ポケットモンスターHEXA BRAVE












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虚栄の頂
第六章 十一節「螺旋階段」
 アマツはポケッチの着信音で目を覚ました。常時着用が義務付けられているというのは窮屈なものだ。眠っている時も落ち着かない。いつ連絡が入るか分かったものではない。

「テクノストレスという奴か」

 アマツは目頭を揉んで、通話ボタンを押した。「はい」と応答すると、『ウィル諜報部から通達です』と機械音が聞こえてきた。ウィルの情報に関しては何十体ものポリゴンとスーパーコンピューターによって成り立っている。かつてディルファンスが行っていた情報統制と似た形だが、国家レベルで行われているため幹部や隊長格でさえもその場所を知らない。諜報部の存在も明らかにされておらず、そのような組織がある、という漠然とした証明しか成されていない。秘密主義が行き届いている証拠だったが、アマツ個人としてはあまりいい印象を持っていなかった。

「何だ?」

『α部隊隊長、アマツ様のポケッチで間違いないでしょうか』

「ああ」

『固有識別番号をお願いします』

 ウィルの構成員には一人一人に固有識別番号というものが振られている。入隊時に振り分けられる番号で、アマツの場合は六桁の英数字だった。

「A6042Lだ」

 Aは部隊の識別に、Lは隊長である事を示している。

『認証しました。今夜の作戦行動についての概要を説明します』

 その言葉にアマツは壁にかけられたカレンダーに目をやった。三日後、だと思っていた日にちはもう今夜に迫っている。諜報部は今夜七時に演説が行われると見ているようだ。アマツはやる事は少なかったが、カガリのβ部隊やカタセのε部隊はそうではないらしく、電話をかけてくる事はなかった。部隊の統率と演説予定地の絞り込みなど、自分以外の状況は刻々と動いている。動いていないのはアマツだけのように思われた。

『作戦認証コード、オペレーションRにおける貴官の任務を確認してください』

 Rの意味はリヴァイヴ団のRだろう。リヴァイヴ団駆逐作戦。うまく事が進めばリヴァイヴ団のボスを闇の中から引きずり出せるかもしれない。そもそも演説は誰が行うのか、それすらもまだ情報として出ていないが、重要ポストの人間が行う事は間違いない。ようは重要ポストの人間をウィルの力で表に出し、ボスへと繋がる糸口が見つけられればいいのだ。ポケッチの画面上にアマツの作戦概要が表示される。音声でも伝えられた事だが、何度も確認しなければならないのが隊長の面倒なところだ。アマツはリヴァイヴ団の傘下と思われるビルの襲撃任務を帯びている。演説が行われる本隊と思われるビルへの襲撃ではなかった。それとはほぼ無関係なビルだ。何故なのか、問い質したところで無駄だろう。上の決めた事だ。素直に従うしかない。

『確認をお願いします』

 機械音が急かしてくる。アマツはポケッチに、「確認した」と声を吹き込んだ。

『では、これより全ての行動権限をα部隊隊長、アマツ様に委譲します。健闘を祈ります』

 言葉の表面上だけのものだ。機械音が実際にそう思っているわけではない。アマツはポケッチの通話を切り、時計機能を呼び出した。まだ朝の五時だ。こんな時間から行動の確認を取らされた事に苛立つよりも眠気が勝った。欠伸を噛み殺しながら、アマツは窓の外を見やる。圧倒するような高さのビル群がまるで森林のように並び立っている。

「ヤマブキの建築様式を真似た街だっていうのに」

 記憶の中の故郷の街並みと重なるものを感じ、アマツは息をついた。少しも恥らうような仕草を見せないこの街は紛い物や作り物である事を意識させない。この街がオリジナルだとでもいうような主張を繰り返している。実際はカントーのヤマブキシティを真似た建築様式である上に、ホウエンの技術支援とイッシュの支援物資によって成り立った偽りの城だ。そのような街に牙城を戴くウィルもリヴァイヴ団も、まとめて滑稽ではある。しかし、自分はウィルの隊長だ。そのような言葉は慎むべきであった。窓に手をついて、アマツは口にする。

「傲慢さの塊だな」

 その時、扉をノックする音が聞こえた。こんな時間に誰が、とアマツは訝しげに扉を見やったが、すぐにポケッチに着信が来た。通話ボタンを押すと、『アマツさん。おはよう』とカガリの声が聞こえてきた。

「カガリ。何の用だ?」

『とにかく開けてくれよ。扉越しにいるのにこれじゃ、意味ないだろ』

 アマツは鼻を鳴らして扉へと歩み寄り、チェーンロックを解除した。カードキーを通して鍵を開く。扉を開けると、カガリが申し訳なさそうに頭を掻いていた。

「いやぁ、悪いね」

 カガリの声がポケッチと本人の唇から二重に聞こえてくる。アマツはとりあえずポケッチの通話を切り、カガリと視線を合わせた。

「何かあったのか?」

 隊長がまず来るということは異常を疑う。しかし、カガリは、「違ってさ」と否定した。

「定時連絡、来たろ?」

「ああ、つい先ほど」

「二度寝しようと思ったんだけど目が冴えちゃって。アマツさん、よければ朝の散歩でもどう? ハリマシティなら俺のほうがよく知っているぜ」

 あまりにも馬鹿馬鹿しい用件にアマツは呆れたため息を漏らした。

「部下とでも一緒にすればいいだろう」

 扉を閉めかけたアマツの袖を引っ張って、カガリが子供のように駄々をこねる。

「そんなつれない事言うなって。さすがに朝だし、サヤカちゃんとか誘えないじゃん」

「誘いたければ誘えばいいだろう。お前の言う隊長権限とやらで」

「こんな時に行使したら本当に嫌われちまうだろ。そうじゃなくっても連日の打ち合わせで部下達を疲れさせているんだ。プライベートまで介入させちゃ悪いだろ」

 このようなところなのか、とアマツは思う。部下を取らない自分にはそのような感受性が抜け落ちている。その点、カガリは部下思いだ。

「そこまで考えているのなら私の事情も考慮してもらいたいところだな」

「え? アマツさん、暇でしょ」

「勝手な決め付けをするな」

「まぁまぁ。そういえば、ウテナ三等構成員いついての話も聞きたいし、ちょっとだからさ。行こうぜ?」

 カガリが親指で廊下を示す。アマツは断ろうと思ったが、どうせ夜の作戦行動までは暇なのだ。付き合うのも悪くないと額に手をやって首を振った。

「分かった。服を着替えてくる。待っていろ」

「アマツさん。同じパーカー何着も持っているの?」

 馬鹿にしたような口調にアマツは、「行かないぞ。いいのか?」と問い質した。カガリは両手を合わせて、「ああ、すいません」と少しも悪びれている様子のない声で言った。

「そんなつもりじゃなかった」

「では、どのようなつもりだったんだ」

 まったく、とアマツは文句を言いながらパーカーを羽織り、靴を履いて廊下に出た。フードを目深に被っていると、カガリが、「でもさー」と口を開く。

「同じ服装ばっかりで飽きない? 俺は飽きるから隊長権限で自分勝手な服装選んでいるんだけど」

 見ると、カガリの服装は白いワイシャツに赤いジャケットだった。ワインレッドのネクタイをしており、ズボンは黒色だ。ジャケットの先は膝元まであった。ジャラジャラとしたシルバーアクセサリーをズボンにつけている。

「動きにくそうな格好だな」

「サヤカちゃんに注意されない限りは、俺はこの服装で作戦に臨む」

「それは、注意されたほうがいいな」

「オシャレも重要だぜ? アマツさん。同じ服装を年中やっていたら色々麻痺しちまう」

「構成員は緑色の制服で統一されている」

「だからオシャレするんじゃん」

 カガリが両腕を広げて主張する。アマツはカガリの服装を見て、「そういえば」と口にする。

「カタセも似たような格好だな」

 アマツの声にカガリは、「げっ」と吐きそうな顔をした。

「……しまった。カタセさんと被っちまうとは。俺とした事が、意外性を追求するばかりにやっちまったなぁ……」

「カタセは黒いコートだろう。あの人も年中同じ格好だが」

「あの人はあれで一つの世界観みたいなもんでしょ。そういう点ではアマツさんも似ているけど」

「私は面倒なだけだ。物ぐさなのさ」

 二人は歩き出した。エレベーターホールへと向かい、ボタンを押す。階層表示が流れるのを眺めながら、アマツは口を開く。

「部下というのはビジネスホテルのエレベーターみたいなものだな」

「ほう。そのこころは?」

「上げるのには時間がかかるが、下がるのは速い」

 その言葉にカガリが笑いながら両手を叩いた。アマツが視線を振り向ける。

「まだ朝だぞ。静かにしろ」

 その声には若干の照れも混じっていた。その胸中を察したのか、カガリは、「はいはい」と適当にいなす言葉を発する。

「まさかアマツさんがジョーク好きとはね」

「私はジョークについて別に嫌悪していない」

 ただ苦手なだけだ、と付け加えた。アマツとてバラエティ番組は観るし、お笑いもたしなんでいる。

 エレベーターがついて、箱の中へと二人は入った。一階のボタンを押すと、扉が閉じてすぐに下降が始まる。あっという間に一階に着いて、カガリが、「本当だ」と笑った。

「マジにそうなんだな。座布団一枚あげるよ」

 扉をくぐり抜けながらカガリの言葉を無視してエントランスへと足を向かわせる。アマツは、カガリの言葉を背中に受けた。

「でも、アマツさん。部下ってのは持ち上げ時ってのがあるんだよ」

「持ち上げ時?」

 ちょうどエントランスを抜けたところで、アマツが顔を振り向ける。カガリは、「そ」と両手を後頭部にやって頷いた。

「サヤカちゃんとだってさ。最初から今みたいな感じなわけないじゃん。そりゃ、俺だって隊長として、部下とのやり取りって言うのはあったわけよ」

「初々しい事だな」

 人通りの少ないハリマシティの街並みを歩く。ホテルを後にすると、企業のビルが立ち並んでいる。この中の幾つかに、今夜ウィルが仕掛けるのだ。そう思うと無関係な街並みには見えなかった。

 夏が近づいているとはいえ、朝方は涼しい。風が吹き抜け、アスファルトを撫でる。アマツとカガリは二人して肩を並べて歩いた。男同士で並んで歩くのはあまり気乗りしないが、女性構成員と二人きりというのもおかしいと感じて、アマツは現状を受け入れた。

「サヤカ二等構成員とプライベートでは会うのか?」

「え、何それ? アマツさん、サヤカちゃんに気があるの?」

「そういうわけではない。ただ部下と上官の接し方のようなものの参考にしたいだけだ」

 硬い声音に我ながら誤魔化しきれていないと感じる。ウテナはあの姿であっても女性構成員だ。それなりに会うには気を遣わねばならない。思うところを察したのか、「ああ、ウテナ三等の事ね」とカガリが言った。

「俺にとっては一番信頼出来る部下がサヤカちゃんってだけだしなぁ。β部隊って、複数の二等構成員で副隊長を拝しているわけなんだけど」

「知っている」

 歩きながら、前を向いたままアマツは口にする。カガリは独り言のように言葉を発した。

「その複数の二等構成員全員に俺は馴れ馴れしいわけじゃないぜ? 親密な仲なのはサヤカちゃんくらいかな。あとはもう、本当にお仕事って感じで」

「サヤカ二等構成員とは、どのような関係だ?」

 アマツの質問にカガリは吹き出した。

「何それ。本当にアマツさん、サヤカちゃんに気があるの?」

「ない。それは事実だ」

「だったらさ。勘繰られるような質問はやめなよ。なに、俺が男と女の関係です、って言えばこの場合、面白いの?」

 アマツはその言葉を無視して歩調を速めた。カガリが追いついてきて、「冗談だって」と口にした。

「サヤカちゃんは絶対、俺にそういうのを求めてこないし、俺だって一線を引いている。部下と上官は、男と女なんてものとは限りなく遠いもんだよ。サヤカちゃんは年上だしね」

「年下が好みなのか?」

「アマツさん、突っ込んでくるねぇ」

 カガリが笑って片手を振った。アマツはパーカーを風にはためかせながら足早に歩く。

「好みは気にした事ないかなぁ。サヤカちゃんをからかったりするけど、年上も年下もどっちもいける感じ?」

「聞くのではなかったな」

「だろ」とカガリは肩を竦めた。余計な質問だった、とアマツは胸中で反省する。街中を涼しい風が優しく愛撫する。ビルの谷間は疲れた人々が常に行き交う場所だ。風は人々を慰めているつもりなのかもしれない。しかし、今宵にはこの風は闘争の空気をはらむのだ。そう考えると頬を撫でる一陣さえ愛おしくなる。

「風だな」とアマツは口にした。カガリが、何でもないことのように、「いつでもそうさ」と告げる。

「ビル風だよ。高層ビルが立ち並んでいるから吹くんだ」

「いや、それとは違う。もっとたおやかな風だ。どこから吹いているんだ?」

「ビル風だってぇ」

 カガリは歩きながら石を蹴りつけた。ころころ小石が転がり、用水路の中へと落ちていく。ポチャンと微かな水音が聞こえた。

「これがカイヘンの風か」

 早朝のせいか、昼間や夜には感じられない大地の息吹が吹き込んでくるようだった。元々はハリマシティになる前、ハリマタウンに吹いていた風だろう。それが早朝だけ目を覚ますのだ。この僅かな時間だけ、時は逆戻りする。カイヘンに吹いていた風が皮膚の薄皮すら破らないほどの穏やかな風だと分かり、アマツは寂しくなった。誰が、このような場所にしたのか。

「分かりきっている」

 カントーによる開発とカイヘンに住む人々が望んだからだ。町は望まれた姿へと変貌し、その身を整形させた。新都が誰にとっても必要だったのだ。ヘキサ事件によってタリハシティが消失し、混迷の中にあったカイヘンに人々は纏め役を見つけようとした。その犠牲がハリマシティなのだ。アマツはビルを仰いだ。圧倒的な存在感を放つビル群が、途端に安っぽい張りぼてのように見えてくる。カイヘンという土地が絡んだ巨大な舞台装置の中に押し込められた紙細工のビル達。彼らとて、望んでここにあるわけではない。ヤマブキシティの真似事をさせられ、タリハシティの後を追うようにここもまた戦場と化そうとしている。

「皮肉だな」

 アマツが口にした言葉に、カガリが反応する。

「何が?」

「最も平和を望んだ場所で闘争が起こるというのは」

「どうだかねぇ。カイヘンの連中はどこで戦争が起ころうが関係なんじゃないか? それこそ我関せずっていう具合にさぁ。誰も自分の事なんて思っていないんだよ」

「では、何故」

 アマツは振り向いた。カガリは立ち止まり、ポケットに両手を入れている。

「何故、リヴァイヴ団は演説をしようとする。何も変わらない事など分かりきっているだろうに。変わろうとしない連中に呼びかける事ほど無意味な事はないと、そのような単純な理屈すら通用しないのか」

 八年前。ディルファンスが演説をした。シルフカンパニーカイヘン支社を縦に引き裂き、そこに反抗の旗を掲げた。その数日後にロケット団が演説をした。ディルファンスの正義は果たして正義なのかと民衆に問いかけた。民衆はロケット団とディルファンスの狭間で何を考えたのか。本当に正義たるべき存在として振舞おうとしたのか。それとも、ただ暴力の咆哮に促されるまま人間の狂気を曝け出したのか。アマツは考えを巡らせようとしたが、それは果たして自分の及びつくところなのか、というところで終点を迎えた。カイヘンにその場の当事者としておらず、カントーで安寧を貪る人間の一人だった自分に、考える資格はあるのか。

 アマツはカガリへと言葉を投げる。

「カガリ。お前はどう思う? カイヘンの当事者たるお前は――」

「知らないよ、そんな事」

 思いのほかあっさりと切って捨てられた言葉に、アマツは閉口した。カガリはむすっとして、「どうして、そんなに外の人達は考えたがるんだよ」と忌々しげに口にした。

「中にいた俺達だって分からないって。しかも、八年前だろ? 俺、その時七歳のガキ。どうしろっていうんだよ。七歳のガキが感じた事を言ってしまうとすれば、意味が分からなかった」

「意味が、分からない、とは……」

「正義だとか何だとか、お題目掲げて、結局大人達は何がしたいんだって話だよ。昨日まで正義の組織が次の日からは悪の組織で? そのまた次の日からはヘキサなんて言うわけの分からない組織まで出てくる。しかも、首都が持ち上がった?」

 カガリは笑い声を上げた。閑散としたビル街に、吹き抜ける細い風のような声だった。カガリは両手を掲げて、腹部を押さえた。笑いを鎮めているように見えたが、実のところ本心では笑っていないのは目に見えて明らかだった。

「もう意味不明。何だよ、お前らって感じ。その時俺は思ったわけ。こんな大人達についていったら、俺が死ぬってな。母親が人間爆弾で死んだみたいに」

 その言葉にアマツは息を詰まらせた。ヘキサが空中要塞で展開したという悪魔の作戦が思い出される。

 フワライドに人間を乗せ、空中要塞を覆う人間爆弾と化した。その事実が明るみになったのは随分と後になってからであり、映像解析がされる程度に事態が沈静化してからの事だった。

 当時、四天王の第一線を退いていたドラゴン使いのワタルが操るドラゴンタイプの放つ破壊光線の光条が、フワライドを暴発させる映像がはっきりと映し出されており、その上に乗っていた人々は跡形もなく吹き飛ばされた。ワタルはカントー防衛のためとはいえ、罪もない一般人を大量に殺した事で現在、カントーの刑務所へと投獄されている。特一級の戦犯として。カントー防衛の任に就いていたため死刑になる事はないが、「いっその事、一思いに殺してくれ」と一度記者団の前で懇願していた事を思い出す。

「あの事件で、色々なものが傷つけられた。意味なんて知らない。ガキの主観から言わせえてもらえば、正しいと信じている大人達が派手に喧嘩をやらかして、その結果、そこら辺を歩いていた人間が一番被害食らったって話じゃんか。やってられないよ」

「だから、ウィルに入ったのか……」

 カガリの初めて見せる内面に気圧されるものを感じつつも、アマツは尋ねていた。カガリは顔を伏せ気味にして、アマツを見据えた。

「そうだよ。俺が正しく強けりゃ、大人達の論理に振り回される事はないってな。実際、あの事件って弱い人間がより弱い人間をいたぶっただけなんだよ。強者ならば、そんなつまらない諍いで命を落とす事はない。死ぬのは、弱いからだ。弱い奴には叫ぶ資格も、命の意味を発する事も出来ない。じゃあ、強けりゃいいじゃん、って話だよ」

 カガリはそこまで捲くし立ててから、アマツが立ち往生しているのを見て、「おっと……」と後頭部を掻いた。顔を上げると、いつものカガリに戻っていた。読めない笑みを浮かべている。

「喋り過ぎたな。いいんだ、この世は弱肉強食。弱いのが悪い」

 そう結んで、カガリは片手を振って歩き出した。アマツは立ち尽くしたままだった。カガリの内面に踏み込んでしまった。知らぬ間に、土足で。それは侮辱のようであったし、人として許されない事のように思えた。拳を、骨が浮くほどに握り締める。

 こんな世界に誰がしたのか。

 原罪はロケット団にあるのか。それとも黙認していたカントーの大人達か。どちらにせよ、世界を汚く回すのは大人達の仕業だ。自分も、その大人の一部に加わっている。部下を持たないのは、言い訳を作りたいからなのかもしれない。大人達の輪には参加していない、無関係だ、と装うための、予防線だ。

「何て、小汚い……」

 悔やむようにアマツは口にして、顔を伏せた。誰かの傷口を広げるような真似しか出来ない。それは当事者でないから言える事、考えられる事だ。当事者には状況を整理する頭を作ることでさえ、一年や二年では足りない。しかし、状況や時勢は刻一刻と変化する。その変化に対応出来ないものは時代から取りこぼされるのだ。あるいは必死で追いつこうとしても辿り着けない逃げ水のようなものか。追いすがっても、結局は何もない空を掻くだけの、虚しい行為。

「アマツさん。難しい事考えていると、ここに皺寄るよ」

 カガリが振り返って額を指差す。アマツは顔を上げて、「そうかな」と何でもないように口にした。先ほどまで直視出来ていたカガリの顔が別人のように見えた。カガリはそう思わせないように努力している。それが分かって、より痛々しい。

「そうだってぇ。そんな時こそ、お酒や女に逃げればいいんじゃない? 大人の特権だろ」

 カガリが酒瓶を振るような身振り手振りをする。アマツは微笑んだ。

「いや。私は、酒は飲まない」

「どうして? 下戸なの?」

「下戸なんて言葉を知っているのか?」

「そりゃ、大人達と絡む事のほうが多いからねぇ」

 カガリはまだ十五歳だ。ウィルに最年少で入ったことにより、天才だともてはやされ、さらに最速で隊長格まで上り詰めた。カガリの手持ちポケモンは全部隊の中で群を抜いていると聞く。

 それほどの力を手に入れるまでにどれほどの血の滲む苦労があったのだろうか。推し量るほかなかったが、アマツは目の前の能天気な少年を、ただ能天気だと断ずる事は出来なかった。それは計算されたものなのだ。陰では、呑気な少年はすすり泣いているのかもしれない。ウテナ共々、どうして少年や少女ばかり傷つく。傷つくのは大人の特権ではなかったのか。大人は子供達に傷を押し付けて、恥ずかしくないのか。アマツは、「そうか」とだけ声を発した。カガリが眉をひそめる。

「なに、その、大変そうだな、って感じの声」

「そんな声が出ていたか?」

「やめてくれる? アマツさんみたいな大人はそういう態度取らないと思っていたんだけど」

 カガリの自尊心を傷つけてしまったようだ。いつだって大人は、無自覚に子供を傷つける。

「悪かった。失言だ」

「いいさ。アマツさんみたいなのでも、失言するんだって思える」

「おかしいか?」

 カガリは笑い声を上げて身を翻した。歩きながら、「おかしいよなぁ」と呟いた。

「だって、完璧っぽいもん、アマツさん。部下も持たないって事は、全部完璧に出来るんだって思われているよ」

「そんな事はない。むしろ、私は……」

 先の言葉を濁す。不完全だからこそ、部下を持たないのだ、と言いたかったが言えなかった。自分よりも不完全で、未完成な少年が自立しようとしている。大人が泣き言を言うべきところではない。アマツが顔を伏せていると、「もう、俺の話はいいじゃん」とカガリは笑いながら口にした。お互いに相手へと踏み入った話は打ち切ろうというのを無言の了承としていた。アマツとて踏み込まれたくない領域は存在する。アマツがこれ以上失言を漏らさないためにも、とカガリは配慮したのかもしれない。慮ってもらっているのは自分のほうだな、と胸中に自嘲して、「そうだな」と返した。

 アマツとカガリは並んで歩き出した。カガリが話を切り出す。

「それでだよ。俺が聞きたいのはウテナ三等の話」

 そういえばそれが当初の目的であった事を思い出す。アマツは、「ああ、彼女か」と返した。カガリが片手を振るい、「彼女か、じゃないって」と言った。

「どうだった? やっぱり、俺の言った通りだった?」

「少しだけ事態は複雑のようだ。どうやら彼女はδ部隊の被験者だったらしい」

「δの? どういう事だよ」

 アマツは言うべきか一瞬の逡巡を浮かべたが、カガリは他人に吹聴するような人間ではない事ははっきりしている。事の次第を、アマツは口にした。カガリは黙って聞いていたが、話が終わると、「なるほどな」と頷いた。

「四等から三等に上がるために自ら志願したってわけか。それよりも意外なのは、ヘキサやディルファンスの技術をウィルが兵器転用していたって事だよな。これは、事によっちゃ世論の反感を呼ぶぞ」

「私もそう思う。危険な事柄だ。出来る事なら――」

「分かっている。俺の胸の中で留めておけって言うんだろ。ああ、こうまで深刻じゃ、笑い話にもならないな」

 顎に手を添えてカガリは口にした。話の種にしようとしていただけの話が、ウィルの汚点に繋がっているとなれば慎重にもなる。ウィルは何がしたいのか。δ部隊にどれほどの権限が与えられているのか。そのような考えにアマツが至ろうとしていると、「アマツさん」とカガリが名前を呼んだ。

「何だ?」

「アマツさんの事だから深刻に考えているんだろうけど、やめたほうがいいぜ。隊長格であっても、触れちゃいけない話題ってのはあるもんだ」

 その言葉に暫時、沈黙を挟んだ。隊長でも何も出来ないのか。命じられるがまま、リヴァイヴ団を殲滅する事くらいしか、今すべき事はないのか。アマツは下唇を噛んだ。どうして何も出来ない。これでは張子の虎だ。

「隊長である意味はあるのか」

「やめろよ、アマツさん。そこは考えちゃいけないところだ。踏み込んでいい場所とよくない場所の区別はつけようぜ。俺は一線を引く。これ以上は踏み込まないっていう一線だ。踏み込んだって状況は変わらないし、もしかしたら悪く転がるかもしれない。α部隊の隊長だからって背負い過ぎるなよ。俺も、余計な事を吹き込んだのが悪かった」

 カガリのせいではない、と言いたかったが、ウテナに対して過度な興味を持ったのはカガリの言葉があったからだ。否定する事も出来ない。

「ウテナ三等とは別任務だ」

「そうか。なら、アマツさんは今まで通り、部下は持たないスタンス?」

「いや、彼女は部下だろう。ただ、私はスタンドプレーである事は伝えてある」

「充分じゃん。伝わってないよりかは」

 カガリは足元を蹴った。小石が転がり、側溝に落ちる。アマツは、「お前は」と口を開いた。

「こんな時にはどうする? どうすればいい」

「アマツさんみたいな大人が分からないんなら、俺みたいな子供が分かるはずないよ」

 正論だった。アマツは恥じ入るように顔を伏せた後、頭を振った。

「情けないな。進むべき道が分からないというのは」

「よくある話さ。何もアマツさんだけじゃないよ」

 このわだかまりは、リヴァイヴ団を倒す事で解消出来るのだろうか。世界を歪めているのは、果たしてどちらなのか。間違っているのはどちらなのか。

「俺達は与えられた任務を忠実にこなす」

 カガリの言葉にアマツは顔を上げた。カガリはくるりと身を翻し、アマツの顔を覗き込む。

「それだけだ」

 本当にそれしかないとでも言うような口調に、アマツは声を返せなかった。思わず目を背け、ようやく、「そうだな」と口にする。

「さーて、朝の散歩も終わりだな」

 東の空が明るくなり始めていた。時間が動き出したように、まばらに人々が現れる。カガリは来た道を引き返した。アマツも引き返そうとして、黎明の光が切り込んでくる空を見上げた。

「……光の階段だな」

 らしくない言葉が口から滑り出る。アマツは首を振ってカガリと並んで歩いた。



オンドゥル大使 ( 2014/02/01(土) 23:14 )