第六章 三節「変人」
カワジシティに緑色の制服を着た人々が並び立っていた。
港町にその光景はいささか不釣合いに見える。漁師達が怪訝そうな目を向けていたが、彼らは誰も意に介す事はなかった。それよりも彼らの中には不安の面持ちを浮かべた者がいた。つい先刻の情報である。ウィルα部隊隊長アマツの乗る船がリヴァイヴ団にジャックされたという情報が入った。
しかし、本来はジャックという言い方がふさわしくないのはここにいる全員が知っている。アマツはまんまとリヴァイヴ団の支配する船に乗ってしまい、敵の手に落ちてしまった。そのような不恰好な事実をウィルが公表するはずがなかった。元々、アマツは部下を持たない主義の人間である。変わり者である、という専らの噂だった。
彼らウィルの構成員がすべき事はアマツの救出などではもちろんない。アマツはもう死んでいると判断し、カワジシティに停泊するであろうリヴァイヴ団の一斉検挙を目指しているのである。
α部隊といえば精鋭部隊だが、彼らは一様にα部隊の概要を知らない。それもそのはず、α部隊はカントーで設立された部隊だからだ。カイヘンではβからεまでの部隊が存在するが、それらはカイヘンで設立されたのに対してα部隊は完全に独立して存在する部隊である。
ハリマシティで実施される隊首会へとα部隊の隊長を導く役目があるものの、この場を取り仕切るβ部隊二等構成員であるサヤカは気乗りしなかった。
元々、サヤカはディルファンス上がりの構成員である。八年前のヘキサ事件以降、ディルファンスは解体され、ディルファンスとして活動していた人間のほとんどが行く当てをなくした。自分は運よく最初期にカントー統括部隊への編入を希望し、そのまま繰り上げられる形となってウィルの二等構成員まで上り詰めた。
ウィルには構成員ごとに階級が存在する。
最も低い位は四等構成員だ。俗に下っ端とも呼ばれる彼らは、しかし重要な役割を果たしてくれている。被疑者の取調べや通常の任務、及び治安の維持はほとんど彼らの功績だ。
それ以上、三等構成員となれば、それはもう戦闘構成員として区別される。戦闘構成員は主に対立する組織、リヴァイヴ団との戦闘や、暗殺任務を帯びた構成員だ。戦闘のエキスパートとして育て上げられ、リヴァイヴ団と互角に渡り合うための戦力として保持される。
その上が二等構成員であり、サヤカの役職だった。二等構成員は単純に三等構成員よりも地位が高いだけだ。実戦的なのはその上、一等構成員である。
一等構成員は俗に副隊長と呼ばれている。隊長補佐という言い方もあるが、副隊長という呼び名のほうがまかり通っている。副隊長ともなれば権限は段違いだ。しかし、部隊によってはこの一等構成員が存在しない場合もある。その特殊なケースこそがα部隊だ。
α部隊は基本的に構成員を取らない。その任務の性質上、仕方のない事なのである。これは、α部隊が現地軍でない事を示している。カントーが本拠地であり、ウィルという組織の頭脳に相当するα部隊はたった一人の意思によって動かされている。
そんな事がまかり通るのかと言えば、今までまかり通ってきたのである。理由としてはα部隊が現地ごとに適した構成員を配置するためだと言われているが、真偽のほどは定かではない。
α部隊隊長とはカイヘンでは隊長格以外に会った事はないからである。構成員達の間で流れる噂もまちまちで、ただ単に隊長が変わり者であるという事から、特殊任務を帯びるためにその都度部下が死んでいくという薄ら寒いものまで様々だ。
サヤカはウィルの中で特別とも言える位置にいる。ディルファンス上がりは嫌われている。それを意識し始めたのは六年前からだ。
ウィルが設立された当初からディルファンス上がりは嫌悪の対象だった。理由は言わずとも分かる。ヘキサに加担した組織の末端だと知れば、誰しも距離を置きたくなるだろう。その上女性の構成員となれば、好印象は得られない。それでもサヤカは努力を重ね、二等構成員まで上がってきた。これはひとえに自分の努力の賜物だと自負している。
他にも二人のディルファンス上がりの構成員を知っているが、彼らは部隊が違うため今はどうしているのか知れなかった。八年前のカントー統括部隊の時には同じ訓練を共にしたものだが、離れてしまえば疎遠になるものである。直立姿勢で待っていると、潮風が吹き込んできた。カワジシティは港町だ。ここにいる自分達のほうが異物なのは重々承知している。しかし、件の船が現れるまでは離れるわけにはいかなかった。
「サヤカさん」
呼びかける声にサヤカは目を向けた。サヤカの部下であるケイトだ。髪を結っており、ショートカットのサヤカとは対照的に女性らしさがあった。
「何?」
ケイトは三等構成員である。目はぱっちりとしており、整った顔立ちは同性でも少し憧れる部分があった。しかし、これでも戦闘構成員であり、いざとなれば命を投げ打つ覚悟がある人間だ。
「そのα部隊の隊長ってどんな人なんでしょうか」
直立して黙している事に疲れたのだろう。あるいは単純な興味だろうか。どちらにせよ、サヤカも肌に合わない場所でずっと黙って待っているよりかは暇を潰せそうだと判断した。
「さぁね。私もよく知らないから」
「でも、α部隊の隊長って言えば、変人で有名ですよね」
「変人? どんな風に?」
この場ではサヤカが上官であり最高責任者である。だから雑談も可能だったが、一等構成員がいれば速やかに叱責されるだろう。
「ほら。何だか制服も着てないって言うじゃないですか」
「裸なの?」
サヤカは思わず吹き出した。ウィルの実力部隊の頂点に立つ人間が裸の変人だというのはなかなか面白いジョークだ。ケイトは笑いながら、「違いますよ」と言った。
「変わった服装らしいですよ。独特のファッションセンスって言うか」
「ウィルの頭に近い人がそれだったら、私達も制服を少しは涼しい仕様に変えてもらいたいものね」
長袖のぴっちりした緑色の制服を摘んだ。任意だが、手袋も装着する人間もいる。季節はこれから夏に向かおうというのに、これでは蒸すばかりだ。サヤカは襟元を緩めて風を通した。
「全くですね。このウィルの制服、もうちょっと可愛くならないかなぁ」
ケイトが制服を見やって呟く。ウィルの女性用の制服も男性用の制服とさして変わるところはない。もう少し位が上になれば、進言してみてもいいかもしれない、とサヤカは思った。
「カスタマイズすれば?」
「怒られますよ」
「いいんじゃない? 隊長殿は勝手気ままな服装だし」
サヤカはβ部隊の隊長を頭の中に思い描く。β部隊には一等構成員はいないため、実質的に数人いる二等構成員が分担して副隊長の役割をこなしている。そのためサヤカは隊長と接する機会は多かったが、いい感情は抱いていない。
「カガリ隊長ですか。あの人強いんですけど性格に難ありですよね」
上官の悪口には違いなかったがいさめる事もせずに、サヤカは頷いた。
「そうね。強いんだけどね」
「反則クラスでしょ、あの人の手持ち。どうして上はあんないい加減な隊長にあんなポケモンを渡したんでしょうねぇ」
ケイトが空を仰ぎながら口にする。サヤカは微笑みながら、「全く、その通り……」と呟いた。世の中は割に合わない事だらけだ。
その時、視界の隅に船影が映った。サヤカはすぐさま二等構成員の顔に戻り、ケイトへと指示を飛ばす。
「双眼鏡」と言うと、ケイトもすぐさま察したのか手渡した。サヤカは双眼鏡越しに船の全体像を見やる。船の帆に描かれた反転した「R」の文字にただならぬものを感じた。
「リヴァイヴ団の船と確認。総員、戦闘態勢」
二等構成員の声に全員が緩みかけていた気を引き締めた。ホルスターに手を伸ばし、停泊するのを待つ。もしかしたらリヴァイヴ団は停泊するつもりなどないのかもしれない。大人しくウィルに捕まるくらいならば自爆、ということさえも考慮してそうだ。サヤカは緊張が走ったのを感じた。指先を強張らせ、近づいてくる船を見つめる。船は、しかし予想とは反して大人しく船着場に停まった。タラップが下ろされ、乗務員が先に降りてくる。サヤカは駆け寄って、「ウィルです」と名乗った。
「この船を検分させていただきたい。構わないな」
その言葉に乗務員は虚ろな目を向けた。サヤカは奈落へと通じていそうなその目に何かしら不可思議なものを覚えた。まるで地獄でも見てきたかのような目だ。問い質そうとする前に、「その必要はない」という声が船から聞こえてきた。身を強張らせていると、「構えるなよ」とフードを目深に被った男が降りてきた。サヤカはすぐさま戦闘の声を飛ばす。
「リヴァイヴ団か」
その声に男は、「おいおい」と首を引っ込めた。
「これが見えないのか」
男は肩口に刻まれた文字を示す。サヤカが目を向ける。「WILL」とあった。すると、導き出される答えは一つしかない。
「あなたが、α部隊隊長……」
「そう。α部隊隊長アマツ。出迎えご苦労様」
その声にサヤカは上官への挙手敬礼を思い出して踵を揃えた。
「失礼しました」
「そう硬くなるなよ。私もこのなりだからな。誤解される事はよくある」
その言葉を発した後、アマツはサヤカの胸元を凝視した。サヤカはその視線に思わず後ずさり、身体を抱く。
「な、なんでしょうか」
「いや」
アマツが手を伸ばす。サヤカは振り解こうとして、上官の前だという事を思い出した。しかし、辱められるのはよしとしない。近づいてきた手を片手で払った。払われた手をぶらぶらとさせて、アマツはサヤカの胸元を指差した。
「襟元が開いているから、忠告しようと思ったんだが」
その言葉に先ほど自分で風を通すために開けた事を思い返し、サヤカは顔から火が出るほど赤くなった。慌てて襟元を正し、「失礼しました」と声を発する。
「いや、いいんだ。私もそういう事に関しては無頓着だから。不用意に君に触れようとしたと思われても仕方がない」
アマツがフード越しに後頭部を掻いた。サヤカが戸惑っていると、歩み出てきたのはケイトだった。
「アマツ隊長。ご無事でしたか」
そうだ、まずそれを聞かねば。思い出したサヤカは問いかけた。
「リヴァイヴ団の襲撃は?」
「ああ、あった」
何とも思っていないようなその声に面食らったのは二人共だった。アマツは、「後から色々と言われると面倒だ」と口を開く。
「君達に見てもらおう」
そう言ってタラップを上がっていく。サヤカはふと乗務員の姿が目に入った。彼らは一様に震えていた。何が起こったのか、問いかけたい衝動に駆られたがそれは目の前の事を済ませてからだ。サヤカはアマツに続いて船の中へと入った。船の内部は奇妙なほど静かだった。他の乗客がいなかったのだろうか。まるで生活感がない。アマツは甲板に上がる前に、二人に忠告した。
「出来るなら女性には見せたくないんだが。まぁ言っておくと、吐くなよ」
その言葉の意味を解しかねて、サヤカとケイトはアマツに続いて甲板に上がった。その瞬間、鉄のような臭いが空気中に充満しているのを感じた。甲板に目を向けると、甲板が赤く染まっている。黒々とした物体がそこらかしこに転がっている。最初にその光景を理解したのはケイトだった。ケイトは短い悲鳴を上げて後ずさると、身体を折り曲げた。その場に胃の中のものを吐き出す。アマツが困惑したように首を傾げて、「悪い事したかなぁ」と言った。
「やっぱり女性に見せるものじゃなかったか」
その言葉でようやくサヤカも理解した。広がっている赤は血溜まりだ。見れば、黒々とした物体は人間だった。人が尊厳を叩き潰されたように転がっている。もちろん生きてなどいなかった。サヤカはせり上がってくる熱いものを感じながらも、ぐっと堪えて死体に近づいた。アマツが、「襲ってきたのは向こうからだから正当防衛で片付けて欲しい」と口を挟む。サヤカは視界がぐらつくのを感じながらも頷いた。
「……分かっています。この船自体がリヴァイヴ団の用意したものである事は自明の理ですから」
サヤカは死体の一部を検分した。見れば見るほどに惨たらしい殺され方をしている。ある者は顔を寸断され、ある者は全身を焼かれている。血を吸った葉っぱが落ちており、サヤカは手袋をつけてそれを拾い上げた。
葉っぱはサヤカが触れた直後に空気に溶けるように消えていった。他の死体へと視線を移す。腹部を砲弾で貫かれたような死体があった。風穴が開いており、血が既に凝固している。周囲は水で湿っている。中には全身が焼け爛れ、粘膜が焦げている死体もあった。すぐに判断を下すことは出来ないが、先ほどの焼かれた死体とは別の殺され方に見えた。
襟元に「R」を逆さまにしたバッジを全員がつけている事を確認する。つまり彼らは全員リヴァイヴ団だという事だ。死体の様子から、サヤカはアマツが彼らを殺してそのまま何事もなかったかのように船旅を続けたのだと推測した。乗務員達もこれを見たのだろう。自分が操縦する船の上で人殺しが公然と行われたのならば、地獄を見たような気分になるのも無理からぬことなのかもしれない。
サヤカは死体の中の一つに目を向けた。全身が壊死している。眼球が裏返っており、凍傷によるものだとサヤカは判断した。しかし、先ほどから纏いつく違和感は何なのだろうか。サヤカは再び周囲を見渡す。
火傷、葉っぱ、凍傷、水――。明らかにおかしいのは四つ以上の殺され方をしている事だ。サヤカは顎に手を添えて考え込んだ。
カイヘンに渡る上で、手持ち制限を受けているはずである。それは海上でも有効で、ポケモントレーナーは二体までしか所持出来ない。だというのに、殺され方はばらけている。サヤカの肩へとアマツが手を置いた。サヤカは思わず勢いをつけて振り返る。アマツがきょとんとして、「ここはもう他の構成員に任せればいいだろう」と言った。
「ハリマシティまで案内して欲しい。私はカイヘンに来るのは初めてだから」
「ああ、はい」
サヤカは片手で額を押さえながら何度か頷く。
「案内します。ついてきてください」
気分の悪さを抑えながら、ケイトへと声を振りかける。
「ケイト。後は頼みます」
青い顔をしながらケイトが頷いた。サヤカは予め停めておいたタクシーへとアマツを先導した。アマツはタクシーに乗り込んで脚を組んだ。サヤカが前の席に乗り込み、「ハリマシティまで」と告げる。
タクシーが静かに発進した。