第六章 十節「繋がる一歩」
エドガーはダミー部隊配属になった団員達に目を向けた。彼らは一様に誇らしげな光を眼差しに携えている。もしかしたら本隊だと伝えられたのかもしれない、と感じ、エドガーは慎重に言葉を選んだ。
「俺達はボスを護衛する最重要部隊だ。ここが突破されれば終わりだと思え。配置を説明する。ビルの構造共々、しっかりと頭に叩き込め」
エドガーはポケッチに表示された部下の名前と配置を口にした。ミツヤと二つに分けての部隊編成だったが、それでも人数が多い。ダミー部隊にウィルの主力をぶつけるつもりなのだろう。そこまでして今回の演説は成功させたいものらしい。
配置と名前を言い終えた。エドガー自身は誰がどの配置なのかをこの三日間で自分に叩き込まなくてはならない。リーダーとて楽ではないな、とエドガーは密かに自嘲した。
「配置場所の環境を確認し、こちらの優位に立てるようポケモンの技構成を選べ。一つのミスが全てを台無しにする。慎重にしろよ」
半分は自分に言い聞かせるものだった。団員達に言葉が伝わったと見ると、エドガーは声を張り上げた。
「では、解散! 明日、全団員のポケモンをチェックする。怠るなよ」
その言葉に挙手敬礼が返ってきた。エドガーは返礼を寄越し、散り散りに出て行く団員達を見送った。レクリエーションルームに集まっていた団員はほぼ四十人。ミツヤと半分に分けているとして八十人がダミー部隊として振り分けられている事になる。エドガーがいるのは、演説当日に作戦行動が成されるビルだった。このビルをあたかもボスが演説している本隊であるかのように見せなければならない。そのために物々しい警備を敷き、本隊は「安全な場所」とやらから演説をするらしい。どのような場所なのか、エドガーにも知らされていない。エドガーがレクリエーションルームを出ると、声をかけてくる人間がいた。ミツヤだ。
「旦那。どうだった?」
「俺にはリーダーは合わない。それだけだな」
短く口にしてエドガーは歩き出す。ミツヤは既に配置と通達を終えたのか、少し疲れた様子だった。
「俺も。やっぱランポって凄かったんだな」
後頭部に両手をやってミツヤが中空を見つめた。エドガーは懐から煙草を取り出した。箱の底を叩き、一本出して口にくわえる。
「俺とお前のようなならず者を纏め上げたんだ。そりゃ、凄いだろうよ」
「旦那はともかく、俺はならず者じゃないって」
ミツヤが笑う。エドガーはライターで火を点けようとした。なかなか火が点かないので苛立っていると、ミツヤがライターを取り出して掲げた。
「はいよ。火」
青白い火が揺らめく。エドガーは煙草の先端をライターへと近づけて、火を点けた。紫煙がたゆたい、口の中に安物の煙草の味が広がる。
「よく持ってたな」
「旦那はよく吸うから、すぐになくなるだろうと思ってね」
「用意のいい奴だ」
言いつつ、エドガーは煙い息を吐き出した。ミツヤは並んで歩いている。エドガーは前を向いたまま話しかけた。
「ミツヤ」
「何だい? 旦那」
「このダミー部隊、やはり知っていて志願している奴は」
「ああ、いないね」
あっけらかんと言い放たれ、エドガーは暫時沈黙を挟んだ。ミツヤが言葉を続ける。
「ポリゴンでハッキングして調べた。こっちに回った奴ら、公式の辞令では皆、本隊だと思ってるよ」
「ダミーだって知っているのは俺達だけか」
孤独感が襲い、エドガーは急に煙草が不味くなったような気がした。自分達だけが知っている裏側。現場指揮の立場となれば、それが必要だろう。しかし、もしかしたら知らずに散っていく命もあるかもしれない。それを思うと、沈黙していることが罪のように思えた。そんなエドガーの心中を見透かしたように、「旦那はさ」とミツヤが口を開く。
「心底、納得のいかない事には戦いたいんだろうけど、俺はそうでもない」
「そうか」
分かっていた事だ。ミツヤは割り切っている。ブレイブヘキサの名がつく前からランポの下で戦っている仲間だ。口に出さなくてもある程度考えている事は分かる。
「納得のいかない事だらけさ。それって多分、これから先も多いんだろうなぁ」
「もうランポの下で戦えないんだ。俺達は、それぞれの道を歩いていくしかない」
「でも、俺と旦那の黄金コンビは健在だよな?」
ミツヤが少し前に歩み出てエドガーの道を遮った。エドガーはばつが悪そうに顔を背けた。そのような事など分からない。大丈夫、だとも言ってやれない。もうブレイブヘキサとしての任務が与えられることはないのだ。エドガーが黙していると、ミツヤが言葉を発した。
「答えてくれよ、旦那」
「ミツヤ。これから先、納得のいかない事が増えていくだろう」
「聞きたくないって」
ミツヤは顔を伏せていた。紡がれるであろう言葉に覚悟するかのように両手を拳にして固めている。エドガーは無慈悲だとは思いつつも、言葉にした。
「きっと。忘れられる時が来る。その時には――」
「忘れられないよ!」
ミツヤが顔を上げた。頬を涙が伝っている。エドガーは気圧されたように何も言えなくなった。ミツヤが呟く。
「……忘れられない。旦那と一緒に戦った事も。ランポの事も。ブレイブヘキサの事も」
「だが、忘れなきゃならない」
煙草を指先で弄りながら、視線を落としてエドガーが口にする。
「忘れられない。そう言いつつも、時は残酷なんだ。カイヘンはどうだ? ヘキサ事件を忘れない、風化させたくないと言いつつ、新しい街を建造し、人々は八年前なんぞ忘却の彼方だ。新しい世代も生まれつつある。引きずっているのが必ずしもいいとは言わない。だがな、新しい息吹は来るんだよ、ミツヤ」
「やめてくれよ。旦那の口からは聞きたくないって」
ミツヤが耳を塞いでよろめいた。エドガーは煙草を再びくわえ、煙を吐き出した。
「どうしたって、ごねたって、時はそういうものなんだ。今回の作戦、歴史が変わる瞬間と見る奴もいるだろう。あるいは何も変わらないと豪語する奴もいるかもしれない。リヴァイヴ団っていう組織がありました、で結局後世には何も伝えられないかもしれない」
「……俺は、嫌だよ」
「俺だって嫌さ。ランポや、俺達の行動が無駄になるのはな。だが、俺達は確かにここに存在している。今は、存在する事に意味があるんだ」
エドガーは拳で自身の胸元を叩いた。ミツヤが浮かされたように、「存在する事の、意味……」と口にする。
「そうだ。歴史に爪痕を残せないかもしれない。だが、確かに、俺達はここにいた。それを覚えてくれる人がいるんなら、意味のない行動なんてないんだ」
しかし、誰も覚えてくれなかったら?
絶対の孤独の冷たさの中に、身を浸さなければならない時が来たら?
その時はどうする? どうやって生きていけばいい?
エドガーは自身の不器用さを呪った。ゴルーグ以上に自分は不器用だ。時代に取り残される生き方かもしれない。結局は意味がないと断じられるかもしれない。しかし、意味があると思いたい。これは願いだ。純粋な願いそのものである。
エゴとも断じかねない願いの塊に、ミツヤは呻くように声を発した。
「でも、皆が散り散りになっちまうのは、嫌だよ」
ミツヤの肩へとエドガーはそっと手を置いた。
「それは全員が同じ気持ちだ。俺達はリヴァイヴ団、もしかしたら何かの縁で会える時が来るかもしれない。ブレイブヘキサの形じゃなくっても」
来てくれれば、というのが願いの本質だった。しかし、そこまでは口にしない。ミツヤは顔を振り向けて、「俺は別にブレイブヘキサにこだわってなんか」と抗弁の口を返した。エドガーが眉を跳ね上げる。
「何だ? ブレイブヘキサにこだわっているわけじゃないのか?」
「俺は旦那とランポに会えないのが寂しいだけだって。ユウキと、あいつのつけたブレイブヘキサなんて知るもんか」
ミツヤが顔を背けるが、それは本心ではない事は何よりもエドガーが声の響きから察していた。照れ隠しなのか。または本気でまだユウキの事を信頼していないのか。どちらにせよ、自分達の居場所は失われたのだ。エドガーは煙草を手で弄りながら、「そう、だな」と肯定の言葉を発した。
「別にブレイブヘキサにこだわる必要はない。望めば会えるさ。俺達は」
「だから、別にユウキや他の奴らはいいんだって。俺は旦那とランポに」
「分かってるよ。古株三人で会える時が来るといい。そう思って前を向いて歩ければ、なおいいじゃないか」
「……前向きだね。旦那」
ミツヤがようやく道を譲った。エドガーと肩を並べて歩き出す。こうやって歩けるのも、そう長くはない。いつかはそれぞれの道を選択し、一人で歩み出さねばならぬ時が来る。その時に、過去を振り切るのではない。引きずるのではない。過去を大切なものとして抱えたまま、新たな一歩を踏み出せるか。それは人間としての真価を問われているような気がした。
「ランポがボスになったら、やっぱり俺ら一般の団員からは遠ざけられるのかな」
「だろうな。親衛隊のようなものが作られるかもしれん」
「その親衛隊に入れないかな」
ミツヤが口にしたが、エドガーは口元を斜めにして返した。
「無理だろう。ランポの事を知らないメンバーで固められるに違いない。親衛隊から本丸の情報が漏れたのでは本末転倒だからな」
エドガーの言葉にミツヤは舌打ちした。
「旦那はいっつも冷静なんだからなー。少しくらい夢見てもいいじゃんよ」
「夢を見るのは勝手だが、夢は見るものだ。実現出来るのなら、それは夢とは言わない」
口にしてみて、冷酷な言葉だと感じた。現実を見ていると言えば聞こえがいいが、夢と声高に叫ぶ人々を否定している。
否定の言葉ではチームは動かせない。
ランポはいつだって肯定の言葉を投げてくれた。
どんな絶望的状況でも、その状況すらも肯定した上で打開してくれた。だから、壁を壊してくれるランポに憧れたのだ。後から進む自分達に壁などない。ランポが全て道にしてくれている。
何よりも心強く、自分達は安心して歩む事が出来た。きっと今求められているのはそれに近い事なのだ。だが、自分はランポのようになれない。それが痛いほどに分かっている。リーダーなど向いていない。自分は兵士だ。だから、誰かに導かれるのがお似合いなのだ。
壁を壊すだけの力も、言葉も、思想もない。目の前に屹立する壁に立ち尽くすしかない。壊せるのは、ランポか、あるいはと考えて不意にユウキの顔が浮かんだ。何故なのか。入ったばかりの新入りで、一度助けられたとは言え繋がりは希薄だと感じていた。無意識のうちに、もしかしたらそう思っていたのかもしれない。ユウキにランポと同じものを見ていたのか。だが、ユウキは未熟だ。何を期待している、と自分を胸中で叱咤する。
「堅物だねー。まぁ、そんな旦那と話せるのもあと少しって考えると、堅物なのも名残惜しい気もするよ」
「褒めてないな」
「ないよ。ばれたか」
ミツヤがおどけて笑う。エドガーも笑おうとしたが果たせなかった。顔の筋肉が緊張して強張っている。三日後だというのに、この調子では本当に指揮が出来るのかどうか怪しい。エドガーは煙草を片手で摘んで、足元に落とした。足で踏み消していると、ミツヤが、「ビルのオーナーがキレるぜ?」と首を引っ込めた。
「いいさ。どうせ三日後には戦場になる。煙草の汚れの一つなど気にならない有様になるだろう」
「俺達はビルの中までは進ませない予定だから、ここまで来られたらジエンドだけどね」
ミツヤが天井を指差す。ランポが演説しているように見せるのは屋上に近い高層だと予定されている。ウィルの出方は分からない。もしかしたらビルを丸ごと潰しにかかる可能性も捨てきれない。
そうなった場合、陣形の全てが意味を失くすのだが、さすがにウィルとはいえそこまではしないだろう。市民の反感を買う事になる。ウィルの予想されうる行動としては、隠密にランポを始末する事だろう。もっとも、それ以前に演説の情報が漏れるような事があってはならない。秘密裏に演説は執り行われ、遅れて反応してきたウィルを迎撃するのが理想のあり方だが、ウィルの情報戦術を甘く見てはならないだろう。R2ラボの件とて、極秘情報のはずだった。しかし、ウィルに先手を取られた。ウィルはこちらの動きを二手三手先まで読んでいると考えていいだろう。
「危機意識は持つべきだ。ウィルは俺達が思っているよりも手強い」
「承知してるよ」
「お前は情報戦術で勝っていると思っているだろう」
「思っちゃ悪い? 俺個人の、単体戦力としちゃ勝っていると思っている」
ミツヤが鼻の下を掻いた。その通りであるとは思う。しかし、そうでない側面もある。
「ウィルは総体で攻めてくる。個人がいくら優れていようと、組織の前では無意味だ」
「何だ? 後ろ向きな発言が多いな。旦那らしくない」
ミツヤが顔を振り向けて眉間に皺を寄せる。事実、弱気になっているのかもしれない。リーダーという慣れない立場とランポの命令とは言え指揮下を離れなければならない事に。らしくない、の一語で片付けるにはこの問題は複雑化している。自分のこれからのあり方も含めて、慎重に考える必要があった。
「そうだな。俺らしくはない。弱気にもなるさ。ウィルという総体とどう戦うのかがかかっているんだからな」
「ダミー部隊に向こうの本隊が向かってくるからって? そんなの、蹴散らしちゃえばいいだろ。俺と旦那ならそれが出来るさ」
ミツヤが前へと歩み出し、後ろ歩きでエドガーへと拳を突き出した。エドガーは微笑んで、拳を突き合わせ、「前を向け」と忠告する。
「転ぶぞ」
「いざという時に転ばなければ大丈夫でしょ」
「足を取られるのはいつだって突然だ。油断は思わぬしっぺ返しを招く」
「旦那はさ。難しく考え過ぎなんだよ」
ミツヤがくるりと身を翻し、エドガーの横に並ぶ。エレベーターホールが見えてきた。ミツヤは片目を隠す前髪を弄りながら、「もっと楽に考えりゃいい」と言った。
「楽なばかりに流されれば思考は停滞する一方だ。最悪のケースというものを常に念頭に置け」
「じゃあ、今回の場合。最悪なケースって何さ」
二人はエレベーターホールの前に立った。ボタンを押して、「そうだな」とエドガーは顎をさする。
「ダミー部隊である事が露呈し、本隊へとウィルの主力が向かう事だ。それと同時に、演説が遮断されれば、最悪だが。……最も陥ってはいけないのは、ランポが殺される事だ」
エドガーの声にミツヤは息を詰まらせた。エドガーは階層表示を眺めながら呟く。
「ランポはボスとして振舞おうとしている。ランポが殺されれば、リヴァイヴ団は名目上の頭を失う事となる。新たに影武者を用意するか、またはボス本人が現れれば話は別だが――」
「そんなの、絶対あっちゃいけない!」
遮ってミツヤが頭を振った。ミツヤの考えている事は分かる。リヴァイヴ団の延命や組織としての価値よりもランポが殺される事を恐れているのだろう。ランポは尊敬すべきリーダーだ。自分とてそのような末路は考えたくなかった。
「お前の言いたい事は分かる。ミツヤ。だが、ランポは自ら矢面に立ったんだ。それさえも覚悟だろう。俺達の使命は何だ?」
急に問われてミツヤは返事に窮したように、「それは……」と口ごもる。エドガーは声に出した。
「リヴァイヴ団を守る事、つまりはランポを守る事だ。俺達の任務はランポの護衛。そのために、最も危険な場所を任されている。信用のある仕事だと思え」
ダミー部隊である事に自分もミツヤも同じ気持ちを抱いている事だろう。ランポを何よりも守りたいのにそれが出来ないのが悔しいと。しかし、本当のところはダミー部隊での使命を全うする事こそがランポを守る事に繋がるのだ。
「……旦那は、本当にそうだと思うかい?」
ミツヤの中にも疑念があるのだろう。エドガーとて、ダミー部隊という任務に完全な信頼が置けているわけではない。
「そう思わなきゃ、やってられないよ」
エレベーターが到着して扉が開く。エドガーは踏み出した。その一歩が何よりも明日に繋がると信じて。