第六章 七節「最後の命令」
命令を受け取る、というのはどうするのだったか。
そう感じて、ユウキは豪奢な部屋の中に集まった六人を見渡した。昨日まではF地区のバーで命令を受け取っていた面々が、一流ホテルの一室で座り慣れていない椅子に座ったランポを中心として固まっている。ランポもどこか落ち着きがないように見えた。瞬きの回数が多い、とユウキは観察していた。
「俺がこうして直に命令を下すのは、これが最後だ」
ランポの言葉にユウキは分かっていても悲痛に顔を伏せた。守る、そう誓ったではないか。自分の目的のためにもランポがボスの影武者を演じる事に間違いはない。そう、間違いではないのだ。何一つとして。自分達は上り坂にいる。それは自覚していても、どこか心の奥底で割り切れていない。ランポはしかし、全てを悟りきったように超然としている。まるで自分のよく知るブレイブヘキサのリーダーなど最初からいなかったかのように。
エドガーとミツヤも思うところはあるはずだと顔色を窺ったが、二人はいつもと同じようにランポを信頼して命令を待っていた。
「テクワ」
呼ばれたテクワが松葉杖をつきながら、「ういっす」と前に出る。テクワの足の負傷は幸いにも大した事はなかった。ただ痛みは一ヵ月程度残るだろうとだけ医者に言われたそうである。心配するユウキに、「全治一ヶ月くらい、気合でどうにかならぁ」とテクワは息巻いた。今も作戦に向かうために痛みをおしてこの場に来ている。それはやはりブレイブヘキサの一員だという意識がそうさせているのか。はたまたテクワ自身の矜持なのかは分からなかった。
「お前は狙撃部隊のリーダーを務めてもらう。空中展開するリヴァイヴ団の部隊長だ。全方位を見渡せるお前が適任だ」
「了解っす」とテクワは応じた。続いてランポがマキシへと視線を移す。
「マキシ。お前には陸上部隊の部隊長だ。重く感じてなくていい。いつものテクワとの連携の延長線上だと思ってくれ」
マキシは黙って頷いた。ランポは命令を待つエドガーとミツヤを見やった。
「エドガー、ミツヤ。お前らは敵をかく乱させるためのダミー部隊を演じてもらう」
「ダミー部隊ってのは?」
エドガーが尋ねる。心中では納得がいっていないように見えた。古株の二人は何よりもランポを護衛したいという意志が強いのだろう。
「空中部隊と陸上部隊で敵を分けたとしてもウィルの戦力がその程度で削がれるとは思っていない。だから、完全にダミーの本拠地を作る。俺がその場所から演説しているように振る舞わせるんだ。当然、お前らのような本気の部隊が張っているとなれば、ウィルの主力もそちらへと行く。そうなった場合、本隊の消耗を避けられる」
「要するに、囮ってわけですか」
ミツヤの声にランポは、「悪く思わないでくれ」と告げた。リーダー然とした表情だ。異論を許す空気ではない。
「囮でも立派な役割だ。それがなければ本隊は軽く陥落させられてしまうだろう」
「分かった。その役目、引き受けるぜ、ランポ」
歩み出たエドガーに続いて、「旦那がそう言うんじゃね」とミツヤも了承した。
「最後に、ユウキ」
ランポがユウキへと視線を振り向ける。ユウキは身を強張らせた。本隊に回されるのだろうか、とユウキが思っていると放たれたのは意想外の言葉だった。
「お前はレナ引き渡しの任を帯びてもらう」
その言葉の意味が一瞬理解出来なかった。本隊で戦え、ならば理解する頭を持ち合わせていたユウキは虚をつかれたように固まった。
「どういう……」
「言葉通りの意味だ。お前は本作戦において、戦闘部隊への配属はない」
頭を鈍器で叩かれたような衝撃だった。視界がふらふらとする。ユウキは額に手を当てて、「でも」と声を出した。
「ランポを守るのが、僕の役目じゃ――」
「レナ引き渡しも、任務のうちだ。それを頼めるのはお前だけだ、ユウキ」
断固として放たれた声にユウキは閉口した。ランポの言葉は確かに理にかなっている。レナの事はランポがボスの影武者になるという事実ですっかり頭から抜け落ちていたが、自分達はそのためにコウエツシティに別れを告げ、本土の新都まで来たのだ。
「どうして、僕なんですか」
「適任だと感じたからだ」
いつものランポの声だ。判断に迷いがない。しかし、この時ばかりはユウキは納得出来なかった。
「僕の力が頼りないんですか?」
「違う。頼りにしている」
「だったら!」
思わず荒らげた声に沈黙が水を打ったように降り立つ。ランポは椅子に座ったまま真っ直ぐにユウキを見据えていた。ユウキもランポを見下ろして頭を振った。
「だったら、僕にランポを守らせてくださいよ……!」
その言葉にランポはすぐさま声を返した。
「決まった事だ」
その一言が決定的な断絶のように思えた。ランポは自分に何も期待してないのか。守って欲しいと言ったのは嘘だったのか。ユウキは拳を握り締めてランポへと歩み寄ろうとした。その肩へと手がかけられる。振り返ると、エドガーがユウキを制していた。
「よせ。命令だ」
「でも、僕は――」
「今まで命令には従ってきただろう。どうして今回は従えない? これが俺達、ブレイブヘキサ最後の作戦だぞ」
「最後だから……」
ユウキはエドガーの手を振り解いた。エドガーの眼を睨み据える。
「最後だから納得出来ないんでしょう。そんな誰でも出来る役目、僕の使命じゃない!」
そう口から叫びを発した直後、乾いた音が鳴り響いた。ユウキは頬に手を触れる。痛みが、じんと熱を持っていた。エドガーに頬を叩かれたのだと知った時、ユウキは、「どうして……」と苦渋の滲んだ声を出した。
「任務に貴賎はない」
エドガーの声がユウキの迷いある胸中を断ち切る。ユウキは身体がずんと重くなったのを感じた。
「貴賎を設けるのは二流だ。俺達は、一流のチームとしてここまで来た。誰でも出来る任務なんかじゃない。ランポはしっかりとお前の事を見ている。それを忘れて、勝手気ままな事を言うな」
静かな口調の節々に怒りが混じっている。エドガーとて自分の任務に納得出来ていないのだ。ダミー部隊という事はランポを直接守れるわけではない。言いたい事はユウキよりも多いのだろう。しかし、それを押し殺して必死に平静を装っている。ユウキは顔を伏せて、呟いた。
「……エドガーは、強いから。そんな事が言えるんですよ」
「俺だって精神的には弱者だ。何も変わりはしない」
問答に決着をつけるように口にしたのはランポだった。
「ユウキ。異論はないな」
異論などもう許される空気ではなかった。ユウキはランポから視線を外して、「分かりました」と呟く。
「よし。全員、ポケッチを翳せ。作戦の詳細を送る。これについては他言無用だ。同じ組織内であっても情報公開するレベルが設けてある。それ以外には口外するな」
テクワが左手のポケッチをランポと突き合わせて情報を赤外線で送信される。続いて、マキシ。エドガーとミツヤ。最後にユウキという順番だった。ユウキは顔を伏せていた。ミツヤが退いた後、ランポがポケッチを突き出す。ユウキも突き出すと、ランポが静かに耳打ちした。
「この後、十分程度ならば時間が取れる。全員がいなくなってから、もう一度部屋に来い」
ユウキが顔を振り向けると、ランポは素知らぬ様子で、「どうした。早くしろ」と急かした。ユウキはポケッチに情報を受け取り、ランポから離れた。
「これが最後の任務だ。同時にリヴァイヴ団としては最大の作戦でもある。気を引き締めて向かえ」
その言葉に全員が背筋を伸ばして踵を揃えた。テクワだけは体勢的に無理なので、敬礼をした。
「それぞれの部隊に赴き、作戦を通達しろ。お前らはいわば頭脳だ。頭が動かなければ、何も始まらん。これにて解散する」
それはブレイブヘキサというチームの解散も示していたが、それにしては呆気ない言葉だった。エドガーを先頭にして五人が部屋から出た。それぞれポケッチに転送された内容を確認する。今、この時点よりそれぞれに下された命令に従って行動する。今までのようにチームプレイではなくなった。最初に動き出したのはエドガーだ。コウエツカジノの一件以来、ほとんど休んでいないエドガーだが動きは迅速だった。無論、他のメンバーに自分がどこへ向かうのかも知らせる事はない。既にその背中は絶対の孤独を纏っていた。
続いてマキシが動き出した。テクワが声をかける。
「どこ行くんだよ」
「他言無用ってリーダーが言ってただろ。忘れたのか」
「忘れちゃいないけどよ。どうせ連携するじゃん」
「その時までは何も連絡取るなって事だろ。ブレイブヘキサは解散したんだ」
「だからと言って、俺とお前の友情も解消したのかよ」
マキシは沈黙を返した。テクワもどこかばつが悪そうに顔を背けている。ユウキが二人の様子を窺っていると、ミツヤが動き出した。エレベーターのほうへと向かっていく。その背中へとユウキは思わず声をかけていた。
「あの……」
「何だ?」
既にミツヤは気安さを纏っていない。エドガーと同じく任務に殉ずる姿勢があった。
「エドガーと同じ任務なんですよね。だったら、会う事が」
「あるだろうけど、言っちゃいけないって言われたろ。ユウキ。それ以上話す事はもうないよ」
その言葉を潮にして片手を上げて別れを告げた。エレベーターが間もなくやってきて、その扉の向こうへとミツヤは消えた。マキシが動き出す。テクワは、「待てって」とその足を止める言葉を発した。
「俺達、親友だろ」
その声にマキシが足を止める。伝わったか、とユウキが思っていると、「親友でも」と厳しい声がマキシの喉から発せられた。
「命じられた事を着実にこなすのが俺達の役割だ。命令の前では親友なんて括りは甘いよ。テクワ。お前ならそう言うと思っていたけどな」
マキシの放った冷たい言葉にテクワは何も言い返せないようだった。マキシはエレベーターホールへと向かい、「俺は行く」と告げた。
「リーダーの、ブレイブヘキサの最後の命令だからな」
扉の向こうへと消えていくその背中をテクワとユウキは見送った。黙って見送る事しか出来なかった。マキシの言葉は非情だが真実だ。テクワは呆けたように口を開けていたが、やがて歯を噛み締めた。松葉杖をついて前に進む。「チクショウ」と声が漏れた。
「テクワ。どこへ」
「決まってんだろ。命じられた場所に行く」
強情さを漂わせる声音にユウキは心配になって声をかけた。マキシの事で意地になっているのかもしれない。
「無理は……」
「してねぇよ。もう心配もいらねぇ。俺達は別々の部隊として戦わなければならなんだからな」
自分から絆を断ち切ろうとでも言うのか。テクワの言葉には突き放す響きがあった。ユウキはテクワの足に巻かれた包帯を見やる。片足を引きずるようにしている。
「でも、足が」
「気合で何とかなるって言ってんだろ。マキシや他の連中の言う通りだ。甘さはここから先では命取りになる。馴れ合いでどうにかなる場所を俺達は踏み越えちまったのさ。もう、なあなあで生きていく事なんて出来ないんだ」
テクワの覚悟から発せられた声に、ユウキは何も言えなかった。「俺は行くぜ」とテクワはエレベーターホールまで歩く。
「やるべき事がある。お前もだろ、ユウキ。じゃあな。運が良けりゃ、また会うかもな」
それはこの別れが永遠かもしれない事を示唆していた。テクワが片手を上げて間もなくやってきたエレベーターに乗り込む。ユウキは手を伸ばしかけて、はたと止めた。何を言えばいいのか分からなかった。エレベーターの階層表示が流れる。ユウキは身を翻した。自分に今出来る事。やるべき事を模索する。そのためには真意を知る必要があった。部屋の扉をノックする。「どうぞ」という声がかかり、ユウキは扉を開けた。
「失礼します」
ユウキは椅子に座るランポへと視線を向ける。ランポは少しばかり憔悴した様子で、「座れ」と促した。ユウキはランポの対面へと椅子を持って来て座った。
「何か頼もう」
ランポが動こうとするのを、ユウキが手で制した。
「いや、僕が動きます」
「俺が頼みたいんだ。俺がやるさ」
その声にはいつものランポの響きがあった。ランポはルームサービスを頼んだ。三分もしないうちに、コーヒーが二つ運ばれてきた。黒々とした液体からは香ばしい匂いが運ばれてくる。
「いいコーヒーだな」とランポが眺めて口にした。それを見て、ユウキが指摘する。
「見ているだけですか?」
「まさか」
ランポはカップを手に取った。いつかコウエツシティのカフェテリアで見たように、優雅に口に運ぶ。ユウキも同じようにブラックのコーヒーを飲んだ。苦み走っているが、独特の濃厚さがある。舌に絡みつくかのようだ。しばらくは口の中で味が残る。
「うまいな。だが俺はコウエツのカフェテリアで飲んだコーヒーのほうが好きだった」
「僕もです」
その言葉にランポは口元に笑みを浮かべた。カップを置き、両手を合わせて前屈みになる。
「本題に入ろう。あまり時間は取れない」
「はい」と応じてユウキはランポを直視した。ランポは先ほどまでよりかは幾分か落ち着いているように見える。
「レナ引き渡しの任務、納得出来ないか?」
「はい」
ユウキの即答に、ランポは困惑の笑みを浮かべた。
「了承して欲しい。俺達にとっては、それが最も重要だからな」
「俺達、というのは」
「もちろん、俺とお前だ。コウエツでの誓いを忘れたのか?」
「忘れていませんよ」
リヴァイヴ団でのし上がり、内部から変える。ミヨコやサカガミにも約束した。ランポは首筋を押さえた。
「俺達はリヴァイヴ団という組織の、その喉元まで来ている。あとは刃を突き刺すか否かだ」
「その覚悟があるか……」
ランポは首肯し、ユウキを指差した。
「お前ならばその喉元に刃を突き刺せる。その見込みがあると俺は思っている」
「買い被りでは」
「俺がこんな状況でおべっかを言うと思うか?」
ランポは唇を斜めにした。本気なのだろうと察したユウキは声を潜めた。
「……どうやって」
「心配するな。この部屋に盗聴器の類はない。スイートルームだからか、廊下から聞き耳を立てられる事もない」
その言葉に少しばかり安堵したが、それでも警戒を完全に解く事は出来なかった。
「僕に何を期待しているんです?」
「レナの引き渡しは腹心を通じて行われる。俺も一度会った。相手は実力者だが壮年だ。一人だけボディーガードらしい人間が仕えているが、こちらは完全に従者だろう。危険は少ないと思ってくれていい」
「ランポ。どういう――」
「レナを連れて逃げろ」
遮られて発せられた声にユウキは息を詰まらせた。冗談なのか、とランポの瞳に問いかけたが、嘘や酔狂で言っている事ではないのは明らかだった。
「壮年の腹心、従者、この二人さえ突破すればボスは目前だ。だが、ボスにレナを易々と引き渡せば、恐らくはレナは殺される」
放たれた言葉にユウキは目を慄かせた。ランポは、「当然だろう」と口にした。
「殺される、は言い過ぎでも一生表には出られないだろう。裏でボスのポケモンのメディカルチェックを行わされるのさ。死ぬまでな」
「しかし、僕らの目的はボスの打倒」
「そうだ。そのために必要なのはレナの知識だ。レナを連れているほうが有利に働く。今、カードは俺達の側にあると思ってくれていい。レナという強力なカードをどう使うかが鍵だ」
「レナさんの存在が、ボスを倒す事に繋がるとでも?」
「俺は少なくともそう思っている。レナは研究者だ。それも一介の研究者ではない。リヴァイヴ団の深部に繋がる知識を持っている。ボスのポケモンが何なのか明らかになれば、必要なのは駆け引きだ。恐らくは、この六年間リヴァイヴ団という組織がここまで台頭出来たのはボスの力があるのだろう。真正面からのぶつかり合いでは、まず勝てないと思ったほうがいい」
「あなたにしては弱気ですね」
ユウキの失礼とも当たる言葉をランポは口元に浮かべた笑みで風と受け流す。
「弱気にもなるさ。俺はボスの影武者で三日後には演説。だというのに、本物のボスには未だに会えていない。声すら聞いていないんだ。俺からのアプローチはあまり期待しないほうがいい。その分、お前の戦いに俺は期待している」
「ボスの腹心を倒し、ボスへと近づく」
「そうだ。だが、ボスは一回で倒せるような人間ではないだろう。必ずこちらの予想外のポケモンで対抗してくる。ユウキ。お前はボスのポケモンを明らかにするんだ。そうすれば、対抗策をレナと練っている間に俺が裏から手を回してお前に戦力を送れる」
「戦力の分散は、ポーズだったんですね」
ブレイブヘキサの解散はこの後に訪れるであろうボスとの戦いのために必要な通過儀礼だったのだ。ランポの考えが分かり、ユウキは頷いた。
「そうとも限らない。本当に解散で終わるかもしれない。俺も自信がない。今回ばかりは、お前らを無事に引き合わせてやれるかは分からない」
「それでも、希望は持てる」
「そう言ってもらえると助かるよ」
ランポは微笑み、腕を組んだ。
「俺がどれだけうまくボスを演じられるかにもかかってくるが、お前はその目的だけに絞れ」
「腹心を倒してボスの手持ちを明らかにする。レナさんと僕が対処法を導き出し、後から皆と合流する」
「そしてボスを倒す。だが、この作戦には懸念事項がある」
ユウキも恐らくはランポと同じ疑問を持っていた。レナを連れ去り、ボスの腹心を叩くという事は――。
「僕はリヴァイヴ団に対して裏切り者となる」
「そうだ。しかも重要な護衛対象を連れ出すなど言語道断。その上にボスへの背信行為となれば、組織を上げてお前を抹殺する可能性がある」
ランポの言葉に背筋が震えた。そうなってしまえば、自分の居場所は本当になくなってしまう。リヴァイヴ団としてウィルから追われ、裏切り者としてリヴァイヴ団からも追われる生活など容易には想像出来なかった。
ユウキは手が震えだすのを感じた。未経験の恐怖が襲いかかろうとしている。ユウキの心境を見透かしたように、「大丈夫だ」とランポが告げた。
「ウィルとの戦いが控えている中、内部分裂に近いような事を起こすのは組織とて得策ではないだろう。ウィルとの戦いを中心に据えるに決まっている。俺はその隙をつき、お前に戦力を送る。そうすれば、お前は生き残れる」
「そう、でしょうか」
物事はそう簡単に運ぶだろうか。ランポの言葉には希望的観測も混じっているように思えた。震える手へとランポが手を伸ばした。温かな人のぬくもりが伝わり、震えを鎮めていく。
「俺を信じてくれ。ここまで来たんだ。お前の黄金の夢に、命を賭けよう」
ユウキは顔を上げてランポの眼を見つめた。ランポが初めて、信じろと口にした。それだけこの状況は切羽詰っているという事なのだろうか。それとも希望に転化しうる状況なのだろうか。判断はつけられなかったが、ユウキは伝わった手のぬくもりだけは確かだと感じた。生きている。自分達はまだ生きて、明日を掴もうとしている。まだ意志の力は死んでいないのだ。
ユウキは強く頷いた。
「やります。僕自身のために」
カイヘンの明日のために、と言わなかったのはそこまで背負い込める自信がなかったからだが、ランポが付け足した。
「カイヘンの明日を俺は背負う。お前は自分の事だけを考えろ」
見透かされているな、とユウキは自嘲してカップに手を伸ばした。少しだけ冷め始めているコーヒーは苦味が先行しているように思えた。ランポがカップに手をつけないのを見て、「飲まないんですか?」と尋ねる。
「ここのコーヒーはうまくない。ボスならばそれくらいの我侭は言いそうだろう?」
口元を歪めて放たれた言葉に、この場で言える最大限のジョークなのだと分かった。ユウキが微笑むと、ランポも笑った。