第五章 十一節「終幕の序章U」
ハリマシティは元々一つ位が下のハリマタウンと言う名前だった。
しかし、首都タリハシティが浮遊要塞と化して首都機能が麻痺し、新たな首都として開発されたのがハリマシティの始まりである。
リツ山が聳える麓のヤマトタウンも候補に上げられたが、あまりにも開発可能な面積が少ない事と、リツ山の観光客を誘致すると言う目的から逸脱すると言う名目上、ヤマトタウンを首都化するのは早々に見送られる事となった。
代わりに計画として持ち上がったのが「新都ハリマタウン計画」である。ハリマタウンはポケモンジムもある町だったので新都を置くのに適していた。かくして八年の月日を費やして開発計画が持ち出されたハリマタウンは今やハリマシティと名を変え、高層ビルの立ち並ぶタリハシティの似姿となった。
元々、カントーはヤマブキシティの構造を模したのがタリハシティだったので、三番煎じの街と揶揄される事もあるが、ハリマシティは今も開発の手が緩められる事なく、行政改革によってビルの高さ制限が年々繰り上げられ、今やミサワタウンから出発したトレーナーからしてみれば完全な都会として認知されるようになった。
ユウキは威嚇するように立ち並ぶビルにコウエツシティの中心街の姿を重ねた。途端に懐かしさがこみ上げてきて、遠いところまで来たのだと実感させられる。
タクシーがハリマセントラルホテルのロータリーで停まった。ハリマセントラルホテルはコウエツグランドホテルに構造は似ている。入ってすぐのところに豪奢なシャンデリアを吊り下げるフロントがあり、黄金に縁取られたエレベーターが二台、奥に控えている。フロントのサロンには宿泊客達が憩っていた。柔らかそうなソファに体重を預けてオーロラヴィジョンに映し出される番組を見ている。富裕層が使うホテルだと一目で分かった。その時、ユウキへと声がかけられた。振り向くとホテルの従業員が笑顔を張り付かせながら慇懃な喋り方でユウキを呼び止める。
「失礼ですがお客様。当ホテルはそのような格好でご宿泊なさるのはお断りさせていただいております」
ユウキは自分の服装を見やった。オレンジ色のジャケットは煤けて、テクワの血がついたのかズボンは薄汚れている。確かに自分が従業員の立場でも止めるだろうな、と思った。
「約束をしているんです」
そう言いながらユウキは襟元に留めてある「R」のバッジを見せた。従業員がそれを認めて、「失礼しました」と頭を下げた。本土のリヴァイヴ団の力は絶大なのだろうか。態度をころりと変えた従業員が笑顔でエレベーターまで案内する。
「何階でございますか?」
「二十階で」
最上階のスイートルームだ。従業員は一瞬逡巡の間を浮かべたが、すぐに応じた。
「かしこまりました」
エレベーターに乗ってユウキは二十階に向かった。階層表示が上がっていくに連れて、シースルーのエレベーターから望める景色が雄大なものとなっていった。立ち並ぶビル群の上に屹立する赤いクレーン。まだ街は成長の途上にあるのだ。人を取り込み、金を取り込んで貪欲に成長し続けるハリマシティは底知れぬ魔物に近かった。
二十階に到達し、扉が開くとフロントがまだ質素だったと思えるほどに豪華絢爛の風景が視界に飛び込んできた。柔らかそうな赤い絨毯が敷かれ、塵一つ落ちていない。乳白色に見える壁や間接照明はいやらしくない程度で好感が持てる。しかし、自分には似合っていないのは明白だった。
「何番の部屋でございますか?」
「202の部屋です」
ユウキの言葉に従業員が部屋へと通す。扉をノックすると、「どうぞ」という声が聞こえてきた。ランポの声だ。
「失礼いたします」と従業員が扉を開ける。ランポが部屋のソファに体重を預けて待っていた。ユウキを認めると立ち上がり、「来たか」と言った。ユウキは頷いて部屋へと入る。従業員が立ち去ってから充分に時間が経ってから、ユウキが口を開いた。
「テクワは少し治療が必要なそうです。近くの病院で二日間は安静のようで」
「そうか。テクワにはそうなるとギリギリで伝えなければならないようだな」
ランポが顎に手を添えて考え込む。ユウキが立ち竦んでいると、ランポは対面のソファを顎で示した。
「座れ。立ったままだと話しづらいだろう」
「あ、はい」
ユウキは応じて対面のソファに腰かける。ランポもソファに座った。こうして顔を合わせてみて、ユウキはランポの違和感に気づいた。いつものランポにある覇気のようなものが感じられなかった。
「何か、あったんですか?」
ユウキの問いかけにランポは目を丸くして、やがてフッと口元を綻ばせた。
「分かるか?」
「ランポらしくない」
「俺らしいというのがどのような状態を指すのかは分からんが、確かに尋常な事態ではないな」
ランポは長く息を吐き出した。疲れているのかもしれない。
「ランポ。一体何が?」
「この街に辿り着いてまず、リヴァイヴ団のボスの腹心と会った」
その言葉は衝撃的なものだった。ボスの腹心という事はかなり上の立場と対面した事になる。
「……それで」
「ある命令を下された。特命だ」
嫌な響きだと感じつつもユウキは口には出さなかった。ランポは両手を組み合わせて言葉を発する。
「ユウキ。俺はリヴァイヴ団のボスとして、来る三日後に電波をジャックし、演説を行う事となった」
一瞬、言葉の意味が解らなかった。ボスとして、とはどういう意味なのか。
「どういう……、だってランポはボスじゃない」
「分かっているさ。つまりはボスの影武者として演説をしろと上は言ってきているんだ。矢面に立てという事さ」
ランポが皮肉めいた笑みを浮かべてようやくそれが現実の事なのだと認識したユウキは、「でも、そんな」と言葉にしていた。
「急に、そんな事」
「ああ、急な話だ。だが、俺は断れない。この任務をこなせばボスに繋がるかなり有力な情報と信頼を得られるだろう。俺達の望みのために、確実に乗り越えなければならないステップだ」
確かにランポの言う通りだろう。しかし、それは同時にある事を示していた。
「ボスの影武者になるというのなら、今までのような任務は……」
「ああ。除外される。レナの護衛もここまでだ。俺達はより高次元な任務を任される事となる」
「そんな……。でも、ランポ。そんな事引き受けたりしたら、あなたは……」
「そうだ。俺はもう、今までのようには生きられない」
濁した語尾を断ち切る言葉にユウキは何も言えなかった。ボスの影武者になるという事はボスに限りなく近づける立場でありながら、同時に最も遠い存在になるという事だ。ランポの眼を見つめる。本気の覚悟を湛えた眼差しがそこにはあった。
「本気、なんですか……」
「無論だ。俺は承服した以上、その任務をやりきらなければならない」
「だったら。ランポ。僕達は、もう」
「お前の言いたい事は分かる」
歯切れの悪いユウキの言葉を遮ってランポが淡々と告げた。
「ブレイブヘキサは解散だ。演説の護衛任務を終え次第、お前らは別々のチームに割り振られる」
半ば予想していた言葉だけに、衝撃は大きかった。ユウキは鈍器で殴られた時のように視界がぐらぐらとふらつくのを感じた。動揺したユウキが顔の半分を手で覆う。ランポはゆっくりと言葉を継いだ。
「ユウキ。お前からしてみれば、これは好機なんだ。ボスに一気に近づける。俺からしてみても出世だ。こちらからアプローチも可能になる」
「でも、僕らは今までのようにはいられない」
その言葉にランポは無言を返した。ついこの間まで他人同士だった者達がようやく纏り始めた矢先の出来事に、ユウキは現実味がなかった。どうして運命はこうまで自分達を弄ぶのだ。
ユウキは顔を伏せてランポに言った。
「ランポ。これから先、あなたは色んな人間に命を狙われ続ける事となる。リヴァイヴ団のボスとして」
「ああ。承知している」
「僕達もあなたに近い人間として、今まで以上に過酷な任務に身をやつす事となる」
「そうだ」
ランポはいつものように即座に返事を寄越す。しかし、ランポとて胸中では迷いの中にあるに違いなかった。ユウキは顔を上げた。
「……ようやく、分かり合えたと思ったのに」
「そんなもんさ。人間って言うのは、重なり合えた瞬間なんて人生ではほんの一瞬の出来事なんだ」
「でも、ランポ――」
「俺は、お前らとチームを組めて光栄に思っている」
遮って放たれた言葉にユウキは二の句を継げなかった。ランポは真っ直ぐにユウキの眼を見つめる。ランポはいつだってそうだ。真っ直ぐに、嘘偽りのない真実を打ち明けてくれる。
それがどれほどに辛い現実だろうと。
「俺がリーダーとして命令出来る、最後の任務だ。ブレイブヘキサのリーダーとして命じる。俺を守ってくれ」
苦渋の言葉に違いなかった。ユウキは何を言ってもランポの決意を揺るがす事はもう出来ないのだと知った。ランポとてあらゆる迷いを振り切ってここまで来たのだ。当然、覚悟は胸に抱いているはずである。ユウキはその覚悟と、言葉に応じるしかなかった。胸元に手をやる。ちょうどバッジを掴んで、ユウキは立ち上がり言葉を発した。
「……分かりました。ランポ、あなたを守ります。ブレイブヘキサ、最後の任務として」
その言葉がどこか自分のものではないような気がした。自分ではない何者かが発した言葉。それが偶然、自分の声帯を振るわせただけのような奇妙な感覚だ。
ランポは頷いて無言を寄越した。ユウキもそれ以上の言葉はなかった。豪奢な部屋に二人分の沈黙が降り立った。
第五章 了