込みすれば勝てる勝負も勝てなくなる。眼鏡のブリッジを上げて、モンスターボールを手に取る。少年は眉をぴくりを跳ねさせたが、激昂するような性格ではないらしい。すぐに鼻を鳴らして調子を整えた。

「ガキ、ねぇ。それにしてやられたのはどこの誰やら」

 返す言葉もない。しかし、エドガーは言葉を引っ込ませれば押し負けると口を開いた。

「何のつもりだ。ここまでトレーナーであるお前が来たという事は意味があるはず」

「勘がいいな。そういう奴は好きだ」

「ウィルに好かれる趣味はない」

 指を鳴らして放たれた言葉を、エドガーは切り捨てた。少年は不敵な笑みを口元に浮かべる。

「減らず口だな。俺以上だ」

「隊長格と戦うとなれば、言葉で負ければ終わりとなる。どの道、子供に論理で負けるほど落ちぶれちゃいない」

「隊長だって知っているんだ。じゃあ、自己紹介するよ。俺の名はカガリ。ウィルβ部隊隊長だ」

「やっぱり、β部隊……」

 ミツヤが口にすると、カガリはミツヤに初めて気づいたように目を向けて、「ああ」と声を出した。

「見た顔だなぁ、って思ったら、ミツヤか。β部隊にいた人間の名前と顔は全部頭に入っている。確か当時は二等構成員だったよな。ウィルからリヴァイヴ団に転身した、裏切り者」

 ミツヤからざわりとした殺気が放たれた。反応して緊急射出ボタンを押し込む。光が飛び出し、極彩色の案山子のようなポケモンが躍り出た。ポリゴンZだ。カガリがそれを見て、「やっぱり、まだ消えていないんだ」とポリゴンZに刻まれた「WILL」の文字を指差す。

「裏切りの烙印だからねぇ。そう簡単には消えないだろう。それとも、贖罪のつもり? いつまでも古巣に縛られている、あんたの――」

「黙れ!」

 ミツヤが声を発し、ポリゴンZが胴体から離れた腕を高速回転させる。いつでも破壊光線が撃てる構えだ。カガリが両手を振るって、「そう怒らない」と茶化すように口にした。このままでは相手のペースに呑まれる、と感じたエドガーはミツヤを制するように手を掲げた。

「旦那……」

「怒りや憎しみで行動するな、ミツヤ。こいつは、勝てる算段がありながら俺達のところまで来た。何か、意味があるはずだ」

 冷静に、的確に状況を分析する。カガリへと視線を向けると、「その通りだよ」と応じてきた。

「賢い奴は敵味方問わず嫌いじゃない」

「何のつもりで来た?」

「交渉だ」

「交渉?」とエドガーが聞き返すと、ミツヤが、「ウィルと交渉なんて……」と苦々しく口にする。

「さっき、たくさんの部下を殺したじゃないか!」

「宣戦布告はしたつもりだし、何より電波ジャックして演説しているのはリヴァイヴ団のほうだ。テロリストがどっちかって聞かれりゃ、皆あんたらだって答えるよ。間違えて欲しくないな。俺達は独立治安維持組織。つまり政府直属軍だ。対してあんたらはどこの馬の骨とも知れぬならず者の集団。正義を語って聞かせるまでもないだろう?」

 ミツヤが歯噛みしたのが気配で伝わる。エドガーは、「もっともだが」と答える。

「何を交渉すると言うんだ? 今言った通り俺達がテロリストだというのならば、テロリストとの交渉など無意味だと思うが」

「俺達だって余計な血は流したくない。世論のためでもあるし、何よりあんた達のためだと思うけど」

 ギラティナが呻り声を上げる。痺れを切らしているのだろうか。強力な兵器の砲塔を向けておいて、交渉などとエドガーは思ったが、これはある意味では好機であった。最小限の犠牲で済むかもしれない。何より、交渉を長引かせればダミー部隊だと気取られたとしても全てが終わった後になる。

「いいだろう。交渉材料は何だ」

「旦那」とミツヤが声を上げる。エドガーは片手を上げてそれを制する。今は、という目を振り向けてミツヤを納得させる。

「簡単な事さ。今喋っているあのボス、ランポとか言ったか。あいつを引き渡せば、リヴァイヴ団をとりあえずは見逃す、って言う話だ」

 片膝を立てて、カガリが前屈みになる。エドガーは真っ直ぐにその眼を見据えた。読めない光がある。この少年の本意はどこにあるのか。出来るだけ交渉を長引かせて引き出す必要があった。

「お前の一存でどうにかなるのか?」

「一応、隊長だからね。ボスを捕まえたっていう功績があれば、恩赦ぐらいは出るかもしれない」

「かも、や、しれない、では対応しかねるな。こちらでは確定した事柄が欲しい」

「よく分かるよ。ただまぁ、こっちのほうが状況的には有利だって事、忘れないで欲しいなぁ」

 エドガーは舌打ちを漏らした。結局、この交渉は対等ではない。ウィルの優位のまま、交渉という名の説得が試みられている。しかし、この交渉を持ち出すという事は、まだダミー部隊だと露呈していないという事だ。エドガーは慎重に事を進める必要があった。

「リヴァイヴ団全員の命とボス一人の命を天秤にかけろというのか」

「よく分かってるじゃん。そうだよ。ボスを渡すのならば、俺だって人殺しなんてしたくないんだ」

 よく言う、とエドガーは思う。カガリの瞳には人殺しを嗜好する者の色が浮かんでいる。ならず者やチンピラを何人も見てきたから分かる。この少年に対しては、命の交渉術は無意味だ。

「それこそ、俺の一存では決められないな。リヴァイヴ団という組織の根幹に関わる事だ」

「何で? あんた、幹部じゃないの?」

「幹部も一人ではない。それぞれが協議して、慎重に決める必要が――」

「そういうの面倒くさいんだって」

 遮って放たれた言葉にエドガーは息を詰まらせた。カガリとギラティナは今すぐにでもビルを破壊してまごついている団員達を消し去っても構わないのだろう。だが、エドガーは命を見捨てられなかった。

「面倒や何かで命を見捨てていいものか。我々と交渉するというのならば、命は等価として扱ってもらう」

「等価ぁ?」

 カガリが素っ頓狂な声を上げ、頬を引きつらせて笑った。エドガーは対して神妙な顔つきで見つめている。

「じゃあ、お聞きしますけど、蝿と人間の命って等価? 鬱陶しいな、程度で潰しちゃう相手と、人間って等価なの? ポケモンと人間だってそうだよ。草むらから飛び出してくる相手を倒して、経験値を得て、倒されて瀕死状態に陥る野生ポケモンと、手持ちの手塩にかけて育てられたポケモンって等価なの?」

「それは……」とエドガーが口ごもると、「等価なんてないんだよ」とカガリは両手を広げて立ち上がった。

「この世界のどこにも。皆、不平等だ」

「だとしても、交渉するのならば等価の舞台に立たねばならない」

「ああ、そうなんだよねぇ、面倒くさい」

 カガリが空を仰いでうわ言のように口にする。この少年は心底、面倒くさいと思っているのだろう。エドガーは確信する。カガリは根っからのトレーナー気質だ。相手を蹂躙し、叩き潰す事を至上の喜びとしている。エドガーが唾も飲み下せないほどの緊張に晒されていると、不意にポケッチに着信が入った。カガリを目で窺う。「出なよ」と顎をしゃくって命じられたので、エドガーは通話ボタンを押した。

「誰だ」

『こちらRS1』

 テクワだ、と判じたエドガーは瞬時に、「今、どうしている?」と尋ねた。

『手球でオブジェクトボールに狙いをつけた。ショットの許可を乞う』

「え? 何? 何で、今ビリヤードの話?」

 カガリが笑いながら茶化そうとするが、エドガーはテクワの言わんとしている事が瞬時に理解出来た。

 ――カガリへと狙いをつけている。狙撃の許可を。

 エドガーは一つ頷いて、唾を飲み下し、声を発した。その瞬間、カガリがハッとして振り返る。

「まさか――」

「許可する」

 その瞬間、どこからか放たれた針が振り返ったカガリの肩口に突き刺さった。


オンドゥル大使 ( 2014/02/16(日) 20:45 )