ポケットモンスターHEXA BRAVE












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虚栄の頂
第六章 十六節「その名はカルマ」
 レナの部屋をノックする。

 ホテルからこのビルの待合室に移されて、一時間が経とうとしていた。「どうぞ」の声にユウキは扉を開ける。スイートルームに比べれば随分と簡素な部屋の中、レナがむすっとして椅子に座っていた。ユウキが怪訝そうに尋ねる。

「どうかしましたか?」

「どうもこうも」

 レナは両手をばたつかせた。その意味を解せずにユウキは首を傾げる。

「ルームサービスも何にもないじゃない。飽きたわ」

「そう言うと思って」

 ユウキは後ろ手に隠していたミックスオレの缶を取り出した。二つのうち一つをレナへと手渡す。レナは受け取りながら、「こんな安物で誤魔化せると思っているの?」と言った。

「さぁ。少なくとも何も飲まないよりかは落ち着けるでしょう」

 プルタブを引き、缶を開けると芳しいフルーツの香りが漂ってきた。口に含むと、舌が溶けてしまいそうなほどの甘さが入り混じっている。レナはぶつくさ言いながら飲んだ。「甘過ぎるわ」と文句を垂れる。

「このビルの自動販売機では一番高いんですけどね」

「今まで居心地がよかったから余計かしら。何だかとてつもなくみすぼらしい気分」

 ユウキは笑いながら、窓の外へと視線を移した。夜が街に降り立とうとしている。人々の中に流れる日常は今夜破綻するのだ。そう考えると、眼下に見下ろす人々とて他人事ではないような気がした。

「今日、全てが変わる」

 ユウキの発した声に、「どうかしら」とレナは疑問を挟む。

「何も変わらないかもしれない」

「少なくとも、僕は変わる」

 レナへと視線を向ける。レナは鼻を鳴らしてミックスオレを飲んだ。自分とレナはリヴァイヴ団を裏切る。たとえランポの演説がうまくいかなかったとしても、変わらざるを得ない。重い決断だ。自分はレナの人生まで背負い込もうとしている。どうしようもないと割り切る事は出来ない。他人の人生を背負うとはこれほどまでに苦渋が滲むのか。ランポは今までこれと同じ事をやっていたのだ。誰にも弱さを見せる事なく。気丈に振る舞って。ユウキは考えるだけで指先が震え出すのを感じた。手首を押さえて、鎮まれ、と念じる。沈黙しているユウキへと、レナが声をかけた。

「あたしの引き渡しは?」

「もう、これを飲んだら行う予定です」

「じゃあ、最後の晩餐ならぬ、最後のミックスオレってわけ?」

「冗談にしても性質が悪いですかね」

「本当よ。もうちょっと気の利いた洒落にはならなかったの?」

 責め立てるレナの声にユウキは曖昧な笑みを浮かべた。レナはミックスオレを一気飲みして息をついた。

「……一応、信じるから」

 発せられた声の意味が一瞬分からず、ユウキは聞き返した。

「えっ。何て?」

「だーかーら!」

 レナが片手をばたつかせながら声を発する。顔が少し上気していた。

「あなたを信じるって言っているの。命を預けるわけだからさ。あたし一人じゃどうにもならないし」

 照れ隠しのように放たれた声にユウキは暫時きょとんとしていたが、やがてぷっと吹き出した。それを見たレナが、「笑うな」と声を出す。ユウキは、「すいません」と言いながら、片手を掲げる。

「レナさんがそんな事を言うとは思えなかったので」

「何気に失礼ね。あたしだってセンチになる事はあるわよ」

 レナは中空に視線を固定した。その眼は何を見ているのだろう。思えば、レナは誰も信じていなかったように思える。父親が死んだ時も割り切っていたように見えた。ブレイブヘキサとして同行する時も自分の命はどこか客観視しており、自分達を信じてくれていたとは言い難い。そう思うと、今初めてレナの口から「信じる」という言葉が出たのだ。ならば、その言葉に報いるだけの働きはしなければならない。

「レナさん」

 改まってユウキの発した声に、レナがびくりと肩を振るわせた。

「何? 急に真面目な声出しちゃって」

「僕は誓う」

 左胸の前に拳を当てる。左胸の襟元にはリヴァイヴ団のバッジがあった。今、それを引き剥がす事は出来ない。だが、誓いは立てる事が出来る。

「あなたを守る。命を賭けて」

「あなたといい、ランポといい、命を賭けるのが好きね」

 レナは茶化したような言葉で濁したが、胸中は穏やかなはずがなかった。ユウキはミックスオレを呷ってから、「行きましょう」と促した。

「もうすぐ時間です」

 引き渡しの時間とランポの演説の時間はほぼ同時だ。ランポの勇姿を見る事は出来ない。それだけが心残りだった。レナは頷いて、ゴミ箱に空き缶を捨てた。ユウキも空き缶を捨て、レナと共に部屋を後にする。大型のキャリーケースは逃げる時に邪魔になるので、部屋に置いていく事にした。

 レナの手を引き、ユウキは指定された場所へと向かう。ポケッチで確認する。このビルの中で唯一、豪奢に作られたホールがある。その場所でボスの腹心とレナを引き渡し、交換条件としてユウキはリヴァイヴ団の中でも高位のポジションを約束されるはずだった。しかし、最初からそのようなものには興味がない。ユウキは引き渡し場所の間取りを確認する。ホールは充分な広さがあり、テッカニンの高速戦闘に敵が慣れる前に決着をつける事が出来る。エレベーターを上がりながら、ユウキは考える。

 本当にこれでいいのか。後悔はしないか。この選択に間違いはないのか。堂々巡りの考えを打ち切るように到着の音が鳴り響いた。扉が開き、二体のポケモンの彫像が向かい合って並んでいる。廊下には赤いカーペットが敷かれていた。下階とは一線を画す構造にユウキは深く呼吸をして高鳴る鼓動を落ち着けた。レナの手を引いて廊下を進む。一方通行の道幅は広い。四人は並んで歩けるが、ユウキを先頭にしてレナと一列になって歩いた。しばらく歩くと、真鍮製の取っ手がついている扉へと辿り着く。取っ手を掴み、「いいですか」とユウキは覚悟を問い質す声を発した。レナが無言で頷く。扉を開けた。

 目に飛び込んできたのはホールの奥にいる二つの人影だ。一人は執務机の向こう側で煙草を吹かしている。紫煙がたゆたい、まるで蜃気楼のように姿を歪ませる。蛙顔の男が椅子に座っており、その隣には長身痩躯の紳士がいる。

「来たか」と蛙顔が告げ、立ち上がろうとする。ユウキは瞬時にこの部屋を見渡した。蛙顔と紳士の動きを注視する。二人とも鈍そうだ。ユウキはホルスターへと手を伸ばし、テッカニンのモンスターボールへといつでも射出出来るように指を添える。蛙顔も紳士も気づいていない。まさか末端の団員が裏切るなど夢にも思っていないのだろう。考えてみれば、ユウキが裏切ればデメリットばかりが纏いつく。裏切る事による意味など、ほとんどないから余裕を持っていられるのだ。ユウキは萎えそうな気力に鞭打つように、本気だと示そうと声を発した。

「レナさんの引き渡しを行うのですが、一つ」

「ああ、分かっているよ。君の組織内での昇級を約束しよう。さぁ、レナ・カシワギをこちらへ」

「では――」

 レナを前に出す。レナの背後でユウキはホルスターから取り出したモンスターボールを突き出した。レナを差し出すと同時にテッカニンを空気に溶け込ませる、それだけを考える。レナも緊張しているようだった。蛙顔が一歩、歩み寄る。レナが踏み出す。

 ――今だ、と感じた。

「いけ――!」

 叫ぶと同時にレナの手を掴んで引き寄せる。入れ替わりに現れたテッカニンが空気へと溶け込み、一瞬で姿を見えなくさせる。困惑したように首を巡らせる蛙顔へと、ユウキはテッカニンによる一撃を食らわせた。こめかみへと一撃。高速で移動するテッカニンが追突し、蛙顔の身体が吹き飛んだ。まさしく蛙のように醜い声を上げてその場に倒れ伏す。あとは紳士だけだった。ユウキは紳士へと目を向けた。突然、蛙顔が倒れたのだからその従者である紳士は狼狽するはず。倒すのは簡単だ、と考えたユウキの思考へと、冷水のような声が差し込まれた。

「――やってくれたな。小僧」

 一瞬、どこから発せられた声なのか分からなかった。テッカニンが紳士へと爪をかける瞬間、テッカニンが弾き飛ばされた。空気中からその姿が露になる。翅を再び震わせ、空気に溶ける前に追い討ちをかけるようにテッカニンがよろめいた。何かから攻撃を受けているようだ。しかし、その何かが分からない。紳士の手にはいつの間にか何かが握られていた。ユウキは目を凝らしてそれを見る。紫色の突起がついたMの文字が刻まれたボールだ。

「……マスターボール」

 ポケモンを強制的に従わせる覇者のボールが紳士の手にある。すぐには意味が分からなかった。しかし、次の紳士の発した言葉によってユウキは理解させられた。

「裏切るか。末端の団員の分際で、俺に楯突こうとはいい度胸だな」

 テッカニンの姿が再び現れると同時に、ユウキは何かがテッカニンと同様に空気中に溶けているのを感じた。それは信じられない事ではあるがテッカニンと同じか、またはそれ以上の高速戦闘に身を浸している事になる。ユウキの目で以ってしても残像すら捉えられない。

「もう、いい。そいつの相手は後だ。先にトレーナーをやってしまえ」

 紳士はそう口にして片手を振るった。すると、何かが空気の壁を破って一気に肉迫してきたのを感じた。ユウキの視界に一瞬だけその姿がちらつく。オレンジ色の人型だった。その一瞬が網膜に焼きついた直後、ユウキは背後からの衝撃を感じた。ゆっくりと、機械仕掛けのように振り返る。

 そこにいたのは一瞬だけ焼きついた人型だった。後頭部が尖っており、帽子のようになっている。オレンジを基調とした身体で、胴体は黒かった。胸部の中央に紫色の球体がある。両腕は細長く、まるで触手のようだ。足は尖っており、地面を踏みしめる事を前提としていないかのようだった。ユウキは水色の仮面のような顔面を見た。中央に線が走り、窪んだ眼窩が鋭くユウキを睨んでいる。

 見た事のないポケモンだった。果たして、それはポケモンなのか、それすら定かではない。触手のような片手がユウキへと伸びていた。ユウキは触手の先端へと視線を向ける。それが腹部を貫いており、赤く染まった触手が尖っているのを確認した直後、感覚が追いついてきた。

 ――自分はこのポケモンに刺されたのだと。

 振り返ったレナが喉の奥から叫び声を上げる。サイレンのような声に、紳士が舌打ちを漏らした。

「邪魔な。その知識、リヴァイヴ団のために役立たせるという意味がなければ今すぐにデオキシスで殺している。まぁ、ブレイブヘキサの、ユウキとかいう末端団員だったか。そいつはもういらないな。ここで死ね」

 触手が引き抜かれ、腹部から血が滴った。ユウキは前へと倒れ込む。レナがユウキへと近づき、名前を呼んで肩を揺さぶった。ユウキはしかし、起き上がる事が出来ない。歩み寄ってくる紳士の足音が聞こえる。ユウキはテッカニンへと指示を出そうとした。しかし、指示の代わりに口から出たのは血反吐だった。震える指先で前へと手を伸ばす。顔を上げ、紳士を見つめた。紳士は首を横に振った。

「こういう人間がいると、面倒だ。毎回、毎回、殺さなくてはならない。地位が欲しかったのか? それともウィルの手先か? どちらでもいい。デオキシス」

 その声に空間を飛び越えて現れたかのように、オレンジ色のポケモンが紳士の横に立つ。紳士のポケモンなのだと知れたが、ユウキは手も足も出なかった。貫かれた腹部の痛みが同心円状に広がり、脳髄を痺れさせる。感覚が麻痺し、指先から冷たくなっていくのを感じる。

「……お、お前は……」

 息も絶え絶えにユウキが言葉を発した。紳士は能面のように表情のない顔で口にする。

「我が名はカルマ。リヴァイヴ団を束ねるボスだ」

 カルマが指先をパチンと鳴らす。デオキシスと呼ばれたポケモンの姿が掻き消え、次の瞬間、鎌のような鋭角的な一撃がユウキの頭部に向けて打ち下ろされた。



オンドゥル大使 ( 2014/02/11(火) 21:38 )