ポケットモンスターHEXA BRAVE












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虚栄の頂
第六章 一節「72時間後……」
 ハリマシティは夜の帳の中にあった。

 夜光虫のように煌くネオンと青い月明かりが降り注いでいる。ハリマシティの中で最も巨大なビルにはオーロラヴィジョンが備え付けられており、街行く人々は時折眺めては行き過ぎていた。

 何一つ変わらない。欠伸が出そうなほどに退屈な日常を人々は享受している。オーロラヴィジョンは定時でバラエティ番組を流している。垂れ流される情報に誰も興味を持たない。人々は自分達の営みに埋没し、他者の生き方になど興味を示さないのが常だった。

 その時、オーロラヴィジョンにノイズが走った。

 それに最初気がついたのは、両親と連れ立って道を歩いていた子供だった。子供が片手を上げてオーロラヴィジョンを指差す。それにつれて、他の人々も異常に気づいた。ノイズの波が大きくなり、タレントの顔が歪んだかと思うと、一瞬にして映し出されたのは暗がりになった。

 足を止めて人々が振り仰ぐ。何が起こっているのか、と口々にざわめく。その実、誰も分かっていない。今、何が起ころうとしているのか。「故障?」「トラブルじゃね?」と言い合い、オーロラヴィジョンを見やって端末を取り出し、写真を撮る。

 その時、砂嵐が走った。誰もが機器のトラブルだと思っていた。しかし、次の瞬間常闇が映し出された。それすら、まだ故障だと疑わない人々へと常闇の一点が晴れ、明かりを灯す。中央に男が立っている。スポットライトを浴びた男は長髪を後ろで括っていた。鳶色の瞳をしており、射るような光を灯す。白いジャケットを羽織っている。その眼光に、道行く人々がたじろぎ、目を向けた。

「どうなっているんだ」という声が上がる中、男はゆっくりと口を開いた。

『今宵をお過ごしの紳士淑女の皆さん、勝手ながら電波をジャックさせていただいた。まずは名乗る必要があるだろう。我々はリヴァイヴ団、その現在の総帥である私の名はランポ。リヴァイヴ団を束ねている』

 ランポ、と名乗った男の言葉に群集はざわめいた。これも一種のショーだと思う者もいれば、八年前を思い出して口にする者もいた。

「これは、テロか」

 テロ、という誰とも知れぬ者が発した声が波紋のように広がっていく。「テロだって」「馬鹿な」と口々に言い合う。ランポはゆっくりと片手を上げて、拳を形作った。

『驚かれるのも無理からぬ事。しかし、落ち着いて聞いていただきたい。我々リヴァイヴ団は何もテロをしようというのではない。我らが求めているのはあるべきカイヘンの姿だ。今、あなた方はカイヘンに生きている。しかし、本当の意味で生きていると言えるのか。カントー独立治安維持部隊ウィルに支配、統治されたカイヘンは果たして生きていると言うに値するのか。私は、これを緩やかな退廃、言うなれば死であると考えている』

 オーロラヴィジョンに映し出されたランポへと人々が端末を向ける。彼らは何かが起こっているなど想像していない。ただ、普段とは少し違うことに関心を向けているに過ぎない。それを察してか、画面の中のランポが口にする。

『あなた方はカイヘンに生きているが、独立治安維持部隊の蛮行を知っているのか。我々リヴァイヴ団はウィルの悪行を世に暴いてきた。今まで幾度となく。しかし、それでも人は変わらないではないか。変わろうともせず、変わる努力を放棄した人々。私はあなた方が自らカイヘンのあるべき姿を放棄し、そこから目を背けているような気がしてならない。カントーの支配に甘んじ、カイヘンの誇りを失ったあなた方は牙を抜かれた獣と同義。そこには矜持もなく、ただ日々の安寧を貪るだけならば人間である必要性はない』

 その言葉に、「ふざけるな!」と怒声が飛んだ。それに合わせたように、「そうだ」と声が上がる。

『私は何も人間存在を否定しようというのではない。しかし、カントーに与えられた餌にむしゃぶりつき、骨の髄まで腐りきったあなた方はカイヘンに生きる資格があるのか。それを今一度問いかけるため、リヴァイヴ団は混迷の象徴として立ち上がる事を決意した』

 ランポの背後の闇が光によって剥がれ、「R」を逆さまにした図形が明らかになる。それを見た人々が息を呑んだ。ようやく、これがパフォーマンスではない事を理解し始めたのか。彼らの面持ちに緊張が走る。しかし、それでも未だ疑念を抱いている人々がいた。「悪戯にしても性質が悪い」と口にする彼らへと語り聞かせるように、ランポはゆっくりとした口調で声を発した。

『カントー独立治安維持部隊ウィルの支配からカイヘンを解き放つ。そのために、我らは武力でもって立ち上がる事をここに表明する』

 その言葉と共に無数の羽音が聞こえてきた。群集が空を振り仰ぐと、ビルの合間から翅を震わせたポケモン達が現れた。

 星空を覆い尽すその数に人々が目を見開く。

 緑色の大型の虫ポケモンが長大な翅で空を引き裂く。赤い複眼を有しており、頭部から背筋にかけて棘上の突起が波のように並んでいる。節足を動かし、長い尻尾を振るった。尻尾の先にも翅がついており、その虫ポケモンは内側へと尻尾を巻いた。次の瞬間、先端から弾き出された何かがビルの一部を抉った。まるで砲弾のように撃ち出されたそれに一同がざわめき声を高くする。本気である、と察した人々の行動を制するようにランポは言葉を続けた。

『これはテロではない。しかるべき報いである。カイヘンの人々はウィルによって偽りの平和を享受する事を覚えさせられ、既に八年前のヘキサ蜂起を忘れているのではないか。忘却の彼方に捨て去っていいものでは決してない。今もまた、カイヘンは危機と困惑の中にあるのだ。あなた方と同じように』

 虫ポケモンの中には両腕に針を有したポケモンも存在した。それを認めた人間の一人が、「動いちゃ駄目だ!」と声を張り上げる。

「スナイパーの特性を持っているぞ。動いたらやられる……」

 その声に群衆の中から、「嫌だ」と声が上がった。喘ぐような声音に子供が泣きじゃくる声が混じる。言い知れぬ恐怖と緊張感に耐え切れなくなったのだろう。中には叫び声を上げて逃げ出す人間がいた。ビルの一角にあるガラスのショーウィンドウへと虫ポケモンが赤い複眼を光らせて目を向ける。針の先端を突き出して、光が十字に弾けたかと思うと、撃ち出された毒針が銃弾のようにショーウィンドウに突き刺さった。ガラスが割れ、欠片が降り注ぐ。群集がパニックに塗れ、叫び声を上げる。

『私は平和的に全てを解決したい』

 ランポの声に人々は目を向けた。赤い眼の虫ポケモンが空を支配する光景に、「……神様」と膝を折る者もいた。その言葉を見透かしたようにランポは告げる。

『この世界は神などいない。だからこそ、人間は自分達の力で這い上がっていかなくてはならない。支配されるだけの日々でいいのか。もっと別の、可能性を掴み取れる未来を選択するべきではないのか。私はこう感じている。カイヘンの人間ならばそれが出来ると』

 ランポが拳を振り翳して民衆に訴えかける。瞳に宿した光は指導者のものだった。

『足掻くのだ』

 ランポの声に茫然自失の人々がオーロラヴィジョンに視線を固定する。

『足掻かなければ何も生まれない。未来のために足掻け。それこそリヴァイヴ団があるべきカイヘンを取り戻すために民衆に言える事だ。リヴァイヴ団はカイヘンのために立ち上がる人間の味方だ。カイヘンのためならば我々は喜んで矢面に立とう。たとえ滅びの道を歩もうとも、リヴァイヴ団の犠牲がカイヘンの民の目を覚ますのならば、かつてロケット団がそうであったように混沌の象徴として――』

 ランポが拳を掲げる。それに応じるように拳を上げる者がいた。それは最初こそ取るに足らないものだったが、やがて大きなうねりのように群衆から声が上がり、拍手喝采の波が押し寄せる。

『今ここに、リヴァイヴ団はカイヘンの自治約束を宣言する組織として独立を――』

 ランポの満身から放たれようとした声を遮るように、轟音が響き渡った。オーロラヴィジョンの中のランポが戸惑ったように視線を巡らせる。人々も音のしたほうを見やった。

 ハリマシティにある高層ビルの内の一つが闇に塗り込められていた。人々は先ほどまでの興奮を忘れ去って、それに見入っている。画面の中のランポも音の方向へと目を向けていた。カントーはヤマブキシティの建築様式を真似たビルの中の一つ、針葉樹のようなビルを闇が呑み込んでいた。

「……どうなっているんだ」

 誰かが口にした瞬間、闇が弾けビルが音を立てて崩落する。砂塵が血飛沫のように舞い散り、吹き荒れた風が時間差で人々の身体を嬲った。

 轟、と吹き荒ぶ一陣の風がガラスを瞬く間に割っていく。街灯が弾け飛び、街が闇の中に沈んだ。

 たじろいだような虫ポケモンへと何かが組み付いた。人々がビルからそちらへと振り返る。虫ポケモンへと灰色の影が躍りかかっていた。見上げる瞳には、熊のような巨大な影に見えた。その影が片手に氷柱を生成し、虫ポケモンの身体を力任せに引き裂いた。赤い血潮が花火のように弾け、虫ポケモンが翅を失って落ちていく。灰色の影は中空に躍り出たかと思うと、一瞬にして瞬きと共に掻き消えた。次に現れたのは別の虫ポケモンの頭上だった。氷柱が打ち下ろされ、虫ポケモンの頭蓋を割った。

『何が起こって……』

 狼狽気味のランポが画面外へと問いかける。すると、先ほど闇に固められたビルの向こうから地獄の底のような呻き声が発せられた。人々は端末のカメラ越しにそれを見た。青い月を背にして、黒い影が飛び上がっていた。巨大なボロボロの黒い翼を広げている。蛇腹のようになっている首に赤い筋があり、闇の中で光っていた。六本の足をもっており、その姿は通常のポケモンからはかけ離れていた。王冠のような金色の装飾が首周りにあり、赤い眼が射る光を灯している。

「あれは、何だ……」

 人々が困惑を口にする。何が起こっているのかまるで分からない。突如現れた黒い翼のポケモンは一声鳴いた。

 その声が鳴動し、ガラスを叩き割っていく。声だけでその場に膝をついた者もいる。祈りを捧げるように両手を組んでいると、上空から虫ポケモンの死体が落ちてきた。腹腔に氷柱を突き刺されており、ほとんど即死に近い。見開かれた瞳に痙攣する虫ポケモンの死体が映り、誰かが叫び声を上げた。一瞬にして群集が恐慌状態に陥る。彼らは逃げ出そうとした。

 しかし、そんな彼らの眼前を遮るように紫色の閃光が走った。道が断ち割られ、一条の線が引かれる。ビルの谷間から集団が現れた。着ている服はまちまちだが、彼らの襟元には「R」を反転させたバッジが光っている。その中の、頭に包帯を巻いた黒髪の少年が歩み出る。彼の傍には騎士のようなポケモンが侍っていた。出刃包丁のような両手を持っており、先ほどの閃光はそこから発せられたのだと知れた。少年は民衆に声を振り向ける。

「その線から先に進む事は許されない。お前らはリヴァイヴ団の言葉を聞いてもらう。安心しろ。殺しはしない。その線から先に行かないのであれば――」

 その言葉尻を遮るように、パニックに陥った者の一人が線を踏み越えた。その人間を横目にした少年は舌打ちを漏らす。

「……これだから、馬鹿は嫌いなんだ」

 少年の傍にいたポケモンが動き、線を踏み越えた者へと一閃を腹に打ち込んだ。呻き声を上げて、人間が倒れる。その様子に線の向こうの人々が叫びを上げた。

「安心しろ!」と少年には似合わぬ声が張り上げられる。

「殺していない。峰打ちだ。だが、これ以上手を煩わせるならば、峰打ちでは済まないかもしれない」

 その言葉にざわめいていた人々がしんと水を打ったように静かになった。

 少年が息をついていると、「甘いな」と声が聞こえてきた。人々が顔を振り向ける前に、ピンク色の閃光が走った。三方向へと同時に閃光が走り、人々を切り裂いていく。迷いのない太刀に人々が恐れ戦く声を出した。目を向けると、黒い外套を身に纏った男が先頭に立っていた。後ろには緑色の制服を身に纏った人々がいる。肩口に白い縁取りで「WILL」とあった。しかし、男を先頭とした部隊は人々の存在などまるで眼中に入っていないかのようだった。一人が動き、男へとすがりつく。すると、声が走った。

「衆愚が」

 その声と共にすがりついた人間の身体が横に断ち割られた。上半身と下半身が生き別れになり、鮮血が飛び散る。切り裂いたのは金色のポケモンだった。首筋に三日月のような意匠があり、虹色の羽衣を身に纏っている。浮遊しているそのポケモンの羽衣こそが刃だった。ピンク色の瞳を無慈悲に向けて、そのポケモンが一声鳴く。鋭い声音だった。

 甲高い女の叫び声が上がり、再び恐慌状態に陥った人々が少年の刻んだ線に向けて走り出した。少年が片手を振り翳し、「止まれ!」と叫ぶが人々には聞こえていないようだった。線を踏み越える人々を少年は止める事が出来ずに、その場に立ち竦んだ。リヴァイヴ団の他の団員も同様だった。先頭に立つ男が少年へと視線を向ける。少年は騎士のポケモンを携えて、「あんた……」と声を発した。男が冷たく言い放つ。

「民衆を逃がすな。ここにいた奴は一人残らず確保、または抹殺だ」

 男の声にウィルの構成員がポケモンを繰り出して民衆へと追いすがろうとする。金色のポケモンが羽衣から閃光の刃を飛ばし、逃げ遅れた人々を断ち切っていく。少年が騎士のポケモンへと声を飛ばした。

「キリキザン!」

 名を呼ばれたポケモンが動き出し、羽衣の刃がかかろうとしていた子供を庇うように立ち塞がる。両手で羽衣の刃を受け止めたキリキザンは腰だめに両手を構え、腹部の刃を突き出した。銀色の光が放射され、十字の光を描く。

「メタルバースト!」

 音速を超える鋼の刃が腹部から撃ち出され、金色のポケモンを襲う。しかし、ただ黙している男とポケモンではなかった。

「リフレクター」

 金色のポケモンの前に青い皮膜の五角形が三枚張られ、鋼鉄の弾丸を霧散させた。子供が泣きじゃくりながら逃げる。線を踏み越えていく子供を、少年は一顧だにしなかった。それよりも目の前に現れた男へと少年の視線は固定されていた。

 鮮血の舞う空で虫ポケモンが熊のようなポケモンに氷柱で引き裂かれていく。闇色の翼を広げたポケモンが青い月を背負って咆哮した。オーロラヴィジョンに映ったランポは、ようやく声を出した。

『……今こそ、自覚してもらいたい。ウィルのこのようなやり方が正義なのか。あなた方の命すら顧みない彼らを、正義の組織と呼べるのか。だからこそ!』

 ランポは拳を掲げた。しかし、同調する人間はオーロラヴィジョンの下にはいなかった。

『リヴァイヴ団はカイヘンの自治独立のために、ここにウィルとの宣戦を表明する!』

 その声を聞き届ける余裕のある人間は、この街にはいなかった。一夜にして、安寧を享受する街は戦場へと塗り変わった。



オンドゥル大使 ( 2014/01/02(木) 19:21 )