ポケットモンスターHEXA BRAVE - 虚栄の頂
第六章 二節「天」
 ――リヴァイヴ団演説の61時間前







 潮風というものがアマツは嫌いだった。

 海の生き物の腐った臭いだという。

 腐臭を嗅ぎながら旅というのは気分のいいものではない。

 だからアマツは船も好かない。しかし、甲板に出なければ息が詰まりそうだった。カントーからカイヘンに向かう便では特にそうだ。八年前のヘキサ事件を契機としてカイヘンは実質的な鎖国政策に晒され、人の行き来さえ自由ではない。アマツは甲板に出て双眼鏡を取り出した。遥か遠く、獣のように横たわるカイヘン地方の本土が見える。アマツはそれを見やってため息をついた。フードを目深に被り、前髪をいじる。

 カイヘンからの通達でカントーから呼び出された時には肝が冷えた。リヴァイヴ団との抗争の場であるカイヘンへ渡るのは自分の仕事ではない、と突っぱねようとしたが、それを制したのは上の鶴の一声だった。

「今は猫の手も借りたい、と総帥のお達しだ」

 カイヘンはハリマシティに総帥をはじめウィルは陣取っている。ハリマシティは聞けばリヴァイヴ団の本拠地と目されているらしい。敵対組織が同じ街に根城を構えているというのは聞けば聞くほどに悪い冗談としか思えない。アマツは左手につけたポケッチを見やった。カイヘンではポケモントレーナーならばポケッチの常時装着が義務付けられている。話には聞いていたが、これほど窮屈なものもない。

「まぁ、手持ちはどうせ一体だからいいのだが」

 呟いてみて、アマツはどうしてこうなったのかと考えを巡らせた。元々、切羽詰った状況というのが好きではないのだ。だというのに、舞い込んでくるのはいつだってのっぴきならない状況で、手の加えようのない情報である。

 アマツは、情報は速さだと思っている。だというのに、鮮度の涸れた情報を平気で回してくる上層部の事を理解出来ない上にしたくもない。彼らは結局、実働部隊に厄介事を回してくるのが得意なだけなのだ。自分では何一つ出来ないくせに、他人にはそれ以上を押し付ける。使えない人間の典型と言えた。

 アマツはため息をつく。船首の手すりにもたれかかり、陰鬱な息を漏らした。どうせカイヘン本土に着けば、息つく間もなく隊首会だ。それが憂鬱で仕方がない。何が楽しくて顔を突き合せなければならないのか。どうせ渋面だろうに。

「それも仕事、か」

 アマツは肩口に刻印された「WILL」の文字をなぞる。しかし、アマツが纏っているのは緑色の制服ではない。黒色のパーカーだった。

「いっその事、カイヘンなどリヴァイヴ団に明け渡してやればいい」

 上の前では決して口にはしない事だったが本音だった。カイヘンはもう食い潰されて終わりだ。カントーが政事と経済では実権を握り、イッシュが航空産業を支配し、ホウエンが技術を吸い尽くそうとしている。カイヘンに何が残ると言うのだ。何も残らない、涸れ果てた荒涼とした大地が残るだけではないか。そこに住んでいる人々に同情はすれど、同じにはなりたくないとアマツは感じていた。

 カイヘンの人々は時代に取り残された遺児達だ。そこで反抗の凱歌を奏でようなどという輩は時代遅れの産物だと言う他ない。ほとんど天然記念物のような彼らを血の一滴まで吸い尽くすのが自分達の役割とは、とアマツは自嘲しようとして果たせずに結局、唇の端を下げた。

 今は冗談で自分を慰めるよりも、憂鬱だという感覚が勝っている。この状態では仕事もまともに手につかないだろうという予測はついた。そんな身を持て余している自分に上層部は何を期待しているのか。アマツは手すりに体重を預けながら空を仰いだ。雲一つない青空が突き抜けている。

 アマツは遠く離れたカントーを見やろうと背中を向けた。もうカントーの本土は見えない。かつてカントーとカイヘンはリニアラインで結ばれ、海域を貫くリニアラインの線路が見物だったというが、打ち捨てられたリニアラインはもう滑稽か、それとも侮蔑の産物でしかなかった。カイヘンと繋がっていたという屈辱。他地方からすれば歴史から消し去りたいだろう。

「身勝手なものだな」

 アマツはリニアラインの廃線を見つめながら呟く。繁栄の象徴が一気に貶められる感覚とはどのようなものなのだろう。カイヘンはコウエツシティも似たような被害を受けたと聞く。

 コウエツシティは貿易都市として栄え、特にカントーとの交易が盛んだった。しかし、今では輸入制限に加え、経済をカントーが掌握する事による循環機能の麻痺によってコウエツシティは見られたものではなくなっているそうである。アマツはポケットに入れておいたタウンマップを取り出した。四つ折りにしてあり、広げると細かい文字でカイヘンの街に対する評価が書かれている。カントーのライターが書いたものなのでかなり主観が混じっており、中にはカイヘンを侮辱するような内容まであった。コウエツシティは今や海上都市としての機能のほとんどを失い、ただそこにあるだけの街と化している、とある。

「チャンピオンロードの前の街なんだから、それなりの設備はありそうなものだが、全部カワジシティに取って代わられたか」

 本土側にある港町、カワジシティはコウエツシティの評価とは逆に活気盛んな港町と高評価である。これはかつてコウエツシティが担っていた役割のほとんどがカワジシティに委譲されたための事である。現にアマツが乗っているこの船もカワジシティに停泊するようだ。アマツはその点に関しては無頓着で、行き先と帰り道さえ分かればいいという始末だった。タウンマップを眺めながら、アマツは首都タリハシティがあった場所を探す。「危険指定区域」と赤い文字で記されていた。ちょうど六角形に削られており、ヘキサの蛮行を未だ許さずといったカントーの姿勢が見え隠れする。

「こういう嫌がらせだけは得意だな。カントーは」

 自分が生まれ育った地の皮肉を口にして、アマツは鼻を鳴らした。カントーが故郷だからと言って、大した感情が湧き上がらないのはどうしてだろうか。きっと、汚れた地だからだ、とアマツは結論付ける。八年前に空中要塞ヘキサがシロガネ山へと突き刺さり、その身を横たえている光景を多感な時期に見せられればそれなりに諦観する。自分の人生と、生まれに嫌気が差したのはそのせいだとアマツは考えていた。

 他地方の汚れを纏って、それでも平然としていられる市民のほうが少ないだろう。さらに年を遡れば、ロケット団という組織の温床となっていたという過去もある。穢れを排斥した結果、そのつけが返ってきたわけだ。

 笑おうとしても果たせないのは、畢竟、因果応報だという現実を見せ付けられたからだろう。カントーは不浄の地だった。全ての因果が集中する土地だから、余計な汚れも抱え込む事になる。ヘキサはお歴々の目を覚ましたかに思われたが、その実は逆効果で、彼らを過剰反応させただけだった。他地方への侵攻という未曾有のテロ行為に、他地方の行政への介入という無様なやり方を選択させた。

「どっちが汚された側だか……」

 アマツはタウンマップをゆらゆらと翳して太陽に透かした。百円もしないタウンマップは安い紙で青空までも透けるようだった。

 その時、タウンマップ越しに人影が見えた。甲板に上がってきた人間だった。アマツは他人に関心を向けないほうだったが、その人影からアマツへと声をかけてきた。

「いい船旅ですか?」

 アマツはタウンマップを取り下げ、その人間を見やる。男だった。髪を撫で付けており、いかにも人がよさそうに目を細めている。アマツは対照的に無愛想な眼差しを向けた。

「私は船が嫌いなんだ。その質問はナンセンスだな」

「これは奇遇で。実は私も苦手なんですよ」

 男が両手を揉んでアマツへと話しかける。面倒だな、とアマツは感じたが、言葉の表層にも出さずに、「そうですか」と応じた。

「だというのに何故船で?」

 アマツへと男は片手を差し出して尋ねてくる。他人の事に干渉してくる人間はアマツの苦手な部類だった。

「聞いてどうするんだ? 私が嫌いだからと言って今すぐに海に飛び込むとでも?」

 その言葉に男は肩を揺らして笑った。片手を振って、「いやまさか」と口にする。アマツは手すりに体重を預けながら、「船は嫌いだが、泳ぐのはもっと嫌いだな」と言った。

「そうですか。この辺りは遠泳区域でもありませんし、誰もいませんからね。誰もいない海を泳ぐほどつまらないものはない」

「だろうな。それで、何の用だろうか。私はきちんとチケットを渡して乗船したはずだが」

「そういう不備ではないんです。いや、むしろ乗っていただいて感謝しているところですよ」

「と、いうのは?」

「いえね」と男は声を潜めて顔を伏せた。アマツが怪訝そうな目を向けていると、男が口にした。

「飛んで火にいる夏の虫、と言いますか。あなたはまさしく巣にかかったのですよ」

 男が片手を振り上げる。指をパチンと鳴らすと、船の帆が広がった。帆には水色の「R」の文字が逆さまに刻まれていた。

「我がリヴァイヴフリゲートに乗船なさった時点でね!」

 男が顔を上げる。口角をいやらしく吊り上げ、細い眼が蛇のようにアマツを睨みつけた。アマツは帆に描かれた「R」を見やり、目の前の男を見た。襟元に「R」のバッジがあった。アマツは顔を手で押さえ、「あーあ」と口にした。

「なるほど。私は無知にも自ら君達の根城に単独で乗り込んだというわけか」

「その通り。覚悟してもらいましょう」

 その言葉に甲板へと数人が踏み込んできた。慌しい足音が鳴り響く。服装や年の頃はバラバラだが、全員に共通しているのは「R」のバッジと腰に提げたモンスターボールのホルスターだった。前に立った男がホルスターからモンスターボールを引き抜いて叫ぶ。

「私はリヴァイヴ団特務部隊、インビジブルラインのリーダー、シノノメ! あなたがこのリヴァイヴフリゲートに乗船する事、全てが計算のうちだった。おかげで乗務員以外は全てリヴァイヴ団員で構成させてもらった。あなたは、逃げ帰る事も出来ない。当然、カイヘンの土を踏む事もない。この場で海の藻屑と消えてもらいましょう」

 団員達が戦闘態勢に入り、ホルスターからモンスターボールを引き抜く。統率された動きだった。アマツはその動きと「R」の刻印された帆を見やり、乾いた拍手を送った。

「なるほど。海上で楽しむにはなかなか凝ったショーだ。私も退屈していたんだ。あと数時間、この船でタウンマップと睨めっこをしながら時間を潰すのかと思うとね。こういう趣向を凝らすのは、嫌いじゃない。子供の頃を思い出させる」

「子供の頃ですって? あなたは今の状況、どう考えているのですか?」

 シノノメと名乗った男が口元を歪ませて尋ねる。アマツは思った通りのことを言った。リヴァイヴ団員達を指差して一言漏らす。

「子供の頃に見た戦隊ショーにそっくりだ。特に悪役のゴキブリみたいにわんさか出てくる雑魚共にな」

 その言葉にシノノメは細い目をさらに細めて口にした。

「その悪役の雑魚に、あなたはやられるのですよ。ウィルα部隊隊長、アマツ!」

「驚いた。既にこちらの事をご存知だとは」

 潮風がアマツのパーカーを煽る。フードが取れそうになって、アマツは目深に被り直した。シノノメが引きつったような笑い声を上げた。

「当たり前でしょう。あなたはここで死ぬのです。インビジブルラインはリヴァイヴ団の中でも隠密行動に長けた部隊。ウィルとて我々の邪魔立てはさせない。さぁ、断末魔をお聞かせください! いけ――」

 シノノメがモンスターボールの緊急射出ボタンに指をかけようとしたその時、「まぁ、焦るなよ」とアマツが片手を差し出して口にした。

「一瞬で決着がついたら面白くないだろう? ショーのように楽しませてくれ」

「あなたにそれを言う権利があるとお思いか?」

「あるね。なにせ私は乗客だ。乗務員は安全で理想的な旅を提供する義務がある」

「ここで終わるのがそんなに惜しいか、アマツ。時間稼ぎをしようとしても無駄だ。我々はあなたを抹殺する」

「あっ、そう」とアマツは口にして唇を斜めにした。その笑いの意味を汲み取りかねたシノノメが表情を歪ませる。

「何故笑う? この恐怖におかしくなったのですか?」

「おかしいっちゃ、おかしい。どうしてそこまで余裕のうちに私を殺せると思っているのか。どうしてα部隊の隊長が、隊員も引き連れずに乗船していると思っている」

 アマツは手すりから離れて団員を見渡した。一人一人、指差して確認する。シノノメが面食らっているとアマツは片手を広げて言い放った。

「五分だ」

「何を――」

「五分で、貴様らゴミを駆逐する」

 その言葉に呆気に取られていたシノノメ達だったがやがて俄かに笑い始めた。奇妙な笑い声が甲板に広がる。団員達も笑っているのでアマツも口元に笑みを浮かべると、シノノメが細い目を開いた。

「笑わせるんじゃないぞ! 嘗めた口を聞いて。いけ――」

「――行け」

 シノノメの語尾とアマツの言葉が重なる。その言葉尻を裂くようにアマツの背後の空間が歪んだ。赤い粒子が霧散し、空間から何かが引き出されていく。シノノメは緊急射出ボタンにかけた指を止めてそれを見入っていた。ピンク色の光を纏い、空間から無理やり引き出される物体を全員が凝視していた。次の瞬間、重い音を立ててそれらが一挙に放たれた。

 甲板の上に広がった光景にシノノメは絶句した。空間から引き出されて現れたのは、家電製品だった。冷蔵庫や電子レンジ、掃除機や扇風機、洗濯機である。それも旧式のとてもではないが使い物になるとは思えないものばかりだった。シノノメは目を見開いていたが、やがて、「何だそれは」と堰を切ったように笑い始めた。

「おもちゃか? まさかモンスターボールに家電製品を詰め込んでいたのか? ポケモンでもなく、家電製品で、我ら隠密部隊を倒そうとでも」

「おかしいか?」

「おかしいも何も」

 シノノメは団員達と目配せし合い、手を叩いて笑った。アマツはその様子を見ながら、「おかしいだろ」と口にして笑みを浮かべようとすると、怒声が遮った。

「我々を嘗めるのも大概にしてもらおうか! アマツ! ウィルとはいえ戦場においてこのような愚行! 我らを侮辱するか!」

 意想外の言葉にアマツは肩を竦めた。

「そんなつもりはなかったんだが」

「黙れ! この戦場において既に開く口のない事を知れ! ポケモンも出さずに――」

「既に出している」

 放たれた言葉にシノノメは硬直した。しかし、「何を馬鹿な」と否定する。

「家電製品しか出ていない。それも旧式の。それで我ら特務部隊を? 五分で? それほどまでに我らを愚弄するとは、ウィルが口先だけの組織である事の何よりの証明。ここで断ち切らせてもらう」

「そうか。お前らには見えないのか」

 アマツが口にした言葉にシノノメは眉をひそめた。

「見えない、だと。何がだ」

 その時、ブンと家電製品の一つが動き出した。扇風機が回転し始めている。シノノメは扇風機のコンセントを見やった。しかし、どこかに接続されている様子はない。薄ら寒いものを覚えつつも、「だからどうした」と恐怖を振り払う声を張り上げる。

「家電製品を動かすポケモンでも出しているというのか? だとすれば、お門違いだな。この場で家電製品を動かすだけで我らが殺せるとでも――」

 その言葉尻を劈くように、扇風機から十字の光が瞬いた。一瞬の光芒を煌かせ、風の刃がシノノメの背後にいる団員の顔面に突き刺さった。団員が顔を押さえて呻き声を上げる。シノノメが目をやると、今度は他の団員が悲鳴を上げた。視線を移すと、その団員の顔が焼け焦げていた。粘膜が爛れて炭ばかりになった顔を押さえている。

「何が、起こって……」

 シノノメが状況を解する前に、今度は鉄砲水が放たれた。弾丸のような水流が団員の一人の腹部を貫いている。団員はよろめきながらその場に仰向けに倒れた。十秒も経たないうちに三人の団員がやられた事にシノノメは戦慄の眼差しをアマツに向けた。アマツの手元に視線を向ける。しかし、何かを仕出かした様子はない。新たにボールを引き抜いた形跡もなければ、攻撃の指示を出したような感じでもない。シノノメは後ずさり、「何だ? 何をしている」と声を出した。何か口に出さなければ状況に呑まれてしまいそうだったからだ。

「どんな術を使っている?」

 術、という言葉にアマツは弾かれたように笑い出した。甲板の上に笑い声が木霊する。シノノメは腕を振り翳して、「何のつもりだ!」と叫んだ。アマツがフードを目深に被りながら、「いや、おかしくってね」と返す。

「術など、時代錯誤の言葉だろう。今や、全ての現象は科学とポケモンによって証明される時代。その時勢において術などという言葉を使うとは。原始人か、貴様らは」

 アマツの言葉にシノノメは唇を震わせた。怒りに奥歯を噛み締めて、喉の奥から声を発しようとする。

「……アマツ。何を」

「私のやっている事が一回で分からないのならば、それ以上に追及する事はお勧めしない。したところで、意味がないのだからな」

「馬鹿にするなと……」

 声に出そうとした瞬間、キィと冷蔵庫が開いた。冷蔵庫の中を見やる。中には何もいなかった。しかし、電流が走り、オレンジ色の光が一閃したかと思うと、白い眼球が浮かび上がり、乱杭歯の並んだ歯が見えた。

「あれは……」

 シノノメが言葉を発しようとした瞬間に、全身を冷気が襲いかかった。指先から壊死していく。包み込む冷気は団員達を巻き込み、一人、また一人と氷付けにされていく。シノノメは猛吹雪の中に取り残されたかのような感覚を味わう事となった。指先の感覚が麻痺して緊急射出ボタンを押す事が出来ない。シノノメが目を見開いていると、眼球さえも凍てつきそうになった。その視界の中で冷蔵庫の中にいる存在が嗤う。

「アマツ……! これは、このポケモンは……」

 冷気に煽られてアマツの被っていたフードが取れる。アマツは口角を吊り上げて嗤っていた。

「さよならだ。リヴァイヴ団の諸君」



オンドゥル大使 ( 2014/01/02(木) 19:25 )